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神楽からテレビまで 劇的なるものの歴史

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わたしは学生時代には、ちょうど70年安保の時期でして
いや、正確にはそこからの運動退潮期にあたっていました。
高校生の頃には、政治的な運動に主体的に関わっていたのですが、
学生時代は自覚的に距離を置いていまして、主に演劇クラブに所属して
早稲田小劇場とか、唐十郎の赤テント・状況劇場などに興味を持っていました。
そこから徐々に、演劇の歴史というようなものにも興味を持つようになりました。
とはいっても、専門的な興味を持ったのではなく、
その推移とか、ドラマの内容などからの、歴史過程に興味を持ったのです。

演劇って、人間社会に普遍的に起源を持つものだと思います。
狩猟採集時代に、夜、たき火を囲んで,その日生起したことなどを
おもしろおかしくファミリーに語り伝えるものとして、
ある主体者の考え方に基づいて、整理された内容が伝えられたのでしょう。
そういった初源的な出自の人間営為が、ある部分は文学になり、
ある部分は音楽になったり、そして演劇になったりした。
人間社会の推移発展に伴って、文化総体そのものも進化してきた。
そのなかでも「劇的なるもの」は、まことにわかりやすかったのでしょう。
わたし的には、古代の白村江の戦いに出陣する軍を鼓舞するのに
その美貌を謳われた額田王が演じた、あるいは檄を飛ばしたとされる故事に
まことに「劇的なるもの」を感じておりました。
演劇の演目というのは、現実に人間社会で生起し、
その概要を多くの人が情報共有していることを選択することが多い。
日本人が好きな演目として「忠臣蔵」というものがあるし、
最近わたしが大好きな「神楽」でも、演目はおおむね政治的出来事。
時代を「生きる」という意味で、その最前線で生起する政治ニュースは
まざまざとその時代を映すことであり、多くの人の興味を掻き立てた。
全国に琵琶法師という語り部を派遣して、平家滅亡の様子を
ドラマとして拡散した故事は、日本人の感受性形成にまで与ってもいる。
演劇史は同時に「メディア」の発展史でもあり、
ムラという生産単位ごとの「鎮守の杜」での「まつり」の時に
小屋がけして劇空間が出現し、庶民に共同幻想空間を提供したころから、
出雲の阿国が京都で小屋がけして大反響を得たり、
江戸の消費社会で、歌舞伎が一世を風靡したりした。
明治以降、映画という表現が出現して人々を魅了し,
やがて戦後、現代世界のテレビメディアまで、大きく変遷してきた。
面白いのは、こうした演劇スタイルは「積層」していくということ。
テレビが出来ても、やはりムラ祭りでは神楽が奉納されたりもしている。

先日も、戦後日本ドラマの主流を担った司馬遼太郎さん原作作品の
「関ヶ原」に見入ってしまいました。
文学作品としての「関ヶ原」はそれこそ暗記するほどに読んでいるので、
まるで一場一場の歌舞伎場面のように、セリフも頭に入っている。
高度成長時代そのものの時代背景から、豪華キャストが林立し、
日本人がもっとも好きな戦国末期の動乱ドラマを描き出していた。
見終わって、こうした司馬遼太郎ドラマというものも、
すでにして歌舞伎や神楽のような、そういった歴史に入ってきている、
そういう感想を強く持った次第です。
江戸時代の歌舞伎と近松門左衛門のような極めつけとして、
高度成長期テレビとの相関関係で、司馬遼太郎さんは語り継がれるのかも。
そんな感覚を持つようになること自体、
ちょっと不思議な気分になったのですが、そうやって歴史は
進んでいくのだなとも思えた次第であります。

