
さて、今週木曜日の講演に向けて
土日は完全に執筆サンデーしておりました。が、まだ終わらない(泣)。
まぁ、しょがない。
週の半ばまで、時間をやりくりしながら、仕上げます。
ということなので、ブログの方は息抜きさせてください(笑)。
本日テーマは、ごく軽めのモノとさせていただきます。
東京には、年に数回、5-6回くらいのペースで
出掛けるのが、習慣化しています。
行くたびに思うのが、本当に東京ではよく歩くということ。
日本人の中で、いま一番健康的に運動しているのは東京生活者だと。
わたしのような地方居住者だと、どんなに近いところ、
たとえばコンビニに行くにも、ついクルマで出掛けてしまう。
わたしの自宅から一番近いコンビニは、約300mほどなのですが、
ここまで家から歩いたという記憶は、
坊主が小さい頃に、「はじめてのお使い」に行かせて心配のあまり
あとをそっと追跡して以来(笑)。なので、たぶん16-7年前。
大人の「はじめての徒歩買い物」みたいな状況になるかも。
それくらいクルマ社会なのですね。
それに対して、東京はとにかく歩くライフスタイルが鉄板。
そういえば、相撲で地方別の関取を調べたら、ある時期から
東京が一番多くなったと言われていたと記憶しています。
東京は、公共交通機関がメチャクチャ発達しているので、
どこにいっても、地下鉄を初めなにかの交通機関に乗ることが出来る。
乗ってしまえば、最短距離で移動するナビは
スマホなどで情報入手できるので、ほぼ考えなくても移動できる。
ということで、徒歩で動き始めるのに、まことに制約を感じない。
で、たぶん、交通機関のなかとか、
その乗り換えとか、目的地までの移動など、
徒歩の占める割合は相当に高いと想定できます。
先日の丸1日の東京都内での移動でも、
ついついオーバーワーク気味に行動してしまう。
日頃の運動不足を痛感させられますね。
重たい荷物を面倒だからと持ち運ぶのも疲労が倍加するのかも。
まぁそんなことで、帰ってくると疲れがハンパない。
のですが、今回気がついたのが写真のような通路での「仕切り」。
交通機関の改札までのエスカレーター周辺にこういう仕切がありました。
こっちはたまに来るので、そういう変化に敏感なのかも知れませんが、
かなり頻繁に地下鉄などで見掛けました。
エスカレーターからの乗降時に、人間が交差するので危険があり、
それを回避させる工夫なのでしょう。
おノボリさんよろしく、しばし感心させられておりました。
こういう集団的人間工学的な進化というのも、
日本社会、東京ではいちばん最先端で変化していくものですね。
見ていて、また通行してみて、まことに合理的。
たまの訪問で、気付いた次第ですが、
たぶん、なに言ってんの、そんなのだいぶ前からあるよ、
という声が聞こえてくるかも知れません。
当方、田舎者ですので、その分、悪しからずよろしく(笑)。
Posted on 10月 5th, 2015 by 三木 奎吾
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わたしなど、戦後高度成長期をリアルタイムで経験した人間は、
家電製品というと、くらしを圧倒的に便利にしてくれて、
その導入の先に、夢のように「豊かな社会」があると、
まるで「3丁目の夕日」のように、
目を輝かせながら目の前のことに立ち向かっていた世代・時代。
まずは、照明が各室に行き渡っていき、
その後、力道山のプロレスとともにテレビがやってきた。
そして栃錦・若乃花の全盛から大鵬の時代の相撲、
長嶋・王の巨人全盛のプロ野球と、
圧倒的な「娯楽」の王者が、ひとびとの「時間」を支配していった。
そして、ほぼ同時期に冷蔵庫がやってきて、
食の世界を支配して、買い物の時間感覚を変えて、
それまで、毎日少量ずつの買い物行動が大きく変化して
集に1〜2度の集中購入に変わって、肉屋、魚屋、青果店など
町場の専門店から、スーパーマーケットに消費行動が変化した。
きっとこうした時代は、ビジネスの面では
まことにやりやすい時代だったに違いないと思う。
