本文へジャンプ

【岩合光昭さんへの憧れ、ネコへの目線】

別にわたしはネコの愛玩趣味は強くはないのですが、
娘はずっと愛ネコ家で「ピーチャン」と名付けたヤツと共生している。
ときどき一時的同居をするけれど、
ネコには「一宿一飯の恩義」という概念はないらしく
こっちにそのようなそぶりを見せるかわいらしさは持ち合わせていない。
唯我独尊、自分というモノに非常に素直に生きている。
わたしの方は多少は愛情も感じてはいるけれど、
あちらの方は、まったくそういうそぶりも見せてくれない。
生暖かいような微温的空気感がそこにある。
そんなことなので、どんなネコとも仲良くなって会話しているような
岩合光昭さんの「世界のネコ」たちの様子映像には
心底、強い憧れを感じさせていただいている。
できればかくありたい、でもピーチャンからは冷たくされる(笑)。
という不条理な関係がわたしのネコ族との現状。

最近は取材先でペット類との遭遇が頻繁であります。
個人的な印象ではすごく増えてきているように感じますが、
どうなんでしょうか。
写真はつい先日、その家の空気感の完全な支配者に収まっている
ネコ2匹の生態であります。
下の写真の方のヤツはかなりの老齢ということらしく、
ほぼ体を動かす意欲を喪失したようなヤツ。
もう一方の方は、他人のわたしが来ているのにもかかわらず
堂々と大の字でひっくり返って腹をまる見せで寝ている。
つくづくネコというのは我が道を行くなのだなぁと。
同じペットでもイヌの方はやたらとコミュニケーションを取ってくる。
動物種として、こうまで違うモノかと感心させられる。
まぁしかし、徐々にこういうふうにネコへの関心が
高まってきているのは、
かれらの「魅力・魔力」に徐々に陥らされてきているのか(笑)。
不安ながら、そのダークサイドに目覚めつつあるのかも。
岩合さんにならないように、ときどきホッペを叩いております(笑)。

【絶品山形そば「でわかおり」を食す】

山形であります、そばであります(笑)。
わたし、山形蕎麦との出会いはけっこう衝撃的で
はじめて山形を訪れたとき、昼食にある企業の社長さんに連れ出され
どこへ行くのかと農村風景の中を走って、とある農家に入った。
とくに看板の類もなく、社長さんは囲炉裏端に腰を下ろした。
やむなくわたしも追随して腰を下ろした。
それからやや経ってから、老婆が腰をかがめながらやってきた。
二言三言、社長とぼそぼそと話した後、
去って行ってそれからやってきたのが、「板そば」だった。
そこに漬物の類が数種類置かれて添えられていた。
わたしは、蕎麦というと東京での蕎麦体験がいちばん多かったので、
ほとんどノドで味わうというような食べ方が身についていた。
しかし、置かれた板そばはハンパないほどの分量に見えた。
ちょっと気が遠くなるような気分になって箸を運んだ。
おお、であります。
汁にちょこっとつけて一気につるつる、という具合ではない。
なんといっても、歯応えがしっかりしていて、
咬むほどの固さがあって、もぐもぐすると口の中で蕎麦が
独特の味わいの深みを演出してくる。
なにやら、どこそこの土地の質感が伝わってくるかのようだった。
そこに合いの手で漬物が、口中をさっぱりさせる。
さっき感じた土地の感じとはいったいどこのことなのか、
というなにかの探究心、探訪心のような心理で箸を進める。
わからない、見たことのない土地感覚だと知れる。
それにしてもこの板そばの分量には圧倒されていた、けれど、
徐々にそれが少なくなっていくほどに、
むしろ別れの切なさが募ってくるように思われてくる。
漬物も残り少なくなっていって、哀愁が襲ってくる・・・。

っていうような出会いでありました(笑)。
最近、ちょこちょことお邪魔する機会ができてきて、
先日街中のお店で「板そば」さんと再会であります。
今回はまことに味のかおり(ヘンな言い方ですが)に特徴を感じた。
なんと言えばいいのか、歯で感じる風合いとでもいえるのか。
聞いたら山形を代表するそばの品種「でわかおり」なんだそうです。
いやはや、奥行きのある味わいで圧倒されていました。
ということで、本日は住宅ネタはひと休みでありました(笑)。
あした以降、またマジメに住宅ネタに復帰します!

