
さてすっかり、東京世田谷建築散歩シリーズで
世間の動きとは離れた楽しい世界にどっぷりと浸かっておりましたが、
あれこれ、要件も迫って参ります(笑)。
きのうもある住宅団体の見学・セミナーに1日どっぷり。
そのほんの合間を縫って、風邪の初期症状の喉の痛みに
病院に寄って看ていただいたあと、事務所に戻ってみたら、
表題の本がわたしの机上に乗っかっていた。
小なりとはいえ、わたしも出版社なので
日経さんから、こういう本を恵送いただけるような心当たりはない。
どうも前真之先生から「著者送呈」という枠で
お送りいただけたようであります。
増補前の前作は、いま「完売」なのだそうで、
きっと出版社からは矢の催促が降り注いでいたに違いありません。
で、その後、セミナー会場に戻って
いろいろ興味深い取材も出来、発表者のみなさんとも
大いに歓談もできたあと、ようやく戻りました。
この本の読書は、いまのところ「チラ見」段階であります(笑)。
でも前作以上に見やすく直感的な構成になっていて
小気味いい切り口と論旨展開であります。
「バッサバッサ」切っていく、みたいな日経さんの紹介文ですが
いやそんなことはない、まっとうな本質論だと思います。
もし「切られている」と感じたら、自分でよく考えてみるべきだと。
・・・って言っていますが、実はわたしもよく前先生の講演スライドでは
素顔を紹介いただいているようです(笑)。
蓄熱暖房選択について「切られて」いる次第ですが、
まぁすべて事実に則っているので、仕方ない。
指摘されていることは、その通りのことだと思っています。
15年ほど前の暖房設備選択で、どうしようかとは思っていますが、
お金もかかり、おいそれとも変更はしにくいというところ。
いまのところ、前先生のおかげで悪名とは言え,
顔と名前が売れるメリットを享受している次第(泣&笑)。
前真之先生にはわたしどものReplan誌面でも連載をお願いしていて、
多忙を極めている中であるにも関わらず、
地方零細出版社のオファーに誠実にお応えいただき感謝の至り。
他社さんの出版物ですが、この本はオススメの1冊だと思います。
住宅の質の向上は、多くのみなさんの活動が大きなうねりを作るもの。
地域としての北海道の、この面での経験値から見て
いまの日本全体の動きは、そうしたダイナミズムが働き始めている。
前真之先生のこの1冊は、そうした動きをさらに加速する、
そんな期待を抱いているところであります。
Posted on 12月 15th, 2015 by 三木 奎吾
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前川國男さんと言っても、わたしにはリアリティがない。
建築をやっている人には、まるで神さまのような存在として
語られている様子を側聞します。
住宅雑誌はやっているけれど、建築を学んではいないわたしには、
ちょっと近寄りがたい存在という感じでしょうか。
今回、その前川さんの建築が「世田谷区役所庁舎」として
現在も使われ続けていることを知った次第であります。
一番上写真の折板構造の「オーディトリアム」とされる建築に
目が向かっておりました。
コンクリートの壁を、折り紙のように作ることで
構造として持たせるという手法だそうであります。
素人の考えでは、きっと音響効果のことを考えた壁面だったように
思われますが、1959年という時代に
こうした意志的なフォルムを持つ建築を作られていたのですね。
内部に赤絨毯の床面というのも公的施設として
珍しい空間装備だそう。
いまは、この手前で立ち入りが制限されていました。
きっと存続の如何が論議されているに違いありません。


ただ、前川さんの江戸東京たてもの園に保存されている自邸は
はるか以前、10年前に見学した体験があります。
すでにして「古建築」の世界にある存在のように感じられる次第。
今回その記事を再度見てみましたが、2005年12月8日に書いている。
現代的なキッチンやセントラルヒーティング暖房が導入され、
しかも南面の大開口には冷輻射防止のために
窓下に放熱器が配置されているのに驚いていました。
こういう住宅が戦時中から戦後すぐの時期に関東で建てられていた。
