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部屋と、ひとの生きざま

1476

「あまちゃん」をNHKオンデマンドの会員になって
再度、見直しております(笑)。
やっぱり、このドラマ、たいへん重層的で、てんこ盛りにテーマがあって、
見返してみると、いろいろなテーマが再発見できて面白い。
きのう、野田秀樹さんが作・構成・演出された
勘九郎の新作歌舞伎の映画を見てきましたが、
ぎっしりと役者の体技も含めてネタてんこ盛りというのは
最近のシナリオライターさんたちの特徴なのでしょうか。
クドカンさんのこの作品まで、あんまり注目もしていなかったので
テレビや映画、舞台なんて、ほとんど触れる機会がなかったものが、
この番組をきっかけにして、一気に入ってきております。
まぁ、相当に時代とズレがあるなぁ・・・(笑)。

で、「あまちゃん」の重要な舞台装置として
キョンキョンの演じた母親・春子の「部屋」というものがあります。
アイドル、というサブカルチャーともいえないものが、
その時代の青春にとってどんなものであったのか、
そんな「空気感」を一気に伝播する異空間装置になっていた。
最初は、祖母の夏ばっぱが、最愛の娘・春子の青春をそのままに
永久保存していたその部屋に、
これまた宝石のように大切な孫娘が、忍び込む。
そのことをめぐって、3代の女たちの葛藤が繰り広げられていくのだけれど、
物語は、そこに一度も夏ばっぱを登場はさせなかった。
しかし、家出していった娘の青春そのもの、
それも自分の価値観とはまったく異質なものに惹かれていった反抗的な娘の
その青春のかたちを、そのままにしておきたかった、
いつか、この部屋に帰ってきたときの娘のこころをおもんばかっていたに違いない
そういった「背景としての」構図も見えてきて、
語っていないドラマの部分がいかに大きいのか、と思い至る。
わたし自身も、似たような邂逅を経験していて
自分の中学・高校時代のあれこれの断片的なものを、母が死んだ当時に
家のなかを整理しながら、発見したことがある。
それはタイムカプセルのように、違う時間を見させてくれた。
そしてそれを大切に保持し続けてきたひとの、母親の思いも同時に伝わってくる。

住宅という分野の仕事に携わっているワケだけれど、
結局、こういった「ひとの痕跡」というものの持つ、人間くささ、
そのなにがしかを、求めているのかも知れない。
ひとは、一期一会を生きている。
部屋の雰囲気、というものを、ふと思い起こさせてくれて、
立ち止まって思索が展開してしまったのです。
思わず想像力が刺激されて、
カミさんの独身時代の部屋と、娘がいま、ひとり暮らしをしている部屋と、
そのとき感じた感覚が、ふっと、ひとつながりの感覚で意識されて
ちょっと不思議な感覚を持った次第です。

<写真は、恥ずかしながら、わたしの書斎机の写真であります(笑)>

日本列島での木造の歴史って?