【窓開口vs外部視線の「サバイバル」バトル】

先日密集地域での住宅建設のキモになる窓開口について書きました。
優秀な設計者はカーテン遮蔽なしでも成立する窓開口計画を練るべき、
というご意見を紹介させていただいた。
それは近隣への配慮として、あとからその地に参入する側として
当然わきまえているべき「マナー」であるとも思われました。

しかしこういった外部視線との敏感な「バトル」について
かなり過激な意見というのもある。
「この窓、外を見たら近隣の人と目線があったりすることありそうですね」
「・・・ありえますね。」
「どうなのかなぁ?」
「でもね、そのタイミング、ばったり出くわしたときにどうするか」
「え、どういうこと?」
「そのファーストコンタクトが,実は勝負なんですよ」
「そのときに、何食わぬ顔で平然と自然にふるまっていると
相方の方から遠慮をしてもらえるようになる」
「先方の方で先に窓の遮蔽としてカーテンなどを付けるようになる」
「こちらの方はカーテンなしで遠慮せずに生活できる」
「このあたりが、密集地域でのギリギリのサイレントバトル」
・・・というような趣旨の話を聞いたことがあった。
なにやら自然的な動物界での「生存競争」、過酷なオキテ
みたいなものを感じさせられる意見。また、一種のブラックジョーク?
見られてしまうことを受容した上で、自分の自由生活領域を拡大させる
というような「効果」は得られるのかも知れません。
限られた自分の敷地・建物内での自由の枠を拡大させる、ということ。

たぶん人類が都市集住という生存スタイルを主に選択するようになって
それ以降、こういった条件下での生き残り作戦として
このような心理ゲームバトルを戦ってきたのかも知れない。
そこでの格闘技的な「心得」がこういったコトバに凝集しているのか。
また日本人はこういった視線とか、音漏れとか
そうしたことについて意図的な鈍感さを文化ともしてきたのではないか。
襖1枚程度か,それ同等くらいのうすい音のダダ漏れ環境で
「聞こえなかったことにする」「見なかったことにする」
っていうような生活文化の部分があるように感じます。
いわば「お互い様」というような心理部分。
もちろん住宅設計や建築に於いては、あくまでも建築的に
このことをコントロールするべきというのが大原則ではあるでしょう。
少なくとも注文住宅においては、ただただ相互のカーテン遮蔽だけに頼るのは
避けたいモノだと思いますね。

【3間×6間「北海道スタンダード」の家】



きのうも触れましたが、わたしは以前写真のような家を「計画」した。
設計施工は札幌のヨシケン・吉田建産さん。
同社の吉田専務と北海道に暮らす庶民の家という
「普遍性」コンセプトについていっしょに考えていた。
わたしの親族の家で総建築コストが小さく抑えられて、なお、
断熱は約20年前時点での上位レベルを実践して暖房コスト極少、
1階居間FF石油ストーブ1台で家中の暖房が事足りるように考えた。
面積的には総坪数36坪の総2階建て住宅。
Replan誌でも発表したけれど建築費用は実際より少し多めに表現した。
「もし同じコストでといわれたら・・・」
という不安心理が働いて、参考価格としてセーブして表した。
それほどローコスト・高品質にこだわって作って見た。
まぁ36坪床面積で総額1000万円台前半に収まっていた。

