
完全なる二日酔いのまま、であります。
久しぶりにこんなに深酒してしまった(笑)。
どうしても、気心の知れた古い友人たちと会うと、酒のピッチがあがる。
きのうは始まったのが夕方の6時過ぎでしたが、
帰って来たら、朝の3時であります。
普段はほとんど起き上がる時間(笑)。
いやはや、元気で困る次第です。
ということで、ようやく二日酔いから脱却したと思った途端、
本日は岩見沢でBBQをやろうというお誘い。
これまでも、何回もお誘いを受けながら、スケジュールが合わなかった会。
なので、ふたたびこれから向かうのであります。
という次第で、本日は「一応書いた」というアリバイ的なブログで、
はなはだ恐縮の次第ですが、
なにとぞご容赦願いますように
伏してお願い申し上げます。
あすは、しっかりと論旨を踏まえたブログを書きますので
また、ご来場のほど、お願いします。
ではでは。
Posted on 6月 7th, 2014 by 三木 奎吾
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先日見学して来た上藻別駅逓には鴻之舞金山の資料が展示されています。
たいへん面白いエピソードをたくさん聞けたのですが、
そのなかでもいちばん面白かったのが、
最初、この地域の鉱脈を発見した「金堀人」さんたちのこと。
写真のみなさんなのですが、
まぁ、普通の「山師」さんたちだと思うのですが、
かれらが、大阪に行って大財閥の住友に売った鉱業権の値段が
90万円だったそうなのです。
で、それは1917年だったそうで、
その年の国家予算を調べてみたら、7億3000万円ほど。
ですから、国家予算の0.1%強の値段だったことになる。
いまの国家予算はおおむね90兆円程度ですから
単純に言えば、1000億円くらいが対照価格になる。
どんなに少なく考えても、現在の購買力平価換算で
数十億円相当にはなったようです。
まぁ、現在価値との換算は置くとしても、
一般の人間が想像できる範囲をはるかに超えた金額だったのでしょう。
交渉が無事にまとまってからのかれらは
大阪で、芸者さんを挙げて大騒ぎしたという逸話を聞かされました。
そういう人生のきらめきを生き得たという意味では
まことに面白いことに遭遇できた稀有なみなさんだと思います。
そんなことから面白くなって
浅田政広さんという方が書いた『北海道金鉱山史研究』という研究資料を発見。
そこには、以下のようなくだりもありました。(一部加筆)
北海道における金の発見は,史料的に見る限り,
1205年(元久2年)まで遡ることができる。
すなわち「知内村大野土佐日記によれば,同年,筑前の船が(道南の)知内に漂着し,
水夫が発見した塊金を甲斐の領主荒木犬学に献上,
荒木はそれを鎌倉幕府二代目将軍源頼家に献上したところ採掘を命じられ,
掘り子800人,家中計約1000人で1217年(建保5年)まで
足掛け13年間に渡って金採掘をおこなったというものである。
どうも、北海道の歴史には
このような鉱物資源、漁業資源の採取にまつわる痕跡が抜けがたくある。
こうした山師的な事跡というのは
かたちとして残ることが少なく、一瞬の光芒を見せたあと、
あとかたもなく消え失せてしまう。
住友財閥も、この鉱山跡については「自然に帰す」方針をとっている。
しかしいまでも、産金の後遺症とも言える
毒水の処理が取り組まれているそうです。
企業の責任のありようとして、ひとつの見識だとも思えます。
一方で、このような稀有な幸運にめぐり会ったみなさん、
しかしその後、末路はけっして幸せとは言えなかったようです。
この写真の中でいまでも家系が紋別などの周辺地域に残られているのは
2軒ほどだそうで、それ以外は、結局あざなえる禍福の
ことわざまんまの浮沈を生きられたそうです。
Posted on 6月 6th, 2014 by 三木 奎吾
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天安門事件から25年が経過したという。
1989年に勃発した現代史のなかでも特異なこの事件は
中国という異分子が、現代世界の中でどのようになっていくのかを
端的に占っていくひとつの指標にはなると思われる。
歴史の改ざんは中国では当たり前に行われるのだそうで、
いまや、天安門事件で中国共産党の軍隊が中国人を虐殺したことは国内的には
「なかった」ことにされているのだそうだ。
まぁ、25年が経過して、事件そのものを知らない世代も増えているけれど、
歴史の真実として、あの事件は記憶され続ける必要がある。
