石見銀山の歴史探訪をしていて、その発見譚からその当時の地域政治経済動向について知らねばならなくなる。日本史の学習ではほとんど触れられることがない領域。日本の歴史の「主流」としてはその後の天下統一過程の進展が主で、対明交 […]
Posted on 7月 10th, 2025 by 三木 奎吾
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石見銀山の歴史探訪をしていて、その発見譚からその当時の地域政治経済動向について知らねばならなくなる。日本史の学習ではほとんど触れられることがない領域。日本の歴史の「主流」としてはその後の天下統一過程の進展が主で、対明交 […]
Posted on 7月 10th, 2025 by 三木 奎吾
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いちばん上の写真は「御取納丁銀」レプリカ。御取納丁銀とは、戦国武将・毛利元就(1497-1571年)が正親町天皇の即位料として献上した丁銀。元就は約180kgを献上したとされ、約160gのものが1100枚。田中貴金属の […]
Posted on 7月 9th, 2025 by 三木 奎吾
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さて今回の夫婦旅のひとつのクライマックス、石見銀山探訪篇であります。 実は事前にカミさんの綿密な調査があって「ぜひ行きたい」という希望だったのですが、宿泊は松江を拠点に3泊が山陰の旅程。で、どうしても足立美術館への彼 […]
Posted on 7月 8th, 2025 by 三木 奎吾
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さて本日、山陰への旅の「体験まとめ」シリーズに回帰。 結局、古事記に書かれている出雲古代王権のことがさまざまに想起されて来ざるを得ない。わたしたちは日本史を学ぶとき、おおむね正史として学習するのはヤマト王権による全国 […]
Posted on 7月 2nd, 2025 by 三木 奎吾
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神話の里、という印象がどんどん加速されてくる山陰の旅のブログシリーズですが、自分で体感したままに撮影した写真群を整理整頓して行くことが、そのまま探究の開始になってしまいます。そういうなかで出会った水木しげるの「古代出雲 […]
Posted on 6月 29th, 2025 by 三木 奎吾
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昨日は神魂(かもす)神社での人的な情報交流について書きましたが、やはり古格な大社造り建築の本殿を見ていても、この出雲を中心とする山陰日本海側地域の歴史層の深さを叩き付けられる思い。写真は拝殿正面からのショットですが、注 […]
Posted on 6月 28th, 2025 by 三木 奎吾
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月曜日9日から関西〜中国地方に移動してきています。 かつては「梅雨のない北海道」と言われてきましたが、最近はだんだん「蝦夷梅雨」か、と思えるような季節に変化してきていると感じますが、それでも空気の乾燥感はあって、晴れ […]
Posted on 6月 11th, 2025 by 三木 奎吾
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わたしは「般若心経」を暗誦できます。なぜか学生時代に学生運動から離脱した当時、このお経の経文を研究して見たいと思って、まったく宗教とは無縁に勝手に書物を読んで学んでいた次第。どうも○○主義というのには、他者否定、強い他 […]
Posted on 6月 10th, 2025 by 三木 奎吾
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さて歴史的には伊予・河野氏は939年の藤原純友の乱の鎮圧にに当たって勢力を拡大した。そして現在の愛媛県松山市善応寺甲428の善応寺周辺を本拠として地歩を固めた。やがてやや南下して現在の松山市の湯築城公園の場所に本拠を定 […]
Posted on 6月 8th, 2025 by 三木 奎吾
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日本の交易経済にとって瀬戸内海はその始原期の主要な舞台。なんといってもアジア世界の「フロンティア」として機能し続けてきた日本列島においては畿内地域が中核的な位置にあって、そこへの物資の流入がいわば「大動脈」であり続けて […]
Posted on 6月 6th, 2025 by 三木 奎吾
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