そういった事実に驚いた次第。
その当時はようやく北海道で、寒冷地住宅技術への挑戦が
始まったばかりで暖房装置はひたすら部屋中心の石炭ストーブ。
窓面での冷輻射対策というような考え方はなかった。
その後の関東圏以南建築家の冬対策の考え方の喪失状況と対比して
骨太な建築家という印象を持った次第です。
また、吉村順三さんの軽井沢の家には
壁の中に乾燥砂を「充填」させていると読んだ記憶もあり、
先人たちの先進性に畏敬の念も感じさせられた次第。

公共施設ながら、日本庭園風の庭も装置されていた。
緑の中に女郎蜘蛛が巣を張ってもいました。
遙かな時間を経過して、こうした心遣いのあるしつらいに
ものをつくっていく意志のようなものが伝わってくる気がしました。
Posted on 12月 14th, 2015 by 三木 奎吾
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さて、東京世田谷建築散歩シリーズ第4回です。
最近、隈研吾さんの建築にツイておりまして、
どうもこのところ、重なっているきらいはあるのですが、ご容赦を。
隈研吾さんって、建築という側からものを言っている感じが強い。
人間であるハズだけれど、建築というモノを背負っている。
そんな印象を強く持っています。
とくに国際学生コンペでの受賞作選定を見ていて
建築が社会とどう向き合って行くのかという立場を感じました。
いわば建築の自由な発想を守ろうというスタンス。
で、この「博物館」建築を見ていて
その前に見た「根津美術館」との同質性を感じていた次第。
根津美術館では立派な日本庭園という外縁装置を活かし、
竹のエントランスを象徴的に配置していていましたが、
この「食と農」博物館では、隣接した緑地との関係性を
この立地環境の主要な類縁性としてコントラストを際だたせている。
ここでは鉄骨造の構造フレームが外部に露出し、
それを石材で被覆させて外皮としてまとわせていました。
大樹町の「メーム」ではアイヌチセに着想して
その外皮に現代の石油化学素材をまとわせていましたが、
「食と農」という生物的なテーマに対して、
その反対概念的な素材を持ってきて、コントラストを際だたせている。
この数週間の間に、立て続けに見た隈研吾作品への印象であります。

しかし、住宅を主要な興味分野としている者としては
そもそもこのような博物館・美術館などのカテゴリーの建築って
建築の文化伝統的に、あるいは機能性分析において、
どんな判断基準、軸があるのだろうかと、そもそも論的疑問も持ちます。
美術品などは、近代現代社会成立以前は、権力者などに
独占的に所有鑑賞されてきたものであることはあきらか。
市民社会が成立して以降、こういった「集団的鑑賞」行為の
入れ物、舞台としてこういった建築は成立してきた。
その建築物をつくる、構想するときに、
さて「建築」は、そもそもどう考えることにしたのか、
そういったあたり、疑問というか、知的好奇心も沸き立ってきます。
たぶん、それ以前には大衆が集まる装置としては宗教施設だけが
存在していたのではないか、みたいに想念が広がります・・・。
Posted on 12月 13th, 2015 by 三木 奎吾
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きのう紹介した吉田五十八・成城五丁目の家、続きであります。
このような「数寄屋」、管理は大変だと思います。
この家も個人が建てて,その後相続されたそうですが、
やはり管理が難しく、世田谷区に寄贈されて存続してきたとのこと。
たくさんの見学客が来ていたので、
なかなかシャッターを切るチャンスがないけれど、
施工の数寄屋建築で著名な水沢工務店が
きちんと常時メンテナンスを行っているし、
管理自体は世田谷区の責任でしっかりされているので、
500坪と言われる敷地全域で、見どころは満載の住宅であります。
で、やはり日本的な生活感受性というものを
ずっと考えさせられ、そういうものが沈殿してくる。
建築はいちばんわかりやすく、こうした感受性を伝えてくれる。


こういった空間美から
わたしたちは日本的なるものの実質を受け止めている。
