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【「毛野」から毛が脱けた(笑)理由 「上毛野氏」探訪-7】

5−6世紀に群馬県地域に進出し、多くの前方後円墳を残した氏族・地域を 上毛野氏という特定名で探究してきているけれど、 その地域名が毛野であり、それを渡良瀬川でもって上下に分け、 西側を上毛野、東側を下毛野というように呼称 […]

【日本国家「中央と地方」関係形成論 「上毛野氏」探訪-6】

始原期のヤマト王権の状況をうかがい知るような取材として 奈良盆地での纏向や飛鳥での動きの探訪と、引き続いての 板東での王権勢力の伸張事例としての上毛野氏を見てきた。 中央政権による地方統治はどういう根拠に依るべきか、 日 […]

【日本王権の「板東」進出戦略 「上毛野氏」探訪-4】

日本の王権、皇室儀式にはいまも農業祭祀が色濃い。 弥生時代から王権の「東征」という事態が進行して 奈良盆地・纏向遺跡には3世紀中頃、250年代には到達していたと思う。 日本武尊の東国遠征という説話は、畿内地域での水田開発 […]

【ヤマト王権・豪族の政戦痕跡 「上毛野氏」探訪-3】

上毛野氏というのは、古代日本史のなかで大きなプレーヤー。 渟〜ちぬの国と呼ばれた現在の堺などから泉南といわれる地域を スタート地点にして東征の道筋そのまま、勢力を拡大させて それぞれの地域で分家が進んでいったように思える […]

【日本武尊の嬬恋・あづまはや〜「上毛野氏」探訪-2】

〜日本武尊(ヤマトタケルノミコト)は東国遠征の帰りに亡き妻を思い出し、 東方を向いて嘆き悲しんだ。そして碓日坂においてその東側の土地を 「吾嬬(あづま)」と呼んだ。後になって東海道足柄峠、東山道碓氷峠の坂より 東の地域を […]

【江戸期と似た清朝初期・1740年代北京「大衆社会」】

日本史はある意味、世界と日本社会の交流が反映したもの。 卑弥呼・邪馬台国の時代から日本にとっては中国は最大の影響要素。 世界的にも珍しい「鎖国」という外交方針まで取った淵源には、 日本的な平和主義伝統があるのではないかと […]

【清時代の絵画「慶豊図巻」1740年代の北京市街】

中国軍はいま台湾封鎖して周囲に実弾射撃を行い、 ペロシさんを迎えた台湾の人々に恫喝を加え続けている。 自分より弱い者へは居丈高に恫喝を加えるという まるでマンガのジャイアンのようで非常識な「国家」姿勢。 共産党独裁の中国 […]

【北京故宮・玉座まわり「鶴の狛犬」発見】

日本の神社には「狛犬」が付き物ですね。 建築としての神社というか、その空間性は好きなのですが、 必ずしも規格性とか統一性はないと一般的に言われます。 犬が一般的な意匠であることは疑いがないけれど、 イヌとは言っても、ほと […]

【奈良盆地東南、多武峰への高台農家 大和歴史証言-23】

奈良県の人口は132.2万(2020年)、うち奈良市は36万人ほど。 奈良市は県の最北部で淀川方面に向かって開いて行く地域。 そして県の北西側平野部・奈良盆地にほとんどの人口が集積している。 それ以外は紀州に向かって山岳 […]

【楠木正成の末裔「旧赤土家離座敷」 大和歴史証言-22】

奈良県、奈良盆地には日本という国・社会の歴史が凝集している。 一般的な農家住宅であってもごくさりげなく歴史が紡がれている。 もと奈良盆地の西部・大阪に近い香芝市狐井に建っていた農家住宅、 赤土家(しゃくどけ)にあった離れ […]