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Suzukiアルトの乗り心地-2

ただいま、東北出張にきています。といっても、きのう夕方室蘭からフェリーで八戸。
朝3時に着いて温泉につかって休んでから、移動開始。朝10時の秋田市での取材をこなして、その後仙台事務所にきているのです。
ちょっとハード気味のスケジュールですが、繁忙期は日常茶飯です。
で、きのう書いたSuzukiアルトをこっちに持ってくるのが目的でもあるわけです。
Suzukiアルト、すこぶる元気いっぱいに走っておりまして、現在走破距離は800k超。ほとんどが高速走行です。
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秋田の取材ライターさんから、「え、軽でこれから仙台まで?!」って、心配されましたが、違う、北海道から仙台まで走り続けるんです!
ということで、元気いっぱいにきびきび走っているSuzukiアルトです。
写真は、岩手山をバックにしたSuzukiアルト。右は八戸といえばここ、新八温泉。フェリー疲れを癒してくれる終日営業の温泉です。フェリー埠頭から車で10分。フェリー客はチケット見せると800円くらい。
ということで、これから飛行機で札幌に帰ります。
ただいま、仙台空港に到着、なんとか旅程はすべて滑り込みセーフ!
やれやれ、千歳についても汽車にまた乗るんだよね。  ふーっ、ではでは・・・。

Suzukiアルトの乗り心地

閑話休題。BLOGって、もうすこし気軽なテーマで書いた方がいいかも知れませんね。
でも学生の匠事業は、ホントまじめにみんないっしょうけんめいやってるもんで、ついこっちもなるべく多く書かなくっちゃと思ってしまいます。
でもまぁ、きょうは1日休みます。
ウチは札幌と仙台で両方で雑誌発刊中。本拠は札幌ですが東北にはちょこちょこ移動しています。
仙台ではいままでレンタカー借りたりしていましたが、どう計算してみてもいろいろ経費の無駄。ということで、東北を動き回る用の車を調達することにしました。
そこでやってきたのが、こいつ。初めての「軽」、Suzukiアルトです。
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右写真でとなりにあるのがHONDAのFIT。ウチにも4台あるやつですが、車体の大きさはそんなに違わない。
値段はFITのだいたい6掛けくらいかなぁ。新車なんで、すこし高速を走行させた方がエンジンにはいいので、ちょっと時間を見て高速と山登りをさせてみました。
走った感想。・・・けっこういいじゃん、これ。
もちろん、普通車と比べたら走りはイマイチだけれど、いろんなファクターを考え合わせたら、まずまず。
こいつを選ぶときにいちばん気に入ったのが、Suzukiの「軽」ひとすじのまっとうな正直さ。(って、営業トークに単にだまされただけかもしれないですが)
いまどき、窓ガラスが手動回転式、サイドミラー調整も全手動なんて、ありえね〜と思ってましたが、「そういうの付けたら高くなるんです」。 デフォルトでは冬用タイヤもなし。とうぜんワイパーもなし。
ほんとうにシンプルに車両本体だけなんですね、これが。
聞いてるウチに、なんかそういう姿勢が好感もてるなぁ・・・と洗脳されちゃいました。
さきにこういう印象を持ってから車に乗ると、いろいろな邪念が振り払われてくるようで、
必然的に「・・・けっこういいじゃん、これ。」になるものなのかもしれませんね。
車内とフロントビューの広さはこんな感じ。
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べつにSuzukiアルトのコマーシャルじゃありませんので誤解なさらぬように。でもこれをみてSuzukiのひとがうれしがってリプランに広告を出したいっていうのは大歓迎です。(笑)
ということで、中年オヤジのはじめての「軽」体験でした。最後に「毛無峠〜けなしとうげ」からのパノラマビューをごらんください。
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学生の匠より〜4