なぜこうした空間に表徴されるようなものに
わたしたち日本人は強く惹かれてきたのかはわからなくても、
圧倒的に迫ってくる、ある「いごこち」感がある。
やっぱりそれは「静寂感」とでもいえるようなものでしょうか。
基本的な部分に沈黙が潜んでいるように思う。
北海道の住宅建築がモダンそのもののアメリカ文化を受容し、
合理主義的な日本人のあらたな暮らしようを生きるしかなかった一方、
京都に凝縮した暮らしの感受性は、東京に移植され
日本人の精神の基盤を維持してきたのだと思います。
北海道は日本人のフロンティアではあって、
脱亜入欧精神がもっとも発揮された新開地だったのだ。
そこで140年を超える時間は経過してきたけれど、
こういう空間美には、「戻ってきた」と思える部分を強く感じる。

これからも、なんどか訪れてみたい、
そんな思いを強くもった住宅でした。
たいへんありがとうございましたと、誰に言うでもなく
つぶやいておりました。
Posted on 12月 12th, 2015 by 三木 奎吾
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北海道にいると、正調の和風住宅というのはまずめぐりあえない。
日本住宅のデザインとして数寄屋とか、茶室とかは
積雪7m近い北海道札幌では、その華奢な構造がもたない。
また雁行して庭の見え方をより複雑に楽しむかのような
そういった美的鑑賞態度は、北海道人的な気質の中に入り込めなかった。
生活合理性がまずは大前提であり、そこにアメリカの建築デザインが
道庁赤煉瓦庁舎であるとか、時計台などを代表として
一気に入り込み、むしろそういう建築スタイルがクラシックを形成している。
見よう見まねの「擬洋風建築」こそが札幌の住宅建築のベースデザイン。
さらに北海道東部・十勝地方に至っては
木造住宅ではツーバイフォーが6割以上の多数派。
いまや、一般的な住宅からは畳敷きの部屋まで消失してきている。
こういった現実を悲しいものと見るか、
地域の気候風土にマッチさせた叡智ととるかは、見方が分かれる。
わたし自身も、茶室のような日本文化にははるかにリスペクトするけれど、
さりとて、寒いのをガマンして日本の文化性がどうこうと
言い立てられるのは、やや閉口させられる。
しかし、やはりこういう数寄屋は、すばらしい。
この建物は、ご自身も茶人であったという実業家の方が
建築界からの文化勲章受章者・吉田五十八さんに依頼した住宅。
現在は世田谷区が管理して、一般にも開放されているそうです。
以下、Wikipediaからの要旨抜粋。
吉田 五十八(よしだ いそや)
1894年(明治27年)12月19日〜1974年(昭和49年)3月24日)は
昭和期に活躍し、和風の意匠である数寄屋建築を独自に近代化した建築家。
東京生まれ。東京美術学校(東京芸術大学)卒業。
母校で教壇に立ち、多くの後進を育てる。(中略)
1925年、学生時代から心惹かれていたドイツ、オランダの
モダニズム建築を見るため、ヨーロッパ、アメリカを廻った。
この旅行で吉田はモダニズム建築よりも、ヨーロッパ各地に残る
ルネサンス・ゴシック建築といった古典建築の方に強い感銘を受けた。
これが吉田の建築観を大きく変えることになる。
吉田はヨーロッパの古典建築について、その伝統や民族性が
前提にあるからこそ出来得たものであり、日本人である自らには
到底出来得るものではないと考えた。そのことから、日本人である
自らにしか作り得ない建築とは何かを考えるうち、
当時は過去の建築様式でしかなかった数寄屋造の近代化に注目した。
ということだそうです。
確かに大壁が取り入れられたり、暖房などの設備もしつらえられたり
近代的な「快適性」にも配慮がされた建物になっています。
しかしやはり、白眉は2つある茶室でしょう。
とくに本宅にしつらえられた茶室の様子が写真ですが、
<写真は2枚の写真合成ですので、ややいびつさがあります。ご容赦を>
わびた簡素な素材で外部からの光をコントロールする審美感覚は
まさに「日本的」なるものを感じさせます。
しばし、陶然とまどろむ瞬間であります。
う〜〜む、どうやったら高断熱高気密で
こんなニッポンそのもののような空間デザインが可能なのか?