1466

ことしはじめて白川郷や飛騨高山を見学して来ました。
長年の懸案だったので、大きな余韻に包まれております。
で、一番考えたのが、表題のようなことです。
飛騨の工〜たくみ〜という言葉は、
律令国家体制が全国に施行されていった時期において、
飛騨地方は税として納めるべきコメや農業生産物に乏しかったので、
その代替として、建築技術を持つ人々を10戸に1人の割合で
「首都建設」のために労役に差し出した、というのがきっかけだったとされています。
その結果、奈良の巨大建築群が造営され、その事跡に於いて
名工の集団であると日本国家社会で大いに名を上げたということ。
農業生産が活発ではなく、木造技術は栄えていた。
ということは、どういうことを表しているのだろうか、と想像力が膨らんでいきますね。
で、その前の大型木造建築というように考えると、
出雲大社であるとか、三内丸山であるとか、が浮かんできます。
三内丸山は明瞭に5000〜6000年前というように時代特定されている。
出雲大社は、神話と現実の領域の境界がハッキリしていない。
そうすると、奈良と三内丸山が巨大木造で線が繋がる。
三内丸山は、縄文人たちの構築した巨大木造遺構。
縄文人は、海での漁労や動物の狩猟と同時に
クリのDNAが同じだったということからもわかるように、
植物の栽培、採集を社会生活の基本とした「森の民」。
鉄器の発明以前だから、石器の斧などで直径1mにもなるクリの木を切り倒して
しかも、底部を焼却処理して防腐を施した上で、
6本の掘っ立て柱を立ち上げる技術を持っていた。
遺跡からはなお、「夏の家」と目される高床式建築も推定されている。
そして飛騨高山も四方を森に囲まれた地域。
そこで暮らしていた民人が、「飛騨の工」と称されていったのだとすれば、
縄文から連なる「木造技術」のリンケージが想定されるのはムリがないと思える。
式年遷宮の伊勢神宮も、今回が62回ということは掛ける20で、1220年前からの伝統。
その木造技術の伝承に掛けた知恵を見るとき、
DNA的なつながりをそこに見出すのも、不自然ではないだろうと思います。
わたしは、建築や住宅についてのジャーナリズムの人間なので、
学者さんのように厳密な論理構築、実証が出来るわけではないのですが、
こんな推論に基づいて、またいろいろ調べていきたいと思うのです。

屋根の建築

1475

日本中を歩き続けてきて
だんだん、北海道だけの視点ではなくなってくるのだけれど、
住宅性能の面でも、
国交省などが、基準や政策的にある方向性を定めて
住宅の関連業界を引っ張っていきはじめてきている。
そういう意味では、むしろこれから興味深いのは温暖地の住宅が
どのように変化していくか、ということのように思う。
きのうも書いたけれど、
「環境建築」ということを考えていったときに
やはり断熱という基本技術が、空気のように実感できている
そのことを空間イメージで明確に把握できているかどうか、
ということが、一番大きなポイントになってくるのだろうと思います。
その上で、住宅設計に於いて、多様な現代人の建築への夢が、
どんなふうに実現していくのか、ということなのだろうと思う次第。

で、温暖地域の建築は庇や軒の出をふくめて
「屋根の建築」デザインが主流なんだろうな、という思いでいます。
日射とどう付き合っていくか、ということが一番大きなポイント。
日射を遮蔽することで、いろいろ深みのあるデザインが
実現できてきたことが、日本の古民家を見ればわかる。
写真は、沖縄の「中村家住宅」です。
いろいろ見てきたけれど、やはりこの家はいい。
この家は、きわめて特徴的でありながら、
そのたたずまいはあくまでも自然との調和に満ちている。
ことしは沖縄にいる間、2回も見学してしまった。
赤瓦の屋根が葺き下りてくる空間から、内的な外と、内部空間が
融通無碍に連続していて、
そういった自由な内外空間が、屋根によってまとめられているような印象。
沖縄なので、どのように「日射との対話」を創るか、
というのがテーマなのだと思われます。
極論すれば、セラミック製の屋根が人間を守っているだけで、
それ以外の、間取りなどはあんまり意味を持っていないようにも思える。
そしてこういう空間にひどく惹かれてたまらない。

来週は、「蓄熱」についてのシンポジウムを取材してきます。
どうも沖縄の家は、屋根に積極的に蓄熱させているように
思われてなりません。
さて、どんなふうな論議が展開されるのか、楽しみです。

建築家・小室雅伸さん新刊出版 -1

1469

先週土曜日に、本来は休日なのに用事があって会社にいたら
「こんにちは、北海道建築工房です」という訪問者。
親しくしている設計者・小室雅伸さんの設計事務所所員の方。
で、手に持っているのは、建築技術書の有名出版社「彰国社」から出版した新刊書。
名前が長い(笑)。

