きのうは伊予松山の道後温泉にほど近い「湯築城」からの発掘出土品の陶磁器に触れた。瀬戸内海経済圏の四国側での中心地域とも言われる伊予の国。歴史年代でもその地域首長「伊予守」の地位は律令体制でも非常に重要視された地域。遠く […]
Posted on 7月 25th, 2024 by 三木 奎吾
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きのうは伊予松山の道後温泉にほど近い「湯築城」からの発掘出土品の陶磁器に触れた。瀬戸内海経済圏の四国側での中心地域とも言われる伊予の国。歴史年代でもその地域首長「伊予守」の地位は律令体制でも非常に重要視された地域。遠く […]
Posted on 7月 25th, 2024 by 三木 奎吾
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さて、ちょっと取材系の話題がしばらく途絶えていて「夏休み」状態だったのですが、住宅と人間、その歴史というのがわたしの主要な経験知フィールドになっていることに鑑み、そういうテーマ領域で探索を根気よくやっていきたいと思って […]
Posted on 7月 24th, 2024 by 三木 奎吾
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やっぱり九州は遠い。いろいろな知識を得ると言うこと自体は現代では容易に可能だけれど、実際に来て見てはじめて「気付く」ことには敵わない。 今回の九州旅は、ほぼわたしは「ボーッと」しているわけですが、そういうなかでもふと […]
Posted on 6月 29th, 2024 by 三木 奎吾
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写真は福岡県福津の「宮地嶽神社」本殿であります。福津市の宮地嶽神社は日本最大級の大注連縄で知られ、正月三が日には例年およそ150万人が参拝に訪れる。大注連縄は長さ11メートル、太さは2メートルを超え、重さは3トン。 わ […]
Posted on 6月 28th, 2024 by 三木 奎吾
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九州中部の熊本県と宮崎県の中間の山岳地帯。日本三大秘境と言われる椎葉地区に逃げ延びた平家一族。 きのうはそうした絶体絶命の状況で安寿と厨子王の安寿姫のように自己犠牲でこの一統を救った清盛の孫娘のことを想像してみた。わ […]
Posted on 6月 3rd, 2024 by 三木 奎吾
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わたしとしては能登の時国家住宅以来の「平家落人」の住宅。まぁほかにも四国の古民家でそういう伝承だけはある家も見たのですが、本格的な集落ごと、その伝承を色濃く持っているものは2件目。 上の写真はこの移築住宅の説明パネルよ […]
Posted on 6月 2nd, 2024 by 三木 奎吾
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判官っていう官名からは多くの人は義経のことを想起すると思うけれど、北海道人の場合、もうひとり開拓判官・島義勇のことも想起する。 北海道神宮本殿入り口の正面向かって左手には、かれの銅造、「開拓三神を背負った」姿がある。 […]
Posted on 5月 26th, 2024 by 三木 奎吾
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北海道草創期の古写真再発掘シリーズ。 現在の北海道庁赤煉瓦庁舎は、札幌の観光コースの定番と言える存在。実際上の実務部門がそこにあるワケではなくその後ろ側のコンクリート建築に機能は移転しているので、いわばランドマークと […]
Posted on 5月 25th, 2024 by 三木 奎吾
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わたしの札幌の高校時代の友人たちには「屯田兵の子孫」という存在もいる。いまの札幌市西区役所のあたりには屯田兵の指揮所のような建築があったとも言われている。また、隣接して「琴似神社」があって、屯田兵のなかの宮城県出身者が […]
Posted on 5月 22nd, 2024 by 三木 奎吾
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どうもこういう北海道初期の写真には、心が反応してしまって、とらわれてしまう。 わたしの家系は祖父の代の時、大正の初年ころ広島県の福山市周辺地域から一家を挙げて北海道に移住してきた。その事実を物語ってくれる写真などは存 […]
Posted on 5月 21st, 2024 by 三木 奎吾
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