中国が現代世界に「改革開放」されていくプロセスで
ある時点では必ず、現代世界の基本的価値認識を受け入れなければならない
そういった必然性は、みんなの共通理解としてあった。
しかしあれだけの大国で、多民族国家であるという現実を見れば、
単純に政治の「民主化」が進むことは、世界の混乱要因になる危険性もある
というような現実があり、しかもそれが内政問題であることもあって、
世界はこの事件後も中国に門戸を開き、その「改革開放」の進展を期待してきた。
しかし、現実には民主化運動鎮圧の功績からトップに上り詰めた
江沢民を象徴とする保守強硬派たちは、
破綻した共産主義・共産党1党独裁思想の代わりに、反日などの排外的民族主義を
国是にして、自らの権力正当性の最大基盤にしてきた。
こうしたいびつな経過をたどったこと、
そのことを国際社会が「容認」したことで、
いびつな権力支配構造が中国に根付いてしまっているといえる。
今日、その国内統治における正当性の根拠の薄弱さが
政権の暴力的姿勢として結果するようになってしまった。
相次ぐ国内民族対立問題の暴力的勃発は
対外的な民族主義鼓舞と表裏一体のものであり、
それが政権基盤である以上、中国共産党独裁権力機構としては
強権的な国内締め付け、対外的な挑発的暴力姿勢しか
政権のスタンスとして、取れなくなってしまっているのだろう。
そして、その中国に対して、
結果としては似たような体質を持っている韓国の政権が
経済的な近視眼的な利益誘導に目がくらんで中国に媚びを売って
反日といういびつな外交を日本に対して仕掛けてきている。
東アジア世界の現在の状況は基本的にはこのような構造になっているのだと思う。
こういった情勢の中で、日本国民は民主的な手続きを経て
選挙を通した民意の選択として、現在の政権を選択している。
民主党政権の呆れるばかりの失敗への反動という側面ばかりではなく
この選択には、やはりある種の妥当性はあると思わざるを得ない。
この点、やはり日本には民主主義が機能しているといえるだろう。
不当な中韓の外交態度に対しては、
日本国民の大多数は憤りを覚えているし、
このことは、現在の日本の政治状況の基底にあることがらだと思う。
普通の状況であれば、もっと緊迫したテーマである
集団的自衛権の問題も、中国の対外的暴走が
日本国民にそれもやむなしとする動機・機縁になっている。
やはり中国は世界有数の大国であり、
世界はその動向からの影響を逃れることは出来なくなっている。
天安門事件25年を経て、亡命している中国の民主活動家の中から
「江沢民の退場を、世界は、中国は待たざるを得ない」
という具体的なメッセージが発されたけれど、
それがいまの端的な状況であるのかも知れない。
天安門事件を中国が民主的に乗り越え、止揚できるのか
そのことに、やはり現代世界は、固唾を呑み続けている。
Posted on 6月 5th, 2014 by 三木 奎吾
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先日のオホーツク散歩で発見した上藻別駅逓です。
現在は北海道開拓期に存在した「鴻之舞金山」の資料が置かれていますが、
本来は、歴史的建造物としての「駅逓」が保存されているもの。
駅逓がある、ということを聞いて
即座に行って見たいと思ったのは、普段から歴史に興味があるからなんですね。
駅逓とは、明治から昭和初期まで北海道辺地の交通補助機関として、
宿泊・人馬継立・郵便などの業務を行う制度。その運営者は、駅逓取扱人(半官半民)。
ということなんですが、
明治の時代というのは、王政復古という側面もあったわけで、
古代の日本国家創設期から作られてきた「国家ネットワーク」というものが
具体的なかたちで追体験できる施設と言えるのです。
日本には、中国での律令に基づく中央集権国家制度が導入されたのですが、
そこではさまざまな文化も一挙に導入された。
国家という以上、その意思の伝達徹底ということが不可欠になる。
畿内地域以外の遠隔地にある「鄙」の地方に対して
国家権力意志を伝え、権力を敷延させていくには、
情報を伝播していく神経細胞のようなネットワークが必要だった。
古代の世界では、この部分が「駅」であった。
整備された「街道」〜東海道、東山道、南海道、山陽道などの交通要衝地に
一定の間隔で、交通手段としての馬が用意され、
旅客に対してのサービスを提供する宿泊も伴った施設が「駅」として作られた。
そのような伝統的ネットワークが、
明治の北海道開拓には復古的に再現されて、「駅逓」制度として作られた。
