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【ニッポン衛生史、秋田城「水洗トイレ」事始め】


秋田の西方設計・西方里見さんから情報があった。
かねてから興味を持っていた「秋田城」〜江戸期に佐竹氏が築城した
現在の秋田城ではなく、奈良・平安期に作られ、
主に対外公館的な意味合いの強かった秋田城の方ですが、
こちらの写真が氏の投稿でWEBに公開されていました。
たいへん強い興味を持っているので、今度実地に見に行きたいのですが、
西方さんから了解もあったので写真を使わせていただきます。

写真の通り、この秋田城には「水洗トイレ」が作られていたのです。
秋田城の創建は730年頃とされているので、
いまから1300年前にすでにこういう衛生思想が日本にはあったことになる。
西方さんから送られてきた写真では、外観から
内部のトイレの様子、便器としての受けの陶器の様子、
さらには水で流されたあとのため池的なものまでが収められている。
トイレには巨大な水甕もあるので、排泄後水で流す意図も明瞭に伝わってくる。
この秋田城には創建当時から、いまのアジア北東部に成立した「渤海国」
からの外交使節が何度も来日したという記録が残されている。
この渤海からの外交使節を接遇することが秋田城の主要目的ともいわれ、
このトイレはそういう外交目的の装置ともいわれる。
「おお、この国には見たこともないトイレがある。文化国だ!」と。
数十年前から司馬遼太郎さんの記述でこうした古施設の存在を知り
知的興奮を掻き立てられていたのですが、
どうやら秋田城復元工事が進捗して、復元されているようです。
現地秋田には、そういう復元が可能なほどに情報が残っていたのでしょうか?
場所の特定が可能になった根拠とか、知りたいことは山ほどあるけれど、
そのあたりの探訪は現地で楽しみにしていたいと思っています。

そういった興味とは別に、
現代に繋がる「衛生思想」の発展史と考えてこの水洗トイレは面白い。
古来トイレは穴を掘って用便して植物の葉で処理し、その後は土を被覆したか、
水辺では「水に流す」というのが人類一般だったのだろうと思います。
そういった習慣性からそれが建築に機能として反映していった。
ニッポンでは中国に成立した古代国家を模倣して奈良に平城京という
本格的な「都市」が形成されたけれど、慢性的な衛生問題に悩まされて
疫病の発生が頻発したとされます。
都市・奈良のそうした限界から、より「水利」に恵まれた平安京が造営された。
人類発展の過程で、この衛生問題の解決は都市集住を可能にして
大規模な権力機構の発展からさらに「情報文化」の醸成をも促したと思われる。
たとえ対外公館機能建築遺構ではあっても、
こういう思想と建築技術がニッポンという社会には根付いて存在していたことを
この施設は明瞭に示してくれています。
都市と疫病との相関関係は中世ヨーロッパでもあった大問題。
ペストなどの大流行は人類の危機でもあったけれど、
同時代のニッポン江戸社会では水利も大発展し、
エコロジカルな排便・貯蔵・肥料への再利用という循環社会が成立していた。
多雨で水利に恵まれているという列島環境の中で、
こういう「衛生」の発展史という側面で、まさにこの秋田の水洗トイレは
大変貴重な遺構だと思います。すごい。

【日高山脈に当たる夕陽・雪景観の北海道】

最近土曜日夕方、もっと詳しく16時前には、
かならずこんな風景を見ながら北海道に帰還する日々であります。
ルーティン化してきているのですが、
この帰りの飛行機から見る夕方の日高山脈の夕陽に癒される。
日高山脈は北海道を東西に2つにわける背骨のような存在。
十勝側から見た景観は神田日勝さんの絵によく描かれていて
素朴な感性に圧倒されていましたが、一方でこちら側
日高目線での山脈には気付きが多くはなかったけれど、
最近の往復ですっかりこの景観、それも空から見る時空間に魅せられる。
ことしは雪が遅くて、先々週くらいでも遅い紅葉の過剰な反射が見られた。
そういう光景もまったく不意を突く美観で迫られた。
「おお、こんな美は見たことなかった、ような・・・」です。
やはり季節感を巨視的に見られることは楽しい。
北海道としての他の日本の地域へのいちばん大きなアピールポイント。
もちろん他の地域でもそれぞれ明瞭な巨視的把握ポイントがありますが、
北海道では無意識のうちにそういう光景が広がっているのでしょう。
そういう巨視的な自然との感受性の応答が日常化しているともいえる。