そのときに、いちばん論議していたのが「間取り」計画。
表題のように「3間×6間総2階建て」でご覧のプロポーション。
2階の床レベルすぐくらいから屋根をかなりの傾斜で立ち上げた。
いわゆる「矩〜かね〜勾配」という45度傾斜の屋根とした。
当時、ヨシケンさんと「スウェーデンの伝統住宅はコスト的に確かに
合理的なデザインだわ(笑)」とため息交じりの会話をしていた。
このような設計仕様にすると材料的なムダは極小化され、
構造材レベルでの価格合理性が高いことに気付いていた。
問題は2階の床面積的に天井高が確保しにくいこと。
急勾配で屋根面が立ち上がるけれど、どうしても縁辺部では
天井高が不足するので面積的に使いづらい場所ができること。
できれば2階1.5m高くらいまで壁が立ち上がると楽になる。
しかしこれも家具配置の工夫などで、クリアできる。
実際的には天井高が少なくて不便ということは実感しない。
プラン的には3間間口だといわゆる「ウラ動線」は確保しづらい。
4間×4間の合理性にもこのとき、大きく気付かされた。
間取り的な自由度が飛躍的に向上することが知れたのですね。
しかし総コスト極小化ではこっちのプランの優秀さに軍配があがる。
で、外観的には「スウェーデンの伝統住宅」。
軒先の長さにはヨシケンさんがこだわってくれて
全体のプロポーションが「かわいらしく」収まった感じがある。

この「万人向け・北海道スタンダードの家」は、
20年近い歳月を経ているけれど、大きな問題もなく推移している。
こうした計画は「普遍性のデザイン」ということに通ずる。
万人のための合理性に満ちたデザインということの探究。
自分の家ではブロックという素材とか、ポストモダンっぽい、
シブ派手、みたいなデザイン性を重視したいわば「数寄屋」趣味で
考えていった建物になったけれど、ここでは
このような万人向けということを最優先で考えていた。
どっちがオモシロかったかと聞かれれば、わたし的には・・・
どっちもオモシロかったと思っています(笑)。

【日本の敷地に合う2.5間×6間住宅 外観は?】


さて先日書いた札幌・棟晶さんの「新住協」モデル住宅外観篇。
平面プラン、さまざまな検討の末にたどりついた
2.5間×6間の総2階というものです。
階段の面積の関係で30坪を若干切る間取り。
長さ的には5:12という寸法感覚になる。
わたし的にはとくに短辺方向のプロポーションに興味を持っていた。
この新住協モデルについては、
わたしもその検討過程に参加していたこともあって、
また、ある住宅計画で「もっとも合理的」という間取りを考えて
そのときには3間×6間の総2階にたどりついた経験もあって
強く興味を持っていた次第です。

新住協のモデルらしく、いま日本で提供されている
普遍的な「住宅敷地」というものをまずは想定した。
この点については、完全な「一般解」というのはありえないけれど、
「最大公約数」的に間口と奥行きを想定して
その敷地に対して「クルマを2台駐車できる」ことを必須にした。
そうした検討の結果、間口5間で奥行きが10間、
もしくはそれよりも奥行きが小さい、という約50坪の敷地を想定した。
東西南北の方位などのことも考えれば、
ある程度は一般性があると想定したのですね。
そこに並列で2台駐車させてなおエントランスを確保する、
さらに少しは菜園・庭の敷地も確保するために
こういった「細長い」プランが一般解に近いのではないか、
というように想定されたのです。
ということでわたしは3間×6間の総2階、シンプルな三角屋根
というプランにたどりついたので、対比的に
2.5間×6間の総2階という実際的なボリューム感に興味が強かった。

悪くはないな、というのが率直な印象。
屋根勾配の掛け方にはまだバラエティがありそうですが、
外壁素材は好ましく木質が張られて、窓の配置も
全体として落ち着きがある。
三角屋根形状の見える壁面の色合いがアクセントになる。
ここでは濃いめの紺が選択されていたのですが、
外壁の塗装色合いとのマッチングも「悪くない」印象ですね。
こういう建物が住宅街に配置されても、周辺との調和は
容易に計られる安心感があるように思われます。
さぁ、みなさんはどんな印象を持たれるのでしょうね。

【過密地住宅「遮蔽なしで成立する窓」が基本】

きのうは山形市の東北芸術工科大学にて
同大学の教授である竹内昌義さんが「ファシリテーター」になっての
「住宅設計セミナー」が開催されていました。
旧知の竹内さんに加えて新潟オーガニックスタジオの相模稔さん、
そして今回初めてお目に掛かった日下洋介さんのいうメンバー。
山形の状況も知りたいということで参加してきました。
それぞれに興味深く、またいろいろなきっかけになりそうなことも
たくさん発見できて,大変有意義でした。
竹内さんからはじめに「(東北の方はシャイなので)質問がなくツライ(笑)
ので、ぜひあとでよろしく」みたいなフリがあったので、
シャイでは負けてはいない北海道人として、奮起して
いちばん初めに手を上げて質問したらそのあとたくさんの質問。
かえって時間が最後押せ押せになって盛況だったようです(笑)。
ということで、行った役目は果たせた次第。