そういう駅逓が実際にあれば、日本史の中の
ひとつの重要な部分を実体験的に感受できることになるわけですね。
この「上藻別駅逓」は、いまもひとが管理して使われている歴史的建造物であり、
まことに貴重なタイムスリップを味わうことが出来ます。
まぁまさか、北海道のような歴史的遺構に乏しい地域で
こういった施設が残されていようとは思わなかった。
まさに北海道に一番足りない部分、歴史の積み重なり、
人文的な興味部分が、思わぬところで発見できた喜びであります。
建築としても、何回か建て替えられたり増改築されているには違いないのですが
基本デザインとしても、明治の雰囲気が伝わっても来る。
こういう施設について
いまでも北海道内で数カ所は残っているので、
これらの存在の歴史的価値について、きちんとだれか、歴史学者さんが
まっとうな意見を言っていただけないかと期待します。
ただ、それもきっと東大の先生でないとなかなか受け入れられないでしょうね。
そういった下世話なことはまぁいいとして、
ぜひ地域地元のみなさんは、こういった施設建築をもっと活かしたらいい。
そんな思いを抱きながら、楽しく見学させていただきました。
管理されている方も、本当に面白い方で、腹を抱えて楽しめました。
ぜひ一度、訪れてみてはいかがでしょう?
Posted on 6月 4th, 2014 by 三木 奎吾
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政府は、「骨太の方針」的な諮問会議で
人口問題と日本の成長可能性について相当に突っ込んだ論議をしたようだ。
その内容の一端が、たとえば
人口減少していくと若い女性の数が極端に少なくなって
消滅危機に瀕する自治体の数が急増する。
東京でも豊島区が、なんていうアナウンスが流れたりした。
まぁだれが政権を担っていても、この問題が最重要テーマであることは
明らかだから、当然だけれど、
いまの安倍政権は必要ポイントには対応しているといえる。
ただただ目先のポピュリズムで大騒ぎしていた民主党政権とは
視座において、まったく違い続けている。
いま世界で「高齢化社会」をいちばん最初に迎えているのは
日本社会なので、われわれは世界の最先端で問題に向き合っている。
この問題と社会の発展とを、どのように調和させられるかどうか、は
人類社会の発展にとって、きわめて重要だと思う。
この局面で、国家運営として、経済社会として、
きちんとした対応ができるのかどうか、
世界全体が固唾をのんで注目せざるを得ない。
人口が減少していくことは必然であり、データが示すようになるのだろう。
資本主義的な社会変化に対応して、
人口が減少するように人類のDNAはセットされていたのだと思う。
出産・子育てという、お金に換算できない営為は
すべてをお金とコストパフォーマンスに置き換えて判断する
資本主義社会では、むしろ「損になる」とDNAは命じているのだと思う。
だから、先進国では一様に少子化が進展しているのだろう。
しかし一方で、資本主義は人類に巨大な豊かさや便利さを産んだ。
発展するという方向で未来を見通して
次の時代を構想すれば、こうした少子化などの、
マイナスなことがらは否定されるのではなく「止揚」されるのだろう。
だから、わたしたちの主要なテーマは表題のように
「人口減少でも豊かな社会は可能か?」ということになるべきだ。
考えてみれば、先進国・ヨーロッパ諸国はおしなべて
人口減少に遭遇し、アメリカもいわゆるアングロサクソンでみれば人口減少。
アジアでも韓国の人口減少の急角度ぶりは日本をはるかに凌駕する。
ひとりっ子政策をとってきた中国も事情は同じ。
そのように考えれば、これら国家社会がすべて衰退し滅亡すると考える方がおかしい。
そうならないための人類的な知恵を、
わたしたち、日本人は最初に考える機会に遭遇していると
真っ正面から取り組んでいくべきなのだ。
こういった国家レベルでの論議の内容が
徐々に詳らかになり、それを咀嚼した官僚機構・大学研究機関からの
対応策、方針に注目していきたいし、
また、わたしたちレベルでも、大いに知恵を絞っていきたいと思う次第。
Posted on 6月 3rd, 2014 by 三木 奎吾
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表題のようなことを最近、深く感じるようになった。
どうも日本型社会が、人口減少問題に直面してから以降、
社会の次のありようを明確に描けていないように思う。
資本主義的な社会発展という人間社会の現状の大きな枠から
