本文へジャンプ

松前藩がやっていたこと

7769.jpg
わたしが小さいころは、なぜか、無人島のような場所で、
友人たちとそこをパラダイスにする開拓計画を行うことを夢想していた。
なぜそんな夢想をしていたのか、
自分でもよくわからなかったけれど、
北海道ということと、札幌という街にそういった気風があったのかも知れないと、
最近は思うようになってきました。
何もないところから、知恵と工夫で自分たちの暮らしを豊かにしていくことが
社会的な目指している方向だったと思える。
物心ついたときに住んでいた札幌の建売の中古商家住宅での起居のなかに
そういう先人たちの思いが宿っていたのかも知れない。
まぁ、いずれにしても、北海道の明治以降は
開拓の歴史だったわけで、それは日本民族にとって、
壮大な実験だったわけですね。
そのためにのちに総理大臣を務める薩摩藩保守本流の黒田清隆という政治家が
開拓施策の基本として、ケプロンという農務長官を
アメリカからスカウトしてきて、建白書をまとめさせた。
そういう方針の中で、さまざまな開拓努力が重ねられていったのですね。
そういう雰囲気の中でわたし自身も育ってきたのだろうと思うのです。
だから、そんな夢想にも、こうした背景を感じるようになってくるのですね。
で、一方で明治以降の開拓の中で、
まったくその痕跡を認められないのが、松前藩の存在。
きのうのブログでも、ずいぶん否定的に書いたのですが、
かれらは、この北海道のために、一体何をしていたのだろうか、
と、深く思わざるを得ないのです。
写真は、松前の街に建てられた実物大ジオラマともいえるもののなかの
「沖の口奉行所」での藩役人の様子。
ようするに北海道島の住人であるアイヌとの交易の窓口として、
その貿易産品に対して税を取り立てる活動痕跡なわけです。
本州地域から北方交易に来る船頭たちの積み荷をチェックし、
その交易に対して、藩は干渉するのが役割だった。
で、江戸期を通じてそれ以上の想像力を持たなかったのですね、300年間。
この写真のように偉そうにふんぞり返って商人から巻き上げ続けてきた。
ほかの藩が、必死になって殖産興業を計っていたというのに、
この藩だけは、そういう痕跡が認められない。
ちょっとまともな考え方があれば、函館平野を開拓し、
畑作農業でも興し、たとえば大豆など寒冷地に適した特産品を開拓でも
するべきではなかったのか。
逆になぜ、そういう発想が出てこなかったのか、
そっちのほうが、より研究に値するのではないかとも思えます。
どうも、わたしは松前氏については、
どうしても肯定的な見方が出来ない部分があって、
意地の悪い見方ばかりになってしまいます。
事実は、もう少しまともな存在だったのでしょうか。
まぁ、北海道の歴史において、まったく意味のない時間が
かれらによって固定化されていたと思う部分が大きいのです。
北のくらしデザインセンター
NPO住宅クレーム110番|イザというときに役立つ 住まいのQ&A
北海道・東北の住宅雑誌[Replan(リプラン)]|家づくり・住まいの相談・会社選び