で、セミナーの内容については多岐にわたるので、
いっぺんには紹介できません。
そのなかで初対面でしたが、その姿勢に同感できた日下さんの
発表の中での印象的なコトバが表題のもの。
発表されていた住宅事例、というか、設計プランの趣旨紹介では
過密住宅地での設計手法について丹念に説明されていた。
こうした条件の敷地はたぶん大阪に限らず、全国の都市住宅は
同じような条件にさらされている。
そのときに、窓をどう開けるかは、最大の設計ポイントになるでしょう。
この事例では「外部との交感」を中庭空間で実現させ、
隣居との目線に煩わしさのある方向にはほとんど開口させていない。
そのなかで南面正面道路側には唯一、大きな「ハイサイドライト」。
これは外観デザインの最大のアクセントにもなっているけれど、
この開け方を説明するときにこの言葉が発されていた。
「住宅の窓を考えるときに、その窓はブラインドやカーテンなどの
外部視線遮蔽の必要性があるかどうか。
ナシでも成立するかどうかをいちばん考えています」
ということでした。
これって、窓のデザインの基本だと思って聞いていました。
わが家でも密集地域に立っているので、
最初の新築プランニングの時、いちばん考えたポイント。
ただ、わが家の場合、数カ所はクリアできなかった。
「そのときは、ある意味、外部視線との勝負(笑)」みたいなことが
設計者と話し合っていた。最後のギリギリの局面では
そういった「決断」も必要にはなると思いますが
しかし、基本は日下さんの言うことがまったくその通りだと思います。

まぁ設計者のひとつの住宅の丹念な説明を聞くのは
考えてみれば久しぶりで、興味深くたのしく共感を持って
聞くことが出来ました。日下さん、ありがとうございました。

【住宅はモノを超える「創造的消費」領域か?】

先日、わたしの「魚知識」の源泉である友人の
Shigeru Narabeさんからまたちょっと不意を突かれたご意見。
「バブルの前、のちに高度成長期と言われる中で中高生時代を過ごした。
この時代に3Cと言われた耐久消費財が
カラーテレビ・カー・クーラーであった。
この時代はモノに幸せの種があった。青少年向けの
モノカタログのような雑誌も飛ぶように売れた。
振り返って今、若者の車離れに象徴されるように
必ずしもモノは幸せの種ではなくなってきている。この時代の
「生き方の依り代」としての注文戸建住宅のあり方は難しいが、
多様性は重要なキーワードなのだろう。」というご指摘。
たしかにご意見はその通りで、しごくまっとうなもの。
このご指摘を受けてのわたしの反応・着想としては、
住宅業界というこの「空間を扱う」創造領域、
モノだとは言い切れず「モノ・ことがら」と言った方が良い
人間性を収める空間領域は「消費」の趨勢を考えて見たとき
今後の日本の消費の最大領域になっていく可能性がある。
・・・というように刺激されたのです。
そういえば、先日講演を受けた「スマートエイジング」研究の
東北大学・村田裕之特任教授からも「住宅は最終消費ですから」という
お言葉をいただいたけれど、この最終消費過程がより存在価値を
大きくさせてきているのが、現状なのかも知れないと思った。

戸建て注文住宅という領域は
現代人にとっても、たしかに最終的で広範な価値実現領域。
「未開拓」とは言えず、過去の人類的経験知蓄積も多いけれど、
さりとて常に一期一会的にあらたな空間創造は行われている。
インスピレーション的には過去から「学び」はするけれど、
やはり現代という背景の中からその都度生み出されてくるもの。
「モノ・ことがら」と書いたけれど、クルマや便利な道具たちとは
あきらかに違って、モノ消費というようには言い切れない。
家はたしかに結果としては「モノ」にはなるけれど、
その「作っていく過程」にユーザーも参加できる意味では
「創造的消費」という側面の方が大きいのではないか。
このように住宅という事業領域を再定義してみると、
さまざまな発展の可能性が大きく広がっていくと思われる。
こう考えるとさらに、家づくり関連の事業者というのは、
また違った性格の存在として自己認識していくことが可能だろう。
・・・というような気付きを得られた次第です。