それを超えるような枠組みの胎動がまだ見えていない。
そういうなかで、「次の時代像」というものの出口が見えてきていない。
人口の問題は、そのようになっていくことは明確なんだろうけれど、
人口減少というのは、人間社会が現状の社会構造に対して
ふつうに反応、対応した結果だろうから、
むやみに改変したりはできないことがらのように思う。
人間も労働力も減少して、しかもこの社会が発展するような
そういった方向は、いったいどこにあるのか。
明治維新のときには、若者たちがカンタンに動かせたほどに権力機構は
ほころびきっていて、武士階級という小さな世界を
大騒ぎして揺り動かせば良かったのだろうけれど、
現代世界では、そういう社会変革はなにを変えれば良いのかが
明瞭になっていない。
あの時代には、欧米列強という黒船が明確な姿をとって立ち現れて
それを見てキャッチアップするなりすれば済んだ。
結局は、資本主義発展が世界的に進行するなかで、
それを受け入れていけば良かったのだから、
まぁ、いまになってみれば話は明確だ。
それに対して、現代は、なにが革新されなければならないか、
必ずしも明瞭にはなっていない。
資本主義発展の向かうべき方向に未来があるとすれば、
それは「市場の形成」というようなことを見通せば、とはなるけれど、
国家という存在は、どうなっていくのか、ということと合わせて考えれば
やはり未来の形は見通しがたい。
たぶん、そんな状況の中にわたしたちのいまの社会全体はある。
そういう不可視のなか、
少しでも未来を予測して、なにごとかに向かっていかねばならない。
要は、資本主義がどうなっていくか、ということなのだと思う。
資本主義もやはり歴史的なものとして、
止揚されていく存在であるのか、
現代国家という概念もまた歴史的な存在であり、
この両者が、どのような未来になっていくのか、
減少した人口社会で、こういった未来での存続可能性対応が可能かどうか、
わたしの主要領域である住宅では、どのような変化が
起こり得るのか、
まことにむずかしい時代を、生き延びていかねばならない。
どうもそんな回答の出ない
無明を歩かなければならないと思わされております。
<写真は港湾施設の乏しかった時代の北前船交易の荷揚げ風景>
Posted on 6月 2nd, 2014 by 三木 奎吾
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日常ふとしたことで、目が点になるような瞬間がある。
きのう、朝日のまぶしさのなかでオレンジ系のくだものを食べていて
柑橘類らしい美しさにふと目が行って
なつかしい美にこころが満たされるような気分になった。
よく「はじめて何々を食べたときの感動」と言いますが、
それよりももっと始原的なことで、
はじめて柑橘類を目にしたときの新鮮な驚きのようなことに気付いた。
そうです、柑橘類はなによりもまず、美しい。
写真は、朝日を果肉が裏側から照らし出して
背景光、バックライト状態でみた感じなのですが、
自分のなかの柑橘類の視覚的イメージの根源に近いように思った。
人類ではじめて柑橘系に触れた人間は、さぞかし、感動したことでしょうね。
いや、柑橘類は太古のアフリカの大地で
人間として枝分かれする以前から、類人猿のさらにもっと前の時代から
わたしたち生物は、食し続けていたに違いない。
そういったDNAに完全に刷り込まれた生物的感情っていうものがあるに相違ない。
アースカラーに彩られた世界で
こういった柑橘類の色彩はまことにあでやかそのもの。
それと甘味・酸味が伴って、
動物たちの官能を刺激し続けてきたに相違ない。
写真のような薄皮のついた状態から、
徐々に皮をきれい剥いでいくプロセスで
さらになまめかしいオレンジ色の色彩が強まっていくとき、
われわれのイキモノの祖先たちは、さぞかし胸震えるような
感受性のさざ波を感じていた。
どうもこうした種類の感動に目覚めてきたように思います(笑)。
たぶん、永平寺の食についての考え方を学んだ機会以来、
根源的な、食べる、ということの意味合いに
考えが及ぶようになったからなのでしょう。
「いのちをいただく」という考え方に
深くいやされるような思いがして、
それ以来、ごく日常的なこと、ごく自然なことに
よろこびはあまねく存在していると気付かされたように思うのです。
そういった心持ちを持てば、食材がもつさまざまな魅力に気付いてくる。
柑橘類がもっているこの魅力を、
すべて味わう、というように思えるようになって来た。
