
昨日、青森から札幌に帰還。
留守中に坊主に友人たちの来客があり、泊まって語らっていった。
で、寝込みにその残滓が襲ってくる(笑)。
わが家は1階がわたしの寝室でして、そこが約20畳以上の広さなので
かれらはここを使っていたのです。
まぁもちろんわたしの許可も取っていたわけですが
やはり若い人たちは元気がいいので
どうも大騒ぎしていたのに違いない。それは理解出来ます。
わが身に照らして、そういう気持ちはまったくかわいく理解出来る。
でもやっぱり、置き土産がありましたね。
やれやれと、寝床に入ったら、ガタンという音。
ははぁ、であります。
わたしは、簡易な木製組立ベッドにふとんを敷いて寝ているのですが、
その組立ベッドのマット台座の支え部分の木部の一部が破損している。
まぁそういった見立てはすぐにも見通せる。
ただし致命的でもないので、寝るの優先でぐっすり爆睡。
で、朝目覚めた後、さっそく修繕であります。
この手の組立シングルベッドは構造はいたって簡単。
確か、最初は娘のために購入したような記憶があるのですが、
わたしが組み立てたし、その後のメンテナンスもやっているので、
勘所はつかんでおります。
電動ドライバーの準備、工具箱から長い木ネジをガサゴソ発掘。
やはり、木構造の繋ぎ部分でピン接合の木ネジが劣化していた。
たぶん、複数人が荷重をかけて劣化させたものでしょう。
電動ドライバーの準備がいちばんアタマを使った程度で
作業自体はいたってかんたんなもので終了。
まぁ、がっしりと組み上がっている感じですので、施主としても納得。
わたし工務店、責任終了であります(笑)。
しかし、よく見ると木ネジがちょっと長すぎて
木部を貫通している箇所がある。
長い使用期間で考えると、ひっかき事故が想定される。
ということで、引き続き、その対応を考えなければなりません。
う〜〜〜む、さてどうすっかなぁ???
でありますが、朝飯前の軽い労働、気分の良い朝であります。
Posted on 3月 8th, 2014 by 三木 奎吾
Filed under: こちら発行人です | No Comments »

きのうは青森にて地元の有力工務店さんたちに講演、懇親会。
またまたやってきた低気圧の影響から
天候の崩れを懸念して前日に青森入り。
なので、講演の内容については事前にしっかりと手を入れられました。
講演の内容については、また追って追記していきますが、
ここ最近の国の住宅性能を巡っての施策の流れを概括した内容。
とくに昨年から、健康と住宅性能についての関連づけが大きな方向性になって
そのための施策が準備されているようです。
まだ、現場工務店には情報ソースが少なく
その辺を中心にして、国が目指している住宅性能の行方やら
住宅政策の方向性、少子高齢化への対応の姿などまとめてみた次第。
その後、懇親会では多くのみなさんと忌憚のない意見交換ができました。
北海道から行くと青森のみなさんは、
同じ寒冷地仲間で、その状況、境遇に似通った部分があって
話していて、たいへん親近感が湧いてくる。
早口になってくると良く聞き取れなくもなるのですが(笑)、
でも言いたいことの大意はなんとなくわかる、という微妙なコミュニケーション。
で、ついつい田酒などの地酒で座を取りまとめていく。
そのへんのおもしろさが独特であります。
まぁしかし、わたしはあんまりお酒は上手ではないので
2軒ほどで失礼してホテルで爆睡しておりました。
どうも、もともと飲める口ではないのですが、
最近はその傾向が強くなってきていると感じます。
しかし、お酒はほどほどにしていたお陰で、スッキリした目覚め。
楽しい懇親会でした。感謝。
ということで、本日は札幌への帰還。
青森は函館よりも近く感じられるようになってきております。
でも、時間距離はなかなか、東京の3倍くらい遠く感じますね〜〜。
Posted on 3月 7th, 2014 by 三木 奎吾
Filed under: こちら発行人です | No Comments »

どうも日曜日夜8時という時間にはテレビを見ることができない生活スタイル。
というか、テレビはあんまり見る機会がない。
朝、家族といっしょに「ながら視聴」で見ているくらいで
きちんと見ていたのは、「あまちゃん」くらいだったのです。
たぶん、あまちゃんがすごかったのは、
こういう普段、あんまりテレビを見なくなったひとが
久しぶりに視聴行動をしたということなのではないかと思っている次第。
で、ことしの大河ドラマ、実は楽しみというか
ひょっとして、ご先祖様に関係するくだりが出てくる可能性があると
勝手に想像しているからであります(笑)。
わが家系伝承では、黒田官兵衛さんに攻め滅ぼされてしまう
播州・英賀城というのが、故地なのであります。
なんですが、恥ずかしながら