【東京都内のある住宅展示場にて】

所用があってきのう仙台から東京に来ております。
で、すこしの待ち時間が発生したので、住宅展示場を見学。
ふむふむ、はてさて、でありました。
特定の企業名、住宅展示場名は表記を避けますが、
ちょっとビックリの光景を見させていただいた次第。
首都圏などでは鉄骨の住宅がよく作られている。
いわゆるハウスメーカーという存在は工業化・プレハブとして
スタートしたその経緯があるということなのでしょう。
そもそもは戦後高度成長期に住宅が大量生産の必要性があるという
そういった社会背景があって政府肝煎りでの「ハウス55計画」という
既存の大工・工務店組織の対応絶対量の不足から
大量生産住宅企業の育成が政策的に取り組まれてきた経緯がある。
この国の官僚機構と高度経済成長の関係が
この住宅産業構造形成に大きく関わってきた実態を表現している。
もうすでに、その「大量生産」の必然性は消失していると思うけれど、
そういった「残滓」として、大量生産と住宅展示場モデルハウス群、
というのは一対の関係性を持ってきたのではないかと思います。
<余談ですが、いま地域自治体としての北海道建設部が
地域住宅建築業界に関与している南幌の事例はまことに稀有。>
モデルハウス見学というのは住宅雑誌を購入するよりも
より大きなユーザーの住宅検討機会とされる現実がある。
週末には住宅希望のユーザーをあの手この手で来場勧誘している。
ただ「どう見るべきか」という常識は存在していない。

ある住宅モデルハウスで驚かされたのは、
建築構造の鉄骨がそのまま、外側に露出していたこと。
3階建ての建物の「空中中庭」的な部分にムキ出しの鉄骨を発見。
この鉄骨はどうも内部の鉄骨構造に連結されているようだった。
いくら首都圏でも最低気温は零度を下回ることも多い。
そういうときに熱伝導として鉄骨構造は弱い。容易に結露する。
それが繰り返されると構造強度自体の劣化も避けられない。
北海道の常識からすれば、ちょっと怖ろしい。
さらに、ベランダなどで全開放型のサッシというのが多用される。
それがモデルハウスらしく、目を驚かすように各所で使われていた。
数カ所ではその先にベランダデッキ床のない開口部にまで使われていた。
そうすると法令的に危険防止のために手すりが必要になる。
掃き出しの全面開放型サッシの手前にそういうストッパーが装置される。
「???」という疑問がアタマのなかをグルグル(笑)。
そう、「まったく意味が無い」。
外に出られるワケでもないのに全開放型サッシをそこに使って
さらに危険だからと手すりストッパーを設置する。
これが「モデルハウス」なのだという。
さぁ、このモデルハウスの「見どころ」はどこなのかと考え込んだ。

って言うような次第で、疲れが一気にやってきていました。
これは、「モデルハウスの見方」という普及啓蒙を
仕掛けていく必要があるのかも知れないかと。
<写真は資料映像で本記事とはまったく無関係です。>

【日本の注文住宅文化に世界はもうすぐ驚く?】

最近、いろいろな取材をしてきて気付くことは
好きなモノやコトに抱かれて暮らしたいマインドが主流化していること。
こういうのって、考えてみたらごく当たり前ですね。
誰もが、基本的にはそのようにしたいと考えている。
現代でこういうモノコトを実現させる具体的なものは家づくり。
これまではしかし、この志向性を満足させられた人類はごく少ない。
大部分はいろいろなしがらみ、ムラとかの共同社会の一員として
あるいは組織に隷属して生き延びることがふつう一般の生き方。
そしてその不自由を当然と考えて人生を甘受した。
第一、自分にとってどういう家具が、生活用具が「好き」なのか、
というようなことにまで「選択」余地が広がったのはごく最近。
資本主義社会、民主主義社会が実現して大量生産と機械化が
モノの価値を平準化して、きわめて「民主化」させた。
この根源的な欲求に対しての具体的な「解」が現代では示されつつある。
っていえば、ちょっとオーバーかも知れないけれど、
個人個人がなにを好きであるか、という領域まで住宅は関わることになった。