冬・雪の「沈黙」が支配する街

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第10代のJIA会長、出江寛さんの講演では、
いつも触れられるテーマに、都市の文化論があります。
そこで「沈黙が支配する街」こそが、文化を持った都市である、
というテーゼが語られる。
論理的と言うよりも、直感的、感覚的な表現だけれど、
深く心に染みわたってくる表現であり、なにかの本質を明瞭に示している。
その都市文化の底に沈黙のある街として、京都や倉敷の街を挙げられていた。
そんな感覚について考えていて
ふと、わたしの住む札幌の街について考えてみた。
札幌の街は、京都の街に擬せられて、
碁盤の目のような「街割り」がされた、とされている。

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しかし今日の札幌の街は、ドライな空気感もあってか、
ほかの日本の都市とはかなり異質な街になってきている。
通りの名前も、無機質な数字が並べられ、
インターナショナルな明瞭さの方向に、街割り思想は向かったように思われる。
京都や倉敷などの成熟した街並みのなかの「沈黙」感はない。
そう思ってきていた、けれど・・・。

札幌の街はその冬がきわめて特徴的な佇まいを見せる。
初雪の日の朝の、あの物理的にも音が吸い込まれていく感覚をもった佇まい。
ある瞬間、まったくの静寂が街を覆いつくす。
あるいは暴風雪の中を家路に向かう、ひたすらに意識が集中する時間。
・・・雪の季節、この街は独特の「沈黙」を見せてくれるのではないか。
そんな、ふと思い浮かんだイメージが、徐々に膨らんできている。
雪が暴れ狂って、ひたすらにその嵐を耐えて過ごす時間。
それが治まってくれることを希う内語の沸き立つような時間。
窓辺で、そんな祈るような思いで暖房空間にくるまれている。
やがて治まって、その雪を除雪すべく家のまわりで立ち働く。
基本は自分の家族と家のための営為だけれど、
隣家、公道の部分にも除雪は至っていき、
ごく自然に、街の保全にみんながある思いを持つに至るようになる。
活動的ではあるけれど、自然に対してある敬虔さをもって素直である時間。
そう、冬のこの時間、札幌の街は独特の
ある「沈黙なるもの」をわたしたちに与えてくれているように思う。
そういう沈黙の時間があるからこそ、
集い語らう時間が、もっと色合いを増してくれている。
そういった「都市文化」というものもあるように思われてならない。
京都や倉敷の街のような洗練は持っていないけれど、
こういった雪との対話がもたらす、自然と人間文化のはざまが、
わたしたちのこの札幌に独特の「沈黙」を育ててくれている。
もっと前向きに、こういう「都市文化」を育んでいきたい。

いつ来るのか、札幌の大雪

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市内からジャンプ場が見える街、札幌。
雪の都と言ったフレーズが似つかわしい街なのでありますが、
ことしはエルニーニョの影響からか、
はたまた、パリでのCOP21での地球温暖化の危機警告が
直接的に影響してきているのか、
たいへんな小雪傾向でここまでの今年の冬は推移しています。
クルマの運転で何度も辛い経験もしているカミさんは、
「このまま、このまま・・・」と喜悦しながら過ごしているのですが、
しかし、このまま過ぎることは考えられず、
いつ、「おお、やっぱり来たか」という大雪が来るものか、と
ハラハラしながら、日々を過ごしております。
こんな小雪の冬はわたしの過ごしてきた記憶でもあまりない。

おかげさまで、今年は年末の旅行から帰ってきたときも
1週間近く家を離れていて、
ドキドキしながら帰って来て「どんだけ」と身構えていた家のまわりの積雪も
ほとんど数㎝程度の状況で、楽勝そのもの。
ほとんど拍子抜けだったのでありますが、
その後も、積雪らしい積雪は到来してこない。
冬場には、除雪作業が運動不足解消の決め手なのですが、
こちらの方も、サッパリ効果が無く、
14日に設定した「健康診断」が恐ろしい。
やむなく密かに、ちょこっと食事制限気味に過ごしております(笑)。
まぁムダな努力だとは思うのですが、
運動不足であれば、入力エネルギーを減らすしかない。
悲喜こもごもの、小雪の札幌であります。

