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石巻からの新米

仙台のスタッフから
新米を送ってもらいました。
玄米で送ってくれまして、毎日精米して
食べさせていただいております。

春まだ遠い3月の震災を経て、
ことしという年の時間の積み重ねを体現する味わいです。
精米器からぽろぽろと落ちてくる米粒。
それを受け止めて、精米したてのそれを毎朝炊いています。
石巻にはことし何度か行きましたが、
あの街で、あの地域でと思うと、
よくぞ、このお米がと、思います。
とくに、海沿いの工業地帯の被災工場を訪問させていただいたときには
その不屈のたたかいぶりに胸を打たれました。
人間の生き様を見せつけられた思いがしたものです。
年商を上回るような新たな借金を重ねても
それでも社員の雇用を守って、地域の底支えになっている。
住んでいる国民に対しては災害の「補償」はあるけれど、
企業経営には、たとえどんな天災であっても補償はない。
アパートに住んでいる人には、補償が出るけれど、
そのアパートを維持管理してきたオーナーには
それを再建する費用についての補償はない。
被災地での経営って、そういう厳しさがあります。
しかし、企業が存続して、生き延びていかなければ、
人々の暮らしの再生はありえない。
きのうまでやってきたことを、きちんと積み重ねていくこと。
それなくしては、前提が構成されないのだということ。
そういったことを、さまざまに教えてもらった気がします。
まぁ、いろいろな思いが交錯しながら、
お米、食べています。 うまい。

PS
本日、国会参議院予算委員会で民主党・中村哲治さんが質問されます。
で、どうもその質問に際して
わたしどもの無料配布誌「東北の住まい再生」が
出席議員に配られて、そういった関連質問が行われるそうです。
夕方に、NHKの全国放送でもその模様が流されるということ。
どういう脈絡で紹介されるのかは不明なのですが、
情報として、お知らせいたします。

暖房が恋しい季節

天気概況
本州付近は冬型の気圧配置となっています。強い寒気が今夜は東北北部まで南下するでしょう。北陸から北の日本海側は雨や雪が降る見込みです。北海道は平地でも雪が積もりますので、車は冬用のタイヤに交換するなど装備を万全にして下さい。札幌で雪が降ると、昭和以降で最も遅い初雪です。

っていうことなのだそうであります。
札幌は、ここんところ、ようやく寒気が強まってきた気配がありますが、
でも、ここまで比較的温暖な気候が続いていました。
「概況」の通り、
初雪はまだなので、かなり遅い冬の進行。
なんですが、やはり冷え込んでは来ています。
わが家でも、一昨日くらいから暖房を入れはじめております。
ただことしは、わたしの書斎居室では
エアコンによる暖房を実験しております。
わが家では、去年まで1階はあまり使用せず、
2階のコンクリートの床暖房(灯油による温水セントラル)のみで、
ほぼ非暖房室としておりました。
ことしは、わたしが書斎兼用で
ずっと居住することにしたので、温水暖房の回路の事情から
この際、エアコンのみでの暖房を実践してみようとなった次第。
電気料金がどのように推移するか、
ある程度の目安が出てきたら、発表していきたいなと考えております。

さて、今週はいろいろな作業の山場。
ひと山ふた山、乗り越えなければならないのですが、
さて、きのうも夜半まで打合せが続いておりまして
寝不足気味。
でも、まだまだ、頑張るぞと。

廃屋の美とアートの境界

先日の住宅見学の合間に
ふと見かけた廃屋であります。
どうも、弱いのです(笑)。
やや不謹慎かとも思ったのですが、
ついうずいてしまうのは、生来の何かのせいなのではないか。
もちろん、このあと、一般の住宅もきちんと見学させていただきました。
<やや、言い訳>

で、廃屋であります。
わたしがどうして廃屋が好きなのか、
いろいろ考えてみて、やはりそれを「人間の手業の痕跡」と
強く認識に刷り込まれているからなのだと思うのです。
芸術であろうとなかろうと、
人間が、「やむにやまれず」という思いで造形したものには
痛切に伝わってくる部分があって、
そういった部分を、「観賞」的に見ているのだと思うのです。
そういったものが、時間の経過、
その地域での気候風土の「研磨」が掛けられていって、
結果として、なにもかも正直に、素裸に露出している。
まぁ、そういう意味では一種の環境芸術的なものとして見ているのかも知れません。
それに対して、カメラを向けて構図などを考えながら
シャッターを切っている行為は、
こちらも一種の表現衝動にかられているとも言えますね。

ここに写っているのは、
小さな居住用スペース、たぶん、6坪程度の寝起きスペースの外側に、
主屋の切妻に下屋として小屋がけした部分です。
たぶん物置なのか、作業場だったのか、
なぜか、ヘルメットが1コ置き捨てられてあって
想像を巡らせていくきっかけを与えてくれています。
こういった、見るものにとっての想像力の仕掛けをさりげなく置いてあるのも
なかなかにアーティスティックであります(笑)。
テレビとか見ているよりも、はるかに刺激される部分が大きい。
そして現実に生起した事実の痕跡を伝えているので
リアリティは圧倒的に迫ってくるものがある。
書かれたものを読んでいたら、倉本聰さんも似たような「趣味」を
持っているそうなので、よかった、
変わっているのは自分だけじゃないんだと、少し安心する部分もあります(笑)。
みなさん、いかが感じられますか?

