本文へジャンプ

美と食欲

1726

日常ふとしたことで、目が点になるような瞬間がある。
きのう、朝日のまぶしさのなかでオレンジ系のくだものを食べていて
柑橘類らしい美しさにふと目が行って
なつかしい美にこころが満たされるような気分になった。
よく「はじめて何々を食べたときの感動」と言いますが、
それよりももっと始原的なことで、
はじめて柑橘類を目にしたときの新鮮な驚きのようなことに気付いた。
そうです、柑橘類はなによりもまず、美しい。
写真は、朝日を果肉が裏側から照らし出して
背景光、バックライト状態でみた感じなのですが、
自分のなかの柑橘類の視覚的イメージの根源に近いように思った。
人類ではじめて柑橘系に触れた人間は、さぞかし、感動したことでしょうね。
いや、柑橘類は太古のアフリカの大地で
人間として枝分かれする以前から、類人猿のさらにもっと前の時代から
わたしたち生物は、食し続けていたに違いない。
そういったDNAに完全に刷り込まれた生物的感情っていうものがあるに相違ない。

アースカラーに彩られた世界で
こういった柑橘類の色彩はまことにあでやかそのもの。
それと甘味・酸味が伴って、
動物たちの官能を刺激し続けてきたに相違ない。
写真のような薄皮のついた状態から、
徐々に皮をきれい剥いでいくプロセスで
さらになまめかしいオレンジ色の色彩が強まっていくとき、
われわれのイキモノの祖先たちは、さぞかし胸震えるような
感受性のさざ波を感じていた。

どうもこうした種類の感動に目覚めてきたように思います(笑)。
たぶん、永平寺の食についての考え方を学んだ機会以来、
根源的な、食べる、ということの意味合いに
考えが及ぶようになったからなのでしょう。
「いのちをいただく」という考え方に
深くいやされるような思いがして、
それ以来、ごく日常的なこと、ごく自然なことに
よろこびはあまねく存在していると気付かされたように思うのです。
そういった心持ちを持てば、食材がもつさまざまな魅力に気付いてくる。
柑橘類がもっているこの魅力を、
すべて味わう、というように思えるようになって来た。
そういった意味で、禅の考えを学ぶと、広がりが得られるのでしょうね。
まことに現世利益的で恥ずかしいのですが、
くいしんぼうの自分にしてみると
食がそのまま修行であるという考え方は
まっすぐに受け入れられる思想だと感じております。

しみじみと、この柑橘類の美しさに
打たれていた次第です。

コメントを投稿

「※誹謗中傷や、悪意のある書き込み、営利目的などのコメントを防ぐために、投稿された全てのコメントは一時的に保留されますのでご了承ください。」

You must be logged in to post a comment.