そういった意味で、禅の考えを学ぶと、広がりが得られるのでしょうね。
まことに現世利益的で恥ずかしいのですが、
くいしんぼうの自分にしてみると
食がそのまま修行であるという考え方は
まっすぐに受け入れられる思想だと感じております。
しみじみと、この柑橘類の美しさに
打たれていた次第です。
Posted on 6月 1st, 2014 by 三木 奎吾
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ここんところ、あちこち出張が続いて
ややお疲れモードにつき、さらに遠出してみようと(笑)
オホーツクに向けて早朝に出発いたしました。
気の向くまま、中高年夫婦ふたりの気まま旅であります。
「そういえば、この時期といえば芝エビだよな」
「え、それは違う、北海シマエビでしょ」
「なんかちがうなぁ・・・、そだ、シバザクラだよ、滝ノ上!」
ということで、まったく計画性のかけらもないノリです(笑)。
しかし、中高年、朝はとにかく強い。
4時に出発予定でしたが、なにゃかや、やっているウチに4時半を過ぎた。
朝早くても、北海道の夏は日が早い。
もうクルマの往来が激しい。
とはいっても、高速に乗って一路、オホーツク海側まで。
目的地の滝ノ上のシバザクラ公園のオープンは7時ということで
到着は、7時半前。
今週が満開、ということでしたが、やや終わりの印象。
でも何回か来たなかでは、一番の豊作に近い咲きっぷり。
シバザクラは比較的、全国と咲く時期が似ているのでしょうか。
本州でもつい最近、見ていた記憶があります。
ということで、気ままにその後もあちこち。
その後、オホーツク紋別の流氷の下を見ることができる
オホーツクタワーで、かわいいクリオネのダンスを飽きずに鑑賞。
まったくかわいいのですが、映像ではそのかわいいクリオネが
他の微小生物を補食する様を見ることもできます。
イキモノの世界、どんな小さい世界にも
弱肉強食の掟が厳然とある。
いい学習であります。
で、その後、そのタワーで見た観光案内で
上藻別駅逓という施設を発見。
カンが働いて、行ってみた次第であります。
駅逓というのは、北海道開拓の時代に、各地700箇所と言われるそうですが、
国家の通信・交通・宿泊施設の役割を担ったもの。
公共施設として建てられたもので、まぁ郵便局と似たようなものだった。
・・・、で、ものすごく勉強になった見学でしたが、
それはまた、後日書きます。
で、シバザクラと並び称される上湧別のチューリップ群生を見学。
こちらも盛りはやや過ぎておりましたが、
それでも迫力のある大群生であります。
さてさて、のんびり無計画な旅、どうなっていくかなぁ??
Posted on 5月 31st, 2014 by 三木 奎吾
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最近、日本の住宅建築進化の中で
北海道が発祥になった「高断熱高気密」という建築「様式」は
どのように位置づけられていくべきなのか、考えるようになって来ました。
先日、東京で「伝統木造」ノスタルジー派とでもいえるみなさんと接してみて
その驚くほどの保守教条主義に遭遇した次第。
「吉田兼好以来・・・」という言葉が飛び交ったりして
思わず現代であることを忘れてしまうような時間を過ごしておりました。
その空間性には大いに刺激されることが多い
日本の伝統的木造住宅ですが、さりとて、現代住宅性能技術が蓄積してきている
空間の質感について
それを否定してかかる必要がどこにあるのだろうかと不思議です。
否定したいがタメに、ありもしない偶像的対象物を措定して
それがとんでもない、こういう考え方だからダメなんだと
いきり立ち、終いには施主の立場からと称して
人権的な論議を持ち出して、保守伝統の世界を守り抜くんだ、と決意表明している。
なにやら、全学連、全共闘的な雰囲気に思わず、引きずり込まれそうになっていた(笑)。
そういえば、「よし!」「ナンセンス!」っていうような掛け声が出る寸前だった。
その「つるし上げ」的な雰囲気の中で、権力側の立場的に対応しているのが
わたしたちの立場に近い高断熱高気密住宅の側の人間。
思えば遠くへ来たものだ、というような感慨に打たれていました(笑)。
というのは、10代の頃にはこういう「反対派」の側に学生運動として
自分自身がいた記憶が甦ってくるからなのですね。
でも、まぁ冷静に考えてくださいっていうところ。
高断熱高気密っていう考え方は、なによりも人間のよき居住環境を作るための
そのための技術として、進歩進化の結果、