大都市周辺の土地の値段は、旺盛な企業による設備投資と
ふるさとを離れた農家の次男、三男が職場へのアクセス可能な土地に
「戸建て住宅」を求める旺盛な需要に支えられて、
土地は、買えば必ず値上がりする時代が、しばらくは続いていた。
この時代の借金によって、その数十倍の資産を形成したひとが
日本の富裕層であろうことは、間違いがない。
こうした時代が去って久しいけれど、
日本はなんとか、このあとの「調整局面」をソフトランディングしてきた。
ちょうど、中国がいま、こうした「無限成長」、
がんばれば這い上がれた時代から、がんばっても難しい時代に差し掛かる。

今週は、多忙な週になりそうで、
火曜水曜は、業界団体の会合で案内人役をやって、
その間にも、来客の予定があり、
その水曜日には仙台に移動して、面接をかたづけた後、
福島県白河で講演会を木曜日に行うという予定。
で、月から水曜には坊主が用事があって短期帰省し、
土曜日には娘が沖縄から、帰省してくる。
その週末には、面白そうな考古学の発表会が、道央の厚真である。
っていうような目の回るようなてんこ盛り状態であります。
まずは、講演の準備作業を、長時間、目をショボショボさせながら、
各種資料と格闘しながら行っております。
この家電関係のデータは、家庭エネルギーの発表部分のもの。
さて、きょうが山場で、もう1〜2日、がんばりたいと思います。
Posted on 10月 4th, 2015 by 三木 奎吾
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きのうは東京恵比寿から数分の山種美術館での
絵画鑑賞の記事を書きましたが、
スマホの「乗換案内」を確認して乗ったバスの行き先が
「日赤医療センター前行き」になっていました。
なつかしい名前でして、わたしの東京での大学の母校・國學院に近い。
あんまり強い思い入れはないと思っていたのですが、
しかしこうやって近くまで来てみると、感慨もある。
その上、山種美術館では周辺の案内として「國學院大學博物館」という
案内映像も流していた。・・・初耳であります。
なにそれ、という興味も湧いてきて、絵画鑑賞後、
数分、案内表示に沿って歩いていたら、國學院の大学キャンパスに。
守衛さんとおぼしき方に尋ねたら、なんと親切に「博物館」までいっしょに
案内をしていただいてしまいました。
40年ぶりに歩いてみたキャンパスは、まったく建物が一新されている。
ちょうど、昼食時でもあったので、なつかしさもあって、
学生食堂に立ち寄ってみた。
最近の学生さんは、朝食抜きというひとも多いそうで、
大学としては、そういった学生の健康管理支援のために、
学生食堂のメニューと時間を強化して対応している。
朝食メニューもあって、これはすばらしいなと感心しました。
頼んでみたのは、「カキフライ定食」だったのですが、
これが、副食として3品の小丼も添えられていて、
カキフライも5つという栄養も満点のメニュー。
それで値段が500円というから、大学側の努力はすごいですね。
フライは揚げたてで、しっかりした食感が楽しめる。
明るい硝子越しに学生さんたちの様子が見られて、まことにほほえましい。
・・・あ、すっかり食い物の話題になってしまった(笑)。
違うのです。本筋は、國學院の名物先生だった樋口清之先生のこと。
わたしは法学部だったので、文学部の先生の授業は、年に1〜2度
学部交流のような選択授業で受けていた記憶があります。
「梅干しと日本刀」というベストセラーになった著作が、まことに興味深く、
先生の授業には、心底感銘を受け続けていた。
博物館というのは、先生の事跡を基礎に大学としてひとつの施設にまとめた
ということなのだそうであります。
いま、國學院には文学部の中に「考古学科」があるそうですが、
それも樋口先生の業績が発展していった結果、開設されたということ。
そういうことなので、わたしの学生当時には存在しなかった。
先生の学問は、文化人類学とも歴史学とも考古学ともいえる領域で、
わたし自身の人格形成、興味分野の探索過程で、