松前と北海道史

7751.jpg
松前は、札幌から遠い。
先日、用があって道南を訪れた折、
やや迂回して、一度は行ってみたかった松前を目指したのです。
カーナビでは、札幌から最短距離で350km以上ある。
中山峠を南下して、洞爺湖をまっすぐ目指して、
途中から豊浦付近で高速に乗って、
八雲で高速を降りたら、日本海側の熊石に抜けて、そこから一路
日本海岸道路を南下するのだけれど、
江差・上ノ国を通り過ぎたら、あとはほとんど集落はまばら。
うねりつつ続く海岸線の道路を走り続けるのは辛い。
そんな先に、ようやく松前はある。
一方で、函館までも約100kmの距離。
地理的な位置関係を見てみれば、確かに本州から海路を取って
もっとも距離は短かそうだけれど、
北海道全域、島としての北海道の全貌を把握する地理的な環境にはない。
しかも、猫の額のような海岸線の平地に張り付くように
城が建っているけれど、後背は険しい山岳地帯がそびえ立っている。
この地に、松前氏という藩権力が存在していたのだけれど、
いかにも、その想像力のなさにはあきれざるを得ない。
江戸期でも、幕府が北海道全域に対して測量したり、
アイヌの人々に対して、いたわりのある政策を直接支配地で試みたりしているけれど、
松前氏には金輪際、そういう発想はなかった。
ただひたすら、アイヌに対して恐怖し、交易でかれらを搾取することしか、
考えが浮かばなかった、無駄な時間を過ごし続けていた。
この地を初めて訪ね歩いてみて、そう思わざるを得なかった。
もう少し発展的な考えを持つ権力であれば、
当然その首府は、函館にしたであろうし、
農耕は米作には適さなかったまでも、畑作など、試みるに違いない。
そうではなく、幕末に至るまで、
ただひたすら、アイヌからの襲撃を恐怖し、
このひたすらに防御的な場所にしがみつづけてきた。
幕末期、榎本武揚軍が松前になんの価値も見いださず、
また、無視して函館に五稜郭を造営して本拠地として
「蝦夷共和国」を計画していたことから比較して、
300年間、なんの「施政方針」も持たなかったこの藩というのは
この島の歴史にとって、どういう価値と意味を持っていたのか、
どうにもやりきれないような思いを抱く。
松前氏は、その出自において、奥州藤原氏とのつながりも濃厚な安倍氏を出自に持つが、
途中、戦国期前後に家臣であった蠣崎氏が
乗っ取る形で、権力を簒奪している。
このとき、実質的に権力を握る過程では、どうもアイヌの有力者たちを
だまして、殺害するような手段で権力を握ったのではないかと推定されるのですね。
その後の、ひたすらにただただ、防御的なかれらの姿勢を見ると、
どうも、そのような想像をかき立てる気がします。
なんにせよ、この北海道の土地利用とか、開発というような部分では、
かれらはほとんどなんの役にも立っていない。
権力というものの意味を深く考えさせられる松前訪問でした。
北のくらしデザインセンター
NPO住宅クレーム110番|イザというときに役立つ 住まいのQ&A
北海道・東北の住宅雑誌[Replan(リプラン)]|家づくり・住まいの相談・会社選び

竪穴住居の軸組

7750.jpg
先日訪問してきた、大船遺跡にあった竪穴住居。
津軽海峡をはさんで対岸地域の三内丸山と同質の文化といわれる。
いろいろな竪穴住居を見学しますが、
ここのように軸組のまま、というのも珍しい。
三内丸山では、クリが栽培され、どうも主食に近いような扱いだったと思われている。
で、軸組に使われた樹種もクリのようなんですね。
屋根は、後の世の「入母屋」のようである。
出入り口は右側にあるようで、屋根も架けられている。
このあたりは、想像で復元を行っているものか
まぁ、柱跡は特定可能だろうから、
それがわかれば、外観的な特徴点を類推することは可能と思う。
こういう軸組を見ていると、
やはり、木組みの美しさに心が反応してくる。
左側は入り口側から内部を見下ろしたところ。
掘り込みが結構深くて、1.5mくらいはあると思われました。
この深さは、実際の竪穴の地層変化で明確だろうから
間違いはないと思われる。
ここまで深く掘られていれば、この家はかなり暖かいと思う。
また、入母屋が事実この通りだとすれば
囲炉裏からの煙の道もかなり明確と思われ、
住宅の外形的な性能、住み心地はそう悪くはなかったように思われます。
大船は北海道でも比較的温暖な地域であり、
海の幸とともに、後背の山地からは山の幸も恵み豊か。
現代でも、隣町は温泉で有名な鹿部町であり、
別荘分譲地が盛んに開発されるような地域なので、
やっぱり、いろいろ想像してみても居住環境はそう悪くはない。
さて、本日からか、明日からか、
世間的にはお盆休みに入ってくると思います。
しかし、きのうはどっさりと休暇中の「宿題」作業が山盛りに。
まぁ、若くもないので、行楽という予定もないし、
のんびりと楽しく(笑)、片付けることにしたいと思います。
ふ〜〜〜、やれやれ。
北のくらしデザインセンター
NPO住宅クレーム110番|イザというときに役立つ 住まいのQ&A
北海道・東北の住宅雑誌[Replan(リプラン)]|家づくり・住まいの相談・会社選び

