
中国での忌まわしい官許の「反日」暴力デモ、
韓国前大統領の竹島上陸、天皇謝罪要求発言以来、
経済的に台頭してきた両国による日本叩きが活発化した。
一方、70年も前のことで、ずっと「謝罪」させられ続けることに
日本の側でも屈辱感が沈殿し、「そこまで言われる筋合いはない」的な
反発の空気が大きくなって来た。
そこをとらえて、「軍国化している」という中韓の批判は、しかし受け入れがたい。
その原因は中韓による民族主義攻撃にこそある、と言いたい気分が支配的。
こうした気の重い国家関係に日本は現在、否応なく引き込まれている。
アジアは、歴史的にずっとこういう力関係が支配してきた世界であり、
日本はこういう関係が国民気質的にも、いやだった。
ただ、歴史的に見れば、古代の白村江敗戦からの数世紀は、
世界最強国家・唐の圧迫の中で、
「遣唐使」という名前の朝貢外交で生き延びてきたのも事実。
また陸続きである朝鮮国家は、度重なる被侵略経験から
対中国で事大主義の使徒となり、衛星国家であることに甘んじ続けてきた。
基本的に中華国家の盛衰によって国際関係は微妙に変化し続けた。
こういう東アジア3カ国の関係は、ほかのヨーロッパ世界とは
大きく異なる歴史を紡いできたのだと言える。
ヨーロッパ世界が血で血を洗うような戦争を幾度も経験する中で
「国際法」的な国家関係秩序観念を作りだしてきたような
そういった自立的な秩序は、東アジアでは育たなかった。
中華国家が常に「皇帝独裁・一党独裁」という非法治体制を続けてきたことが大きい。
あれだけの巨大国家では、法治は難しいのかも知れない現実がある。
これは日本にとって不幸であるだけでなく、
擬制的宗主国・中国にとっても大きな不幸だったのだと思う。
そして、明治以降、日本が「脱亜入欧」スローガンの元、
東アジア世界からの離陸をはかり、それが成功的に推進され
当時の「一等国」の普遍的なふるまい、植民地支配地域の獲得・拡大を
東アジア世界で行うという蛮行・愚行に至ったことは、
大きな反省教訓として、日本は肝に銘じ続ける必要はある。
そしてその被害にあった各国に対して、謝罪をすることは当然だと思う。
それが正視すべき「第2次世界大戦の戦後体制」であることは論を待たない。
しかし戦後、東西冷戦構造の中で
日本は、占領されたアメリカとの片側的な関係、属国的な関係のなかで
世界に立ち現れ、その枠内で行動し続けてきた。
東アジア世界は、東西冷戦構造の中で朝鮮半島地域が分断され
戦争も勃発し、日本はアメリカの戦略的要衝地域として
アジアでの不沈空母として、機能し続けてきた。
軍事バランスとしては外側から見れば
日本国内的には「非核3原則」遵守を謳っているけれど
アメリカは「どこに核兵器があるか、軍事機密」として公表しないのだから、
強大な軍事基地のある日本には当然核兵器はあると、
仮想敵国側は、そのように認識するだろう。したがって、
「アメリカの核兵器が存在し、米軍が駐留する」重武装でありながら
一方で日本国内的には憲法9条によって戦争を放棄する
空想的平和国家として存続し続けてきたというのが現実的理解。
戦後の日本は、突き詰めて言えば世界最強のアメリカ軍事力に守られながら
主観的には、諸国民の平和への希求によってのみ「守られる」
9条憲法を持つという、まるでホンネと建前を使い分けるかのような
「いびつな国家」であり続けた。
ようやくアメリカの一強世界支配体制が経済的に破綻を見せるようになり
米軍が今後も駐留し続けるかどうかすらも疑わしい情勢になって
その間隙を縫うように、経済力の向上した中国と韓国が
日本に対して別々の思惑で、しかし一致して反日外交を展開してきたのだ。
まことにむずかしい局面に日本の現実は置かれている。
やはり基軸は日米関係に置くのは安定保守を考えれば常識的な選択。
いまの韓国が取っているようなヤジロベエ的なスタンスは、日本にはありえない。
まさか、共産党独裁の異質な価値観の
いまの中国国家と戦略的基軸的な関係を結ぶことはありえない選択。
こうした地政学的な現状認識は、日本人はおおむね同意だと思う。
そういうなかでいかにして、中韓と平和的な関係を構築できるのか。
ことはそう簡単ではない。
しかし、そういった難しさの中で、それでも地道に努力するのが外交だろうと思う。
