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【芭蕉足跡を集中体感する江戸下町/五七調日本語の旅-9】

 芭蕉さんが生きた街である江戸隅田川東岸側の「深川」。昔人である松尾芭蕉という人物の行動痕跡が、各所に確認することができる街区になっている。1644年〜1694年を生きた先人から330年ほどを経過して、その人物痕跡がそこ […]

【芭蕉はどんな家に住んでいたか?/五七調日本語の旅-8】

 さて「奥の細道」など漂泊、旅に生きた詩人という印象の強い芭蕉さんですが、やはりホームポジションというものはあって、そこから各地に「旅立った」のだから住宅痕跡情報は残っている。その復元されたものが写真。東京江東区の「芭蕉 […]

【西行を慕う芭蕉、平泉にて/五七調日本語の旅-7】

 日本の文章・文学というのは、中国大陸からの「漢字」文化の導入という最大のエポックを経験して以降、もともと発語されていたに違いない「やまとことば」との統合が主要な発展経緯だっただろう。古事記・日本書紀の編纂という文化大事 […]

【片赤目男に変身の「結膜炎」 発症から1週間】

 ちょっとこの写真には驚かれるかも知れませんが悪しからず。  結膜炎については若いときからちょこちょこと罹患していまして、そのこと自体は慣れているのです。しかし今回、8/19にマイカー車中でふと気付いて急激に左目が赤変し […]

【天変で消滅の「象潟」で芭蕉吟句/五七調日本語の旅-6】

 昨日の「松島」での芭蕉さんの様子に続いて、この当時(江戸中期)みちのくと言えば松島と並び称されるほどにその「風向明媚」ぶりが垂涎されていた秋田県にかほ市の「象潟〜きさかた」について、であります。(写真は7/31千歳-東 […]

【なぜ芭蕉は「松島」を詠まなかったか?/五七調日本語の旅-5】

 芭蕉さんは「歌枕を訪ねる旅」として奥の細道を行脚されたけれど、なぜか松島については句が残されていない。(写真は無関係。昨日の札幌の「うろこ雲」とGoogleマップ「松島」)  奥の細道の「曽良」さんの清書された文章(『 […]

【芭蕉の交通手段は?/五七調日本語の旅-4】

さてふたたび「奥の細道」松尾芭蕉さん探訪篇です。名前をいろいろ考えたけれど「五七調日本語の旅」というように固定させたい。  言うまでもなく、現代生活では明治以降の洋風スタイル、世界標準文化の受容、追いつき追い越せの日本国 […]

【病院あちこち2日間全4軒 「結膜炎」で赤目行脚】

 一昨日親族が簡易な外科手術で短期入院することになり、その保証人として署名する必要もあったので入院介添え役として同行しておりました。  なんですが、その移動運転車中で左目側に「ゴロゴロ」感が感じられ、それが見る間に左目の […]

【日本独自「記念館」文化で人気最高の芭蕉/七五日本語の旅-3】

 さて本日から再び松尾芭蕉さんの「奥の細道」に随行するかのような俳句作詩旅の探訪。  松尾芭蕉さんの全国の「記念館」は全国にあって、その人気の高さがうかがえる。 1 芭蕉記念館(東京都江東区常盤)  2 山寺芭蕉記念館( […]

【松尾芭蕉「おくのほそ道」の道行き/七五日本語の旅-2】

 わたしのような戦後生まれで戦後教育で育った年代からすると明治期以降の散文・長文の文学作品、具体的には夏目漱石などの年代以降がその後の日本文化の基本のように受容してきていた。そういう人間からすると「おくのほそ道」やその構 […]