まだまだ続きます、学生の匠作品紹介。
きょうは北海道芸術デザイン専門学校・ジャッキータイソンチームの準優秀賞作品です。
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この作品では、玄関から入って左手の居間の一部が「内部の庭」にプラン変更されている。壁が開口するのはもちろん、2階床もとりはらって、オープンな半外部的な空間を作り出しています。
そして家の外側は4面とも木製のルーバーで包まれています。
このルーバーからこもれ出る光の柔らかさをインテリア空間の決定的な要素としようというわけです。
居間は2階に変更され、内部の庭とつながった暮らし方が提案されています。
実に多様な提案内容が込められた学生の匠リフォーム。
それぞれに個性が光っていて、じっくり見ていくととても面白い作品ばかり。わたしたちの年代の人間の仕事はこういう若い才能豊かなひとたちの活躍の場をひろげることなんだなぁ、と深く思う次第です。

学生の匠より〜3

学生の匠、応募作の中で、プロ受けしていたのがこの優秀作。
室蘭工業大学 建設システム工学科4年・脇本 英二郎くんの作品です。
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このプランの特徴は、広い居間内部にあらたに斜めの軸線を導入して、外部と調和する半外部的な空間を取り込んでいる点。夫婦二人だけの暮らしを考えたら、スペースは十分すぎるほどであり、その一部を機能変化させることで、建物としても暮らしとしても再活性化、が大きな提案。
また、外部には縦の木格子を2層分にわたって張り、デザイン的にも個性を主張したすまいになっています。
なかなかまとまったプランで、押す声も多かったとお知らせしておきます。
この学生のリフォームの匠事業では、今回はINAXさんが特別協賛していただけまして、キッチン・ユニットバス・洗面セットなど豪華な賞品を無償提供していただいています。 ご厚意に感謝して、この場でお礼申し上げます。

学生の匠より〜2

すごかった!駒大苫小牧! 北海道中が「まさか? !!」の大騒ぎですね!
おめでとう! そしてありがとう!
さて学生の匠より、の第2回。
実施作品になるJRN大賞に輝いたのは、室蘭工業大学 建設システム工学科修士2年・佐々木 祐介君のチーム。
この作品は、この家のリフォームの第一ポイントである「構造」について、その制約を踏まえながら、可能な限り大きく開口部を開けるプランです。構造素地あらわしにしてガラスで被覆させることで南北を大きく開口させ、さらに、おなじくメッシュ状の鋼板をはることで床を吹き抜けのようにもしています。
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大胆で開放的なプランですが、「こんな暮らしがしたい」という点で明確なメッセージ性を持っています。2人だけの家なのにこまごまと部屋割りしてあって、ふさわしくない。それに対して「お互いの存在を常に感じられる分け方」にするというのが大きなポイント。そのためにはシンプルな空間であることが大切ということから、南北方向に大きな開口部を集中させている。「ひとつなぎの家」が設計コンセプト。
実際の「実施プラン」はこれから煮詰めていくことになるので、予算や構造からの詳細な検討が加えられ、このプランのコンセプトを大事にしながら、実施可能なリフォームになっていきます。
現在急ピッチで、学生さんも交えながら詳細プランが打ち合わせされています。この後、9月には工事に着工し、目標としては10月下旬〜11月にはリフォームが完成する予定です。

学生の匠より〜1

先日紹介した「学生の匠」リフォームコンクール応募作品から、そのポイントなどをいくつかご紹介します。
きょうは「優秀賞」を取った北海道職業能力開発大学校・田中洋介さんのチームの作品。
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今回のリフォームのテーマは、建築的には軽量鉄骨造でいわゆる38条認定(建設大臣が特に認めた)工法で建てられた住宅であるということですが、一方で同時に、子育てが終わり、子供がそれぞれに巣立ったあとの「団塊の世代」が、そのあとどのように暮らしていくのか、そのことを器のリフォームを通して建築の側がどんな提案が出来るのか? ということがほんとうの意味でのポイントなんです。
この田中君チームの作品で特徴的なのは、道路に面していた玄関の位置を変更して、いままでの居間・ウッドデッキの場所に移動させることで、仕切られた中庭を作り出した配置計画。
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こうした配置でリフォームすることで、外部から仕切られた庭と、車庫・玄関が一体になった奥行きのあるアプローチという半外部のスペースがふたつ確保されています。
子育てが終わっての夫婦の暮らしをかんがえれば、庭をどう楽しむか、というのは戸建て住宅での暮らしの大きなポイント。その点をこの作品は十分に伝え、よいプランニングでまとめていると言えます。
また2階にも、あえて内部に取り込んだようなデッキスペースを作り出し、できるだけ自然と親しみ、光にあふれるような暮らしを提案しています。
リフォームにはそれぞれちゃんとしたテーマがあります。
建築の側は、それをきちんとユーザーにわかる形で表現するべきだと思います。それが、住宅リフォームがより大きなマーケットを切り開く鍵になると思います。 そんなふうに学生(つくる側)の提案にふれてみると、実は住宅建築って、楽しさがもっとふくらんできます。みなさん、ぜひごらんになってみてください。(現在リプラン社屋2階展示室で一般公開中です)
PS  駒大苫小牧、すごい! えらい!  がんばれ!!