最近聞いたユーザー動向として、
自転車が趣味の人が、家を建てるに当たって、
その趣味生活上の「好み」や嗜好について話が合う,合わないで
住宅の作り手・相談者を選別する,という事例を聞いた。
その好みを建築的によくわきまえたプランを求めるのだという。
「注文住宅」というものの「注文」の枠が相当拡大しているのか?
ちょっと前まで、こういった部類のことは
住宅建築者にそれを求めることに、ためらいや遠慮があったのではないか。
そういうことまで「求める」ことが始まったと言えるのだろうか。
江戸期の「旦那」衆に多くの人間がなれるようになった、ともいえる。
まことに世界に冠たる「戸建て注文住宅文化」の国であると思う。
ふつうの世界は、その地域に似合った生活スタイル保守主義があって、
それに乗っ取った生活が可能な家というベースを住文化として提供している。
そういう意味で、環境に適合することがアプリオリであった。
もうすぐ世界はこの日本のユニークな「文化」に驚くと思う。
結果、これら住宅群には統一的街並み形成への志向は感じられなくなる。
こういう趣向性の世界すら一般レベルでビジネス化させる
日本の住宅取引慣行、社会の相互理解の深さにむしろ驚くのではないか。
わたしにはどうもそのように思われてならないのですが、さて?

【天井構造火打ち梁4つの現代「茶室」とは?】

写真は2間半×6間という総2階で30坪弱の
モデル住宅の内部にできた面白い空間の様子です。
札幌の「棟晶」さんが新住協モデルとして建てたもの。
このプランに至るには、実はいろいろな取捨選択が繰り返された。
最終的には日本の現在の住宅地の平均的な「間口」を踏まえ
さらに駐車スペース2台分を確保して
その上で若干の庭のスペースも確保させたい、という
さまざまな「平均的要望」をクリアさせて生み出された。
そういった経緯なのですが、細長いプランになる。
さてその体感はどうか、という実例モデルであります。
空間の感受の仕方というのは多様な要素があると思われるので
実際の間取りプランで空間を吟味するというのは、
なかなか表現しづらいところがあるものだと思います。
また、大人数でのワイワイドカドカ状態だったので、
それだけのじっくりした体験時間も確保できなかった。
そういう意味では次の機会に期待したいと思っています。

そういう体験の中でちょっとオモシロかったのが、
ごらんの写真の空間でした。
居間に隣接しているのですが、天井には火打ち梁が4つ集中。
火打ち梁とは、木造での床組みや小屋組みで地震や台風時に
発生する水平力による変形を防止するために設ける斜材で、
2階などの床や小屋組に設けるものを言います。
ここでは2階床1階天井が一発で仕上げられているので表し。
本来は構造の補強。構造は耐震性確保の問題があるので
このように表面側に見えるように出てくることは多いのですが、
ここではその火打ちをむしろ、この狭い空間に集中させて
独特の落ち着き感を演出していたように思われます。
火打ちを積極的にデザイン的に活かしてみようという意思を感じた。
この空間は狭めだけれど、相対してのお茶的な時間を過ごせそうで、
なにやら微妙な棚板風のものが1枚渡されてもいる。
ちょっとした観葉植物でも置けば、それこそ茶室的応接空間か。
そういう意味では座り椅子付きの現代風茶室。
観葉植物といっしょにコーヒードリップ機器を置けば
たしかにここで友人たちと語らうというのもオツかも。
そんな暮らしのワンシーンを想起させるような空間で、
そのような想像を巡らせると、天井の火打ちもまた意味ありげ(笑)。
1階床面積15坪になるのですが、そのなかでも
オモシロい空間ができているなと思った次第です。
みなさん、いかがお感じになるでしょうか?