年末の旅でゲットしてきた神札2つであります。
どちらにも独特の表現があります。
出雲さんは「玉串」という言い方をしている。
これは、参拝の証として持ち帰るべきものというような意味。
一方の厳島神社は、これは一種の「お守り」という意味なのか。
「守護攸〜ゆう〜」と書かれている。
攸という字は、「ところ」というような訓読みがあてられるとのこと。
どちらでも「神札」としてお願いし、頂戴したものであります。
神威はどちらもあらたかそうでありまして、神々しい。
わたしは先日のブログのように、こうした神札をコレクションとして収集しようという考え。
で、わが家の三社造りの神棚の左側にお集まりいただいています。
三社造の場合、主神としては天照大神を祀り、右側には地の神、
左側には崇敬する神、という配置とのこと。
右側の一番真ん中寄りにいらっしゃる天照大神については、
真ん中の幕の中に納めている神札以上に立派な木札であって、
それは、古札としてお返しするに忍びずに端座いただいている次第。
で、今回勧請した2社については、全国各地の神さまにとして、
こちらに遷座していただこうという考えであります。
いまのところ、コレクションとして十数神が遷座いただいている次第。
そのなかでも飛び抜けて格式の高そうなのが、
この出雲大社さんであろうことは疑いがありません。
まぁよく、神さま同士が喧嘩するということも言われますが、
気にせず、にぎやかに端座していただいております(笑)。
あ、でも、わが家で夫婦の口喧嘩が絶えないのはこのせいかも(笑)・・・。
しかしこうやって収集し始めてくると、ちょっと疑問に思えることも増えてくる。
その一番は、わが家の家系伝承で格別の意味を持っている
「英賀神社」の神札の納める場所であります。
わが家にしてみると、自分の祖先の氏神として祀ることが自然。
しかし、ではそれで「地の神」と言っていいものかどうか、
ここは北海道であって、西播州の英賀は、いまは遠い地になる。
左側にいていただくべきか、右側に奉るべきか、
まことに悩ましい次第だと思われるのであります。
いまのところ、左側にいていただいているのですが、
今度、どちらかの神職の方にでも聞いてみたいなと思っている次第であります。
でもこういう神さまの祀り方、まことに日本的で楽しい。
一神教世界ではあり得ない、民俗伝統だと。
毎日の拝跪が、まことに心楽しく感じられてくるのであります。
まことにありがたい限り。
Posted on 1月 2nd, 2016 by 三木 奎吾
Filed under: 日本社会・文化研究
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