この時間というのは寄る年波で、まず、眠たくて仕方ない時間帯。
家人に録画も頼むのですが、その録画も見ないという始末。
まともに視聴することが出来ないのですね。
先週あたり、そろそろ黒田官兵衛伝とすればこのころか、
と狙いを定めて見てみたのですが、
どうもやや早かったみたいで、まだまだ先なのか、不明であります。
まぁ大河ドラマからすると、
黒田官兵衛さんの播州でのストーリーというのは
戦国の3大スター、信長・秀吉・家康とのからみも少なく
見せ場に乏しいということもあって、
盛り上がりには欠けるのは否めない。
かなりの目的意識を持っているわたしでさえ、
先回見たときは、かなり退屈な感じを抱いた。
ドラマ造りも大変だろうなと、他人事ながら、察してあまりあります。
どうも今回のドラマの原作は書き下ろしなのか、
司馬遼太郎さんの「播磨灘物語」では、かなり詳細に英賀攻防戦のくだりが
登場しているのですが、
今回は、どのように描かれるのか、予告を見ていると
どうも今週のようであります。
なんですが、今週日曜日は友人に夫婦でフランス料理の招待を受けている。
あらら、ということは録画視聴になるのですが、
忘れないかどうか、不安であります。
眠い目をこすって、ほっそりと開けた目で注目したいものです(笑)。
Posted on 3月 6th, 2014 by 三木 奎吾
Filed under: 歴史探訪 | No Comments »

中小零細企業のIT管理作業、大忙しであります。
パソコンのメンテナンス作業って、
まったく手が付けられない時期はあるもの。
そういうときにスタッフからヘルプが来ると、一番手っ取り早いのは
新規マシンの購入であります。
これは緊急時の対応としてはやむを得ない。
でもそれだけでは、やはりマシン管理としてはもったいなさ過ぎる。
ということで、復活作戦、できるだけトライしてみる。
ここんところ、1週間くらい通常作業と並行して
2台のMacノートと、初代首振りiMacをメンテナンスしておりました。
初代首振りiMacの方は、さすがに12年ものという古さで
解体のスキルは磨けたけれど、
やはり使い物にまで復活させることは出来ませんでした。
写真後ろに解体後の残骸が写っていますが、やむなくご臨終であります。
起動はするけれど再起動アラートが頻発する。
こういう場合はロジックボードか、HDのハード的損傷。
ロジックボードならきっぱり断念するけれど、もしやHDならば、と取りかかったのですが
そのHDも旧規格のIDEだった。
そこでIDEのガワだけっていうのを通販で購入して
それにノート用の2.5HDを差して復活をもくろんだのですが
起動させられませんでした。残念。
一方、いま起動画面の写っている2台のMacノートは無事復活です。
左側のヤツは、まったく起動しなかったのですが、
あるひらめきで、外部モニターに繋げてみたところ、見事復活。
どうも通常外部モニターと繋いで使っていて、その信号経路が遮断されて
モニター信号が長らく迷子になっていたようなのです〜って、
ホントかよ、と自ら突っ込みたくなりますが、
やってみたところ、めでたく復活したのですから、我ながらびっくりであります。
もう1台の方は、電源アダプタとバッテリーがイカレて、
不具合が出たとき、チョー忙しくて、長く放置プレーだったヤツです。
幸い、ほかのおシャカMacノートの電源アダプタに、似たヤツがあったので、
その部品の一部を置換交換してみたところ、バッチリの互換性でアジャスト。
で、バッテリーを外して、電源投入したら、これもめでたくお目覚め。
両方とも、まだ6〜7年の稼働で、比較的に新しい。
こうして再生できたのでHDの交換やら、メモリの増強などをして
いまや、「おい、いつでも仕事を回せや」とばかりにバリバリと
元気いっぱいの姿を見せてくれております。
さて、これから働く場所を考えてやりたいと
あれこれと思案中。
こういうのは、精神衛生上たいへん楽しい時間であります(笑)。
Posted on 3月 5th, 2014 by 三木 奎吾
Filed under: Mac.PC&DTP | No Comments »

さてわたくし、最近すっかり雪かきから解放されています。
ここ1週間くらい、札幌は降雪を免れていて
日中は融雪が進む気候に恵まれておりました。
ということで、事務所の駐車場にも重機を入れて、固くなった圧雪を掘り起こして
きれいに除雪してもらいまして、すっかり気分が爽快であります。
札幌の気象台の発表と、市内各区の実感には大きな開きがあることは
お伝えしていますが、札幌市の除排雪費用が底をついて
新たに20億円の予算が執行され、わが家周辺でも冬の間のうずたかい雪山が
どんどんと片付けられております。
で、融雪をもたらせてくれる「光の春」がやってきた次第。