言うべきことはきちんと言って、しかし可能な限り冷静に平和的関係を志向する。
ふつうに考えてこのような対中韓国家戦略が、いま、妥当性がある。
どこまでも冷静に対処していくしか、日本には道はない。
しかしこれは「ふつうの国」の国民としてのよき鍛錬になるものかも知れない。
そう考えて対処するべきなのだろう。
ベトナム沖から中国の石油掘削装置が撤収したそうだ。
冷静な対応を見せてきたベトナム国家の姿勢は評価に値すると思う。
Posted on 7月 17th, 2014 by 三木 奎吾
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返品OKキャンペーンとかで
10000円くらいのAmazonの電子書籍端末Kindle PaperWhiteが
30日間使って、気に入らなかったら返品しても良いです、
というセールスの案内がメールできたので
つい、「そういうことなら、チャンスかな・・・」と
Amazon商法に付き合って見ることにしました。
で、きのう写真の端末が送られてきた。
率直な印象。
iPadと比較すると、端末のレスポンスはイマイチではないか、という印象。
慣れていないのが大きいとは思うのですが、
ずっと電子書籍端末、どれにするか迷っていた身にすると、
もうちょっと、キビキビしていて欲しかった。
「これはやっぱりiPadだったかな」と思いつつも
無料本につられてダウンロードしはじめると
「お、古典ばかりだけれど、読まなきゃと思っていた本が・・・」
という浅ましい(笑)欲望がどんどん湧き出てきて
そして、やはり紙の本では得られない利便性に思わず、没入しています。
なんといっても、いちいち本を探して回る必要がない。
自分の好みの本をダウンロードしておけば、いつでも読むことが出来る。
時間の節約効果は計り知れませんね。
まずは、慣れることで、いろいろな古典的作品を読んでみて
その「読書体験」に基づいて、
これからの読書の方法を考えていきたいと思います。
ひとつは、圧倒的な利便性から知的体験の総量が豊かになることは間違いない。
この効果はたぶん、相当な破壊力。
小学校に電子端末を導入しての実験では、
顕著なレベルの「学習効果」が実証されているそうなので、
今後教育現場では、「争って」導入が進んでいくことが予測されます。
検索や辞書機能を使っていけば、学習が飛躍的に深まり理解力が増す。
これは火を見るよりも明らか。
たぶん、世の中的には8割はこうした方向で進む可能性が高い。
ただ、あと2割くらいの部分で、「宝物としての本」という
個人の尊厳にも似た「体験記憶」が再認識もされてくると思う。
さらにもうひとつ、紙の本には「中古本」という
ダウンサイズしたマーケットがあり、また図書館という
「知の福祉」的な機能を果たしている存在もあった。
電子出版では、このような社会的な機能は消えて亡くなっていくのだろうか。
その辺への検討が今後必要だと思う。
というような課題も見えているけれど、
「知のロングテール的な価値の発掘」というような新しい地平も
生まれ出てくるような気もしています。
どっぷりと研究してみたいですね。
Posted on 7月 16th, 2014 by 三木 奎吾
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北海道に住んでいても、アイヌの人々のことを知る機会は少ない。
地域の歴史の断絶の中にいる感覚が強い。
和人たちは、この北の地を自分たちの世界観で染め上げて
「無から有を生み出した」ようにして暮らしてきている、といわれても仕方ない。
いつもそんな思いを心のどこかでしています。
そんな毎日を過ごしているわけですが、
毎朝の散歩の道端に、写真のような植物を発見し、
その植生場所がどうも拡大しているように思って見ています。
この北海道という地域は、自然的にこの植物が
繁茂しやすい「風土」であることの、身近な証なのだろうと思って
できるだけそうした自然を受け止めていきたいと思って見ています。
最初は1週間ほど前に、背の高いすっくとした姿で
数本に気付いて、立ち止まってみていたのですが、
きのうは、その周辺でほぼ「群生」に近い繁茂ぶりを確認。
悲しいけれど、こういう植物の名はまったく知識がない。