築地市場

7766.jpg
先般の東京出張の折、
寄る年波で、朝の散歩が日課になっているのを幸い、
ホテルから2kmくらいだったので、築地の朝市に行ってきました。
北海道でも、札幌中央市場などがあって
活気はあるのですが、やはり日本一の活気というものに触れたくなります。
わたしは実家が食品製造の仕事をしていた関係で
中央市場にもほど近く、肌合いが親しく感じられる部分がある。
北海道の漁業関係の方に聞いても、
「ほんとうにうまいものは、全部築地に運ぶんだわ」
ってよく言われます。
オホーツクの新鮮な海の幸も最上品はまず、築地に朝一番で空輸される。
女満別空港はじめ、北海道の飛行場の大きな輸送品は
海産物なのではないかと思います。
で、そういった全国で獲れた最上品がここに集まる。
ちょっと、市場の方と話せる機会もあったのですが、
「北海道からなら、なんぼでもうまいものあるしょ」
「いやいや、本当の旨いものは全部、ここにくるってね」
「あはは、まぁ、そっかなぁ」
っていうような次第なんですね。
ちょうど、まぐろの競り場は一般入場者も特別な場所に入れる。
真っ白に冷凍庫から出てきたまぐろが魚体を並べている。
尻尾のあたりは、すこし切り身が開けられていて、
中身の確認もできるようになっている。
整然と並んでいて、その間を活気に満ちた市場関係者が歩き回る様は
まさに壮観な感じがいたします。
見学に来ている人は、さまざまなんですが、
まぁ、外国人の方が7割以上でしょうか。
こういうところまで、それも早朝5時前から並んで、
ここまでくるのですから、本当にディープに日本を楽しんでいる。
わたしも8年ほど、東京にいたけれど、
ここまで来たのは、今回が初めて。
という次第でしたが、まぁ、さすがは日本一の大市場。
広大な敷地が一杯に埋め尽くされるように、
全国各地の旬のさかなで満たされておりました。
圧倒されて空腹が一気に襲ってきて、
やむなく、市場場外の朝定食屋さんで刺身の定食で朝食。
まさにディープな見学をお腹いっぱい楽しめました。
北のくらしデザインセンター
NPO住宅クレーム110番|イザというときに役立つ 住まいのQ&A
北海道・東北の住宅雑誌[Replan(リプラン)]|家づくり・住まいの相談・会社選び

長期優良住宅セミナー

7765.jpg
先週金曜日、全国のトップを切って
昨年から開始された「長期優良住宅先導的モデル事業」の
セミナーが札幌で開かれました。
このセミナーは全国のほかの地域では、受け皿は国交省の現地窓口が
担当しているそうですが、北海道では
地方自治体の北海道が担当して開催したのだそうです。
当日は、事業の応募申請の評価委員会の会長を務められている
京都大学名誉教授の巽 和夫氏や
東京大学大学院教授の松村秀一氏、さらに国交省住宅局の石坂聡氏が参加されました。
地元北海道からは、コーディネーターとして
藤女子大学の大垣直明氏、北総研の福島明部長、提案者として
北方型ECOの川村隆氏、北海道R住宅の志田真郷氏が参加されました。
って、参加者の名前を記載するだけで
こんなに行数がかかるとは思わなかった(笑)。
そうですね、国がからんだセミナーなので、すごいメンバーなんですね。
まぁ、初めてこの長期優良住宅法についての開示セミナーなので、
取り組みが本格的なものになっていたのでしょう。
今後、全国で開催されていくことになります。
しかし、まずは北海道で開催されたというのは、
わたしたち、北海道の住宅関係のものにとってはうれしいお話しです。
セミナーと言うことですが、
最初に国側の、巽先生の基調講演、松村先生の審査講評、
国交省・石坂さんの国交省の今後の制作施策の方向性のお話しなどを受けて、
後半は、参加者全員によるパネルディスカッション形式で進行。
この手のセミナーとしては、異例とも言える(笑)面白さで、
とくに後半のディスカッションでは、
かなり、本音部分に肉薄してくるような展開がありました。
リプランでは、巽先生の単独インタビューも実現していますので、
次号9月発売号で組む特集部分で内容を掲載したいと考えています。
この長期優良住宅というものが、ほんとうの意味で
住宅ユーザー・国民の住生活を豊かなものにしていくように、
みんなが、制度をしっかり論議して、
よりよいものにしていくことが必要だと感じています。
住宅雑誌・リプランとしても、大いにそのような論議のきっかけを
読者に提供していきたいと思います。
地方と国との対話、という意味でも、
今回のセミナーはたいへん有意義なものだったと思います。
とくに、来ていただいた巽先生・松村先生・石坂さんには
かなり本音の部分も語っていただけたこと、感謝したいと思います。
北のくらしデザインセンター
NPO住宅クレーム110番|イザというときに役立つ 住まいのQ&A
北海道・東北の住宅雑誌[Replan(リプラン)]|家づくり・住まいの相談・会社選び

