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【福島会津の「曲り家」/福島市民家園-6】

 曲り家というと東北地方でも「南部」地域、岩手県での古民家で特徴的とされる様式ですが、同様に多雪地域である会津地域にもこうした様式が根付いていた。農耕馬の保守管理について別棟ではなく「曲り家」として本屋に対して付加的な別 […]

【ツルの恩返し「地域民俗」版/福島市民家園-5】

 この福島市民家園には、展示館が別に建てられていて、古民家での暮らしぶりや、その民俗のありようについてのさまざまなビジュアル説明が開示されていた。古民家と民俗は当然ながら建築と人間のくらしの関係性、その淡い領域を浮かび上 […]

【2階建茅葺き 江戸〜大正の「宿店」/福島市民家園-4】

昨日のブログ記事へはいろいろな反応があって興味深かった。書いている本人も気付かされることが多かったのですが、いちばん大きかったのは「古民家」として現代に移築保存されているような建築は、一般的には建築当時から「立派な」建築 […]

【江戸時代中期「土座」の農家住宅/福島市民家園-3】

さて先般取材してきた「福島市民家園」の家その3。やはり住宅系ブログとして実際の住宅取材とその写真を整理していると心理が落ち着く。いろいろなネタは書きますが、やっぱり住宅にテーマを戻すと「ホーム感」が静かに盛り上がって無心 […]

【オホーツク美幌の「板前農家」そばを食す】

 娘からの情報で、行列の出来ている蕎麦店を教えられた。そういう情報にはたいへん弱いので、さっそくものは試しと食べに行ってみた。ちょうど不動産関係の要件もあって、清田区里塚のセカンドハウスに向かう予定でその途次に店があった […]

【茅葺きと洋式上下窓・栗山の開拓指導者の家-2】

わが家の北海道入植地の隣町であったのになぜかスルーしてきてしまっていた栗山町。知るほどにその存在の大きさに深く驚かされる。このブログにさまざまに情報をいただく住宅研究者のTさんから、また栗山町についての気付きのあるご連絡 […]

【120年前、明治30年代・栗山の開拓指導者の家】

 きのうからの続き。明治3年5月、戊辰戦争の敗北側・仙台藩の一領域、現角田市から、その士族群が新天地として北海道への入植に旅立った。当初の入植地は室蘭。集団の規模は44戸51名と記されている。婦女子は当面は故地に残して開 […]

【明治開拓入植、仙台藩角田から北海道栗山へ】

 北海道の中央部の栗山町へは、その西端にある「小林酒造」側からは数回訪問していたのだけれど、今回たまたま、より南側から町中央部に向かったことで、まったく違った印象を持った。  わたしはこれまでの仕事経験で東北各地と縁が深 […]

【ついに発見 伝説の「ヤリキレナイ」川】

子どもの頃から、北海道の川の名前で「ヤリキレナイ」川というのがあるということは聞いていた。子どもたちの耳に大人たちの「ヤリキレナイ」という言葉に込められた独特の厭世感情を感じて、ああ人生にはなんてイヤなことがあるんだろう […]

【少年期妄想〜蝦夷地石狩川「ゴジラ」雲】

 昨日受診して教えられたまま投薬を受け、大人しくしています。おかげさまで喉の痛みもキレイさっぱりと消えて、出張取材の疲れも徐々に消えてきて、ゆとりが生まれてきました。  「ゴジラ雲」について先日ちょっと書いたのですが、個 […]