国のハコモノ補助政策

十勝は酪農の発達地域。
他の日本のように、米作による文化の側面が薄い。
北米的な文化土壌があって、米は食べているけれど
ほとんど生産していない。
そうなると、神社仏閣になにか、地生え感が感じられないというのは
見方がすこし、極端だろうか。
まぁ、歴史的な遺物などが少ないので、
他の日本の地域とは、かなり違いを感じる。

で、酪農が盛んで、十勝地域には牛が40万頭ほど存在しているのだそうです。
人間の数より多い。
で、エネルギー源として、かれらの糞尿も大きな存在。
もし、これを放置したり、自然に任せていると
それはそれで、大きな環境問題になる。
そこで、エネルギーと環境問題から
これらを活用するバイオエネルギーというのも自然な流れ。
そういった試みの中で唯一に近い成功例を見学してきました。
牛の糞尿を集めて、ガスでの発電や、
液化肥料などを生産している。
これまでこういった試みはおおむね大企業が
国の補助金を利用して、参入してくるけれど、
結果は、死屍累々たる状況で推移しているということ。
そういうなかでは地元のプラントが唯一の成功例ということで
全国から視察が相次いでいるのだそうです。
お話を聞くと、やはり牛の糞尿といっても、その飼料の違いや
健康状態など、個別に違いがあって、
原材料の違いに配慮した運用を行っていかないと
なかなか事業としては起動していかないということ。

なんですが、
こういった事業は、この写真のような施設は
おおむね、国からの補助金事業。
ハコモノ補助が前提となって事業化の取り組みが行われるのですね。
こういう国税による投資の再配分事業というもの、
その意志決定プロセスというのは、
判断がきわめて難しいと感じますね。
江戸時代の幕府による蝦夷地直轄事業の結果記録など、
こういう公費の使用って、大変難しい。
そのなかでは、この事業は面白い成果を生んでいると思います。
興味津々に見学させていただいた次第であります。

トイレ前の「前室」

一昨日、その前日と十勝に行っておりました。
で、住宅見学などしておりました。
そのなかから、帯広の広岡建設さんの現場です。
こちらでは、トイレの前にちょっとした空間が装置されておりました。
上部にRのついた間仕切り壁開口があって、
そこからトイレまでの1畳ほどのスペースであります。
どうせドアが開閉するのでモノを置いたりはできない。
それならいっそ、個室的なスペースにしてしまおう、ということなのか。
広岡さんに確認することが出来なかったのですが、
用としては、たいへん素晴らしいなぁと思いました。
トイレというのは、ひとりっきりになって、
なにか、瞑想的な時間ではある。
その前室として、結界というか、心理に句読点を付ける、という意味合いが
そこはかとなく伝わってくる。

どうも最近の家には、
ひとが句読点を付ける場所、という概念が乏しいように思います。
ある設計者から昔、
子どもがさめざめと泣けるような空間を作っておきたい、
っていう考えを聞かされた経験がありまして、
そうだよ、そういった空間こそが住まいだ、という思いがあります。
なんと言えばいいのか、まぁ、人間に「深み」をつくる、
心を涵養する場所、っていうようなことでしょうか。
住まいは文化現象であり、
人間の精神性を育んでいく場所であるわけで、
そういった部分は、抜けがたく存在すると思います。
昔の日本家屋では、床柱の立てられたハレの間があって、
神棚があり、仏間もあった。
そこにたたずめば、おのずと「家」というものを意識させられ、
己、ということについても人間の絆という形で
そういう連続性の中の事象として、
自らもまた抽象的に存在を自己認識できる場所として機能していた。
己が死を迎えたとしても、その家の連綿の中で、継続していく形が具体的にあった。
先祖があり、子孫がある中で、
自分一個を対象化して考えさせる、そういう場所が
家の中には存在していた。・・・ってまぁ、飛躍しすぎかなぁ(笑)