この樋口先生の謦咳に触れたという経験が、かなり大きかったんだと、
そんな古い記憶が鮮明に甦ってきた次第です。
当時は、そんなことはまったく考えていなかったのですが、
若い頃に刷り込まれた興味のありかというのは、
かなり決定的な要素なのだ、勉強はやれるときにやっておくべきだと、
そんなことに思い至っておりました。
・・・ま、いまさら遅いけど(笑)。
折から、そんなことを家族LINEに書き込んだら、
いま、東京の大学で学んでいる坊主とやり取り(笑)・・・。
いっとき学生時代のあれこれが想起されて、楽しい時間を過ごせました。
Posted on 10月 3rd, 2015 by 三木 奎吾
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わたし、大の俵屋宗達ファンであります。
戦国末期から江戸初期にかけての京都の街に醸成した
時代の空気感がたっぷりとテンコ盛りになった「琳派」の初期。
刀剣という、この時代にもっとも金を稼げるものづくりの
家元のような家に生まれた本阿弥光悦が創始した文化伝統。
その初期大スターとして、俵屋宗達は世に出てくる。
室町の時代を始めた足利の家からして、
3代の義満の金閣や、8代義政の銀閣など、
たぶん、この琳派の雰囲気を醸成する傾向を持っていたのだと思う。
そして信長の生き方、死に方、秀吉の出現など、
煮えたぎったような時代のるつぼ感が、ハンパない。
そして光悦と宗達が、花開かせたこの琳派の美意識が、
直接の師弟関係などはないのに、遙かな後、約100年後に
京都の商家の放蕩息子・尾形光琳によって、はるかに私淑され、
宗達の「風神雷神図屏風」を、克明に模写するという芸術事態を生んだ。
琳派という名称が、この尾形光琳から創始されるというのも面白い。
また、その光琳からさらに100年後、今度は酒井抱一が、
ふたたび、この宗達と光琳の「風神雷神図屏風」を模写する。
こうした劇的な推移にも、なにか、日本人を興奮させるものがある。
そんなわたしですので、
きのう、東京恵比寿の近くの山種美術館で展覧会を見学して来ました。
わたしの東京での母校・國學院にも近い。
この山種美術館というのは、証券会社を創設された方が
コレクションされていた日本画をベースにしてはじめられた美術館だそうです。
この場所でスタートしたのは、2009年というように紹介されていますから
わたしの大学時代、まったく記憶がないのも道理であります。
落ち着いた高級住宅街、それも恵比寿の駅からは
バスに乗るという楽しい道中も経験できる位置にある。
展覧会は、まことに素晴らしいものでした。
琳派という日本の文化伝統の中でも、きわめて今日的な流れが、
非常に明瞭に楽しくアセンブルされておりました。
こういう文化にくるまれることが、非常に豊穣な気分をもたらせてくれる。
また、近代現代の作家たちの展示箇所で、
すっかり魅了された作品にも出会うことができました。

この作品、山口蓬春さんという方の作品で、
「新宮殿杉戸楓4分の1下絵」と題されておりました。
いまの皇居を飾る装飾画のひとつの下絵ということのようでありますが、
どうも人気が高いようで、帰りにミュージアムショップを見ていたら
クリアファイルになっていて、購入しました。この写真は
そのクリアファイルを写真撮影したものです。
そういうことなので、構図は絵画とは違いがあります。
やはり絵というのは、実物が持つ空気感とともに感受するものですね。
ただ単に写真的にピンナップしたとしても、
まったくその美を受け取ることはできないものだと痛感します。
全部の展示を見終わった後、もう一回この絵の前に来て
しばしの間、この絵だけを見つめ続けるようないっときを楽しめました。
琳派の風神雷神図屏風以来のキッチュな造形感のようなものと
色彩への日本的な感受性のようなものの両方が
渾然一体となって、作品と向き合う中で感受できると思いました。
書かれていた解説ではこの山口蓬春さんは北海道で生まれた方だそうで、
10歳で東京に移転された方のようです。