考えてみれば北海道という島は
日本人および日本的感受性がめぐり会った土地・周辺環境の中で
領土として獲得できた民族的資産。
そこでの民族的体験はまだ150年そこそこ。
日本人には独特の「花鳥風月」感受性という文化資産がある。
その感受性をフルに発揮して「国土開発」することで、
世界に対して、世界標準的な風土の中で日本人がどういう国土、
建築や人間環境を創造していくのかという博覧的地域だと言えます。
近年のアジア地域からの大量の旅客の増加ぶりはすさまじく、
迎え入れる千歳空港の拡張工事は急ピッチで進められている。
寒冷地世界での世界標準に近い冬期の建築室内環境は実現できている。
たぶんこのことが多くのリピーターを満足させて吸引してきている。
地域全体で建てられている建築が、その基盤となる戸建て住宅で
Q値1.6という国の基準、それも北海道が先導することで
世界標準と乖離しないレベルに引き上げてきたその基準に準拠する建物が
現実に半数を超えているような地域は世界でもそう多くはない。
だから、キビシイ冬の気候環境をむしろ新たな「花鳥風月」感受性で
「楽しめる」居住環境が広範に実現している。

そういう「断熱」の本当の価値について
地域としてもっと情報発信していく必要がある。
どんなに冬が厳しくても楽しめる花鳥風月があると思います。

【職縁と近縁。同姓の方との先祖談義】

本日多忙につきブログ書く時間が乏しくテーマは住宅から拡散気味ながら
広い意味では「家」制度、というようなことで書きます。

わたしは生きてきて日本中を歩き続けてきたのですが、
各所でご先祖様に連なるような出会いの瞬間があります。
人類というのは、何度も滅亡の危機を乗り越えていまがあると言われますが、
ごく近い近縁と想像できる「同姓」の方と出会ったら、
やはり「どちらが出自でしょうか?」と聞くことにしております。
そうすると大体が、四国の愛媛県香川県周辺に出自が絞られてくる。
わたし自身の家系はそこから700-800前頃には兵庫県に移っているようですが、
それでもその後の有為転変のなかでの根拠地として
やはり四国のそのあたりに縁があるように思われます。
一度など、三木という地名を訪ねてクルマで歩いていたら
そのとなりにカミさんの旧姓である「津田」という地名も見つけた(笑)。
夫婦、家族でその「邂逅」を喜び合ったりした。
で、経済の面ではどうも「麺類」に関連した由縁が
各地で強く感じられます。
先般お目に掛かった方とも、ほぼそのような地域性を話題として共有した。
やはり瀬戸内海世界でご先祖様たちはこの列島社会で生きてきた。
父は幼時に北海道に渡ってきたということですが、
わたし自身は北海道ネイティブに完全になった初代世代です。
江戸期までこの国での生き様を想像してみると、同族の結びつきというのが
「家」制度の中では中核的な生きるよすがであったように思います。
わが家家系でも北海道に渡ってきてまず頼ったのは、同地域からの移住者であり
そういうルーツに繋がることが基本的な生き様だったことがわかる。
そういった生き様から近代国家社会、さらに資本主義的職縁社会に移行して
「よすが」も大きく変わってきている。
しかし現代の社会の行き詰まりなどを見ていると、完全な個人主義に
本当に移行するのかと疑問に感じる部分もある。
同族・近縁というような「縁」の社会規範のようなものが、
ふたたび再生してくる可能性もあり得るのかと。

そういう「共生感」で持ってお話ししていると
それなりのコミュニケーションの濃さもジワジワと出てきたりする。
近縁社会的な見方をベースにいまの社会の中での生き様を
相対化して見るという視点はまだ、辛うじて得られるのですね。
人口減少というようなことが進行していって、
このような「縁」の社会が今後、どう展開していくのか、
先は明瞭には見えていないような気もしてきます。

