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吉田五十八・成城五丁目猪俣邸 茶室

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北海道にいると、正調の和風住宅というのはまずめぐりあえない。
日本住宅のデザインとして数寄屋とか、茶室とかは
積雪7m近い北海道札幌では、その華奢な構造がもたない。
また雁行して庭の見え方をより複雑に楽しむかのような
そういった美的鑑賞態度は、北海道人的な気質の中に入り込めなかった。
生活合理性がまずは大前提であり、そこにアメリカの建築デザインが
道庁赤煉瓦庁舎であるとか、時計台などを代表として
一気に入り込み、むしろそういう建築スタイルがクラシックを形成している。
見よう見まねの「擬洋風建築」こそが札幌の住宅建築のベースデザイン。
さらに北海道東部・十勝地方に至っては
木造住宅ではツーバイフォーが6割以上の多数派。
いまや、一般的な住宅からは畳敷きの部屋まで消失してきている。
こういった現実を悲しいものと見るか、
地域の気候風土にマッチさせた叡智ととるかは、見方が分かれる。
わたし自身も、茶室のような日本文化にははるかにリスペクトするけれど、
さりとて、寒いのをガマンして日本の文化性がどうこうと
言い立てられるのは、やや閉口させられる。

しかし、やはりこういう数寄屋は、すばらしい。
この建物は、ご自身も茶人であったという実業家の方が
建築界からの文化勲章受章者・吉田五十八さんに依頼した住宅。
現在は世田谷区が管理して、一般にも開放されているそうです。
以下、Wikipediaからの要旨抜粋。

吉田 五十八(よしだ いそや)
1894年(明治27年)12月19日〜1974年(昭和49年)3月24日)は
昭和期に活躍し、和風の意匠である数寄屋建築を独自に近代化した建築家。
東京生まれ。東京美術学校(東京芸術大学)卒業。
母校で教壇に立ち、多くの後進を育てる。(中略)
1925年、学生時代から心惹かれていたドイツ、オランダの
モダニズム建築を見るため、ヨーロッパ、アメリカを廻った。
この旅行で吉田はモダニズム建築よりも、ヨーロッパ各地に残る
ルネサンス・ゴシック建築といった古典建築の方に強い感銘を受けた。
これが吉田の建築観を大きく変えることになる。
吉田はヨーロッパの古典建築について、その伝統や民族性が
前提にあるからこそ出来得たものであり、日本人である自らには
到底出来得るものではないと考えた。そのことから、日本人である
自らにしか作り得ない建築とは何かを考えるうち、
当時は過去の建築様式でしかなかった数寄屋造の近代化に注目した。

ということだそうです。
確かに大壁が取り入れられたり、暖房などの設備もしつらえられたり
近代的な「快適性」にも配慮がされた建物になっています。
しかしやはり、白眉は2つある茶室でしょう。
とくに本宅にしつらえられた茶室の様子が写真ですが、
<写真は2枚の写真合成ですので、ややいびつさがあります。ご容赦を>
わびた簡素な素材で外部からの光をコントロールする審美感覚は
まさに「日本的」なるものを感じさせます。
しばし、陶然とまどろむ瞬間であります。
う〜〜む、どうやったら高断熱高気密で
こんなニッポンそのもののような空間デザインが可能なのか?
それは見果てぬ夢なんでしょうか。

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