そしてこの作品は、74歳で描かれた作品だと言うこと。
「大好き」とはじめて出会う、というのはまことにうれしいことですね。
Posted on 10月 2nd, 2015 by 三木 奎吾
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きのうは、青森でビジネスの案件をかたづけた後、
前から気になっていた東京での「R不動産」の状況を見学取材。
Facebookで知り合った宮部浩幸さんという、東大の建築の計画系出身で
既存建築の再生利用、そのデザインといった新しい建築の領域に
活動を広げ、いまは近畿大学で教鞭を執られている方が関わった
日本橋馬喰町のリノベーション建築を見てきました。
既存賃貸ビルに手を加え、
IRORI Hostel and Kitchenという名前の宿泊施設に再生したもの。
既存の都市、建築空間は、
これまでの社会では、右肩上がりの経済発展が、
無条件の前提での計画に基づいていたように思います。
需要と供給の関係では、需要が無限に広がっていくような
そういうバラ色の経済構造が前提されていた。
そうした幻想は無惨に打ち砕かれて、しかし、
先進国ではムリだけれど、発展途上国ではその論理が通用すると
世界のマネーはこぞって、そういう「発展」に資金供与し、
中国などの旺盛な需要にシフトして経済発展を夢見てきた。
そういった方向が、いま世界的に大きなひずみを生んで、
中国経済の停滞、不況が露わになってきた不安感から、
世界的に株安の連鎖がなかなか止まらない。
今後、しばらくの間は、不透明な経済の状況が続く予感がします。
そういうなかで、当然のように置き忘れられた「発展期の残滓」のような
都市環境がいま、存続してきているけれど、
しかし、再投資をするにしても「見合わない」という資産として
なるべく見ないようにして放置されてきている現状がある。
とくに地方都市の中心街など、需要があった時代の残滓のような
「固定資産税」の高さと、経済効率の悪さが、手が付けられないまま、
無惨な姿をさらしているのが、現実だと思います。
そういうなかで、まだまだ使えるモノは,再生利用するという
そういった動きが徐々に見え始めてきている。
そのひとつが、この取材のような建築の再生利活用だと思います。
ここでは、十分な都市利便性立地を活かし
そしてグローバルなひとの流動という世界の流れを見据えて、
低価格な宿泊施設として、この建築を利用している。



きのうはオープニングパーティということで、
昼間に若干写真撮影させてもらってはいたのですが、
その後のパーティではゆっくりとお話を伺うことは叶いませんでした。
また、ビジネス的な案件なので、投資金額との見合いでの回収見込みなど
いちばん「あぶらっこい」(笑)、情報はなかなか取材できませんでした。
既存の7階建てビルで1階はエントランスやキッチン空間、
2階にはシャワーブースが集中配置され、
7階は事務所的な利用が考えられていて、中間階が宿泊空間。
宿泊スペースは2段ベッドが据え付けられて、間仕切りはカーテンのみ。
ベッドの造作も、印字されたままの構造用合板+ビス留め、
構造部材素地がそのまま表れている空間です。
窓などは既存の窓がそのまま使われていて、
既存の表面仕上げ材を撤去したままの素地空間を
外観ではむしろそのまま「打ち放し」のようにデザインし、
内部空間では荒々しい素地空間にペイント仕上げをしていました。
こういった宿泊空間で1泊料金は3,000〜3,500円の設定とか。
そういった空間の中に、ユニバーサルデザインのアイコン的な
案内表示が適度に配されていて、使い勝手の明瞭さが際だっている。
一番コストのかかったようにみえる1階エントランス・キッチンには
名前の通り、囲炉裏を意識したテーブルが据えられていて
世界中から来るエトランゼたちにジャパンを感じさせる仕掛けがある。
いちばん落ち着く奥のリラックスゾーン壁面には
江戸期の街区地図がデザインされていて、日本の旅の宿の雰囲気。
こういう街と建築のReデザイン、
