江戸末期、1818年に生まれた松浦武四郎は16歳のとき、ついに江戸への風来坊旅を行う。人生初の旅路。1834年前後ということになる。歴代将軍のなかでも在位50年という家斉の治政の末期(1837年退位)に相当する。この時 […]
Posted on 7月 31st, 2025 by 三木 奎吾
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江戸末期、1818年に生まれた松浦武四郎は16歳のとき、ついに江戸への風来坊旅を行う。人生初の旅路。1834年前後ということになる。歴代将軍のなかでも在位50年という家斉の治政の末期(1837年退位)に相当する。この時 […]
Posted on 7月 31st, 2025 by 三木 奎吾
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松浦武四郎の生家は伊勢街道沿いの三重県松阪市の小野江町にあり、庄屋を営む裕福な家であり図のような広大な全国への旅の資金に困ることはなかった。父・時春は庄屋を務めていた。武四郎の兄・佐七が家督を継ぎ基本の生業としては農業 […]
Posted on 7月 30th, 2025 by 三木 奎吾
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さて「北海道」の名付け親として広く知れ渡っている松浦武四郎さんの素性を考えるシリーズ。昨日のイントロにひきつづき実質的な第1回です。読者のSさんからさっそくの反応。「どうしてあの時代に、あのように全国を旅しまくるようなこ […]
Posted on 7月 29th, 2025 by 三木 奎吾
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現代人は寿命が延びてきて、わたしの年代の男性平均寿命はだいたい82歳前後と言われます。一方の仕事上の「定年」概念はおおむね65歳。こうした「世間常識」は自由業的な立場で仕事してきた自分も尊重し意識してきた。人間はひとり […]
Posted on 7月 28th, 2025 by 三木 奎吾
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みなさんは外食するとき、どんな基準で店舗を選択するでしょうか? 建築の大きな領域として店舗建築、それも食事のための店舗ってそのアピールについて多様な価値観が存在している。わたしなど実際の食味とはまったく別にそういう興 […]
Posted on 7月 27th, 2025 by 三木 奎吾
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写真は札幌市西区のわが家から数分の場所にある金融機関の外部に設置の「温度計」。今週23日の昼頃にクルマで外出していたときに驚いて、クルマを停車させて撮影したもの。 最近の猛暑ぶりには呆れていますが、さすがに北海道なの […]
Posted on 7月 26th, 2025 by 三木 奎吾
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日本史の中で、1905年から1945年までというきわめて短時間ながら日本領となっていた樺太との人流・物流の拠点となっていた稚内。その地域性と樺太との社会的動線の掘り起こしは非常に重要な示唆を現代にも与えてくれる。わたし […]
Posted on 7月 25th, 2025 by 三木 奎吾
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責任を一切無視して居座ろうとする権力者をめぐっての参議院選挙後の混乱状況。これは予測不能な事態が発生する可能性も出てきていますね。一方で、わが家2.0の隣地での工事進捗とその伴走的な事態対応などに追われております。こち […]
Posted on 7月 24th, 2025 by 三木 奎吾
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さて稚内探訪シリーズでわたしとして初めて意識することになった北方樺太のことですが、明治以降・近代国家時代になって日本社会に大きな「影響」があったのは北方のロシア・ソ連国家との強い緊張関係。 敗戦から数日後、ソ連国家は日 […]
Posted on 7月 23rd, 2025 by 三木 奎吾
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「日本列島の最北」というようにわたしたち戦後の日本人は稚内への意識が形成されているけれど、この地で封印されている地域史を実地学習すると、いかにここが樺太開拓と密接に関係した地域であるかがわかってくる。きのうは9人の女子 […]
Posted on 7月 22nd, 2025 by 三木 奎吾
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