それは見果てぬ夢なんでしょうか。
Posted on 12月 11th, 2015 by 三木 奎吾
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さて、東京世田谷建築散歩、第1回は表題建築。
重力に逆らって、建築という人間の生きていくための装置を作る
その営為は、ずっと継続し続けてきたモノでしょう。
建築はなまなましいものであり、誰にでも感受性を開いているもの。
美術品のように、意志を持って見るものではなく、
それを超えて存在しているもの。
あるとき、ある時代で、まるでピンナップされるように
特徴的な建築が建てられて、
それが一種の時代観や、そのときの空気感が残るものがある。
そしてその地域に生きる人間が、なんとなく
地域らしさを形成しているその建築に対してある思いを持つ。
やがてそんな「蓄積」の総量が「街の魅力」を創り出していく。
この東京聖十字協会についての丸谷さんの説明文。
「1924年に現在地に設立されました。
前年の関東大震災で都心の多くが
被災した中で、郊外に移り住んだ人々に、
精神的な柱をと願って,いち早く会堂ができました。
親しみやすい地域の中で形式張らない教会、というのが特色。
もうひとつの特色は礼拝堂のユニークさ。
こちらは1951年に建てられたものです。アメリカ人、
アントニン・レーモンドの設計による
「柱状合板」使用の「合掌造り」風のものとしては、
日本最初の建築で専門雑誌によく紹介されています。
礼拝堂内部には、清楚な壁面「十字架の道行き」が掲げられ、
黙想と祈りの巡礼が行われます。
この建物は集成材を用いて合掌造り風に手掛けた
最初期の例なのだそうで、尖塔型アーチ型シェイプは
「カマボコ兵舎」と呼ばれて親しまれた。」
というように紹介されていました。
わたしたちには「ラワン合板」というと、
どっちかというと、むしろ簡素な素材というイメージがありますが、
創建当時は、むしろ木の王様といわれるチーク材に似た
南洋由来の高級材というイメージだったと言うことです。
こうした素材が、地域の中でその外観形状のかわいらしや
ごくさりげない下町的な住宅街のなかという立地もあって、
人々の心に「温もり」を与えたであろうことは
容易に伝わってくるモノがあります。

窓がほとんどない建築で、夏の気候の中では、
内部は相当の熱さであったに違いない。
空気抜きのようなハイサイド窓にはガラリが付けられていたり、
それでも足りずに1窓ごとに電気換気扇も付けられていた。
きっとラワン合板の木の匂いがむせ返るような
そんな空間だったに違いありません。
ヒューマンな印象の建築でした。
Posted on 12月 10th, 2015 by 三木 奎吾
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さてきのうは、前日の「エコハウス研究会」全国大会を受けた
都内住宅建築鑑賞のオプションツアーであります。
昨年の第1回では、スケジュールの関係で参加できなかったのですが、
建築家・丸谷博男監修による「目利き」と「マッピング」
によるセレクト物件を、都合7時間近く巡り歩くもの。
北海道では住宅建築を見学鑑賞して歩くには
バスなどの手段であちこち移動しながら
集団で見学、研修するという企画が多く行われています。
わたしどもでもそのガイドを拝命するという機会が多いのですが
東京ではなかなかそういった機会に恵まれない。
まずは道路幅が狭いのでバスなどの集団移動手段に
多くの制約が加わってきて、移動の自由が確保しにくい。
公共交通機関や、タクシー、徒歩というような手段になる。
そうするとコンダクターのアセンブル能力が高いレベルで不可欠。
そういった制約があって、そうしたツアーは、なかなかない。
そういうなかで、コンダクターに丸谷博男さんというのは
まことに贅沢な、いわばハマり役(失礼)を得た企画。
ということで、暖冬の中、都内、といっても
70万㎡キロ、人工80万人という「世田谷区」地域を
集中的にあちこち行脚致しました。
独身の頃、都内での生活体験があるとはいえ、
こんなふうにディープに住宅街である世田谷区を歩くのは
まったくの初体験であります。
巡ってきた住宅・建築は20物件以上に上りました。
そのそれぞれがブログテーマ1件以上に相当する(笑)。
まことに困ってしまうほどの一挙大量情報取得であります。
ということですので、
これからシリーズで、断続的にその模様を記載していきたいと。
今回の写真は、上が隈研吾の「東京農大・食と農の博物館」、
下が前川国男「世田谷区役所・区民ホール」。
で、総歩行距離はいっしょに参加された方の推定で12~13キロ。
わたしはそこからさらに東急・用賀駅にたどりついて
渋谷〜浜松町〜羽田空港〜新千歳空港〜札幌自宅と、
まさに疲労困憊のチョー長距離移動になっておりました(笑)。
移動開始は午前8時から真夜中23:00までです。
しかし建築の魅力というのは、疲れを忘れさせてくれますね。
ここちよい疲労感をたっぷりと味わえた次第であります。
丸谷博男さんに深く感謝致します。
ではでは、明日以降の断続的ブログシリーズに乞うご期待!