【人間と木との永い付き合い】

写真は鎌倉・円覚寺境内の鎌倉市指定の天然記念物
「ビャクシン」の木であります。
〜ビャクシン属はヒノキ科の針葉樹の1属。ネズミサシ属とも呼ばれる。
樹高はハイネズの様な低潅木からイブキの様な高木まで様々である。
匍匐性の品種も見られる。樹皮は赤褐色で縦方向に薄く長く剥がれる。
葉は短く茎に密着し、互いによりあって葉の付いた枝は棒状の外見を持つ。
時に針状の葉を持つ枝が見られ1本の木に混在する。〜
どうもこの木は宗教家が好きな木のようでとくに鎌倉の禅宗寺院では
ある種、シンボリックに使われているように思います。
この樹木はまさに天然記念物にふさわしく木肌が色めいて露出している。

人類はアフリカで樹上生活していたあと、
さまざまな経緯から樹上から地上に降りて行動するようになったけれど、
夜も地上で過ごすようになるまでにはやや時間が掛かったように想像します。
やはり夜になれば、一番安全な寝場所として樹上にハンモック状の
「寝床」を作って寝ていたことが考えられる。
いまでもヒト属近縁種のオランウータンなどはそのように寝ている。
地上生活を始めたときには、地上を支配する大型肉食獣との関係から
防衛のための道具として、これも木を持っていた可能性が高い。
人類の地球制覇のグレートジャーニーも木によって可能になった。
木は「海を渡る」道具として加工が考えられはじめ
石器を木にくくりつけた石斧で木をくり抜いて舟を作ったとされる。
樹上のベッドから自然の寝床としての洞窟などに住み処は
変遷していっただろうけれど、つい最近ここ1万数千年前くらいから
「定住」をするようになってその素材・材料としても一番に考えられた。
木をくり抜いて加工し舟を作る技術が「木で家を作る」ことに
同時に利用されていったと考えるのが自然のように思われる。
その結果、定住の始まるこの時代には竪穴住居が一般化していく。
木を切ってそれらを組み合わせて「構造」を作り萱などの植物で
屋根を葺いて耐候性も高めたとされている。
そんな想像から考えれば木と家は人類史的にはまだ1万数千年の関係。
しかしそれ以前の「安全保障」的寝床としての永い年月を考えると
100万年以上の時間、木との「対話」は人間の本然なのでしょう。
この写真の木のような木肌は
人間の肌とももっとも近似した意匠性をもっている。
表面の木皮をはいだら露出する木肌は、まるで人肌にも似ている。
人類的なネイティブ感覚が木によって呼び覚まされるのだろう。

こういう天然由来の木肌が宗教施設の一角を飾っている様は
人間の本然に対する気付きの機縁という効用も期待しているに違いない。
しばしうっとりとみとれる時間を過ごしていました。