明治初期和風住宅の採暖文化

7747.jpg
きのうは北海道で古民家を探求している武部建設さんが
厚真町で復元した住宅見学と、周囲の遺跡発掘現場探訪ツアーが組まれていた。
でも、メールでのご案内だけだったので、
確認していませんで、当日になって「行きませんか」と
お誘いを受けたのですが、
すでに午後一番での約束があり、参加できませんでした。
う〜〜む、なんとも残念なことをした。
前からわかっていれば、なんとか調整したのですが・・・。
っていうことですが、
わたしのブログを見ていただいて、こういうことには
連絡を入れた方がいいと思われるのはうれしい。
わたしの古民家・遺跡探訪好みが多くのひとに知れ渡ってきているなぁと
ひとりごちしておりました。
厚真というところはアイヌの聖地、二風谷にも近く、
明治以前の北海道島では、多くの人々が暮らしていた生活適地。
どういう遺跡発掘になるのか、興味もそそられた次第です。
こんど、じっくり探訪してみたいと考えています。
写真は、北海道日本海側・増毛の「本間家住宅」居間にあった装置。
最初、茶の装置かと思っていたのですが、
よく説明を聞いたら、これはいろりの小型版で、暖房装置なのだと言うこと。
北海道では、明治になって外国人技術者などが
政府からの委託を受けてさまざまな仕事に従事し、
各地で「洋風住宅」を建設しました。
そのときに、ガラスとストーブ、という装置が日本に導入されたのです。
で、暖房機はあっというまにストーブが普及するわけですが、
一方で、和風住宅の方では、温暖地文化のいろりが主流だったのでしょう。
ただし、この写真のように鋳物で造形するようなことも行われていたのですね。
しかし、火力や暖房効率という側面から考えれば、
まぁ、湯たんぽとそう変わらないレベル。
半畳ほどの面積のなかの火を見ながら、
背中を丸めて「暖を取る」ということだったのでしょう。
一方で、洋風住宅のストーブ暖房空間では、
のびのびと体を伸ばして、活発な室内生活を楽しんでいた。
まぁ、水が高きから低きに流れるように、
この写真のような装置は、ストーブに圧倒されていく運命だったのでしょう。
温暖地での採暖文化と、寒冷地での「暖房文化」。
わたしたち北海道が、日本文化に対してなにごとかの役割を果たしていくとすれば、
この暖房の文化を、日本の省エネを進める基本要素として
本州地域に対してアピールしていくことではないか、と
思われてなりません。
北のくらしデザインセンター
NPO住宅クレーム110番|イザというときに役立つ 住まいのQ&A
北海道・東北の住宅雑誌[Replan(リプラン)]|家づくり・住まいの相談・会社選び