今後どのように展開していくのか、注目したいと思っています。
Posted on 10月 1st, 2015 by 三木 奎吾
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きのうは青森市で当社でははじめての企画として
「工務店向け経営セミナー」を開催致しました。
わたしどもはユーザー向けの住宅雑誌であり、
大手ハウスメーカーというよりも、地域でがんばっている工務店さんが
その地域らしい家づくりの主役であると考え、
そういった存在が、地域のものづくりの核心として存在し続けることが
ユーザーのメリットが一番高いと思っています。
従来は、そうした工務店さんが作っている住宅の素晴らしさを紹介し
ユーザーにそういった家づくりがまっとうであるとアナウンスする
そういう活動だけだったわけですが、
しかし地域工務店さんというのは、中小零細企業が大半であり、
経営的には、情報支援もなく孤立的な存在であることもわかっていました。
そんなことから、どうしたら、そういった部分で
わたしどもの情報ネットワークが活かせるか、
考え続けてきて、今回、はじめてセミナーを開催させていただきました。
不慣れなもので、月末に日程を当ててしまい、
多くの方から「そんな日はムリ」という反応(汗)もありましたが、
なんとか、30名ほどの参加もいただきまして、
また、パネラーの札幌・三五工務店・田中社長と
函館・アーニストホーム・新田副社長のすばらしい経営魂の開示があって
おかげさまで参加していただいたみなさんから、好評をいただきました。
こういった「経営セミナー」というと、
大体、一方通行的に講演者の話を聞くスタイルが多く、
また、それこそ経営戦略ではありませんが、
ランチェスターがどうとか、ひたすらマーケティング的な
難しい話に終始するケースが多いと思いますが、
わたしどもでは、あくまでも参加者と同じ目線のパネラーから
赤裸々な経営の舵取りの実際を感じ取っていただきたかった次第。
工務店として直面する顧客獲得の方法から、
長く安定的な経営を継続するための
注文住宅づくりの現場での「品質管理」、質の追求は、
どうしたら達成できるのか、といったことまで、
同業に携わる経営者の肉声でしか、伝わらない部分があると思います。
まぁわたしの仕事は、そういった工務店経営者としての
琴線に触れる部分を正しく、わかりやすく整理することだと
そういった演出者に徹して、コミュニケーションを媒介しておりました。
最後、懇親会の締めで三五工務店の田中社長が話していましたが、
経営の成長とは、きょう知り得たことのひとつでもいいから、
すぐに実行してみることが一番大事なのだと思います。
ということで、ひと仕事一段落。
なんですが実は、ここに至るまでには飛行機のトラブルもあって
冷や汗の止む間がありませんでした(笑)。
千歳で乗り込んだ飛行機が飛ぶ前にエンジントラブルで
急遽、「申し訳ありません、下りていただきます」という無情のアナウンス。
おいおいおい、という緊急事態発生、まっ青、というところから
なんとか、無事にセミナー終了までこぎ着けられたのです。
ふ〜〜やれやれ、というどっと疲れの1日でした(笑)。
Posted on 9月 30th, 2015 by 三木 奎吾
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さて本日は、ブログは2つ書きます。
ひとつ目は、先日も「事前販売」予告のお知らせをした、
本誌北海道版の発売開始のお知らせ。
【特集】住み家さがしの秘密。
なかなか希望の土地に巡り会えない。そんな方には、
土地の探し方・探す視点を変えてみたり、
新築だけではなく、中古住宅のリノベーションを検討して、
自分たちが本当に豊かに暮らせる場所=「住み家」を探すことを
Replanは提案したい。それが今回の巻頭特集です。
全国的に増えてきた空き家が放置されるなどして問題視されている今、
空き家の活用も視野に入れた「住み家さがし」をしませんか?