というようなことを書いた後、
窓のブラインドを開けたら、若干の積雪であります。
ヤバい、わたしが書いたことで、神さまがついに気付いたのか(汗)。
少々、雪かきに精を出さざるを得ないようであります。
どうか、このままの小雪を強く期待している次第です。
なにとぞ、雪の神さま、このまま寝ていていただければ・・・・。

札幌の戸建て=「シアワセの請負産業」競争

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注文戸建て住宅市場での、各社間競争は激烈。
とくに札幌の場合、断熱気密といった性能面では、差別化はつきにくい。
もちろんそれを無視すれば、即座にクレームになって
市場からの退場を迫られるという厳しさはあるので、
住宅性能で品質を落とすことは絶対にできない市場構造が形成されている。
全国メーカーについてはその宣伝イメージで
低レベルの性能でも押し込めるユーザー層はある程度は存在するけれど、
地域に根ざして逃げ場のないスタンスで戦っている
地域工務店・ビルダーにとって、住宅性能要件は必須の必要条件。
しかし、それが十分条件ではないところから札幌での競争はスタート。
ユーザーの肌身の感覚としての「あたたかさ」はすでに常識化していて、
さらにその上の市場競争が求められている。
無暖房レベルまで性能面を強化したとしても、それだけでは
ユーザーの、家にもとめる幸福感・願望には訴求しにくい。
「それだけじゃ、面白くないっしょ」と一蹴される。
マンションでもなく、建売住宅でもない、注文戸建て住宅マーケット。
ユーザーの「シアワセの請負産業」企業としての
住宅企業への競争圧力は札幌ではレベルが高く、きびしい。

そんなある企業の最新モデル住宅を見学した。
さすがにきびしい競争を反映して、
「写真撮影はご遠慮ください」というさりげないPOP。
ということなので、慮って室内の写真や、外観写真は掲載を避けます。
性能要件での,札幌のユーザーの「満足レベル」というものは、
国の基準レベルなどとは別のレベルで、確実に存在する。
これは、毎日きびしい戦いを繰り広げているビルダーさんたちは、
それこそ肌身に感じながら、ギリギリのポイントとして感受している。
本州他地域とは違って、札幌では住宅性能は質的にも量的にも
あるレベルが面的に実現されてきているので、
その見切りが鋭いのだと思われます。
ではデザイン的な部分ではどうであるのか、
この部分がやはり一番強く興味をそそられる。
そして、そこでもユーザーの選別眼はかなり明瞭に見えてきている。
ハイエンドから上クラス、中の上クラスの注文戸建て市場を
狙っていくなかで、どういったデザインマーケティングが有効なのか、
詳述はできないけれど、まことに先端的な戦いだと思います。

当社では、「北のくらしデザインします」という
建築家住宅選集のような別冊企画を市場に提案し、
ユーザーが求める性能要件レベルを満たしながら、
あらたに「満足できる生活デザイン」という価値提案を
北海道の住宅市場に対して仕掛けた経験があります。
それ以降の流れを十分に把握しながら、
次のステップに向かっていく必要があるのだと、実感させられた次第です。
いずれにせよ、住む人の「シアワセの請負産業」という本質は、
深まりこそすれ、絶えていくことは絶対にない、そう思います。

江戸琳派・酒井抱一の構図美に惑溺

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昨年の12月に東京で鑑賞した絵画展で、
この酒井抱一の「絵手艦」をスライドショー形式で見せる展示があって、
驚かされました。
所有している静嘉堂文庫美術館の解説によると、