甥の送ってくれたトマト

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真っ赤に実った完熟トマト、おいしくたべています。
よくみると3種類。楕円形のやわらかい味のもの、小粒で酸味の強いもの、大型でまるい中庸のもの。
同じトマトでもいろいろな個性があって、たのしくなる。
これ、6歳上の兄の長男が送ってくれたもの。かれは札幌の大学を去年卒業して、農業を志していまはある農業法人で働いている。3年か5年か、勤めると農業で独立できる道があるのだと聞いた。
日本の社会は戦後一貫して、高度工業化社会を社会のモデルとしてきた。
そのために労働力として地方から大都市圏にかれら若者を吸収してきた。都市の過密と地方の過疎は、戦後のこの基本政策が成功的に貫徹されてきた結果だといえる。
住宅政策でいえば、こうした都市に集中する(させる)人口に対して与える夢として「持ち家」幻想が最大限利用されてきたと言える。そしてそれが発想の根本で「規格大量生産型」の日本独自な「ハウスメーカー」という存在を生み出してもきたのだろう。
日本の歴史の中で、農業をほとんど顧みることがなかった希有な時代だったのだ。個人としての成功とは、都市の中での成功の中にあると、われわれ年代は刷り込まれてきたと思う。
以前デンマークに行ったとき、あの国では農家になるということが大変なステータスで、有能な人間でなければ農業経営者にはなれないシステムだと聞いた。
日本の社会がこれからの時代、どういう方向に進んでいくのか、神ならぬ身が知るよしもない。
でも、現状の社会システムの中でそれでも農業をやってみたいという若者がいることは、まだ未来に、なんかおもしろみを感じることが出来るんじゃないかと感じます。
口の中に、甘み・酸味ないまぜになった、なつかしいトマトの味が広がった。

14年前建てたブロックのわが家

きのう、父がコンクリートブロックでもやしの育成工場を増築した話を書きました。
そのはるかな後年、そんなことはまったく意識していなかったのですが、わたしも現在の自宅をブロックで建てています。
たまたま竣工の時のあいさつで、なにしゃべろうか?  と考えたとき、「あれ、そういえば」とその場でブロックの壁を見ながら思い当たったのでした。
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その当時は、性能面とデザイン面で純粋にコンクリートブロックを選んだのでした。初期の頃の、田中知事が音頭を取っていた頃の工法では、断熱がブロック構造の内部側で行われていました。ですので、気密性が比較的に高くなるブロックでは、室内水分が外部に排出できず、室内結露になっていたのです。
その後、このブロックの家に再度光を当てて、ブロックの外側で断熱し、さらにその外側に2重の外壁をつくることで、まったく次元の違う温熱環境性能を獲得したのが、アーブ建築研究所・圓山彬雄さんと、建築家グループがつくっていた一連の外断熱2重壁コンクリートブロック住宅だったのです。
ブロックなどの石系の素材には蓄熱性能があります。この性能を活かして省エネルギーで輻射熱的にあたたかい室内環境が可能になったのです。
 こんにち、充填断熱よりも施工が簡単だし宣伝にもなるから、と大騒ぎしている「外断熱」派(関東以南地域に多い)のずっと以前に、北海道ではこの建築工法はほぼ確立していました。
建築が導いてくれた縁が、父と自分とのあいだでひとつながりになったような、ふしぎな思いがしたものでした。
建てて14年になりますが、当初11年は事務所兼用住宅として、いまは専用住宅として住んでいます。1年前リフォームしたときに、気密性能を測定したところいま現在建てられている高性能住宅レベルとそうちがわない、約1cm2(平米)でした。(建物の床・壁・天井1m四方あたりに空いている隙間をはかって求める値。よりすくないほうがいい性能。)
適切なメンテナンスと愛着を持って住めば、きっと3世代くらいは使える家だと思います。