「寒さ暑さに負けない建築設計手法」2400円。

「ぜひ、読んでください」と差し出された。
もちろん、そういう出版をされるという噂は聞いていたけれど、
いろいろ忙しさにかまけて、失念していたところにご案内を受けた次第です。
「それはどうも、わざわざ・・・」ということで、
これは、なにかお返しをしなければ、とは思っていたのですが、
なにせ、なかなか老眼も進んでいるうえ(笑)、本を読むまとまった時間がない。
いや、本に書かれている内容と格闘的に対峙することが
体力的におっくうになっている。
なかなかやばいですね、こういう状況(笑)。

小室さんは、わが家の設計を依頼した設計者の兄貴分的な存在で
かねてから、というか、
わたしが住宅雑誌の方向性をある程度、目的的に思索した頃に
おおむね考え方の方向性に強い共感を持った設計者です。
で、北海道ではブロック造外断熱というのが、ひとつの完成形に近い形だ、
というような考え方に、自宅建設では同意して、
そのような住宅を建てて、今現在も住みつづけています。
安藤忠雄さんがコンクリート打ち放しの住宅を作り続けている頃
このブロック素地表しの「内皮」が生み出す空間の面白さと
静謐で、気密的で、断熱的な空間環境性の面白さに注目したのです。
これは厳しい自然条件の北海道で体験しなければわからないのだけれど、
逆に言えば、北海道が生み出す必然性に満ちた具体的な革新性だと思ったのです。
基本的な外皮をしっかりと作り、その創っていくプロセスで
暮らしのイレモノとしての住宅建築の喜びを感受できる空間に挑戦していく、
みたいな姿勢を、メディア側としても共有したいと強く思った次第です。
北海道の厳しい気候環境が生み出す、
まったくあたらしい建築文化に注目しようと考えたのですね。
そしてそれはいまに至るも,まったく変わっていません。
北海道の現代住宅は、そんな流れで
基本的に創られ続けている部分があると思っています。
それが主流的なのかどうかはわかりませんが・・・、
本の中で北海道の「全館暖房普及率」が、1989年に15%だったものが
2004年に80%を超えた、という記述があります。
まずは、目指してきた基本的な立脚点は見えてきたのかも知れません。
で、その上で、どんな面白い空間創造ができるのか、
北海道が、日本にフィードバックしていく「住文化」を生み出せるのかどうか、
それが現在的なテーマだと思っています。

最近は、温暖地域で、ようやく「環境建築」的な志向に
めざめたような動きがあるとされていて、
たぶん、東日本大震災が3月の、それも極寒気候の時に襲ってきたことが
そういった動きにプラスに働いているのだと思いますが、
長年、目に触れられなかった北海道の建築研究者や、建築家に
注目してきているような動きがあるようです。
「彰国社」さんから、相次いで、
寒冷地住宅研究のパイオニア・荒谷登さんや、小室雅伸さんに
発刊の注文が来たというのは、たいへん喜ばしいことだと思います。
ぜひ、読まれることをオススメいたします。
一応、他社の出版物ですので(笑)、ここから直接通販サイトにはいけません。
悪しからず。
この本の内容について、しばらく雑感を不定期シリーズで書き続けたいと思います。
よろしくお願いいたします。

人間の表現・創作活動って

1474

よくワイセツが論議になる局面で、
芸術とワイセツのキワ、みたいなことが話題になって、
●●はワイセツだけれど、●●は芸術だ、というような仕分け方を裁判官は
しなければならない局面に出くわす。
そういった度に、判断を迫られるひとは大変だなぁと思わされます。
人間社会なので、そういう判断をすべきときも場合もあるので、
なるべく常識的で、一般社会の安寧が維持されるような判断を下さねばならない。
そもそも万人が納得できる解があるとは思えない。
なんだけれども、ワイセツは別の人に論議は譲って(笑)
じゃぁ、芸術とそれ以外の「表現」「創作」って、
それを仕分けるものなんて、あるのだろうか?
っていうのが、年来のわたしの深い疑問であります。
で、芸術がより高位の存在で、道具的に作られたものは、より低位なのか?
そういった仕分けって、おかしくないか?っていう次第。
この疑問、ずっと持ち続けていて、
やはりただ単に、「多くのひとがそう思っている」ということにしか、
その人数の多寡にしか、仕分けの基準はないと思わざるをえないのです。
で、もっと言えば、「多くの人」は、「人が言っているから」そう思っているに過ぎない。