光の春、っていうのは北海道独特の季語なのかも知れませんが、
気温は低いままだけれど、だんだんと日足が長くなり、
それにともなって日光が強く感じられるようになり、
日射からの「輻射熱」を強く意識するようになる、という状況なんですね。
札幌は北海道内でも気候的に中立的な位置にあるとわたしは思っています。
太平洋側は冬でも降雪は少なく、地表面からの放射冷却のきびしい地域。
一方、日本海側は降雪が多く、季節風が強い地域。
札幌はその両方の要素を持った地域で、
とくにこの時期には、太平洋側の気候に近いような感じがある。
肌を刺す寒さはきわめて厳しいのに、陽光にはぬくもりがある。
そういうコントラストが、北国人に独特の感受性をもたらしているに違いない。
そんな気がします。
先日家族と、北海道とその他の地域の「寒さ」の体感の違いの話題になりました。
話していて、いままでなんとなく思っていることに気付いたのですが、
人間は生きている時間のウチ、95%くらいは屋内で過ごしており、
やはり北海道の家や建物は断熱がしっかりしているので、
その内部に居る間は、人間の体内の液体や固体が、輻射的に活性化している。
それに対して、それ以南の地域では断熱のレベルが低いので
体内の輻射活性が活発ではなく、常時「寒い」と感じている。
この輻射活性は、多少の屋外冷気内での活動程度ではレベルダウンしない。
だから北海道では寒さの体感が他の地域とまったくの違いが出る。
こういう研究について聞いたことがないのですが、
どうも実感的にはこのことは確からしく感じられます。
「健康と住宅性能」のテーマで、だれか、こういう研究をしてくれないでしょうか?
その活動が落ちていく期間に入ったと言われている太陽さんですが、
この時期、やっぱりほんとうに力強い。
本当の春までには、いくつものプロセスがある北海道ですが、
確実に季節の歩みは進んでいると思います。
Posted on 3月 4th, 2014 by 三木 奎吾
Filed under: 住宅取材&ウラ話 | No Comments »

戦後日本は、「欧米に対して敗北した」戦争による荒廃からスタートした。
アメリカによる焦土作戦は徹底的で、野蛮な側面が多かったけれど、
敗戦した日本軍国主義の犯罪性から、それは免責され
敗戦国がなにを言っても仕方ない、というように押し流され
戦後日本国家が、対アメリカへの従属国体制として進展していった。
それは西側陣営のアジアでの「不沈空母」としての役割が増大したことから
戦後処理として片側的な対西側陣営的な大枠において成立した。
アジアでの近隣関係については、その大枠が固まってから、
日韓関係として成立し、その後日中間でも国交が成立した。
そのプロセスでは、戦争の処理は条約によって清算されている。
日中間では中国側が賠償を放棄して、その代替として
経済発展のための援助を行うことで、国交が復活した。
少なくとも、日本国民はそのように理解して、戦後国家は歩んできた。
戦争の処理は、まずは欧米、アメリカに対して行われ、
共産化していた中国との関係は清算が遅れた形になった。
韓国については戦争してはいない。併合していたのだ。
したがって、通常的な戦争賠償は責任が存在していない。
そのような特殊な関係であったので、日韓条約で特殊に解決させた。
そして、日本は共産圏に対してのアジアでの最大拠点として
冷戦構造の中で経済発展し続けてきた。
戦後一貫して戦争放棄の国是は広く世界に認知され、
アメリカの従属国的な外交態度もあって
特段どこの国とも関係が極度に悪化したという経験がない。
そのような歩みにおいて、近年の韓国・中国側の主張について
はじめは奇異な感じを持ち、ことなかれ主義で対応した。
先方の主張に「決着を付ける」には河野談話として
先般訪韓した眉毛の元総理が言っているように
「ことのあるないにかかわらず」、「臭いものにふた」的に対応した。
そしてそれは国際的には政府が認めた「事実」になった。
戦後国家の「あいまいさ」を国際的な関係においても流用したのだ。
そのことがひとつの根拠になり、外交ゲームで拡大して蒸し返されている。
そしてやがて、日本人は怒るようになって来た。
どこまでもそのように言うのなら、ことをきちんとさせよう、という自己主張。
いまが転換点になって来たのかも知れない。
対米従属でやっていれば良かった時代には
こういう「普通の国の外交的苦悩」は、そうは味わう必要がなかった。
なのでこうした「普通の国」的な困難対応が、国民世論的に難しいと思う。
ヘタをすると、一気に民族主義が刺激されて
防衛力強化、さらには潜在力を活かした核武装にまで至りかねない。
中国は少し戦略的で別だけれど、韓国は日本に対して、
そのような長期的安全保障危機を挑発しているという認識はあるのだろうか?