50年前のわが家〜2

札幌でのわが家は、毎年のように建物がリフォームで変化していました。
昭和30年に移転して、昭和36年には全面的な建て替えも行いました。そのころには「もやし」が主力商品でしたから、その育成室(むろ、と呼んでいた)の温熱環境コントロールが事業そのものの生命線だったのです。
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写真は製品加工場として使っていた玄関正面のひろい土間ですが、育成室はこの左手奥になります。
当時の最新建築工法である「コンクリートブロック」工法を採用して、寒冷地建築としての基本要件、「気密化」をすることで、もやし育成に必要な「安定した温暖な室内環境」を実現したかったのです。
こんにちも基本は変わらないでしょうが、もやし育成には、ちょうど熱帯のような室内気候条件が不可欠なのです。
必要とする大量の温水は北ガスに勤務していた伯父のアドバイスとあっせんで、「コークス」を使用して火力の強いボイラーを使っていました。また、育成室の暖房には「練炭」を採用していました。
この練炭というのは、直径で12〜3センチの円筒形でくりぬくように空洞が何本か開けられていました。
火持ちがよいので長時間火力が持続できるし、発生する二酸化炭素が、植物であるもやしにはよかったのだと思います。
しかし、冬期などなかなか商品のできばえには好不調があり、この育成室内でもやしの様子を、夜通し父は見ていました・・・。この過酷な空気環境が父の肺をむしばむ結果となりました。
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北海道に大量に存在する火山灰を加工成形したコンクリートブロック建築は、当時の知事が先頭に立って地域に適した建築として推奨し、地域の住宅作り運動となっていました。そのことで政治家である人(田中知事さん)が日本建築学会賞を受けるというほどだったのです。
しかし残念ながら、この工法は断熱の方法で致命的な誤りがあって結露の発生をまねき、北海道の住宅建築のメインからは、ほどなく退場していくこととなります。
こどもながらに、父と建築業者さんとの工場建築についての真剣そのもののやりとりの様子が、いまも耳に残っています。

50年前、札幌に移住したわが家

お盆なので、先祖のことを思いながら、昔の家のことを。
きのう書いたように大正の末に北海道に移住した三木家は、代がわたしの父に代わり、祖母が栗沢で亡くなったのを機会に札幌に移転し、父がそれまで取り組んでいた農業を廃業して、食品製造業を営むことになります。
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3歳で引っ越してきたわたしにとって、生家と思える印象があるのはこの家。
いまから50年ほど前で、現在の札幌市中央区北3条西11丁目、北東角地の60坪の敷地に建っていた木造住宅。その当時札幌で手広く不動産業を営んでいた、「木下藤吉」〜たぶん一種の屋号でしょうね〜から、建て売り60万円で購入したのだそうです。
外壁は、当時札幌の景観を表していた下見板張り。玄関が大きく開口して、商売に適していると判断したのでしょう。
大きな玄関から奥は広い土間、右側に居間・台所がその奥。居間には道路に沿って出窓があったのが特徴です。出窓の下側は収納に利用できて便利だった記憶がある。何回か、というかいつもリフォームしていたような家で、使い方も変わっていたから定かな間取りは不明。
でもこの写真を見ていると、実にさまざまなことが思い出されてたまらなく懐かしい。
父母がいまのわたしよりも若く、仕事と子育てにわれをわすれていた日々が、その意味合いがようやくわかってくる年代になったのでしょうね。
この家で納豆作りや、もやし作りに取り組んだのですが、よりあたたかい環境を必要とする食品工場の増改築のたびに、いまでいえば断熱の新技術をつねに取り入れていたようで、ごく初期のコンクリートブロック造もやっていました。
これは、無意識とはいえ、木造でなかなか実現しない気密化を石造で、と考えたからのようです。
北海道では、こんなふうに一般の人たちも、「よりあたたかい室内環境」について、それこそ真剣に考え、悩んできたんです。こうした積み重ねがこんにちに受け継がれてきたといえるのです。           <この項、つづく>