紙本絹本・著色墨画 一帖七十二図  江戸時代(19世紀)
一帖の画帖の裏表に三十六枚ずつ合計七十二枚を張り込んだ贅沢な作品。
書道の手鑑の形式をかりてさまざまな画風を描き集め、
品質や款記もさまざまで変化に富む。
抱一がこなすことのできた宋元画風、若冲風、光琳風、俳画風などの
広い画域が誇らしげに披露され、江戸時代の画帖のなかで、
ひときわ目を引く鑑賞画となっている。・・・というものだそうであります。
一方、酒井抱一さん<1761年8月1日-1829年1月4日>という人は、
江戸時代後期の絵師。徳川家臣の酒井家の人で、
本名は忠因(ただなお)、幼名は善次、通称は栄八、
尾形光琳に私淑し琳派の雅な画風を、俳味を取り入れた
詩情ある洒脱な画風に翻案し江戸琳派の祖となったという来歴の人物。
俵屋宗達ー尾形光琳という「私淑」という日本的な流儀での
いわば芸術魂のはるかな伝承という「流派」である琳派の旗手である芸術者。
3代目ということもあって、宗達、光琳よりはポピュラーではないかも知れない。
しかし、今回、この「絵手艦」を見て、深く打たれました。
わたしは「画面」構成というポイントが大きな領域を占める
「雑誌表現」という世界を中心に生きてきているのですが、
そのなかでも、レイアウトや構図というものは、キーポイント。
その見方からすると、この「絵手艦」は、その感覚において、
まさに隔絶超越したような美の感覚を見せてくれている。
琳派という流れ自体、日本的デザインというものを強く意識させられますが、
この酒井抱一さんの構図の感覚は、画面編集というものの美の感覚を、
ありのままに明瞭に感じさせてくれると思います。
表示した絵は、「富士山図」なのですが、
やや縦長の画面、現代のA版という画面サイズとも似つかわしい画面に
富士山の形象をデザイン的に表現している。
それに対して右肩に、月なのか,太陽なのか、
月とすればありえないほどの赤であり、
太陽とすれば、背景の空がありえないほどの濃い群青である。
そういった抽象的な表象図形表現を対置させている。
その富士山と月か太陽かの対置させた配置が、
ごく自然でありながら、絶妙なバランス感覚を見せてくれている。

たぶん、人間の感覚の中での
無意識レベルでのものごとの「把握」という領域に
こういった「配置感覚」というものは関わっているように思われてならない。
キャンバスのタテ横の感覚まで含めて、
こういう感覚の鋭敏さを、スライドショーでは、
これでもかと、連続的に叩き込まれてくる気がいたしました。
こういった感覚領域で、日本人としても稀有な才能を発揮し表現したと、
そんなことを酒井抱一さんに感じた次第であります。

韓国も核保有? 東アジアの危機

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しばらく政治ネタの方はご無沙汰していましたが、
どうにも世界各地でなまなましい状況が続いています。
オバマ政権という軟弱な政権が、こうした状況を招いたことは疑いない。
サウジアラビアとイランの国交断絶事態、
中国による南沙諸島での航空機発着・軍事基地の既成事実化、
そしてきのうは北朝鮮による核実験。
このどれもが、日本にとって存立危機事態であることは間違いない。
原発事故以来、ますます高まっているエネルギーの海外依存率。
それから考えると中東の緊張の高まりは
いつなんどき、この対立する両国関係の衝突で火薬庫に火が付くかわからない。
この両国双方にとって死活的利権であるホルムズ海峡が
その両国での奪い合いになることは容易に想像できるけれど、
その衝突の結果、ここが通行不能になったとき、
日本経済は死活的なダメージを受けることは間違いがない。
さらに、世界の海上交通の最要衝である南シナ海での
中国による島嶼要塞化・軍事基地化というまさに「ナチス」並みの所業は
この地域も日本の「存立危機事態」を惹起することに突きつけている。
これらは、経済国家日本にとってまことに死活的だけれど、
まだしも肌身を持っての危機とは認識できないことは理解は出来る。
しかし、北朝鮮の無分別な政権による暴走は
まことに直接的な危機につながると言える事態。
さらに、さっそくこの北朝鮮の動きに対して隣国韓国では、
核武装論が勢いを増してきているのだという。
ごていねいに、中国メディアでは日本に核武装の「口実」を与えるとまで書いて、
さらに韓国には具体的に核保有の動きが出るだろうと予測している。
国内の安保法制反対派のメディアがどう書こうが、
こうした認識が世界の基本的な「大勢」であることは間違いがない。
中国メディアのこの事態への最初の反応が、日本への非難から始まるのは
いかにこの国が異常な国家であるかと言うことを明示している。
北朝鮮の核実験はけしからないけれど、それ以上に日本が危険だとは。
まさに驚きを通り越している。
しかし、日経ビジネス誌などの解説記事を読むと、
この北朝鮮の核実験によって韓国がどのように動いていくか、
そこに大きな危機要因が潜んでいると分析していた。
韓国世論では、2/3近くが核保有を容認しているとされている。
まさに日本にとって、死活的な危機事態であることはまちがいない。