写真は東京国立博物館に置かれている遮光土偶。
これなんか、典型的で、
創作された縄文の当時は、いまのわれわれとは違う価値観の中で、
止むにやまれぬ制作動機があって創られ、そして偶然の果てしない結果、
現代世界によって「発掘」されて、
「作者不詳」のままに、また、どういう表現であるかもナゾのままに
「国宝」になっている。
考古学的な知見をお借りすると
どうもひとの誕生に対する「祈り」が外化されたものと言われ、
人間が最大の資産であり、生産の最大要因であった縄文に於いての
社会的動機をあらわしているというように言われている。
しかし、こうした土偶制作は、
たぶん社会の中で独特の職掌として認定された制作者がいたのだろうけれど、
その当時の社会構成から言えば、
とくに「優れた」人物かどうか、定かではないし、
その社会の中で「抜きんでた」存在であるという保証もない。
しかし、出来上がって現代に蘇ったこの土偶は、
どんな「芸術的創造物」をも超えた力強いメッセージを
わたしたちのこころに直接訴求してくる。

ことしの「芸術祭」に「あまちゃん」がノミネートするそうです。
芸術祭の審査委員というのが、どんなひとかによって
価値観は大きく違うので、どうなるかは不明だけれど
少なくとも社会へのインパクトは巨大であったと思うので、
芸術として賞を得るのもいいのではないか、と思います。
わたし自身も、ある賞に於いて「審査員」というのをやったことがありますが、
結局、その審査員の価値観によって大きく結果は違う。
しかし「多くの人」は、その結果だけで、ものの良し悪しを判断する。
まことに難しいと思いますね。

MacBook再生手術完了

1473

3連休のせいでやらねばならないことが山積で
すっかりブログ更新を失念しておりました。
で、いろいろ片付け中に、QuickGarageからくだんのMacの修理完了のお知らせ。
水曜日中には、という案内だったのですが、
そこは独特のサバ読みがあったようで、
早く上がると喜ぶ、こっちを見透かしたようなスピーディな対応。
って、それはやはり魂胆があってのこと、というのも
こっちも見透かしております(笑)。
このあたりは、虚々実々の駆け引きが行き交っている(笑)。

まぁ、とはいえ、
思いの外、あっという間に片付いたので
基本的なマシンの設定やらをしてから、仙台に返送したいと思います。
やはりもともとのHDはかなり物理的におかしくなっていたようで
160GB程度のボリュームのディスクなのに
チェックに3時間もかかったのだそうです。
このHDは取りだして、あらたに500GBのHDに入れ替えました。
で、購入しているOS、10.6のディスクからインストール。
起動させると、これまでのHDの動き方とはあきらかに一変。
なんともきびきびと動作してくれて、
直した甲斐を大いに感じさせてくれる。
パソコンはたくさん使ってきているけれど、
やはり道具を大事にするというのは、どんな仕事でも第1のポイント。
なによりも愛情を持って接する、ということが大切だと思う次第。
どんな機械も、使う人の人となりを映し出すように思うのです。
機械だから、多少手荒に扱っても「言うことを聞け!」みたいな接し方をすれば
機械は正直に反応してしまう。
そういった扱いをする人のものは得てして、壊れやすいように思う。
で、そうした機械を、愛情を込めて再生させてやるのって、
どうもわたしの性にあっているように思われてなりません。
まぁ、どうしても再生できないものも多いのですが、
それでもやるだけのことをしてやると気持ちはスッキリする。

さて、壊れる寸前のHDですが、
まぁよくぞ、データが致命的になる寸前まで持ちこたえてくれたと思います。
いま、一応いろいろと手を掛けては見ているのですが、
やはりどうやら、かなりの重症のようで
手の施し用はないようであります。初期化作業にも相当に
80分ほどかかるというアラートが出ています。
やるだけやって、どうしてもダメならしょうがないところ。
やはりメンテナンスは、落ち着いた札幌の環境で取り組むのが
いちばんやりやすい。
仕事の合間に、パソコンMacとにらめっこしている次第であります。