【北海道工務店の「粒ぞろい」パワーの秘密】

写真は一昨日の北海道地域工務店グループ・アース21の住宅見学会。
今回は道東・十勝地域での開催で住宅見学が5件あった。
ツーバイフォーあり在来工法もあり、バラエティに富んでいる。
こういった住宅見学会が年間5−6回各地域で開催される。
で、工務店会員30社以上の住宅を相互に見学し合い、
その現場でいろいろな情報交流が活発に行われる。
このような「情報交流」機会はそれこそ高断熱高気密住宅「運動」が
本格的に取り組まれはじめた40年以上前から
いろいろな住宅団体を問わず、活発に行われ続けてきている。
実物を見れば、その「学習効果」は計り知れない。
はじめのうちは恐る恐る「こんなこと聞いたら恥ずかしいかなぁ」という
素朴な疑問をも持っても、なかなか言い出せない人も多い。
しかし、たとえばその場では質問などができなくても、
あとで、お酒が入ってくると「よーし、いっちょ聞いてみるかな」という
勇気が湧いてきて「あの、、、、」と声を掛けることもできる。
そういうときに、見学住宅を提供した側も、
エラそうな態度は特段取らない。
なぜか。
それは自分自身もそういうプロセスを経て先輩たちから聞いてきたから。
恥ずかしさを顧みず思い切って聞いてみたら、
おっかなそうな顔をしていたひとの相好が一気に崩れて(笑)
「おお、なんでも聞いて」という表情に変わって話しやすくなる。
現場で大工さんたちとの技術的な「指導」の仕方などの細部に至るまで
その具体的な「ノウハウ」まで含めてなんでも情報が行き交っていく。
地域としての北海道には、こういう「情報基盤」が確実に存在する。
特定の「大家・大先生」ではなく、各地の気候風土に踏まえて
現場的に研究開発の姿勢を保ち続けて努力する作り手の
分厚い層が存在するといえる。そしていまドンドン世代交代も加速している。
そういった存在同士がこのように活発に相互交流を繰り返している。
特定の部材メーカーの建材についても、一方向だけではなく
それこそ実地に検証した結果やプロセスなどの情報が活発に交換される。
だから自分自身も使ってみて、その体験を他に共有化することに
ためらいというものが乏しい。
・・・というようなことは、しかし特定の大きな有力企業を生むこととは
反対のバイアスがかかる趨勢を生むだろうと思います。
企業活動として考えれば、知的財産としてこういう「経験知」を
保護することがそのまま「企業利益」につながる。
関東以南地域では、こうした北海道での「技術資産」をその活動地域で「独占」し、
企業としての成功を収めるというケースが多く見られた。
北海道で習得した技術を自社の独占物として活用したのですね。
資本主義の基本的な思想にしたがった当然のことではあると思います。
しかし、北海道ではそのような情報利益独占はできない。
すでに半世紀以上、こうした知的技術情報資産はなかば「公有」されてきている。
だから、本州以南地域では「有力ビルダー」というのが各地で
発生し、そしてビジネス的大成功を収めるけれど、
北海道では「粒ぞろい」というような企業規模群にとどまらざるを得ない。
北海道ではすでに半世紀以上こういった状況なので、
いまさら「大先生化・大成功者出現」とは市場は向かわないと想像できる。

しかし、ユーザー側から考えるとこのことは
均質で多様性に満ちた選択が可能になる、というメリットになる。
「ここで無なければ絶対ダメ」というような非選択的な市場ではないのですね。
将来的にこういう市場の光景がどうなっていくか、興味深い。

【凍結深度1m基礎外周100mmFP板でも床断熱?】

きのうは道東十勝で地域工務店グループ・アース21例会。
年に一度、十勝地域の家づくりの現在形を見学できる機会。
いろいろな気付きの得られる奥行きの深い住宅見学です。

写真は1件目の広岡建設さんの建築途中住宅。
ごらんのように基礎には分厚いスタイロフォーム(FP板)断熱100mmが。
この基礎、北海道十勝は「凍結深度」が1mが一般的な地域。
なので、見えている地面の下には1m相当の深さまで基礎が打ち込まれ
その外側にはこのように断熱が分厚く施されている。
北海道では世界の寒冷地と同様に地域ごとに
「凍結深度」が定められている。
地盤面には水分が含まれていて、その水分が寒冷で凍結し結氷して
地盤面を凸凹にさせてしまう。
その結果、建物が持ち上げられたりして水平垂直を保てなくなってしまう。
この凍結深度対策は北米・北欧・北東アジアの北方圏世界で
共有される考え方で、北海道の家づくりの基盤的な部分を規定していると言えるでしょう。
このことに準拠することからそこから上の「上部構造」も影響を受けてくる。

しかし、このような重厚な「基礎断熱」を造作しながら、
この建物の断熱の考え方は「床断熱」なのだというのです。
床断熱であっても基礎は1m掘り下げて施工する必要がある。
この基礎に対して、外周に100mm断熱する意味は、
1種換気の導入新鮮空気をこの「断熱された床下空間」土中をくぐらせることで
「加温」させることが主目的なのだというのです。
基礎断熱ではなく、床断熱235mmとしているのは「暖房必要空間」を
なるべく気積を小さくしたいということ。
いろいろな選択の検討の結果、このような仕様がこの地では適していると
判断されたと言うことです。
大変参考になる選択プロセスだと聞いていました。
なお、広岡建設さんでは自ら1種換気装置も販売されていて、
スモークガスを使って施工した一般の住宅の「換気空気の流れ」を実測把握する
実験も取り組むとされていました。
まさに寒冷地北海道のイマドキの住宅性能最前線の取り組みが活発です。