どうもこの辺の危機認識を持ってやっているとはいいがたい。
アジアにおける一番の危険因子はやはり潜在的には日本だと思う次第。
戦前日本の世論は、ああいった侵略戦争を大いに鼓舞していたのだ。
いまも状況が変われば、日本世論はすぐに過激化していくのは目に浮かぶ。
核武装するには、日本はほとんど時間が必要ではない。
アメリカはそのように日本が向かった場合、どのように対応するのか、
中韓はどのように対応するのか、
最近の中韓の主張には、そういった地点にまで引きずられる危険を感じる。
日本の国内世論の沸騰は、そうなる可能性を内在的に持っている。
やられたらやりかえす、というのは外交ゲームの基本だ。
ようするに交渉ごとにはなによりも強い軍事力が不可欠だ、
戦争放棄の憲法が足下を見させる最大原因だと、
日本世論がなったとき、一番の圧迫を受けるのは隣国だろう。
アメリカがこの問題について、同盟国家的でない対応をしてくるのであれば、
なんのために米軍を駐留させて多額の費用を払っているのかと
論理の必然として、必ずそうなってくる。米軍による駐留、日本防衛と
わが国の戦争放棄の憲法は表裏一体の関係なのだ。
ドイツは、第1次世界大戦の戦争処理の無理難題を押しつけられて
結局、それを全否定するナショナリズムにたどりついてナチスに至った。
そうした反省から第2次大戦後の戦勝国側は、平和構築において
その轍を踏まえた処理を行ったのだ。
いま、中韓両国は、ふたたびこの愚を繰り返そうとしている。
ほとんど外交ゲームとして国内の民族主義を刺激し日本を叩いている。
さて、そうであるとして、わたしたち現代の日本人として
どのように考えていかなければならないのだろうか。
そこのところで、戦後の平和国家を発展させていく方向性が見えにくい。
わたしたちは成熟した平和国家の市民として
こうした困難な外交に立ち向かっていけるのだろうか。
わたしにはよくわからなくなってきている・・・不安だ。
Posted on 3月 3rd, 2014 by 三木 奎吾
Filed under: 状況・政治への発言 | No Comments »

今度乗り始めたクルマ、
なぜか、キーが電子キーになっていた。
そういう希望はまったくしていなかったのですが、
普通は電子キーというのが、いまのクルマなんだそうです。
まぁ、あえて従来のアナログでなければ、という考えもわたしは特段持っていないし、
なんでもいいや、と思って1カ月半くらい使ってきてみて
そのメリットとデメリットを考え合わせてみて
これは進化とは言えないのでないかと疑問が膨らんでいます。
さて電子キーのメリットってなんでしょう?