マウスのフィット感

1472

先日の出張で、愛用していたマウスが行方不明になった・・・。
札幌に帰る日の朝、確かにホテルではバッグには入れた記憶もあり、
念のため、ホテルにも遺留品を確認もして、ないことを確認した。
で、仕事している間にはそうは移動させてはいない。
そうすると、飛行機搭乗時のボディチェックの時に、パソコンを取りだした際に
バッグからこぼれ落ちて、そのままになったか。
考えられる2箇所、仙台でのスタッフの車中か、仙台空港か、
ということになりますが、・・・すぐには戻っては来ないだろうし、
なので、前に買っていたものを使っております。
わたしは、パソコンはMac使いなんですが、
マウスは、Microsoft社のものを愛用しております(笑)。
どうも他のメーカーのものは、Appleを含めて手にフィットしない。
微妙なクリック感や、デバイスとしての動作ぶりが、気に入っている次第。
マウスやキーボードのタッチ感は、現代では人間の感覚の一部。
こういう部分の人間の感受性は、いまものすごく発達しつつあるに違いない。
製品開発に当たっては、
人間工学的なアプローチと、デバイスに対する奥行きのある理解が不可欠。
Microsoft社って、OSやソフトでは成功したけれど、
それ以外では、まったくダメと思われていますが、
わたしは、こういうマウスへの理解という部分を伸ばしていったら、
思わぬデバイスで成功を収めるような気がしてなりません。
いまは、積年のライバル・Appleに総合的には負けていると思いますが、
ぜひ面白い商品を生み出して欲しいと期待しています。

さて、くだんの「前に買っていた」写真のマウス。
赤外線通信でパソコンと通信するタイプで
クリック感などは、まったく快適なのですが、
ホイールボタンが板状になっています。
その板の上を右手中指の腹でなぞるように操作するワケなのですが・・・、
どうもこの感覚がなかなか馴染めない。
まぁ、大部分は慣れなのだと思っているのですが、
前に買ってきたときにも、すぐに使い切れなかったのは、
この操作感のズレが吹っ切れなかったから。
きっとホイールは、故障になりやすかったからこのように変更したのでしょうが・・・、
ううむ、どうなんでしょうか?
なにか、かゆいところに手が届かないようなもどかしさであります(笑)。

気温差と基本体質

1470

先週は、火曜日に北海道を離れて
仙台に行き、そこから東京に南下して、ふたたび仙台に戻り札幌に帰還しました。
札幌ではきのうなど、夜になると薄手のジャンパーを着込んでも
体温が奪われていく実感がある。
朝晩など、山の方向を見ると、頂付近が白くなっていはしないかと
つい目をこらしてみたりする。
それに対して、関東では上着を着込むことは出来ないほどの暑さ。
写真は、栃木県佐野の高速SAの様子ですが、
南国風の草花が咲き誇り、アイスクリーム屋台が繁盛している。
まぁ、関東の人にしてみると、
それなりにはアキの風情を感じているのかも知れないけれど、
北海道の真夏と、関東の初冬が入れ替わって同居しているような
不思議な季節感に全身が包まれる感じがいたします。

年間で100日程度も出張しているワケですが、
こういった季節感のズレの中にいても、
やはり基本的な季節感受性は北海道に基盤があるようで、
帰って来て数時間すると、この時期の空気感に
ある郷愁にも似た安定感、安心感が襲ってきます。
そんなことを感じさせられる日々ですが、
連休の中日、クルマで街を走っていると
全国さまざまな地域のクルマのナンバープレートを見ます。
以前は夏の北海道が憧れだったものが、
いまや、秋の遅くまで、このクールダウンした気候を求めて
全国のみなさんが来訪されてくるようになっているのかも知れません。
確かに新千歳空港の混雑ぶりは、羽田以外では最高な感じがします。
ぜひみなさん、体調管理に注意されて
このさわやかさを楽しんで頂きたいと思います。
さて、本日はわが家も少し足を伸ばして
遠出したみたいと思います。ではでは。