歩いている人に聞いても、だれも名を知らない。
しかし、その美しくリンとした立ち姿は、ストライクで心に届いてくる。
「北海道の山野草」みたいなサイトでも似たような画像が出てこない。
やむなく推定で、
なんとなく、「ユリ科」植物ではないだろうか、と目星をつけて
検索してみたら、これが「オオウバユリ」だとわかった次第。
オオウバユリならば地元の考古学文献などでよく名を聞く。
そうなんです、アイヌの人たちの非常に重要な食物なのです。
オオウバユリは、ギョウジキャニンニクともに
”食料の背骨”といわれた重要な植物だという。
以下、Wikipediaほかより要旨抜粋。
鱗茎はデンプンを含み、食用にできる。北海道では、アイヌにより
トゥレプの名で食用にされ、アイヌ民族が用いる植物質の食品の中では
穀物以上に重要な位置を占めていた。
旧暦4月をアイヌ語で「モキウタ」(すこしばかりウバユリを掘る月)、
5月を「シキウタ」(本格的にウバユリを掘る月)と呼び、
この時期に女性達はサラニプ(編み袋)と掘り棒を手に山野を廻り、
オオウバユリの球根を集める。集まった球根から、以下の方法で澱粉を採集する。
1 球根から茎と髭根を切り落とした後、鱗片を一枚一枚はがし、きれいに水洗いする。
2 鱗片を大きな桶に入れ、斧の刃の峰を杵がわりにして粘りが出るまで搗き潰す。その後で桶に水を大量に注ぎ、2日ほど放置する。
3 数日経てば桶の水面には細かい繊維や皮のクズが浮き、底には澱粉が沈殿している。繊維クズは「オントゥレプ」を作るために取り分ける。桶の底に溜まった澱粉のうち、半液体状の「二番粉」と粉状の「一番粉」を分離する。
これら2種類の澱粉は乾燥して保存するが、その前に水溶きした一番粉を
イタドリやヨブスマソウなど、空洞になっている草の茎のなかに流し込み、
灰の中で蒸し焼きにしてくずきり状にして食べたり、二蕃粉を団子に丸めて
蕗やホオノキの葉で包んで灰の中で焼き、筋子や獣脂を添えて食べたりする。
乾燥して保存された澱粉のうち、日常使用されるのは二番粉である。
団子に加工して、サヨ(粥)に入れる。
一番粉は贈答用や薬用で、普段は滅多に口にできない。
こういう知識を得ただけでもうれしい。
この地でひとびとがいのちを繋いできたきわめて重要な役割を
担ってきた植物であると知ることは、
なにか、とても大切な気付きを与えてくれるような気がします。
リンとした立ち姿に神々しさも感じている次第であります。
Posted on 7月 15th, 2014 by 三木 奎吾
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わたし、一応ゴルフ、やってはおります。
でも、だんだんと縁遠くなってきておりまして、ここ15年以上、20年近く
年に3〜4回の「付き合いゴルファー」であります。
若いときにはややハマって、ハンディも14までもらったことがありました。
所属していたゴルフクラブの「月例」の常連になって
準優勝したりしたこともあります。
なんですが、ちょっとがんばりすぎてギックリ腰とかやったり、
「これ以上やっていたらシングルになってしまう」
という恐怖心(笑)、から、意識的に遠ざかることにしまして、
一時期は、まったくやらずにいた次第です。
そうなんです、シングルとかになったら、それを維持するだけでも大変で
週に1回どころではなく、どんどんのめり込むのがコワくなったのですね。
まぁ、面白いんですが、なにごとも適度が良いだろうと思ったのです。
というようなことで、ことしはとくに縁遠く、
きのう参加した銀行さんの付き合いゴルフが、なんと初ラウンド。
まぁいくらなんでも、7月の半ばまでクラブを握らないのははじめて。
まったく1年ぶりくらいなので、同伴の方に迷惑も掛けられないなと
2〜3日は練習場にも行って、臨んだ次第ですが
やはりそう甘くはなく、スコア的にはたいへんきびしい(笑)。
そんななかですが、
久しぶりにゴルフクラブを1本だけ購入しまして、その筆下ろしも。
むかしは当たることもあった、3番アイアンと4番アイアン、
ここ十年くらいまともに当たったことがなかったので、
ついに「ユーティリティ」ウッドに変えることにしたのです。
で、いろいろなクラブでたくさん叩いたのですが、