こういう状況がすぐにでも起こることを一顧もせずに
脳天気に安保法制反対などと金切り声を上げていたマスコミ・新聞社などは
事実にしっかりと向き合って、アタマを切り替えて欲しい。
昨年11月に「中国・北朝鮮の脅威は、リアルな危機ではない」と
発言していた共産党・志位氏に至っては、いま、その発言から
どうやって軌道修正すべきか、まさに岐路に立たされている。
こうした環境の中で安保法制もナシで平和維持できるなどと言う、
現実と極限的に遊離したような言説は、まことに無責任であると思います。

無断熱ファッションビルでのオシャレな夕食in札幌

2680

きのうは夕方、あるお店にて会食・会合。
お話しはいろいろに盛り上がったのですが、
なんともいえない空気感に襲われておりました(笑)。
そうです、写真の通りの結露状況であります。
オシャレなファッションビルの2階のお店なのですが、
コンクリート打ち放しの素地表しで、嵌め込まれたガラス窓、
っていうか、巨大な面積のガラス面は単板ガラス。
その「開放的な」2面採光部分に面した仕切部分でした。
必死の開放型石油ストーブ暖房で、まぁ、腰掛けることはできるというくらいの
温熱環境の「特等席」でありました・・・。

ことしは札幌は記録的な暖冬だとはいえ、
日中も零下の気温ではあり、道路はツルツル路面であり、
夜になると、ダウンジャケットでも身震いするような寒さ。
そういった寒冷に対して、まことに無防備な,残念ビルでありました。
その上、暖房設備として開放型の石油ストーブが無惨に置かれている(ひや汗)。
暖気はそこはかとなくは感じるけれど、
ご存知のように、開放型のストーブでは燃焼することで、
必然的に「結露水」が発生せざるを得ない。
当然CO2濃度も上昇することで、空気を密閉すると、
二酸化炭素中毒を発生させてしまうし、
ここでは密閉もされていないので、室温上昇も得られるハズもなく、
ただただ、地球温暖化を助長するに過ぎない。

いやはや、ここまで札幌のビルで,寒さに無防備な建物があるのだと
むしろ、驚くばかりの状況でありました。
こういう状況では、いごこちの悪さばかりに気が行ってしまって
食べるものに喜ぶというような心理にはとてもなれない。
どんな贅を尽くした食べ物にも、「楽しむ」というゆとりを持てない。
飲食店店主には、こういったいごこち環境に顧客を放置していることへの
「鈍感さ」を感じるほかはなくなってくる。
まぁ、悪い人でないのは伝わってくるので、こちらもどうした顔をしたものか。
お店の選択は、わたしには関わりの無い状況だったのではありますが、
北海道でここまで熱環境に無自覚な設計者・施工者がいまだにいる、
そういった建築がまだまだ行われているということに、
無惨な残念感が強く迫ってきた次第であります。
そんなことでお酒も少し飲んでいたわけですが、
けさは夢見もよろしくなく、ややアタマの痛い朝を迎えております。
軽快なテーマソングの「あさが来た」でも見て、
せめても、元気を与えてもらおうと思っております(笑)。