久しぶりのMacメンテナンス

1468

中小零細企業では、いろいろなことに
経営者自らがスキルを持たないとならない。
当社では、パソコンでのDTP、それもMacを使っての環境を構築しているので
そのメンテナンス一切についての「判断力」を持たなければ、
重要な「経営方針」が貫徹できない。
そんなことで、必要最小限の知識を蓄えたり、もしもの時の
バックアップ体制を作っておく必要がある。
通常は、スタッフに大体のことは任せてやってもらうしかないのですが、
やはり不具合や、ヘルプは不可欠になってくる。
ちょうど仙台にいる間に、2台のMacが不具合を起こしているので、
そのメンテナンスに対応しておりました。
とりあえずは、DTPのメインの業務を進行しているスタッフには、
新規購入のMacBookproを購入しておきました。
そのスタッフは、ひんぱんに自宅でも作業するので、モバイルPCにしているのですね。
本当は、デスクトップの方がマシンの保守管理上、危険は少ないのですが、
家庭を持っている女性スタッフの場合には、こういう対応も必要。
ちょうど出張当日に到着するようにApplestoreから手配しておきました。
なんですが、モバイルの場合、ポートやスペックをギリギリにするので、
必要不可欠な機能が欠けていたりする。
今回の場合では、データの全的移行のために不可欠な通信機能の
Firewireのポートがないタイプであることを初めて知った。
「え、なにそれ、知らねぇよそんなの?」であります(笑)。
普通はピアツーピアで移行させるだけで、あんまり考えなくて済むのですが、
ポートがないというのは、初体験。
で、その場合、ネットワークケーブル、LANケーブルでもいいのですが、
簡便にネットワーク越しにやろうとしたら、
途中で固まってしまっている。(用事の合間にやっているので、結果はあとからわかる)
やむなくこれもピアツーピアで直接接続させたら、
こちらでは、数時間で移行は完了しておりました。
で、移行後、新しいマシンのほうでの動作も確認して、無事こっちは終了。
万が一の場合でも、移行した前のマシンのHDはデータごと残しておくので安心。

で、続いてこの「前のマシン」のメンテナンスであります。
DTPマシンとしてはお役御免ですが、
通常の事務作業的なマシンとしては使用に問題はないので、
ほかの営業スタッフのために、比較的に新しいマシンなので
もったいないから、再利用させるわけです。
こういう「もったいない」精神が、中小零細のやむを得ない体質であります(笑)。
それと、やはりこういうマシンの再生活用って、好きなんですね。
もうひとりの使用マシンがやや不安定になっていたので、
とりあえずは外付けのHDを購入し、
Timemachineバックアップを取らせて、万が一おシャカっても
緊急避難できる体制を作っておいて、
先述のマシンをメンテナンス・チューンアップしてリプレースしようと考えたのです。
で、スタッフに指示して状況を調べてもらっていたのですが、
どうもAppleのストアスタッフの言葉では
HDにハード的な問題があるようだ、というご託宣だったとか。
この辺の確認を本当はしっかりしなければならないのですが、
なにせ、他にも多忙なスケジュールを組む出張中の場合は、
どうしても対応が細切れになってしまう。
ヨドバシさんにHDを購入にいっても、やたらオーバーなばかりで時間が足りなくなってしまう。
確かにわかるのですが、HDのスペックを完全にマッチさせるように対応するには
時間に追われている中では、難しい。
ここまでで、4日間の断続的な出張時間範囲では、時間切れになってしまった。
そこで、くだんのMacBookProを急遽、わたしの旅行バッグに詰め込んで
そのまま、札幌に帰ってきて作業を続行。
これも細切れの時間の中でクルマの中からHDの選択を考えてみましたが、
やはりヨドバシさんが言うまでの厳密な対応は、Appleの情報からもわからない。
で、日本NCRの旧知のメンテナンスの方に連絡。
半年ぶりくらいの会話でしたが、ツーカーで通じるので、
さっそく対処方針を決め、その足ですぐにPCショップでHDと外付けHD用の「ガワ」も購入。
それを持って、日本NCRのQuickgarageに直行しました。
最近はiPhoneが大人気なので、こちらのサービスも大忙しだそうです。
でもやはりAppleの生態系のなかで、
こういったメンテナンスサービスの重要性は高いと思います。
Android端末などのメンテナンスはどこがやっているか知りませんが、
最後は使用するユーザーのデータの保守管理が最大のメーカー義務。
それが担保されていないと、ユーザーとしては困りますね。
で、水曜日16日まででのHD入れ替えのメンテナンス・チューンアップを依頼。

