北海道・樺太の探索によって北辺の領土確定という国事に功をなした間宮林蔵。上の写真2枚はわたしの毎日の散歩道コース・参拝社である「開拓神社」(北海道神宮の末社)。ここでは北海道の現在のありようを規定した功績のあった人物37 […]
Posted on 5月 25th, 2023 by 三木 奎吾
Filed under: 歴史探訪 | No Comments »
北海道・樺太の探索によって北辺の領土確定という国事に功をなした間宮林蔵。上の写真2枚はわたしの毎日の散歩道コース・参拝社である「開拓神社」(北海道神宮の末社)。ここでは北海道の現在のありようを規定した功績のあった人物37 […]
Posted on 5月 25th, 2023 by 三木 奎吾
Filed under: 歴史探訪 | No Comments »
幕末期以降に北海道に寄せられた日本国家・国民からの熱視線はすさまじいものだった。相次いだ列強諸国からの開国・侵略圧力の中で、日本社会は明治以降の開拓のための国民世論醸成を進めていたとも言える。いまに至っても北海道が一種「 […]
Posted on 5月 24th, 2023 by 三木 奎吾
Filed under: 歴史探訪 | No Comments »
近代国家にとってその領土の地理を把握することは、統治の正当性を担保する重要な基盤情報。正確な地理認識がなければ、権力行使の総合的実効性があり得ない。国土領域の防衛についてもその交通についても、さらに産業育成、国民の人口増 […]
Posted on 5月 22nd, 2023 by 三木 奎吾
Filed under: 歴史探訪 | No Comments »
北海道神宮境内には「開拓神社」が置かれている。わたしの好きな毎朝の散歩道の定番コースでして強い親近感を持って参拝させていただいている。記憶が定かではないけれど小学校の「社会科」では定番の地域史にそれらの名前は刻印されてい […]
Posted on 5月 21st, 2023 by 三木 奎吾
Filed under: 歴史探訪 | No Comments »
幕末期には列強によるアジア地域への「進出」という名の侵略行動が活発化した。江戸幕府によるオランダ・中国以外の国との接触を断つ鎖国政策に他国からの政策変更圧力が高まっていた。この時期に幕府は積極的に「北方探索活動」を推進し […]
Posted on 5月 19th, 2023 by 三木 奎吾
Filed under: こちら発行人です, 歴史探訪 | No Comments »
間宮林蔵の生家は茨城県のつくばみらい市にある。ようやく夫婦に授かった子として間宮林蔵はこの世に生を受け、父母の深い愛に包まれていのちを育んでいった。幼い頃から算術などに才の片鱗を見せ、村では神童と言われていたという。そし […]
Posted on 5月 18th, 2023 by 三木 奎吾
Filed under: 住宅取材&ウラ話, 歴史探訪 | No Comments »
間宮林蔵と言ってもイマドキの人にはそう「響かない」ようですね(笑)。まぁ当然でしょうか。間宮林蔵って誰さ?という反応が自然のようです。なので簡単な当時の世相の様子とかれ自身の幕府に出仕するまでの経歴・年表を以下に。 ・1 […]
Posted on 5月 16th, 2023 by 三木 奎吾
Filed under: 歴史探訪 | No Comments »
日本書紀の記述、斉明天皇の条での阿倍比羅夫の北征。古代世界で突然のように北辺の世界の記述が出てくることから、多くの研究が日本各地で行われてきている。北海道に暮らすものとして、何度もこのナゾに問いかけてきている。今回も現地 […]
Posted on 5月 7th, 2023 by 三木 奎吾
Filed under: 歴史探訪 | No Comments »
わたしは旅先とか、出張などで訪れる地域の「地史」への興味が非常に盛り上がるタイプなのか。歴史書は好きですがもちろん網羅的に読破しているわけではない。実際に訪問するとその周辺記憶領域が強く反応して「おい、おまえ、この辺のこ […]
Posted on 5月 6th, 2023 by 三木 奎吾
Filed under: 歴史探訪 | No Comments »
きのうのニセコでの環状列石探訪での古代縄文人の痕跡に気付かされ、知らず知らずわたし自身も陥っていた北海道地域観、大自然がそのまま残っている未踏の開拓地的な史観がゆらぎを見せ始めています。人跡・文化性への極度の軽視から目を […]
Posted on 5月 5th, 2023 by 三木 奎吾
Filed under: 歴史探訪 | No Comments »