わたしは三木といいます(笑)。
これは「姓」なのですが、播州・兵庫県ではたいへん多い姓です。
姓のほかに、地名としても「三木市」があります。
Wikipediaの「概要」(要約)を見ると、
兵庫県中南部、神戸市の北西に位置する人口約8万人の都市。
美嚢川沿いに設置された三木城を中心に城下町が形成されていた。
戦国時代には三木合戦の戦地、江戸時代からは三木地区を中心に金物の
本格的な生産が開始され、現在は城下町を中心に行政・文化施設が集中。
1970年代以降には京阪神のニュータウン開発が開始され、人口が急増。
交通の結接点であり、市内に高速道路が4路線(ジャンクション (JCT) が2箇所
サービスエリアが1箇所)、国道が2路線通っている。鉄道路線は
神戸電鉄粟生線があり、市内には7駅ある。
市の由来〜神代に神功皇后が君が峰で休憩時に地元から壷に入れた酒を
献上したことから、御酒(みき)→三木(みき)となったと伝えられている。
というようなことなのであります。
直接の家系伝承では播州西部の「英賀」の方が近縁なのですが、
戦国期の「三木城合戦」にも大きく関わっているようなので、
こちらにも深いご縁がありそうなのであります。
三木城の城主・別所氏は英賀・三木家の近親だったと言われている。
まぁ、いまは北海道に流れてきた家なので縁は途切れていますが、
なにがしかのご縁は感じられる(笑)。
数年前に旅したときにも、縁のある「福崎」ICで急にガソリンが減って
急遽スタンドに給油で下りたら、その裏手に「三木家住宅」がある場所だった。
また今回の旅でも、高速道上パンク事件はこの近くで起こった・・・。
あらたな三木家・都市伝説かもかも(笑)。
わたし以外の家族にははじめて知ることだったのですが、
事件も起こったことだし、これも何かの縁と、中国道から山陽道に移動して、
この三木SAにも立ち寄ったのであります。
なぜ三木ちゃんぽんや、三木醤油ラーメンなのか(笑)。
その上、ちょっとお上品そうなお土産菓子にまで、
その姓が刻印されているではありませんか。
どうも、三木という名前にはある言霊が存在しているとしか思われない。
同じ播州の地縁者である司馬遼太郎さんの文章を見ると
三木城合戦は、播州地方に於いて伝説の地域挙げての戦いだったようで
明治になって一般民衆も「姓」を名乗って良いことになったとき、
播州では、自家もあの戦いに参加したのだという地域のプライドとして、
三木という姓を多くの人が名乗ったと記されていた。
そういう名残、歴史の残滓がこういった言霊として存続しているようです。
はるかな縁に繋がるものとして、ある感慨を持った次第であります。
Posted on 1月 3rd, 2016 by 三木 奎吾
Filed under: 出張&旅先にて
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