だんだん、この新しいクラブがいい当たりをするようになってきて、
終いの方では、このクラブでのショットが決め手になって
パーパーでのフィニッシュ。
道具には昔から無頓着で、だいたいは貰ったものでこと足れりだったのですが
どうも宗旨替えしなければならないみたいであります。
最近のクラブは、どうも打ちやすくなってきている。
年を取ってきてから、やはり飛距離は落ちてくるので
それを考えてもウッドクラブはよく考えた方がいいようですね。
最終ホールになった写真の9番ホールでは、
ドライバーがミスショットで、180ヤードほどしか飛ばず、
残り打ち上げを含めて180ヤードをこのユーティリティで打ったのですが、
おかげさまで見事2オンに成功したのです。
持った感じ、見た感じとも、どうもしっくりくる。
これは、同じシリーズのクラブを欲しくなりそうです。
適度の健康維持促進を考えて、もうちょっと機会を増やそうかなと
悪だくみをはじめようとしている次第です。
ふむふむ・・・。
Posted on 7月 14th, 2014 by 三木 奎吾
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先日研修会があった、新住協北海道での「講義」いや、「ゼミ」風景です。
札幌で8日火曜日に開かれたのですが、
会場には100名近い参加者が集まり、熱気を持った活発な意見交換。
北海道ではいま、300mmレベルの断熱仕様に
チャレンジする工務店が増えています。
それらの施工手順を相互に公開しあって、最適解を探ろうという研修会です。
一口に300mm断熱とは言っても
各社ごとに、それぞれで施工の仕方には工夫が込められている。
それらを整理して、丁寧に整頓していきます。
それも、基本的な技術方向の確認から具体的な施工の手順に至るまで
いわば、技術の基本から実際の落とし込みまで
鎌田紀彦先生と会員企業である工務店の間で
忌憚のない、というか、そういう遠慮のありようもない濃密な実践的なやりとり。
いろいろな建築関係の大学・研究者のみなさんの講演は聞く機会がありますが、
大体が概念をなぞるような話で、
じゃぁ、具体的にどう作るか、ということは施工者に委ねられている部分が多い。
そこまで研究者が立ち入るというようなことは、普通ありえない。
研究者は、理論を研究するのが仕事で
実際に現実を変えていくのはあくまでも、事業者であるという
そういった風景が一般的なのですが、
鎌田紀彦先生は住宅建築を「システム工学」の視点で捉えられているので
それだけでは、日本の、北海道の住宅は革新されない
不十分であると、見切ってきているのかも知れない。
だから鎌田先生の話を大工さんが聞いたら、わかりやすいというし、
先生も、積極的に「大工手間」の現実をフィールドワークしている。
まことに「実践的」な住宅技術開発が出来上がっていく・・・。
とくに北海道の工務店グループは、
鎌田先生といっしょになって工法を作ってきたプライドもあり、
交換する意見にも、熱が帯びてくる。
よく「産学協同」というようなことが語られますが、
この新住協での鎌田先生と会員工務店のやり取りを見ていると
まさにそのものズバリだといつも思わされます。
学問の世界では、こういったスタイルは、しかしほとんど評価されにくい。
ほとんどが現実とはちょっと違ったアカデミズム世界での評価が基準になっている。
けれどそういうのは日本だけで、
海外では、このような産学協同こそが本スジという考えがある。
さて、鎌田先生の室蘭工業大学退官を来年3月に控えて
新住協の活動、組織形態にも変化の波が寄せてきています。
しかし、本質的な部分では、こういった活動が
多くの会員工務店にとって、きわめて生命線的であることは火を見るよりも明らか。
この核心部分、どのように永続を担保し続けていくのか
具体的な道筋を描き出そうと、いま、取り組みが始められています。
Posted on 7月 13th, 2014 by 三木 奎吾
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先般の北陸紀行で立ち寄った富山の豪農の家で
当主が生涯に巡り歩いた旅程紹介がありました。
江戸時代というのは、たいへんな旅行ブームだったそうで
