本文へジャンプ

【北海道・樺太の探検地図とその出版/松浦武四郎-9】

 江戸末期以降の近代国家形成過程で北海道は、日本人と日本国家にとってその存亡が掛かった地域だった。はるかな後世の第2次大戦後の社会環境で生きてきたわたしのような人間にとっては、父祖の代の人びとの意識はただ推量するに過ぎな […]

【1855年「日露混在」樺太条約後の幕命調査/松浦武四郎-6】

 きのう個人の探訪としての松浦武四郎の3回にわたる主に北海道島への北方調査記録を見た。1845年から1849年の時期に相当する。1853年の黒船来航の直前期で、世界中の列強諸国がアジア進出の機会をもとめている世界的な動乱 […]

【個人として3回の北方調査行/北海道人・松浦武四郎-5】

 さていよいよ松浦武四郎の北海道との関わりの段。時代相としてはいよいよ欧米世界からの接触が頻繁になってきて、ついに1853年にアメリカ合衆国東インド艦隊司令長官ペリー率いる艦隊が、日本の江戸湾の入り口である浦賀沖に来航す […]

【功成り名遂げた「フーテンの寅さん」?/北海道人・松浦武四郎-4】

 江戸末期、1818年に生まれた松浦武四郎は16歳のとき、ついに江戸への風来坊旅を行う。人生初の旅路。1834年前後ということになる。歴代将軍のなかでも在位50年という家斉の治政の末期(1837年退位)に相当する。この時 […]

【幕末明治期の富豪➡資本家層/北海道人・松浦武四郎-3】

 松浦武四郎の生家は伊勢街道沿いの三重県松阪市の小野江町にあり、庄屋を営む裕福な家であり図のような広大な全国への旅の資金に困ることはなかった。父・時春は庄屋を務めていた。武四郎の兄・佐七が家督を継ぎ基本の生業としては農業 […]

【稚内−樺太航路/戦前期の起点「稚内桟橋駅」】

 責任を一切無視して居座ろうとする権力者をめぐっての参議院選挙後の混乱状況。これは予測不能な事態が発生する可能性も出てきていますね。一方で、わが家2.0の隣地での工事進捗とその伴走的な事態対応などに追われております。こち […]

【戦前と戦後/日本人の意識変容 北海道から樺太】

 「日本列島の最北」というようにわたしたち戦後の日本人は稚内への意識が形成されているけれど、この地で封印されている地域史を実地学習すると、いかにここが樺太開拓と密接に関係した地域であるかがわかってくる。きのうは9人の女子 […]

【国境の街・稚内「氷雪の門」で樺太同胞の記録に祈る】

 札幌から稚内は遠い。わたしは人生時間で札幌から小1時間ほどの空知郡栗沢町から札幌に3歳で移転し、一時期8年の東京在住を経て、その後ずっと札幌暮らし。仕事生活では地域住宅雑誌を刊行し続けてきたけれど、稚内の取材機会はなか […]

【全国統一もできた? 戦国期「大内氏」 世界遺産・石見銀山-3】

 石見銀山の歴史探訪をしていて、その発見譚からその当時の地域政治経済動向について知らねばならなくなる。日本史の学習ではほとんど触れられることがない領域。日本の歴史の「主流」としてはその後の天下統一過程の進展が主で、対明交 […]

【16世紀に発見・開発の背景 世界遺産・石見銀山-2】

 いちばん上の写真は「御取納丁銀」レプリカ。御取納丁銀とは、戦国武将・毛利元就(1497-1571年)が正親町天皇の即位料として献上した丁銀。元就は約180kgを献上したとされ、約160gのものが1100枚。田中貴金属の […]