昨年の12月に東京で鑑賞した絵画展で、
この酒井抱一の「絵手艦」をスライドショー形式で見せる展示があって、
驚かされました。
所有している静嘉堂文庫美術館の解説によると、
紙本絹本・著色墨画 一帖七十二図 江戸時代(19世紀)
一帖の画帖の裏表に三十六枚ずつ合計七十二枚を張り込んだ贅沢な作品。
書道の手鑑の形式をかりてさまざまな画風を描き集め、
品質や款記もさまざまで変化に富む。
抱一がこなすことのできた宋元画風、若冲風、光琳風、俳画風などの
広い画域が誇らしげに披露され、江戸時代の画帖のなかで、
ひときわ目を引く鑑賞画となっている。・・・というものだそうであります。
一方、酒井抱一さん<1761年8月1日-1829年1月4日>という人は、
江戸時代後期の絵師。徳川家臣の酒井家の人で、
本名は忠因(ただなお)、幼名は善次、通称は栄八、
尾形光琳に私淑し琳派の雅な画風を、俳味を取り入れた
詩情ある洒脱な画風に翻案し江戸琳派の祖となったという来歴の人物。
俵屋宗達ー尾形光琳という「私淑」という日本的な流儀での
いわば芸術魂のはるかな伝承という「流派」である琳派の旗手である芸術者。
3代目ということもあって、宗達、光琳よりはポピュラーではないかも知れない。
しかし、今回、この「絵手艦」を見て、深く打たれました。
わたしは「画面」構成というポイントが大きな領域を占める
「雑誌表現」という世界を中心に生きてきているのですが、
そのなかでも、レイアウトや構図というものは、キーポイント。
その見方からすると、この「絵手艦」は、その感覚において、
まさに隔絶超越したような美の感覚を見せてくれている。
琳派という流れ自体、日本的デザインというものを強く意識させられますが、
この酒井抱一さんの構図の感覚は、画面編集というものの美の感覚を、
ありのままに明瞭に感じさせてくれると思います。
表示した絵は、「富士山図」なのですが、
やや縦長の画面、現代のA版という画面サイズとも似つかわしい画面に
富士山の形象をデザイン的に表現している。
それに対して右肩に、月なのか,太陽なのか、
月とすればありえないほどの赤であり、
太陽とすれば、背景の空がありえないほどの濃い群青である。
そういった抽象的な表象図形表現を対置させている。
その富士山と月か太陽かの対置させた配置が、
ごく自然でありながら、絶妙なバランス感覚を見せてくれている。
たぶん、人間の感覚の中での
無意識レベルでのものごとの「把握」という領域に
こういった「配置感覚」というものは関わっているように思われてならない。
キャンバスのタテ横の感覚まで含めて、
こういう感覚の鋭敏さを、スライドショーでは、
これでもかと、連続的に叩き込まれてくる気がいたしました。
こういった感覚領域で、日本人としても稀有な才能を発揮し表現したと、
そんなことを酒井抱一さんに感じた次第であります。
Posted on 1月 8th, 2016 by 三木 奎吾
Filed under: 日本社会・文化研究
コメントを投稿
「※誹謗中傷や、悪意のある書き込み、営利目的などのコメントを防ぐために、投稿された全てのコメントは一時的に保留されますのでご了承ください。」
You must be logged in to post a comment.