「東海道中膝栗毛」などの旅行随筆風の本が出版されたりもしていた。
そんな時代の雰囲気が伝わってくるようで興味深かった。
1701年に生まれて、1780年に亡くなっている方の旅路地図ですが
上の写真はその「東日本」部分を切り取ったもの。

で、こちらが、日記などで残されている旅程を
概略として書き出したもの。以下、年代と旅程を少し書いてみる。
20歳 伊勢参り〜奈良・高野山・大阪・京都
60歳 京都
64歳 伊勢参り〜京都・大阪
越後・山寺・松島・日光・江戸・善光寺
っていうようなことで、たぶん若いときの見聞旅行から
隠居してからの道楽旅行の様子が見て取れる。
その後も、65,66,67,68,69,71,73,76歳と、活発に旅行している。
富山在住と言うことで、目的地は
京・大坂・伊勢から西国方面と、
越後・奥州・江戸方面の2方向に分かれている。
しかし73歳の時にいちばん遠くの太宰府・長崎などを訪れている。
当時は、歩くのが基本だろうから、
年齢を考えると、まことに元気いっぱいだったものと微笑ましい。
なにやら現代の高齢者の過ごし方のひとつの典型を見るようです。
この人は、現代にまで「豪農の家」という
立派な建物が残っているような家系の方ですが
しかし、江戸時代はこのような旅行熱が一般民衆レベルで
高かったのは間違いないようです。
陸路ばかりを旅していますが、
海路の方は、やはり一般の旅行では避けていたのかも知れません。
北陸は日本海交易の中心地域ですが、
ふつうの旅行にはあんまり利用しなかったのでしょうね。
想像していると、なにか、楽しくなってきます。
Posted on 7月 12th, 2014 by 三木 奎吾
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きのう会社スタッフの慰労でお昼に具だくさん味噌汁を炊きだし。
味はまぁ、目をつぶってくれて喜んでもらえました(笑)。
前日に若い女性スタッフから、あんまり自分では調理しないと聞かされて
ヒアリングしてみると、女性の方が料理苦手なんではと思うほど(笑)。
ということで、ふだんわたしが食している
具だくさん味噌汁を大量に作って見た次第。
これは、ごぼう・タマネギ・ニンジン・シイタケ・エノキ・白菜・コンニャク・しょうが
ジャガイモ・豆腐・油揚げに、仕上げに鶏肉ももを入れたもの。
たくさんありすぎてこの他にもあるかも知れません。
それを味噌で味付けした、温野菜料理であります。
ただ、鶏肉も入っているので、完全食ではないかと思っている次第。
それに、白米・黒米・黒豆・ムギ・玄米を入れた五穀米おにぎりでの昼食。
たいへんシンプルですが、健康によさそうに作っている。

こういう料理は、まぁ食べてもらう楽しみもあるのですが、
作る楽しみもたいへん大きい。
朝一番でおよそ1時間くらい掛けて作っておいて
お昼に温め直してみんなで食べた。
たいへんストレス解消になるのであります。
わたしは6人兄弟の末っ子で生まれたのですが、
姉は一人だけだったので、父母は女の子を希望していたらしく、
「また男か(笑)」というようなあんまり期待されざる子どもだった(笑)。
そんなことから、なのか、不思議と料理が大好きなのであります。

一連の写真は先週作ってみた
イカの刺身とイカ大根の連続写真であります。
手間はめんどくさいけれど、はじめるとそれなりにハマっていく。
作っている間には、ほぼ無念無想、宮本武蔵の心境。

確か土曜日に買い物してきた小ぶりのイカです。
4ハイで289円だかの格安イカなんですが、
自分で作るとなると素材はあんまり気にならず、栄養・価格の
コストパフォーマンス本位の選択。

こんなふうに出来上がってしまえば、
そんなには、「格安」感はしなくなる。
っていうか、イカ大根の醍醐味はむしろ大根に染み込むイカの「風味」。
そういう意味では、イカはどんなのでもいい。
ということで、今週もまた週末が近づいて
どんな料理を作ろうかなと、楽しみに待っている次第であります。
るんるん。
Posted on 7月 11th, 2014 by 三木 奎吾
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みなさん「富山のクスリ売り」って、記憶されていますか?
