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【わかりやすい「こんな暮らし方」イメージ】

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先日、 家づくり最大テーマ 「どう暮らしたいか?」と書きましたが、
そういう暮らし方イメージでいちばんわかりやすいのは、
自然との共生というような暮らし方でしょう。

人間というのは必ず死ぬ。
死ねばその肉体は自然の一部として、自然に帰される。
葬送のいろいろな仕方はあっても、基本は同じだと思う。
自然の摂理として、どんなに王侯貴族になろうが金持ちになろうが、
最後は裸になって物質存在に還元されて輪廻していく。
そんな風に考えれば、自然が生み出しているリズム、
そのなかで一番自分の心象に似つかわしい風景、景観に抱かれて
毎日を送れたら、というのがもっとも心落ち着くのではないか。
写真は、スウェーデンを旅したとき、彼の地に多い湖沼のほとりに
なにげなく建てられていた素朴な建屋に、
「吸い込まれる」ような思いを抱いた。
「あ、いいな、こういうの」というシンプルな共感。
この家はかれらが永い夏休みを過ごすための夏の家だろうけれど、
きっとかれらバイキングの子孫には悠久に繋がるイメージなのだろう。
日本人にはこういう外観カラーリング感覚はあまりなさそうだけれど(笑)
その色使いにしても、ごくシンプルで好ましい。
日本人としてはもうちょっと老荘的な自然の朽ち果てる感が欲しい。

年を取ってくると、ごく普通の暮らしというか、
現代化から取り残されたような限界集落のくらしに想像力も湧く。
NHK-BSなどでは、そういう年齢層をターゲットにした番組が目立つ。
先日のある番組では、トロッコ列車で上っていく終着のような山村で、
駅の維持管理要員も周辺住民に委託している村の暮らしを放送していた。
その委託を受けている方も70歳以上だけれど、
その集落の中ではいちばん「若くて元気」ということで、
郵便の配達業務の委託もながく承っているという。
カメラはかれの日常行動を写していくのだけれど、
かれが動き回ることがそのまま、超高齢化集落での「社会」になっていた。
郵便を届ける、受け取るそのこと自体が、
無上のコミュニケーションであり、その度に縁側での交歓がある。
やがて過疎がさらに進んで朽ち果てていくだろう人間集落だけれど、
ある底の明るい暮らしようが見えたりもした。
人間の顔かたちが似ていても違うように、
「こんな暮らしがしたい」にも、多様性があって当たり前だと思う。

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