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震災がれき拒否の札幌市民として

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前半と後半に山があって、最後にも急遽の予定も入った今回の出張。
途中、進行中の案件の管理もあったのですが、
ようやく昨日夜、帰還することが出来ました。ふ〜〜、やれやれ。
久しぶりにわが家に戻って、日常のなかで過ごせる幸せを再確認。

まぁ、わたしの場合、仙台への出張は
ほとんどセカンドハウス的な感覚で、
街中を歩くのも、札幌よりもずっと頻度が高い。
たまに札幌の街を歩くと、まったく知らない自分にびっくりもする。
札幌の街って、ほとんどビルなどの建設工事が少ないです。
仙台でゼネコン関係の方にお話しを聞く機会がありましたが、
札幌市長さんの、よく言えば「環境未来都市」的な志向があって
たとえば容積率などで他の都市と比べて、低く抑えられていて、結果
「投資回転率」が極端に悪くなっている。
人手不足の顕著になってきたこの時代性もあって
ビル建設などの投資が、ほとんどなくなってきているのだとか。
仙台は震災復興もあって活発なので、その違いに驚く次第で、
仕事のない北海道から建設関係の人材が流入しているそうです。
また、その仙台にしても、
建築工事の単価が急上昇していて
さらにもっと建設需要の見込まれるオリンピックを控えた東京に
どんどん投資活動が集中されてきているとのこと。
日本各地を歩いていると、こういった違いが顕著に見えます。
東北のみなさんに、札幌市長さんが断固宣言した
「震災がれき」受け入れ拒否のことを
お話ししたら、みな一様に憤りを語られます。
一市民として、いまは謝罪するしかない。でも、
ほんとうに札幌市民として恥ずかしい。
一方で、それほどの準備もなく飛びついたドイツパッシブハウスの導入では、
その検証作業自体の欠如が言われてもいる。
どうもポピュラリズムの負の側面がかなり露わになってきている。
とくに震災がれき受け入れ反対という行政長としての判断については
被災地のみなさんへどのように対応すべきか、
息の長い活動、真意の説明が不可欠だと思っています。
すくなくとも一市民であるわたしは、東北のみなさんに対するとき
とても説明できないし、謝罪するしかない。
震災がれきについては原発事故のあった福島島だけではなく
岩手・宮城を含めて拒否されたのです。
このことについて、東北の人たちに筋の通ったお話しを
いま、かれはできるのでしょうか?
震災以降、このような「自分(の地域)さえ良ければそれでいい」という意見と
多少困難はあるけれど、やらねばならないことをするという意見の
ふたつの方向に日本人は別れてきたような気がする。

たぶん、あの震災がれき受け入れ拒否については
うやむやに、触れられないようにこっそりと
なかったことにしてしまいたい、ときっと考えているに違いないと思いますが、
でも、札幌の人間として、わたしは
そのことについて東北のみなさんに
一市民として謝罪し続けなければならないと考えている次第です。

<写真は無関係。昔ながらの自然塩製造の釜>

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