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明治初期和風住宅の採暖文化

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きのうは北海道で古民家を探求している武部建設さんが
厚真町で復元した住宅見学と、周囲の遺跡発掘現場探訪ツアーが組まれていた。
でも、メールでのご案内だけだったので、
確認していませんで、当日になって「行きませんか」と
お誘いを受けたのですが、
すでに午後一番での約束があり、参加できませんでした。
う〜〜む、なんとも残念なことをした。
前からわかっていれば、なんとか調整したのですが・・・。
っていうことですが、
わたしのブログを見ていただいて、こういうことには
連絡を入れた方がいいと思われるのはうれしい。
わたしの古民家・遺跡探訪好みが多くのひとに知れ渡ってきているなぁと
ひとりごちしておりました。
厚真というところはアイヌの聖地、二風谷にも近く、
明治以前の北海道島では、多くの人々が暮らしていた生活適地。
どういう遺跡発掘になるのか、興味もそそられた次第です。
こんど、じっくり探訪してみたいと考えています。
写真は、北海道日本海側・増毛の「本間家住宅」居間にあった装置。
最初、茶の装置かと思っていたのですが、
よく説明を聞いたら、これはいろりの小型版で、暖房装置なのだと言うこと。
北海道では、明治になって外国人技術者などが
政府からの委託を受けてさまざまな仕事に従事し、
各地で「洋風住宅」を建設しました。
そのときに、ガラスとストーブ、という装置が日本に導入されたのです。
で、暖房機はあっというまにストーブが普及するわけですが、
一方で、和風住宅の方では、温暖地文化のいろりが主流だったのでしょう。
ただし、この写真のように鋳物で造形するようなことも行われていたのですね。
しかし、火力や暖房効率という側面から考えれば、
まぁ、湯たんぽとそう変わらないレベル。
半畳ほどの面積のなかの火を見ながら、
背中を丸めて「暖を取る」ということだったのでしょう。
一方で、洋風住宅のストーブ暖房空間では、
のびのびと体を伸ばして、活発な室内生活を楽しんでいた。
まぁ、水が高きから低きに流れるように、
この写真のような装置は、ストーブに圧倒されていく運命だったのでしょう。
温暖地での採暖文化と、寒冷地での「暖房文化」。
わたしたち北海道が、日本文化に対してなにごとかの役割を果たしていくとすれば、
この暖房の文化を、日本の省エネを進める基本要素として
本州地域に対してアピールしていくことではないか、と
思われてなりません。
北のくらしデザインセンター
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