Posted on 12月 9th, 2015 by 三木 奎吾
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きのうは東京芸大・千葉工大で教鞭を執る建築家・丸谷博男さん主宰の
「エコハウス研究会」の全国総会に取材参加してきました。
丸谷さんはOMソーラーの創始者・故奥村昭雄東京芸大教授のもとでの
中心的な研究生であり、自宅建設をこのプロジェクトの
実験住宅として提供した情熱系の建築家。
東日本大震災を契機として、OMソーラーの理念をさらに改良発展させた
「そらどまの家」の開発にいま、努力されています。
本来は東京芸大の建築の出自でありながら、
OMソーラーの理念に惹かれて、絵筆を設備工学的手法に変換して
「太陽のエネルギーで生活できる家」という目的に邁進されている。
こうした情熱あふれる姿勢が全国の建築家や工務店の支持を受け
いま、「エコハウス研究会」活動が活発に推進されています。
わたしどもとは、東日本大震災の復興支援活動を通して
発行した「東北の住まい再生」ボランティア情報誌で
この「そらどまの家」をご紹介したことが機縁での交流であります。
きのうはその「エコハウス研究会」の第2回全国総会。
朝1番10時スタートで、16:30まで丸1日の研究発表であります。
そのなかの発表者で東北工業大学の齋藤輝文教授の講演中で
触れられていたのが、表題のテーマであります。
そもそも論に触れるのは、やはり原点的な部分できわめて重要。
わたしもよく講演の機会があるときには、
いくつかの「そもそも」という基本論をお話ししますが、
一般人にも理念をわかりやすく伝えるには、
こういう部分が不可欠なのだと思います。
齋藤先生の講演では、まずはじめに地球温暖化に触れて
そもそも化石エネルギー燃焼によるものは、
地球全体へのエネルギー収支の中でどの程度の割合かと
問いかけられていました。
この答は、0.007%ということで、
全入力中の99.97%は太陽放射であることを説明されていました。
残りの0.03%についても地球それ自身に発する地熱エネルギーが
0.025%と大部分を占めているということ。
一方で「出力」側では、総量の3割が大気や雲、地表から
宇宙空間にそのまま反射される。
残りの7割のうちの51%が地表に吸収され、
大気に16%、雲に3%が吸収されているということ。
こういった巨視的な視点というのは、
どうしてもミクロの論議に振り回されやすい中で
大変貴重な発想の起点、気付きを与えてくれますね。
しばし、アタマのなかで反芻させながら
新鮮な血流感が得られていました(笑)。
まことにありがとうございました。
その他、たくさんの情報を受け止めさせていただいた次第ですが、
整理整頓してから、機会を見ながら情報発信したいと思います。
Posted on 12月 8th, 2015 by 三木 奎吾
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きのうから東京に来ています。
本日から2日間、丸谷真男さんが主宰するエコハウス研究会の
「作品発表会」が行われるので参加する予定です。
その開始時間が早いので、前日に入ったのであります。
ということで、休日の都内、2軒の美術館巡り。
午前中は上野の森美術館で「肉筆浮世絵」展を鑑賞。
こちらの「静嘉堂文庫美術館」には午後に向かった次第であります。
わたしもはじめて来たのですが、
来歴が三菱財閥によるコレクションの展示施設とのこと。
世田谷、二子玉川駅からおよそ1.5kmほどの小高い丘陵上に
この施設とその庭園は存在しています。
いまや都内有数の敷地面積の広大な敷地の中にあり、
やや浮き世離れした佇まい。
近代資本主義日本を牽引した大財閥の余韻が残る施設です。
世田谷の閑静な住宅街のなかということで、
東京都内とは思われないほどの静寂感が支配的。
「沈黙こそがその都市の文化である」と言われている出江寛さんの
言葉通りだということが実感されます。
展示施設の改装工事が終わっての展覧会ということ。
今回の展示は、三菱財閥が日本美術のキモと考えている琳派から
俵屋宗達、尾形光琳、酒井抱一の大作を中心に構成されていました。