【個人的空間記憶の不意打ち・羽目板テーブル面】

人間はいろいろな空間についての経験を積層させていく存在。
家づくりというのは、そういう体験に踏まえて
いったい自分の求めている空間性とはなにかと自問して
ある手掛かりを得て、特定の空間に解を見出していく営為。
定住という営為がはじまったとされる縄文から、たぶん1万数千年間、
この列島社会ではこうした自問自答を繰り返してきたのでしょうね。
現代にいたってはじめて、このことについての相当の「自由」を得たけれど、
その自由に十分に慣れ、行使できているのかはまだ不明だと思います。
こういった「空間への感受性」というものは、
必ずしも目的的なものとは言えず、過去に自分が遭遇したある体験が
強い思いとして、残滓のように意識の根っこに残っていて
ときどきそういう個人的な好みのようなモノが実体験でリフレインする。

先日、岩手県中部のある街でなにげに寄った
あるラーメン店のテーブルを見て、目が点になっていました。
写真のような、特段特徴的とも言えないテーブル面であります。
ただ、面が羽目板貼りになっていて、
その面が使い込んで、なんども布巾で拭かれていくうちに表面塗装が
なんとも微妙なグラデーションを見せていた。
このあわい人間の痕跡のようなモノが、無性にこころに刺さってきた。
テーブル面の羽目板貼りというのは、わたしが幼年時、
3才から10才くらいまでを過ごしていた札幌市中央区の家の
長い出窓の手前側に連続していた空間記憶を鮮明に呼び覚ましてくれた。
この出窓が作る平面がこうした羽目板で作られていた。
その羽目板は可動的になっていて、はずすとその下に収納装置があらわれた。
同じ意匠は、窓と並行した土間床をはさんだ靴を脱いだ後上がる床にも
幅60cmくらいであったように記憶している。
それらの羽目板は、この写真の羽目板のように塗装のグラデーションが
時間のデザインとして、わたしの幼少時の空間体験を象徴していた。
このような面材としては羽目板ではつなぎ合わせ部分で平面が破断するので
幼時のわが家のように収納利用意図があれば別だけれど、
一般的な機能性としては採用されなくなる理由はよくわかる。
板材を連続させるテーブル面でも「突きつけ」で使う方が多いだろうし、
できれば一枚物の面材になっていくのが常識的なのは当然。
わたし自身もムク木材の1枚物を食卓テーブルに選択している。
しかし、この微妙な面的不連続が生み出す「時間経過」感は捨てがたい。

わたしの場合、この光景の記憶が深く印象に残ってしまって
ごくふつうのラーメン店であるのに、強いこだわりを持たされてしまった。
北海道では積雪寒冷というきびしい条件下で、建築は
きわめて短い周期で建てられ続け、空間性の新規性の方が優越しながら
多くの建物が建てられ、そしてたくさん廃棄され続けてきた。
そのなかには、もう一度、再生させてみても面白い手法があった可能性もある。
戦後から新元号間近の今日まで、変化の多かった建築の時代を
通り過ぎてきた人間として、不意打ちを食らったような気がした。