この家はツーバイフォー。
ちょっとインターナショナルなんだけど、
そういう部分も、なんとなく感じられた住宅見学でした。

換気装置のインテリア性

住宅の換気装置は、性能を支える基本装置。
それを稼働させるのに電気が必要であり、
また24時間連続運転させる必要がある、などの機械頼りという側面はある。
けれど、断熱・気密を考え、暖房を考えていけば、
換気も不可欠の考え方になることは、明白。
さらに、これを推し進めていけば、
暖房と一体となった計画が立てられていくことになる。
けっこう重要な住宅での脇役プレーヤーであると思います。

しかし、これまでその装置の形や色というか、
デザイン性と言うことはあんまり論議はされてきていない。
普通はあんまり目に触れるような場所に置かれることが少ないので、
機能を満たせばそういうことでもいいか、
ということだったわけですが、
しかし、換気装置というのは、住む人が定常的にメンテナンスする必要がある。
そういうことなので、むしろ、目に触れる場所に置いておく必要性がある。
そうなってくれば、デザイン性こそが問われる。
人間、毎日のように目に触れるものが美しくない、親しめないというのには
なかなか耐えられないことになっている。
必要性を認識した後には、
その操作性や、直感的な扱いやすさ、さらにそれを止揚したデザイン性が
問われていくことになる。
コンピュータから家電に軸足を伸ばそうと考えている
Appleが、なぜユーザーから支持されているか考えれば、
自ずと道は明確になっていると思う。

で、この換気装置であります。
というか、その置かれている状況の面白さであります。
モダンデザインで頑張っている帯広の北栄建設さんの現場での様子。
白と黒を基調にした内部仕上げになっていますが、
そのなかにハッとするような色彩が使われていて、
ここはウォークインクローゼットの中なんですが、
壁にはご覧のようなレンガっぽい赤が使われ、天井は黒という
ショッキングな色の中に、この緑が端座している。
よく見ると、白く縁取りされた装置収納内部にも黄色が使われている。
大変キッチュな構成で楽しい。
こういう状況でなら、なんとなく、この装置に触りたくなってくる。
カワイイというようにユーザーに認識してもらえるのではないか。
そんな印象を抱いた次第であります。
いかがでしょうね?

札幌ー帯広高速道全通

きのうは早朝家を出て、
一路、高速道で千歳から道東道へ。
で、これまで、道東道は夕張までしか開通していなかったのですが、
最近、というか11月から、
この夕張からトマムまでの、これまで開通していなかった部分が開通。
これで、札幌から帯広まで全部、高速が開通しました。
これまで、この未開通部分があるので
そこでボトルネックになっていて
たしか、4時間は掛かっていたのですが、
きのうは、都合3時間程度で到着であります。
まぁ、途中のパーキングでPocket-Wifiで仕事の連絡を行ったりしたので
それで、若干、時間が掛かったので、
事実上は、2時間ちょっとというところ。
これはありがたいですね。
料金を確認したら、往路の代金は3100円ということ。
他にガソリン代もあるわけですが、まぁいいところでしょうか。

っていうことですが、
途中の様子は、これは本当に難工事だっただろうな、
という状況が伝わってきました。
かなりの行程が、長いトンネルで占められております。
こういった開通に要した費用、なかなか回収には時間が掛かるでしょうね。
あ、こういう財務省が仕掛けるような単純な単式簿記的バランスシート、
どうも、わたしたちに刷り込まれている・・・。
きのうも、みなさんと話していて気付いたのですが、
国の借金がどうのこうの、
財政の健全化、というアナウンスを繰り返されるのですが、
どうもその根拠になる視点って、
いつも、アメリカの金融領域から仕掛けられてきている。
それを無批判にオウム返ししてきたのがマスコミであるわけですが、
ではそういう「健全」な国家財政の国って、
一体どこにあるのですか、という考え方は出てこない。
このあたり、よく考えていきたいなと、思った次第です。
もっとトータルに、この高速が出来ることで、
日本全体の交通体系が、一層便利になったという視点で捉えなければならない。
高速の利便性は、都会の交通量の多い地域だけがそうであっても
あんまり意味はない。それがこういうところまで「繋がっている」
っていうことが、大きなメリットなのだ、とも言えるのですね。
逆に言うと、移動の自由度は、都会も田舎も結ばれている、ということが
最大のポイントなのだと思いますね。
そんな思いが強まってきている昨今です。

<デジカメからの接続ケーブルを忘れたので、きのう撮影の写真は
これから戻って、取り込みます。なので、道つながりの写真で・・・>

追い込み進行作業

ことしは、みなさん、お仕事どうなんでしょうか?
やはり東日本大震災があって、
その間の思考停止状況みたいのがあって、
しかしそこからようやく脱してきて、気がつけば残り少なくなってきたカレンダー
っていうのが、多くのみなさんの感想ではないでしょうか?
どうしても年々、時間の経過がめちゃくちゃ早くなっていく。
なんだったか思い出せないけれど、
こういうのにはちゃんとした理由があるそうなのですね。