宗達の「源氏物語関屋・澪標図屏風」(国宝)がメイン。
国宝は来歴がきちんと証明しうる作品であることが
不可欠な要素になるのですが、わたし的には
その絵に隣接して展示された「四季草花図屏風」に魅了されました。
こちらは、俵屋宗達の京都における工房組織だった「俵屋」が
そのブランドマークとしていた「伊年」と刻された屏風図。
残念ながら、6曲1双でその左隻のみの所有だそうですが
しかし、その華やかさ見事さは、筆舌に尽くしがたい。
きちんと俵屋宗達制作指揮作品と証明されれば、
かれの「風神雷神図屏風」と並び立つ日本絵画の代表になれる、
そんな彩りを放っていました。
さらに酒井抱一の「絵手鑑」と題された全72図の作品も圧巻。
展示ではその一部を順繰りに展示するようですが、
スライドショー動画に編集されたものが見られました。
まことに素晴らしい。すべての構図が完璧です。
琳派そのものが日本的デザイン感覚そのものだと思うのですが、
それがもっとも明瞭な作品ではないかと。
展示数は少なめの美術館ですが、たどりつく道程も含めて
まことに楽しい体験を得られました。
Posted on 12月 7th, 2015 by 三木 奎吾
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先日の十勝大樹での学生コンペ取材の際に
このLIXILによる研究施設の基本建築となった
隈研吾さんの「メーム」を再度、訪れて参りました。
この建物の取材的な報告については、
わたしのこのブログの、2012年6月15日と16日版で詳報しています。
http://kochihen.replan.ne.jp/blog2/?p=6910
http://kochihen.replan.ne.jp/blog2/?p=6900
興味のおありの方は、そちらもごらんください。
で、3年半後の再訪であります。正直に言って
「もう一回、行って見たい」
と思える住宅建築っていうのは、そんなにはありません。
個人的にはほとんど数えるほどであります。
そういうなかに、この「メーム」は入っておりました。
この建物は石油化学製品の皮膜や断熱材で構成されています。
20世紀になって生み出された建材です。
人類が産業革命というプロセスを経て、
化石エネルギーを自由に操って社会を作るようになって
石油という資源によって現代という時代を作ってきた。
こういうことに否定的であるという意見はあるでしょうが、
しかし、もはやわたしたちは間違っても
エネルギーを使わないで済む状況に至ることはないでしょう。
再生可能エネルギーにしろ、原子力にしろ、
それらを合理的に使って、
次世代へのバトンタッチを考えていかなければならない。
一方でわたしたちは、人類進化という時間記憶の中にいる。
その間に生み出されてきた住宅デザインの素器のような
そんな記憶も積層している。
こうしたふたつの根源的な思いのようなものが、
この建物を見たり、触れたりすると感受される。
半透明皮膜によるテントの建築に、
シンプルな人類のくらしのイレモノという初源が想起される。

<写真は、右が隈さんで左が東大副学長の野城さん>
この住宅建築を建ててから、
以降、隈研吾さんと主催者LIXILは、この周辺に学生コンペによる
実験住宅群を実作するという企画を推進してきた。
東日本大震災から1年後に建てられたこの建築から
次世代に向かって、住宅建築がどこに向かうのか、
そんな思惟の旅を展開させようとしているように感じる。
いま、この「メーム」に再度行って見たら、
どうやら前日にでも宿泊した人がいたような
排煙装置付きの囲炉裏への使用痕跡と、やわらかな暖房余熱が
感じられていました。
また、2重皮膜の化成素材越しの半透明の壁天井は
なんとも魅力的な室内を構成していました。
これも化成品であると想像されるテントの骨は、
ちょうど古民家の木材のような力感をもたらせている。
また人間の皮膚に触れる足下には、
大きめの自然繊維素材による畳の表皮が敷き込まれています。
「いごこちのいい家」であることは、間違いがありません。
Posted on 12月 6th, 2015 by 三木 奎吾
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