さて本日から始業であります。
ことしは、カレンダーの関係で本日からの企業が多いでしょうね。
わたしのアタマも、神々の世界から(笑)、徐々に建築、住宅の世界に
下降させていきたいと思っております(笑)。
で、ちょうど中間的なのが、古建築群ということになるでしょうか?
日本の地域観光の中核を担っているのは、
こういった倉敷のような古建築の街並み美観。
ヨーロッパの景観が石造り建築が醸し出しているとすれば
日本の街並み景観美は木造建築が果たしてきている。
あるいは、木造技術と石造り建築とのコラボレーションのような美。
結局、今の時代にまで「美観」地域として価値感を持っているのは、
こういった地域であるのは、自明のことです。
そうなのですが、現状の住宅についての諸制度などには
こうした木造建築のデザイン性についての視点は
あんまり見られていない。
日本の行政機関は江戸期からこの方、
っていうか、その以前の戦国期での大量破壊、放火行為以来、
木造建築に対しては「不燃化」だけを追求してきたように思います。
とくに太平洋戦争のアメリカ軍による東京焼け野原作戦の結果、
戦後の「住宅政策」の中心軸に、不燃化が据えられてきた。
その結果として、いまは「不燃建材」として「防火性能」を主な選択基準として
化成品であるサイディングが事実上のスタンダードになっている。
一方で、この倉敷のような古建築が醸し出す美観に対して
日本人的感受性は激しく同意し、
それをきわめて肯定的にとらえる文化現象が対置されてきている。
この「現象」には、さまざまな側面があることは承知していますが、
しかし、ある部分、サイディングが埋め尽くしている現状の住宅街に対して
本当にこれでいいのかと、異議申し立てしている面も
そこには確実にあるのではないかと、
いつも、古い街並みを見ていて、そう感じ続けています。
もちろんサイディング外壁ではない住宅が多く生み出されてきていて、
多くのユーザーの志向も、そちら側に傾きつつあるのも事実。
行政側でも「存続しうるデザイン要素」としての美観についても
そろそろ気付き、論議をはじめるべきなのではないかと思う次第です。
Posted on 1月 4th, 2016 by 三木 奎吾
Filed under: 住宅性能・設備
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