きのう、友人と電話で話しました。
実はかれは、肺にガンが発見されて、仕事や何やらの整理を
近日中に行って、来週から本格的に入院して
治療生活に入るということだそうです。
大体、同年代のみんな、同じようなことに遭遇することが頻繁になってくる。
ガンについても、告知されてからずっと元気にやっている友人も多い。
早期発見が、こういったことに繋がっているのでしょうか?
しかし、身辺整理というのもいつ、必要になるかわからない。
そういう「暗夜行路」にそろそろわたしのような年代は突入ですね。
忙しいことも、ガンを宣告されることも
坦々と受け止めて、いまできることをきちんとこなして、
冷静に、しかし、希望と、こなしきるスケジュールへの段取りを
明確に設定して、すこしづつ、
一歩一歩、着実に物事に対処するしかない。
その先のことをあれこれ考え込んでいるゆとりもないし、
とにかく目に見える小さなことに全力で取り組むしかない。
そんなことを話し合いながら、
まぁ、明るく運命と対話していこうや、みたいな話になりました。
いっしょに人生をつかず離れず、歩いてきたような、同伴競技者の対話でしょうか。

さて本日は、久しぶりに十勝出張であります。
クルマで出掛ける、雪が降る前の最後の道内出張でしょうか?
でもまぁ、仕事、全然片づいていないので、
懇親会などはほどほどにして、
仕事をできたらいいなと、淡い期待を抱いております(笑)。
さて頑張るぞっと。

「めざまし」大塚さん、急性リンパ性白血病

「めざまし」大塚キャスター、急性リンパ性白血病
っていうことだそうですね。
この病気、私の母親も似たような病気で逝ったのですが、
20数年前には、なかなか治療法がなかったと記憶しています。
たぶん、自分もこれには注意していかなければならない、と思っています。
で、そんな話を朝食のときに坊主にしたら、
無言で食事を終わった坊主が、急にわたしの首筋を触ってきた。
あっけに取られた次第ですが、
親としては、・・・であります。

父親や母親の死に方、
死の訪れ方って、やはり強く心に残り続ける。
親が子どもにできる大きな仕事として
「死んでみせる」ということは、やはりあるでしょうね。
結局最後は、たったひとりで、死に立ち向かっていかなければならない。
そういう最後の大仕事の先に、
死は待っている。
そして、死んでしまえば、時間のなかで記憶がピンナップされたまま、
静かに残り続けていく。
だんだん、親の生き様が相対的に把握できるような年齢に差し掛かってきます。
病気は、逃れがたくそのひとのDNAのなかに刷り込まれている。
血の宿命というか、そういうものなのでしょうね。
そういう病気に気をつけながら、
1日でも長く命を大切に使っていくことが大事なのでしょう。
そんなことで、大塚さん、なんとか頑張って欲しいなぁと、
急に親近感が倍増してしまいました。

高校同窓会

きのうは仕事の合間を縫って
高校の同窓会に出席してきました。
わたしは札幌西高の卒業でして、毎年やっている同窓会。
ここ2〜3年は仕事が忙しくて行けませんでしたが、
あんまり間隔が空くと行きづらくなるので、
なんとか、今回はということであります。
この同窓会総会では、幹事の期というのを設定しておりまして、
わたしたちも14年前にやったわけですが、
そのころは一生懸命やっているだけで、右も左もよくわかりませんでした。
ようやくいい歳になってきて、
そういう年代も客観視できるようになってきました。
って、まぁこちらが還暦寸前まで来ているということですね(笑)。
同期会というのは積極的にやっておりまして、
それこそ毎年欠かさずに出席していますが、
こっちの同窓会は、この「幹事期」を経験して初めて親しく感じる。
来年は、母校生誕100年になるということで、
その準備やらなにやら、いろいろ大変なようです。
「西誕100年」というキャッチフレーズを掲げておりましたが、
まんまで、わかりやすい。
しかし、学校の歴史というのはみんなそうでしょうが、
母校も設立初期からは、その雰囲気もずいぶん変わっているようです。
わたしたちの頃には、まだそんなにすごい進学校ではなかったと思うのですが、
すっかり難関高校になってしまっているようです。
劣等生代表のようなわたしにしてみると、
年々、敷居が高くなっているようで、気が引けますね。
でも一方で、わたしたちの年代の時は学園紛争華やかだったので
そういう意味では先輩のみなさんたちに
大いに心配を掛けたと思うのですが、
それは元気の表現でもあったと思うので、
そういった部分では、お行儀が良くなりすぎていないかと
心配も起こって参りますね。
日本の学校が、いま少なからず抱えてきている現実であるのかも知れません。

さて、本日も休日ですが、
仕事であります、がんばるぞ、っと。