Wikipediaをみていても、使用者実感としても
これだ、と思えるものが感じられない。
「スマートエントリー」「インテリジェントキー」というような名前が一般的だそうだが、
それこそ、スマートと付ければ近未来的だという
高級車へのステータスシンボルの役割だけなのではないかと思う。
メリットとして、キーを回さなくていい、ということが
かろうじて上げられるけれど、
それにしても、それがどうした、という範囲としか思えない。
わたしの経験で2回ほど以下のようなことがあった。
人間、ものごとが簡単になると、そういうことにはすぐに慣れて、
習慣的劣化が進む。そして安全性メリットを忘却する。
40年以上、キーを回し続けてきて、それが突然習慣からなくなると、
キーの存在をほぼ忘却する。
服を着替えたときなど、この問題に直面する。
スタート時に服を着替えて電子キーを忘れたくらいだと大したことはない。
ただ、スタートできないだけだから、他人には迷惑は掛けない。
これがすでに2回発生した。
自分でも驚くほど、たった2カ月でこうまで体験記憶は劣化する。
それだけならまだいい。
自分以外が運転していたクルマを乗り継いで運転したとき
電子キーをもたないままに運転を継続してしまうことがままあるそうだ。
わたし自身も、そういう危機が2回ほどあった。
幸い、家人が気付いてくれて大丈夫だったけれど、
こうした原因での事故が増えているのだそうだ。
往来のど真ん中で止まってしまっているクルマを最近たまに見掛けるけれど、
あれって、自動でエンジンが切れたときに
電子キーを持ち忘れていた、というケースが多いのではないかと思う。
「進化」と「安全性」には常にアンビバレンツな問題が伴うけれど、
この電子キーによる「進化」に、安全性を犠牲にしてまでの
それほどの「利便性」があろうとは、2カ月近く使ってみて
まったく感じられない次第です。いかがでしょうか?
敷衍すると、「スマートハウス」という住宅業界で進行している事態にも
似たようなイメージが感じられてならない。
まぁこっちについては、じっくり掘り下げていきたい。
Posted on 3月 2nd, 2014 by 三木 奎吾
Filed under: 日本社会・文化研究 | No Comments »

まぁ出版の仕事の醍醐味でもあるのですが(笑)
雑誌表現って言うのは、いろいろなひとが絡んで出来上がっていくので
最後、ギリギリになって進行がバタバタ致します。
なかなか連絡がつかなかったり、
ちょっとしたニュアンスの違いで、大きな誤解が生まれたり、
集団的な創造行為なので、非常に神経を使うわけですね。
最近年を取ってきて
だんだんと人類、というような概念が強くなってきています(笑)。
人類はいまは70億人くらい。
その間でいろいろな文明を作りだしてきたわけですが、
それは時間軸でいうと高々5000年くらい。
世界宗教のような生き方規範ができてからでもまだ2000年ちょっと。
現代国家の祖形が出来てからでも500年。
資本主義という現代世界の基本原則が作られたのも500年。
30年を1世代と考えれば、高々15〜16世代くらいの蓄積しかない。
また、印刷というものが出来てからでも600年。
いまは人類は個人という存在でよりも
はるかに「集団的作業」で、個性的である仕事を作りだしている。
やはりこういう過渡的な存在意識と仕事の本質を重ねてみると
わたしたちはいま、実に創造的である仕事をしていると思う。
結果として、読者の人、読む人がわかりやすくて
その内容に同意できて、人間社会が発展していくような
そういった側面を持ちながら、仕事に向かっている。
そのように長い気持ちを持って、坦々と原稿を待っている・・・(笑)。
なんですが、・・・遅い(笑)。
って、なに言いたいか、わからないブログで恐縮です。
ほとんどつぶやきに近づいてきた・・・。
さて、本日は2件ほど要件あり。
土曜日ですが、それなりにあちこちと飛び回る予定。
さてさて、いまできることに集中であります。
Posted on 3月 1st, 2014 by 三木 奎吾
Filed under: リプラン&事業 | No Comments »

きのうの続きです。
どうも戦後の日本を取り巻いてきた国際環境から、
いま現在遭遇している環境は、大きく変化してきている。
その自覚を、国際的にも求められてきているのかも知れない。
そんなふうに考え始めている次第。
日本の戦後はアメリカによる1国占領統治から始まった。
圧倒的な敗戦は、主にアメリカの軍事政治経済力への敗北であったと
多くの日本人は認識し、それが戦後日本の方向性を決定づけた。
アメリカにはいろいろな考え方はあっただろうけれど、
現実としては、日本を巡っていまに至るような国際関係の枠組みが形成され
アメリカへの「従属的関係」を基軸として存在が規定されていた。