わたしは、わが家にやって来てくれていたおじさんの
話しぶり、表情をいまでも自分の営業時の参考にしている(笑)ほどに
脳裏に焼き付け続けております。
だいたいが、その家の子どもに紙製の風船を与えて
まずは味方につけるという作戦を展開して
顧客のハートを鷲づかみにしてから、商品の配置薬品を点検し、
補充したりしながら、その代金精算を行っていく。
まことに見事な古典的日本スタイルの「営業」であります。
しかし、マーケットの変化によってこういう営業スタイルが非効率になり、
また薬品流通も「薬店」が大量に多様な商品陳列をみせて
圧倒的に集客するようになって、
徐々に衰退していったものと思います。
ほそぼそと配置薬販売が外商営業職種であった時期もあったようですが
いまでは、たぶん絶滅した日本の商慣習になったのだと思います。
わが家には、こうした外商営業スタイルの残骸が
2ハコほど残っております(笑)、どうするんだろね。
そんな小さいときからの記憶があって
富山に行って、そういった「クスリ店」を見掛け、
思わず、立ち寄ってみた次第であります。
案の定、紙風船もあって、無事購入いたしました(笑)。
店内では写真のように実演製造もしていました。
そもそも「富山のクスリ」というのは、
北国の大名であった、前田公が江戸の城中で具合が悪くなったときに
懐中からなにやらクスリを服して小康を得る様子を
多くの大名たちが見聞していて、
それで自分たちが具合悪くなったときに、
「前田公、そこもとのクスリを恵んではいただけないか?」と
懇願したところ、前田公は気前よく分けてあげたのだそうです。
で、このクスリの効果が霊験あらたかであったことから、
「前田公、こんないいクスリ、わが領内でも入手できるようにならぬものか」
というリクエストが寄せられ、
それで、全国に富山の薬売りが出張販売するようになったそうであります。
ということなので、クスリの素性は自然生薬の
漢方系のものであることはあきらか。
なので、わが家のカミさんのためにあるクスリを購入してお土産に。
持って帰って来て以来、彼女は飲み続けていまして
それも彼女の経験上、もっとも霊験あらたかな効き目だそう(笑)。
滞っていたダイエットも、徐々に目に見えるような効果がでています。
まぁ生薬だろうから、副作用的なものも心配は少ない。
第一、昔から多くの人が服用してきたので
そういう人体実験を経てきているものは確実性が高い。
これはわたしの確信でして、
なので、正露丸が一番の愛用薬なんです。
で、カミさんにもこうした系統のものがいちばん安心できる。
ということで、信じるものはなんとやらであります。
すっかり夫婦の信頼感向上にも寄与しております(笑)。
ありがとう、富山のクスリ。
Posted on 7月 10th, 2014 by 三木 奎吾
Filed under: 出張&旅先にて | No Comments »

なんか、ものすごい台風が沖縄に来たようですね。
わが家は、娘が沖縄に住んでいるので、朝から心配。
で、LINEで様子を刻々と連絡し合っておりました。
会社は「出てこられる人だけ」でがんばろう、ということだったそうで、
娘はそっちのメンバーということ。
で、朝から通勤のバスがさっそく全面運休で、タクシー通勤。
ところが、前日からタクシー会社は電話に出ないということで、
街で流しのタクシーを捕まえるしかなかったということ。
「マジこわかった」
というような外の状況だったそうですが、
無事に会社ビルに到着して、仕事していたそうです。
でも鉄筋コンクリート造の事務所ビルが台風の風で揺れるんだそうで
「会社のビル、めっちゃ揺れてるこわい」
「チョー、マジこわ」
という不安な中、仕事を続けていた。
でもスタンプ画像は、ふなっしーのがんばるポーズなので、
やや緊張はやわらぎます(笑)。
で、そういう状況なので、ついに会社も午後3時には「帰宅命令」を出した。
でも風雨も激しい中、タクシーを捕まえるのが
「プチパニック」だったとか。
その間、家族LINEでは首都圏にいる坊主から
「暑過ぎ」
「これは死ぬ」
とか、台風が運んできた熱波が
関東以南、顕著な猛暑になっていたそうです。
