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冬・雪の「沈黙」が支配する街

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第10代のJIA会長、出江寛さんの講演では、
いつも触れられるテーマに、都市の文化論があります。
そこで「沈黙が支配する街」こそが、文化を持った都市である、
というテーゼが語られる。
論理的と言うよりも、直感的、感覚的な表現だけれど、
深く心に染みわたってくる表現であり、なにかの本質を明瞭に示している。
その都市文化の底に沈黙のある街として、京都や倉敷の街を挙げられていた。
そんな感覚について考えていて
ふと、わたしの住む札幌の街について考えてみた。
札幌の街は、京都の街に擬せられて、
碁盤の目のような「街割り」がされた、とされている。

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しかし今日の札幌の街は、ドライな空気感もあってか、
ほかの日本の都市とはかなり異質な街になってきている。
通りの名前も、無機質な数字が並べられ、
インターナショナルな明瞭さの方向に、街割り思想は向かったように思われる。
京都や倉敷などの成熟した街並みのなかの「沈黙」感はない。
そう思ってきていた、けれど・・・。

札幌の街はその冬がきわめて特徴的な佇まいを見せる。
初雪の日の朝の、あの物理的にも音が吸い込まれていく感覚をもった佇まい。
ある瞬間、まったくの静寂が街を覆いつくす。
あるいは暴風雪の中を家路に向かう、ひたすらに意識が集中する時間。
・・・雪の季節、この街は独特の「沈黙」を見せてくれるのではないか。
そんな、ふと思い浮かんだイメージが、徐々に膨らんできている。
雪が暴れ狂って、ひたすらにその嵐を耐えて過ごす時間。
それが治まってくれることを希う内語の沸き立つような時間。
窓辺で、そんな祈るような思いで暖房空間にくるまれている。
やがて治まって、その雪を除雪すべく家のまわりで立ち働く。
基本は自分の家族と家のための営為だけれど、
隣家、公道の部分にも除雪は至っていき、
ごく自然に、街の保全にみんながある思いを持つに至るようになる。
活動的ではあるけれど、自然に対してある敬虔さをもって素直である時間。
そう、冬のこの時間、札幌の街は独特の
ある「沈黙なるもの」をわたしたちに与えてくれているように思う。
そういう沈黙の時間があるからこそ、
集い語らう時間が、もっと色合いを増してくれている。
そういった「都市文化」というものもあるように思われてならない。
京都や倉敷の街のような洗練は持っていないけれど、
こういった雪との対話がもたらす、自然と人間文化のはざまが、
わたしたちのこの札幌に独特の「沈黙」を育ててくれている。
もっと前向きに、こういう「都市文化」を育んでいきたい。

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