っていう次第でありました。
まぁ、やることは済ませてしまうと、あとはどんな結果でも受け入れられるもの。
頑張ってくれたMacBookProが再生して、
ふたたびガンガン、一線に復帰してくれればと念願しております。

あまちゃんロストから2週間

1459

いやぁ、幅広いファン層でブームを起こしたあまちゃんですが、
わたしのような中高年でもすっかりハマっていたことは、
ブログ読者のみなさんはご存知の通り。
で、放送終了から2週間経過しましたが、
よく言われている「あまロス症候群」に罹患しております(笑)。
あまちゃんについては、いろいろのとらえ方がされているのでしょうが、
わたしは、特段「アイドル」というものに思い入れもなく、
やはり宮藤官九郎さんのストーリーテリングの面白さに引き込まれた部分が大きい。
年代が違うので、「アイドル」というものへの知識含有量に圧倒的な違いがあって、
むしろ、そういう深い部分で「アイドル」を探求していることに
まるで異星人を見るようで、興味深かった。
しかし、やはり主役の能年玲奈ちゃんや、小泉今日子・薬師丸ひろ子、
さらに宮本信子さん、脇を固めた役者さんたちの魅力は大きかった。
そのなかでもやはり、「アイドル」というくくりでの
小泉今日子・薬師丸ひろ子から、能年玲奈ちゃんたち世代への
バトンタッチ的なテーマ部分について、
そういったことに深い思い入れと愛着を持ってこの物語は作られていることに
非常に、世代論的な面白さを感じたのですね。
まぁわたしのような世代からすると、
こういったことが、世代を切り取るフィルターとして機能していることに
新鮮な驚きを持たされた気がするのです。
で、提起されたそういった視点について、
いやそれはけっして、クドカンさんたち世代だけの感受性ではなく、
わたしたち世代でも、たとえば夭折した夏目雅子とか、
いろいろあったと思えるのです。
いわば「美人論」とでもいうべき文化ジャンルは存在する。
歌舞伎を創始したのが、出雲の阿国という魅力的な女優さんであったことは、
ほぼ間違いがないと思うのですが、
大衆社会状況が日本を覆い始めてからは、
繰り返し、このジャンルが生き延び続けてきたのだと思います。
ある時代での吉永小百合さんは、つねに存在し続けてきたのでしょう。
で、その現在形で、NHK朝の連続ドラマ枠で、
現代の一番可能性のあるヒロインとして、能年玲奈ちゃんが飛び出した。
彼女のあまちゃん以降のメディア露出で、
やや「コミュニケーション障害」的な、独特の天然ぶりが表出するに及んで
ちょっと、不思議な感覚に陥っているのが、
この「あまちゃんロスト」症候群の本質ではないかと思うのです(笑)。
まぁこっちは、こういうネタにはまったくの素人なので、
好き勝手に楽しみながら、事態の展開がどうなっていくか、
可愛い娘や孫の行く末を、ハラハラしながらも、
固唾をのんで、あたたかく見守っている、
っていうのが、いまのところでしょうね。
ひとつの社会ブームにまでなる「力」を持っているワケですから、
その彼女がどんな成長を見せていくのか、楽しみであります。