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【明治22年北海道への集団移住 十津川と「新十津川」-8】

 前章までで触れたような独特の地域風土と歴史経緯をもった十津川の地を大水害が明治22年夏におそう。  地域産のスギ材などを出荷する地域の大動脈となっていた十津川自体の流路が大破綻してしまって、その復元のメドすら立たない中 […]

【大坂夏の陣の武功・槍役45家 十津川と「新十津川」-5】

 きのうは太閤検地でのこの十津川の詳細記録のことに触れたけれど、さらにそのあとの「大坂夏の陣」に際してこの地の人びとは徳川方に味方して武功を上げたとされる。その武功に対して江戸幕府は十津川の人びとに対して「扶持米」を与え […]

【太閤検地記録、減税への希求 十津川と「新十津川」-4】

 さて十津川の歴史を深掘りしていると、さまざまな資料を再発見させられる。探訪時には「とりあえず資料類と思えるものは収集しといてあとでじっくり確認」とさまざまな資料類も基本的に写真に収めておく。で、じっくり「深掘り」する機 […]

【江戸期・備後福山藩領「地方中小商家」の営業実態】

きのうの続きです。わが家の家系はこの福山市西部の今津町で確実に商家として生業を営んでいたようなのですが、そういう「営業実態」についての記録や実物などは、北海道移住に際しての混乱期に多くが散逸していて、なかなか確認すること […]

【草戸千軒〜今津へ 広島県福山地域の歴史文化】

 先日まで安藤忠雄建築の姫路文学館関連の探訪記を記していましたが、加齢とともにだんだんいろいろ探訪行脚の領域・地域が広がっていく趨勢。きのうお知らせしたようなノンフィクション作品の取材対象に興味が広がってきたことから、建 […]

【奈良時代大国・播磨の国府官庁街「姫山」】

 神戸・姫路〜山陽道周辺地域巡りから月曜の夜に帰還しましたが、大量の資料写真類を撮影してくるので、その整理整頓にはまだまだ時間が掛かりそうです。人それぞれ、人生暗夜行路はいろいろでしょうが、わたしの場合は、どうもあちこち […]

【姫路城周辺の古代(8-10世紀)と現代Googleマップ】

 北海道から姫路・播州平野という歴史人跡豊かな地を訪れると、クラクラとさせられる。  比較対照してみたくなったのは、上のイラスト図が700年代から900年代に掛けての古代の地図を発見してから、どのように「人新世」歴史が積 […]

【本丸御殿に躍動する「トラトラトラ」 名古屋城探訪-4】

 写真は名古屋城本丸御殿の障壁画のうち、玄関の間に飾られているトラ群であります。金箔の背景色と和の空間の漆喰の白、畳の自然な黄色の色合いの相関性が、いかにも日本的な感受性のある極点なのだという印象を受ける。美術館などで金 […]

【尾張名古屋を「持つ」お城 名古屋城探訪-1】

 城郭は広い意味では「住宅の分類」という説に導かれて探訪記、今回は名古屋城。「尾張名古屋は城で持つ」という天下の名城であります。建築関係の探訪記録がわたしのMacには大量に保存されていて、こちらの記録は2015年9月のフ […]

【城郭の攻撃仕様「石落とし」 金沢城-5】

 戦国の活発な内戦状況の中で、日本の戦争技術、建築仕様は変化して行ったけれど、城壁が高く上げられていってその高低差を活かした防御側の「攻撃装置」としてこの石落としは普遍的に作られていった。高所から攻め上がってくる敵勢に対 […]