【熱環境に想定外効果の工事マスキング「気密」化】

このブログで最近取り上げている「ホテル温熱環境」論続篇です。
こういった一時滞在型の宿泊施設での「温熱体験」って、
しかしその地域の印象にけっこう大きな影響を与える。
わたしは、北海道人なので年末年始の休暇でよく「温暖地」を旅する。
北海道の冬の冷凍庫状態からなんとか脱出したいと考えるのですね。
で、沖縄をはじめ「あたたかいところ」によく行ったりしていた。
で、一度冬に博多にも行き玄界灘海岸の「リゾートホテル」に宿泊した。
その「2面採光」窓ガラス同士が直角に付き合わされる窓を持つ部屋に
宿泊して、そのあまりの「寒さ」に閉口して、
もう二度とここには冬には来たくないと心底から思わされた。
一応エアコンが装置されていて暖房運転したけれど、
ただただ窓ガラスの結露がいや増すばかりで、
室温はアタマ部分で18度程度にしか上昇せず、床面から寒さが直撃する。
家族で身を寄せ合いいっぱい毛布を掛けて寝具に潜り込んでいた。
外の方があたたかい冬の温暖地であります(泣)。
こういった体験は北海道人にはけっこう多いようで、
知人の設計者もエッセイ原稿で同様の体験を書いてくれたりしていた。
冬場の建物室内の暖かさは北海道は格別なのだということが、
身をもってこれでもかと知らされるのですね。
こういう体験で悲しいのが東北の「リゾートホテル」でも同様だと言うこと。
一度、立派な植栽の庭の中に「サウナ」のあるホテルに泊まった。
で、そのサウナを夜間利用したら、なんとサウナ室の「気密」が取れていない!
ドアも窓も隙間だらけなので、サウナ室内がようやく30度程度室温。
これではサウナとして「汗を掻く」ことができない。
むしろサウナ室内で不快な上下温度差暖房を味わうだけというシロモノ。
まぁもう冬には来るなと宣伝しているような熱環境ぶり。
中国などアジア観光客が冬場の北海道に大量に押し寄せ、
東北地域は閑散としていたのには、こういう側面もあるのではと考えてしまう。
北海道では冬の宿泊側の最低限の「おもてなし」が暖かさであることを
骨身に染みて知っているのに、東北では客に「耐え忍んでもらう」のが
どうも常識となっているように思われるのですね。

そういう期待(?)を最近みごとに裏切ってくれた、さるホテル。
窓から外がなんか見えにくいなとは思ったけれど、
室温はなかなかなムラのないほどよさで、エアコンの設定効率もよかった。
窓サッシも樹脂製のようで好感できるものであります。
最近大手のビジネスホテルでは標準化されてきていますね。
いまだに住宅でアルミ窓を使っている住宅企業社長は出張宿泊してほしい。
で、朝になって気になっていた窓を開けてみたら、
なんと窓外側でビニールの「マスキング」がしてあった。
これって北海道の昔の寒い家の防寒策で一般化していた「気密化」と同様。
ドラマ「北の国から」でも子ども時代の純くんが見よう見まねでやっていた。
「おお、なかなかいいな」悪くない工夫だと感心していたら、
ホテル側からは「外壁塗装工事のための一時的ビニール被覆で、
ご迷惑をおかけしております」という案内を聞かされた。
いやいや、ビジネスホテルにそういう観光的眺望まで期待はしていない、
むしろ結果として「気密化」していて断熱効果が高くて
「あったかくてよかったですよ」と申し上げたら「照れ笑い」されていた。
こちら側としてはむしろ工事中だけでなく冬中、こうしていた方が良いのではと
客としてつい「ハッキリと」言ってしまいました(笑)。
こういう発言、配慮の無い正直さで迷惑というものでしょうかね?

【空港アクセス線電車遅延62分・理由の知らせナシ】

昨日は仙台・宮城県で行動して仙台オフィスから札幌帰還。
あれこれの作業をしたあとだったので、
あんまり情報を集めることなく、クルマをオフィス駐車場に置いて
空港アクセスの電車に間に合うようにと飛び乗った。
まぁ日中行動中、高速道路など高い位置では強風が吹いていて
「これは飛行機は無事に飛べるのか?」という不安は持っていた。
なので、最終便近くではあるけれど、早めに電車を利用した。
で、18時過ぎに来ていた電車に滑り込んでスマホで各種やりとり作業。
っていう時間待ちをしていたが、さっぱり発車の案内が流れない。
そういえばホームの「次の発車時間」表示は17:30前後を案内しているのに
もうすでに1時間近く経過している。
はじめのうちは「表示案内が故障しているのか」と思っていたが
どうやらそうではなく、ただただ遅延しているようなのです。
そういった状況だけれど、車内アナウンスではなんの案内も無い。
そのうちになんの知らせもなくなんと、ほかの車両が連結されて
その衝撃が車内に響き渡った。
「あ、連結した!」という車内のオドロキの声が伝わってきた。
衝撃はそこそこあったけれど、まぁ転倒事故などが起こるほどでもなかった。
しかし相変わらず、なんの案内も無い。
乗車してから30分くらいなんの知らせも無いまま、待たされていた。
さすがにスマホでの作業もだいたい終了したのでやることもなくなった。
ようやく「間もなく発車します」という案内だけが流された。
途中、名取駅の前で今度は「信号待ち」停車。
その名取駅では「対向車両通過待ち」ということでこれも10分くらいの停車。
まぁなんとなく、強風の影響かなぁというのは想像しているけれど、
それにしても、そこからようやく順調に運行して仙台空港に到着しても
「・・・の影響で」という車内案内は一度も無かった。
強風の影響というのは「わかっているだろう」という前提のようです。
わたしも時間に十分の余裕を持って行動していたので
問題はなかったのではありますが、
念のために写真のような「証拠」はいただいておいた。