古代米、食べてみた

7759.jpg
先日行った「歴史民俗博物館」。朝一番に行って
3時過ぎまでいたのですが、そうすると食事時間にかかってくる。
なので、早めにレストランに行ったら、
定番的な「トンカツ定食」にひと工夫で、
お米が、なんと「古代米」を使用している、というもの。
ムクムクと歴史好きのほかの、お料理好き、
食べ物好きの部分を刺激されてしまいました(笑)。
古代米って、まぁ、何となく聞いたことはあるけれど、
どんなものか、まったく知識はない。
っていうことで、お出ましになったのがこちら。
わたし自身は、こういうことへの関心はあまりない方で、
お米は、古米でもなんでもおいしい、炊き方でおいしくなる、っていう考えですが、
やはり、黒いとか、赤いとかいわれると興味が湧く。
Wikipediaで見てみると、
古代米(こだいまい)とは、米の品種のうち、「古代から栽培していた品種」「古代の野生種の形質を残した品種」として標榜されるものを指す言葉である。
健康ブームに乗って、もっぱら販売上の宣伝文句として使用された用語であるため、古代米に属する品種の範囲は必ずしも明確でない。赤米・黒米・緑米のような色素米に限定して指すこともあり、香米を含めることもあり、また丈が高い・ノギが尖っているなど野生種的な形質を持つ品種まで大雑把に含めることもある。日本の在来品種や外来品種も流通しているが、1989年に農林水産省が音頭をとって推進した「スーパーライス計画」以降各地の農業試験場で生み出された育成品種も多い。
赤米に含まれるタンニン系の色素、黒米に含まれるアントシアニン系の色素、緑米に含まれるクロロフィル系の色素が健康に良いとして標榜される。さらに黒米はビタミンCや、銅・亜鉛・マンガン等のミネラルを多く含むためますます健康に良いと標榜される。香米には目立った効能は発見されていない。
健康ブームにより注目を集め、全国で古代米の栽培が進んでおり中には町おこし村おこしの一環として進められている地域もある。「古代へのロマン」が一番のセールスポイントとなるため、歴史的な遺跡などの観光地のある地域との親和性が高い。(一部中略)
っていうような記述がありました。
そうなのか、健康ブームにあやかっているのか、というのも初耳(笑)。
まぁ、食べてみたら、少し、雑穀風の味わいもかすかに(笑)、感じられる。
混ぜ御飯みたいな感じでしたね。
聞いたら、黒米に白米を混ぜて炊きあげたものだそうなので、
ふむふむなるほどと、思えましたね。
なにより、最後のくだりなど、この施設で食べる料理としては
まさに話のタネにはなる仕掛け(笑)。
トンカツの方も、ソースは大根おろしとしょうゆベースのようなもので、
こっちも、民俗、を思わせてなかなかにおいしかったでした。
北のくらしデザインセンター
NPO住宅クレーム110番|イザというときに役立つ 住まいのQ&A
北海道・東北の住宅雑誌[Replan(リプラン)]|家づくり・住まいの相談・会社選び

2×8の住宅

7755.jpg
先日函館に行ったときに見学した山之内建設さんのモデルハウス。
構造が2×8材を使用しているという重厚な壁厚。
それだけでも18cmくらいの厚さがあるので、
その内部に充填できる断熱材の厚みは通常の倍近い。
その外側にさらに板状断熱材を「付加」断熱している、という構成。
Q値で、0.6くらいのレベルを目指していると言うこと。
これくらいの断熱レベルになると、必要な熱エネルギーは
最小レベルに近づく。
実際問題として、日常の煮炊きのエネルギーや、照明や人体からの発生熱などが
無視できないレベルになってくる。
熱環境性能を極限的に追求している姿勢を感じます。
一方、左側はそのインテリアの様子。
ドアというか、建具のない入り口になっています。
室内の温度差を作らないように建具による遮断を避けながら、
それをデザイン的にさりげなく演出する工夫と思いました。
各隅角部についてはアールの処理が施されていて、
室内の照明が柔らかい印象になるように仕上げられています。
さて、本日は「長期優良住宅先導的モデル事業」のセミナーが開かれます。
選考委員会の会長である京大の巽教授などが参加されるもの。
先日は単独インタビューを受けていただいたりしましたが、
あらためて、お話を伺いたいと思っています。
北海道の目指してきた高断熱高気密の技術が
全国に向かって大きくアピールしていくのに、
この国の施策は大きな意味を持ってくると思われるのです。
省エネ・省CO2のための基本技術として、
北海道が培ってきた地域に根ざした基本技術が大きな時代的な要請に
応えられるものとして認定されていくように、大いに仕掛けていきたいと考えます。
北のくらしデザインセンター
NPO住宅クレーム110番|イザというときに役立つ 住まいのQ&A
北海道・東北の住宅雑誌[Replan(リプラン)]|家づくり・住まいの相談・会社選び