その範囲内で、日本は国際的にふるまってきたし、
アメリカの側から見て、日本の占領統治というのは
その後のアジア、中東での国家統治と比較してみれば
出来過ぎなほどに成功した国家統治、従属国家づくりだったに違いない。
冷戦時代を通して、日本という存在は
アメリカにとって有益な存在であったのだろうと思う。
戦争によって原爆や大空襲で日本民衆を殲滅までして
完膚なきまでに叩きのめした恨みを残したはずなのに、
こうまで従順に従ってくるようになると、
当初から、アメリカは考えていたのかどうか。
強いもの、大きいものへの従順さは、文字や国家、思想に至るまで
外側からの受容を旨として受け入れ続けた国民性に由来するものなのか、
戦後日本を大きく規定したアメリカの世界戦略に対して
日本は、きわめて従順に従い続けてきたと思う。
そしていま、中国が地域大国として姿を明瞭にし、
その従属国家としての伝統的スタンスに朝鮮半島国家が回帰する局面で
一方アメリカも、これまでのような1強国家であることに
耐えられなくなってきている現実がある。
そういうなかで、靖国参拝へのアメリカのスタンスが
「失望」というかたちで示された。
もとより、靖国への参拝そのものには異論があるにせよ、
しかし、日本国民が正統な選挙というかたちを通して選択した指導者による
ある国家意志であること自体は否定できない。
アメリカは同盟という関係の中できわめてギリギリの選択をしたには違いがない。
さて、日本は内側から吹き出そうとしているナショナリズム、
嫌韓嫌中という排外主義をきちんとコントロールできるのか
当面する世界のなかでのもっとも危険な国家関係が
日中になっていくなかで、
世界も東アジアの危険な動向に関心を向け始めてきていると思う。
戦後日本の「平和国家」志向そのものが
本物であるのかどうか、試されてきているのかも知れない。
Posted on 2月 28th, 2014 by 三木 奎吾
Filed under: 状況・政治への発言 | No Comments »

「嫌韓嫌中」を特集すると本が売れるという現象が起こっていると言われます。
朝日新聞がたしなめるように記事で取り上げているそうです。
21世紀初頭になって、こういった国際情勢になっていくとは
なかなか、見通せなかったのではないでしょうか。
東アジアの韓国、朝鮮、中国というような国々とは、それこそ一衣帯水であり、
東京などに行けば、これらの国々からの来訪者、滞在者の数が多く
まさに東アジアのるつぼのような状況になってきたことは明瞭です。
人口減少が顕著になってきた日本では
それを埋めるようにアジアからの人的な吸引力が高まるのは自然でしょう。
で、こういった状況になると、ヨーロッパでもそうであるように
その国では「排外主義」的な動きが力を増してくるのは、一般的なこと。
ただ、ヨーロッパでは移民たちの供給国の力がそうは大きくなくて
外交的な問題が大きくなることは少ないのに対して
日本を巡る周辺国は、国家規模も大きく発言力も大きい現実がある。
そういうなかで、けっして晴れやかではない気分が日本には存在する。
これは事実として見ていかなければならないと思います。
ただ、中国も韓国も冷静に見て、
いまの外交的態度を改変するような可能性は薄いとみなければならない。
相当長期にわたってこういった東アジア情勢というのは固定化される可能性がある。
友好を願い、そのように基本的に対応しつつ、
度を超えるような要求に対しては、ふつうに外交対応するべきだ、
いまの日本人の基本的な態度はおおむねこんなところなのではないかと思う。
むしろいまの「嫌韓嫌中」の風潮は、戦後日本が行ってきたことを見ず、
日本を叩くことで外交的な利益を獲得しようと
きわめて「冷静な」計算に基づいて、中韓が執拗に追求してきている結果だと思う。
いつまでこのような状況に日本人が耐えていられるのか
その限度を探る、というような冷静さが2国にあるかどうか、
いまのところ、きわめて疑問だと思います。
隣国関係というのは、どこの地域でも難しいとは思うけれど、
東アジア地域では、どうにもやりきれない状況が変化の兆しが出てこない。
知人の国会議員さんによると
東京では女子高校生が国会前で国会議員に対して
「お願いですから、韓国と戦争してください」とアナウンスしているのだとか。
ぶつけられる民族的ヒステリーに対して、
似たような日本側のヒステリーのマグマは大きく上昇してきている。
で、問題は、日米関係ですね。
オバマ政権はけっして同盟国とはいえないような対応も見せている・・・。
「普通の国」になる、というのは、こういうことなのでしょうか?
Posted on 2月 27th, 2014 by 三木 奎吾
Filed under: 状況・政治への発言 | No Comments »