家と街 「愛着」の耐久性能

2679

きのうのブログを書いて、そのあと
建築家の藤島喬さんと、コメントのやり取りをしていました。
きのうのブログでは倉敷の木造の美観を維持した街並みをテーマに
主に外観を構成する素材としての「新建材」サイディングでの街の雰囲気と
木を使って、土で仕上げた自然素材の外装が支配的な街との
長期的なサスティナビリティ、美観を含めた耐久性について
論議が至っていった次第であります。
わたし、以前に「愛着の耐久性能」ということを
JIA北海道支部に頼まれて文章を書いた記憶がありますが、
感受性を持ったイキモノである人間に、美観はきわめて重要と思うのです。
以下に、きのうのやり取りのわたしの最後のコメントを再掲します。

伝統的な家づくりは、規格大量生産された「新建材」などは
想定しない中で木造技術伝承されてきたものだと思います。
便利なものがない中で扱いにくい「自然素材」をどうにか折り合わせてきた。
その施工技術集団としての工務店組織に、より便利な,施工の容易な
新建材がどっと流入していって木造は「合理化」はされたのでしょうし、
また断熱気密といった性能進化もそうした流れから
可能になってきたことであるのかも知れません。ただこのプロセスのどこにも、
合理化はあっても、美観という基準は存在しなかったのだろうと。
たしかに美は相対的で、絶対的基準は考えにくいのだけれど、
多くの人が納得できる美的基準としてノスタルジックに古民家、
伝統的木造建築群を志向しているのも、あらがえない事実でしょう。
そういう部分をどう「止揚」していったらいいのか、悩みどころなのだと。

ここで「止揚」というマルクス主義的な言葉が出現してしまった(笑)。
わたしは高校生の頃、歴史発展は「止揚」というかたちで進んでいくという
マルクスさんの考え方に深く傾倒した経験があるのです。
いまでもこの考え方は正しい認識だと思っています。
歴史が発展するには、それまでの普通の認識に対して反対概念が提起され
葛藤が起こるのだけれど、やがてそういった対立点が
もはや無意味になるような「進化」的発展が生起して、
問題点が解決されていく、「止揚」されていくという考え方。
当時、最新の考え方であった「進化論」に大きな思想的ヒントを得て
マルクスさんは、人間社会の進化に、この考え方を当てはめたのでしょう。
ともあれ、木造技術は進化したけれど、
美観という面では、なにか忘れてはいないかと
物言わぬ一般大衆から倉敷の街のような美がいいという文化現象が起きてくる。
そういう部分を進化させる、止揚する住宅文化発展が期待されている
そんな思いが強くなってきているのであります。

倉敷〜木造美観と、現代住宅防火基準

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さて本日から始業であります。
ことしは、カレンダーの関係で本日からの企業が多いでしょうね。
わたしのアタマも、神々の世界から(笑)、徐々に建築、住宅の世界に
下降させていきたいと思っております(笑)。
で、ちょうど中間的なのが、古建築群ということになるでしょうか?
日本の地域観光の中核を担っているのは、
こういった倉敷のような古建築の街並み美観。

ヨーロッパの景観が石造り建築が醸し出しているとすれば
日本の街並み景観美は木造建築が果たしてきている。
あるいは、木造技術と石造り建築とのコラボレーションのような美。
結局、今の時代にまで「美観」地域として価値感を持っているのは、
こういった地域であるのは、自明のことです。
そうなのですが、現状の住宅についての諸制度などには
こうした木造建築のデザイン性についての視点は
あんまり見られていない。
日本の行政機関は江戸期からこの方、
っていうか、その以前の戦国期での大量破壊、放火行為以来、
木造建築に対しては「不燃化」だけを追求してきたように思います。
とくに太平洋戦争のアメリカ軍による東京焼け野原作戦の結果、
戦後の「住宅政策」の中心軸に、不燃化が据えられてきた。
その結果として、いまは「不燃建材」として「防火性能」を主な選択基準として
化成品であるサイディングが事実上のスタンダードになっている。