江戸初期の造園

7764.jpg
写真は、先日書いた「皇居東御苑」内の造園の様子です。
江戸初期には兼六園とか、水戸の偕楽園とか
後世に残っていく、名庭園が盛んに造園されていますね。
以前にも、浜離宮についても触れたことがあります。
この江戸城内の造園は、そういった「大名庭園」の流れの中に位置するのでしょうね。
戦国期から江戸初期に掛けては、
盛んな軍事的要請からの土木技術の進展が大きかったのだろうと思っています。
秀吉の出自自体、そういった土木技術の世界をかいま見せる気がします。
墨俣の一夜城などといった故実は、まさにそういう技術の様子を伝えています。
秀吉の中国地方征服過程では、たくさんの土木工事が行われていますね。
播州三木城や、高松城の水没作戦などに象徴されるもの。
たぶん、秀吉というネットワークの中に、こういう土木技術の世界が繋がっていた。
それまでの戦争概念とは一変する土木技術による勝利。
秀吉が織田家のなかでの地位が向上して、軍事予算を自由に裁量できるようになって
こういう作戦が目立つようになる。
まことに軍事が産業の進化を促すのは、鉄砲と鍛冶技術など
枚挙にいとまがありませんが、この戦国の時代に
日本では、巨大に土木技術が隆盛したのでしょう。
で、たぶん、そうした技術で成り立っていた経済構造があり、
それが平和な時代になって、軍事目的から平和目的に変化せざるを得ない時代になって
ひとつの「救済的公共事業」として、
この写真のような公共的庭園が築かれたのではないでしょうか。
まぁ、ちょっと想像力が飛躍しすぎかなぁ(笑)。
現代でも、たとえばアメリカの軍需産業とNASAとの関係であるとか、
そのNASAの規模縮小と、その後の金融技術との関係とか、
このあたりの経済と軍事、政治の結びつきの強さというのは
人の世に切っても切れない関係のような気がするのですね(笑)。
写真は、見立ての滝から水が池に注いでいく側から
見返しているところです。
城内には、日本人よりも圧倒的に海外の方が多くて、
ほとんど日本語を耳にしませんでした。
東京都心に、こういう人工的な自然空間がぽっかりと存在していて、
しかも、それは日本的公の空間であるということ。
いわゆる「パブリック」とはいえない、あいまいな領域であるというあたり、
不思議の国、ニッポンを感じていただくにはピッタリとも言えましょう。
北のくらしデザインセンター
NPO住宅クレーム110番|イザというときに役立つ 住まいのQ&A
北海道・東北の住宅雑誌[Replan(リプラン)]|家づくり・住まいの相談・会社選び

縄文の食料保存方法

7763.jpg
ジオラマなどで展示される情報って、
言葉になっていないけれど、より雄弁にいろいろなことを伝えてくれるもの。
写真は、国立歴史民俗博物館での三内丸山遺跡の様子を伝える一部。
何回か訪れると、実に詳細な情報を得ることができるなぁと思ったひとこまです。
っていうのは、なにげない状況説明ですが、
この時代の知恵としての食料保存の方法について、
この一枚の写真は貴重だからです。
食料の保存って、いろいろな人間の知恵の中でも
極限的に基本的な部分だと思います。
現代生活のなかでの「冷蔵庫」って、
わたしたちの生きている基本的構成要素に属することですが、
こういうことに手段が進化していない時代、
どのような知恵が働いてきたのか、
そういうことを証立ててくれるのがこういうジオラマ。
なにげに見ていたけれど、初めてまざまざと見入った次第です。
ここでは、地面に穴を掘ってなかに植物を編んで作った容器に入れた
穀物とおぼしき食料を中に貯蔵しています。
周囲には木材が置いてあって、たぶん、作業後、
木を組んで屋根を掛けて、穴を保護するのだろうなぁと推測されます。
こうすれば、大体、その地域での年平均気温程度の「涼房」環境が得られるでしょう。
北海道札幌のそれは、現代で約8度。仙台は12度。
ここは青森なので、10度前後だろうと思われます。
乾燥させてから保存していく環境としては
まぁ、悪くはないというか、良い環境が維持されていると言えるでしょう。
冷蔵庫のない時代と考えれば、人間の知恵のこの時代での極限点でもありそう。
ただし、この情報だけでは、
たとえば、ネズミの食害に対しては、どうするのか、
よくわからない部分もありますね。
しかし、そういうように情報を推測し、またそこから分析を深めるよすがにはなっている。
やはり何回か、足を運んで見てみると言うことは
実にさまざまな重層的情報を得ることに繋がります。
昔もやはり、人間の知恵には、驚くほど共通性を感じます。
北のくらしデザインセンター
NPO住宅クレーム110番|イザというときに役立つ 住まいのQ&A
北海道・東北の住宅雑誌[Replan(リプラン)]|家づくり・住まいの相談・会社選び