わたしたち社会が獲得しつつあるものなのです。
人間社会が作りだしてきた住宅はいろいろにあったけれど、
それらはさまざまに進歩発展してきて現在の地平がある。
竪穴住居も、洞窟住居もあったけれど、
それらの良さももちろんあったけれど、
やはり住みにくかったり、健康問題が起こったりして
止揚されてきているのです。
その後の、貴族のための寝殿造りや、権力者たちの書院造り、
などは、むしろ、財力や権力などという「文化」を表してきたものという
側面が非常に強い。
庶民を睥睨するような、そのために格差を表現する「ための」住居だった方の要素が強い。
さらに庶民の町家住宅や農家の古民家群などもさまざまな「政治的規制」によって
今日まで受け継がれてきたもの。
歴史的なこういった経緯を踏まえて、現代の住宅建築はあり、
そのなかで人間の体内リズムに感応するようなここちよさの実現を目指して
高断熱高気密住宅が生まれてきたのだといえるでしょう。
社会規制とは別の素因から生まれてきた
人間発想の住宅技術なのだと思う次第です。
同じような考え方をして、こういう時代に冬にもここちよさを失わずに
しかも伝統的なデザインを維持する方法はなんなのかと
そういった技術研究に向かうのが正論であるべきだと考えます。
Posted on 5月 30th, 2014 by 三木 奎吾
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前半と後半に山があって、最後にも急遽の予定も入った今回の出張。
途中、進行中の案件の管理もあったのですが、
ようやく昨日夜、帰還することが出来ました。ふ〜〜、やれやれ。
久しぶりにわが家に戻って、日常のなかで過ごせる幸せを再確認。
まぁ、わたしの場合、仙台への出張は
ほとんどセカンドハウス的な感覚で、
街中を歩くのも、札幌よりもずっと頻度が高い。
たまに札幌の街を歩くと、まったく知らない自分にびっくりもする。
札幌の街って、ほとんどビルなどの建設工事が少ないです。
仙台でゼネコン関係の方にお話しを聞く機会がありましたが、
札幌市長さんの、よく言えば「環境未来都市」的な志向があって
たとえば容積率などで他の都市と比べて、低く抑えられていて、結果
「投資回転率」が極端に悪くなっている。
人手不足の顕著になってきたこの時代性もあって
ビル建設などの投資が、ほとんどなくなってきているのだとか。
仙台は震災復興もあって活発なので、その違いに驚く次第で、
仕事のない北海道から建設関係の人材が流入しているそうです。
また、その仙台にしても、
建築工事の単価が急上昇していて
さらにもっと建設需要の見込まれるオリンピックを控えた東京に
どんどん投資活動が集中されてきているとのこと。
日本各地を歩いていると、こういった違いが顕著に見えます。
東北のみなさんに、札幌市長さんが断固宣言した
「震災がれき」受け入れ拒否のことを
お話ししたら、みな一様に憤りを語られます。
一市民として、いまは謝罪するしかない。でも、
ほんとうに札幌市民として恥ずかしい。
一方で、それほどの準備もなく飛びついたドイツパッシブハウスの導入では、
その検証作業自体の欠如が言われてもいる。
どうもポピュラリズムの負の側面がかなり露わになってきている。
とくに震災がれき受け入れ反対という行政長としての判断については
被災地のみなさんへどのように対応すべきか、
息の長い活動、真意の説明が不可欠だと思っています。
すくなくとも一市民であるわたしは、東北のみなさんに対するとき
とても説明できないし、謝罪するしかない。
震災がれきについては原発事故のあった福島島だけではなく
岩手・宮城を含めて拒否されたのです。
このことについて、東北の人たちに筋の通ったお話しを
いま、かれはできるのでしょうか?
震災以降、このような「自分(の地域)さえ良ければそれでいい」という意見と
多少困難はあるけれど、やらねばならないことをするという意見の
ふたつの方向に日本人は別れてきたような気がする。
たぶん、あの震災がれき受け入れ拒否については
うやむやに、触れられないようにこっそりと
なかったことにしてしまいたい、ときっと考えているに違いないと思いますが、
でも、札幌の人間として、わたしは
そのことについて東北のみなさんに
一市民として謝罪し続けなければならないと考えている次第です。
<写真は無関係。昔ながらの自然塩製造の釜>
Posted on 5月 29th, 2014 by 三木 奎吾
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