まぁ、車内アナウンスには規則のようなモノもないでしょうから
なんの知らせも無いということは乗客として受忍すべきではあるのかも知れません。
旅行約款的に問題が無いだろうことも理解は出来る。
しかし「空港アクセス線」と名乗っているのですから
そのあと飛行機に乗るひとが大多数なワケで
そういったことへの配慮、告知はあってしかるべきではないでしょうか?
今後時間に余裕がないときには電車利用を控えるべきなのかも知れません。
って、なんか違うような気もする・・・(笑)。

【ATOKよありがとう。自分の文章傾向把握】

みなさんはパソコンでの文字入力システムはなにを使っていますか?
わたしの場合には、ATOKをずっと使ってきている。
なんとはなしに使ってきていて、たまにMac標準の「ことえり」に間違って
システムが勝手に変わっていたりすると、とたんにストレスになっている。
まぁ書き慣れた文法全体を記憶してくれているので、
「なにも考えなくても良い」状態になっているのでしょうね。

先日、MacOSというか機種をより「軽い」MacBookAirに交換したときに
どうもいっしょにアップグレードしたようです。
まぁ記憶していないくらいATOKの環境に慣れきっているのでしょう。
で、本日Macで文章を書き始めたら、写真のような「お知らせ」があった。
なんと「あなたの文章入力データ」の1カ月報告のようなのです。
こういうの、前からあったのかもよく知らない(笑)。気付いたのはきょう。
本日のニュースでG-20で安倍総理がAIやビッグデータの活用の国際ルールを
日本が主導して公平な利用の仕方を作って行くと宣言していたそうですが、
このようなデータによる知見は有為だと思います。
自分自身は毎日、なにがしかの「文章」を書き続けているので、
そのトータルデータについての客観的把握を知らせてくれるのは面白い。
で、ごらんの通りの「個人情報」であります(笑)。
こういうのが個人情報と言えるのかどうかわかりませんが。
しかし、個人の傾向と対策が一目でわかりやすい。
11月の1カ月間で71,595文字入力したと。
原稿用紙(たぶん400字詰め用紙)179枚分に相当すると。
その入力時間が144時間ということですから、
1日あたり4.8時間パソコンに向かって入力したということ。
1時間あたり497文字入力している計算。
ただ、こういったデータですが、
エクセルなどの入力についてはどうなっているのか、
たぶんそれもATOK経由でしょうから、文章作成だけとは言えない。
う〜む、これは健康管理データとしても使えそうですね。
まぁ仕事でMacには向かい続けているのでそんなものでしょうが、
これではたしかに老眼の進行が気になってくるレベルかも知れない。
続いて入力文の傾向では、一文の文字数や句読点までの文字数では
なるべく短文を心がけている成果がでているようです、ウレシイ。
しかし、文中の「漢字比率」は37%ということで
年齢を反映してか、やや多めかも知れませんね。
その他、タイプミスなどの傾向もわかったりしてこれもオモシロい。
たしかに最近、入力ミスは多くなっていると自分でも実感。
・・・っていうような自分自身の振り返りに、
なかなかオモシロいデータを見せられた気分でありました。いいね!