一方で、この倉敷のような古建築が醸し出す美観に対して
日本人的感受性は激しく同意し、
それをきわめて肯定的にとらえる文化現象が対置されてきている。
この「現象」には、さまざまな側面があることは承知していますが、
しかし、ある部分、サイディングが埋め尽くしている現状の住宅街に対して
本当にこれでいいのかと、異議申し立てしている面も
そこには確実にあるのではないかと、
いつも、古い街並みを見ていて、そう感じ続けています。
もちろんサイディング外壁ではない住宅が多く生み出されてきていて、
多くのユーザーの志向も、そちら側に傾きつつあるのも事実。
行政側でも「存続しうるデザイン要素」としての美観についても
そろそろ気付き、論議をはじめるべきなのではないかと思う次第です。

山陽道・三木SA 「三木」グッズ多数発見(笑)

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わたしは三木といいます(笑)。
これは「姓」なのですが、播州・兵庫県ではたいへん多い姓です。
姓のほかに、地名としても「三木市」があります。
Wikipediaの「概要」(要約)を見ると、

兵庫県中南部、神戸市の北西に位置する人口約8万人の都市。
美嚢川沿いに設置された三木城を中心に城下町が形成されていた。
戦国時代には三木合戦の戦地、江戸時代からは三木地区を中心に金物の
本格的な生産が開始され、現在は城下町を中心に行政・文化施設が集中。
1970年代以降には京阪神のニュータウン開発が開始され、人口が急増。
交通の結接点であり、市内に高速道路が4路線(ジャンクション (JCT) が2箇所
サービスエリアが1箇所)、国道が2路線通っている。鉄道路線は
神戸電鉄粟生線があり、市内には7駅ある。
市の由来〜神代に神功皇后が君が峰で休憩時に地元から壷に入れた酒を
献上したことから、御酒(みき)→三木(みき)となったと伝えられている。

というようなことなのであります。
直接の家系伝承では播州西部の「英賀」の方が近縁なのですが、
戦国期の「三木城合戦」にも大きく関わっているようなので、
こちらにも深いご縁がありそうなのであります。
三木城の城主・別所氏は英賀・三木家の近親だったと言われている。
まぁ、いまは北海道に流れてきた家なので縁は途切れていますが、
なにがしかのご縁は感じられる(笑)。
数年前に旅したときにも、縁のある「福崎」ICで急にガソリンが減って
急遽スタンドに給油で下りたら、その裏手に「三木家住宅」がある場所だった。
また今回の旅でも、高速道上パンク事件はこの近くで起こった・・・。
あらたな三木家・都市伝説かもかも(笑)。
わたし以外の家族にははじめて知ることだったのですが、
事件も起こったことだし、これも何かの縁と、中国道から山陽道に移動して、
この三木SAにも立ち寄ったのであります。

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なぜ三木ちゃんぽんや、三木醤油ラーメンなのか(笑)。
その上、ちょっとお上品そうなお土産菓子にまで、
その姓が刻印されているではありませんか。
どうも、三木という名前にはある言霊が存在しているとしか思われない。
同じ播州の地縁者である司馬遼太郎さんの文章を見ると
三木城合戦は、播州地方に於いて伝説の地域挙げての戦いだったようで
明治になって一般民衆も「姓」を名乗って良いことになったとき、
播州では、自家もあの戦いに参加したのだという地域のプライドとして、
三木という姓を多くの人が名乗ったと記されていた。
そういう名残、歴史の残滓がこういった言霊として存続しているようです。
はるかな縁に繋がるものとして、ある感慨を持った次第であります。