でもまぁ、若いし、こっちの方は根性で乗り切ってもらうしかない。
さてその後、わたしは新住協北海道の
一般社団法人化記念のキックオフ研修懇親会へ。
こちらでの様子は、またいずれ書いてみようと思いますが、
その懇親会がはじまってすぐに、
わたしのiPhoneがけたたましく非常音を鳴らし始めた。

気付くとまわりのみなさんのケータイ・スマホも
けたたましいハーモニーを奏でている。
スマホからは、地震の情報について知らせてきている。
ただ、東日本大震災のような揺れの大きさは感じられない。
ちょうどホテルのような宴会場で、シャンデリア照明の下にいたのですが、
それほどの切迫感は感じられなかった。
でも、そうしたら今度は、沖縄の娘から
「地震、大丈夫?」というメッセージ。
「台風、その後大丈夫か」
というような相互心配コールのやりとりであります。
北海道の方の地震は、どうも火山性のもののようで、
その後も小さい地震が数回続いておりました。
それにしても、災害ニッポン、
いつなんどき、どんな場所でも
不意を突かれて襲ってくる怖さがありますね。
日頃からの注意が絶対に欠かせない。
Posted on 7月 9th, 2014 by 三木 奎吾
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きのう書いた「累積人口」という意味合いですが、
いろいろに新しい考え方を呼び覚ます機縁になりうる知見だと思っています。
その同じ統計推定を援用すると、ホモサピエンスの類的累積は、
700〜800億なんだそうであります。
で、加速度的に人口は増え続けてきたけれど、
その間で、平均寿命もどんどん高齢化してきた。
そしていま、いわゆる先進国では、出生率は軒並み下がって来ている。
これはなにを表現しているのだろうか?
というのが、考える必要のある大テーマだと思う次第。
4万年かかって今日まで生き延びてきた現生人類が
なぜ人口爆発し、そしてそれから機をそらさずして
一転して人口抑制的になってきたのか、
これは社会的要因を含めて、DNA的な類的選択ではないのかということ。
たぶん、そのことと高齢化は一体不可分のことだろうと思う。
人類社会にとって、子どもをどんどん生産しなくても
社会が維持できるように変化してきたことを表しているのだろうか。
縄文が始まってそれまでの旧石器といちばん違ったのは
人間が長寿命化したことだと言われている。
それまでは、基本的には狩猟民だったので、基本的には敏捷性が要求され
常に移動する生活だったので、体力勝負だったのが、
食料が森から採集するのと海生動物の漁に変容したことで
定住的生活が可能になり、年を取っても社会に有用な貢献ができるようになった。
それは同時に、経験知を後世代に残していくことが可能になった社会だという。
というような説を聞かされたことがあるけれど、
そのような大きな変化がいま、来ているのだろうか。
いま、ホモサピエンスは、何度目かの大きな変容を迎えているのかも知れない。
栄養採取がかなり平均的に進み、衛生思想や病気の解明が進んで
一般的に言われる人間の肉体の機能性限界120年に
先進諸国のひとびとの寿命が近づいてきている。
そうなってくると、どんどんと世代交代して若い人類を増やすばかり必要性が
種族レベルで必要性をなくしてきているのではないか。
そのように思考してくると、
現代に起こっている事柄の意味も決定的に見えてくるような気もする。
縄文の人々が、その社会の高齢者が
どんな社会的分業を担ってきたのか、
そのようなアプローチが、現代社会でも、たとえば生産手段の多様化
あるいはロボット技術の飛躍的進化を踏まえて
もう一回、試みられていく必要があるように思われる次第。
そういえば、宋文洲さんは、少子高齢化について
一時的な種族保持のためのDNA的な調整に過ぎませんよ、と言っていましたが
別な見方ももうすこし、考えていかなければなりませんね。
Posted on 7月 8th, 2014 by 三木 奎吾
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