さらに、家を持つなら考えたい住宅の価値についても、
サスティナブルな社会を見据えて家づくりに取り組む
お二人の建築家に寄稿いただきました。
Contents
●巻頭特集/住み家さがしの秘密。
●十勝で建てるなら、ココ! 2015
●連載 賢い人は気付いてる メンテナンスの大切さ
●新企画 暮らしを灯す
●新連載 Q1.0住宅デザイン論〈新住協 代表理事・鎌田 紀彦〉
●暮らし豊かに。Re・home
●連載 いごこちの科学 NEXTハウス3 <東京大学准教授・前 真之>
●新築ルポー住まいのカタチー
●連載・ STORY OF ARCHITECTURE
vol.11 籤 HIGO
●北の建築家
「SHOWAの家」 阿部 直人
「素のいえ」 櫻井 百子
お求めはこちらからどうぞ。
http://web.replan.ne.jp/content/bookcart/b1hok/h110/index.php
Posted on 9月 30th, 2015 by replanmin
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きのうは、ある突発事案が進行しながら、
新住協札幌支部の再発足の会合に出席しておりました。
新住協は北海道がスタートの地域で出来上がった組織ですが
いま、会員企業数は全国で700社、北海道は143社というのが現状。
会としての求心力を持っている鎌田紀彦先生の室蘭工大退官、
それにともなっての仙台への移転などもあって、
むしろ東北地区や、関東以西の地域の比重が高まっていて
会員数の点から見たら、北海道は中心ではなくなってきている。
ことしの新住協総会では、締めのあいさつで武部札幌支部長が
「北海道がんばろう」とあいさつしていましたが、
そういうのが現状であることは事実と言えます。
そのような現状認識に踏まえて、
会員間でほとんど機能停止に陥っていた札幌支部を再建し、
ふたたび運動を再開していくのに、
どういった方向性を目指していくべきなのか、
わたし自身も賛助会員として参加した次第です。
ことしの新住協総会では、最後の研究発表で
岩手・北上の会員である木の香の家、白鳥さんが発表した
ドイツパッシブハウス基準適合の家が、いかに寒冷地では達成困難であるか
その詳細な内容が語られていました。
そしてそのことをわたしもこのブログで報告したのですが、
多くの札幌支部会員からも、同様の意見が述べられていました。
常識的な住宅建材を使った家づくりで考えていくと
ドイツパッシブハウス基準は、日本で当てはめるとすれば、
東北南部地域がギリギリ達成可能な基準内容であって、
それ以北で、達成しようと考えればほとんど凹凸のない、
およそ住宅デザインとは言えないような住宅にならざるを得ない。
そもそも日本全体でも10棟程度しか建っていないドイツパッシブハウス基準を
住宅性能のリトマス試験紙としての最上位概念と考えるような傾向は、
ここまでの推移を見ても無理があるのではないかという意見。
もちろん、方向性としては否定するような内容ではないけれど、
北海道のような寒冷地では、むしろ現実離れしている。
そういったなかで、北海道の家づくりはどういうベクトルと価値感を
再構築していくべきなのか、という問題意識の共有が得られた次第です。
北海道、札幌に基盤を置いて住宅関連の仕事をしている
わたし自身にとっても、このポイントは高い問題意識の所在。
わたしどもとしては、あくまでユーザー目線での立場での把握なので、
この地で、ひとが楽しくシアワセな暮らしを営んでいく基盤として
最大の人生時間消費の場である住宅が、
ユーザーにとって、魅力的な、いいものになって欲しい。
基本的な価値判断基準はそこにしかないと思っています。
そういう立場で、先端的なものづくりの専門家のみなさんと
問題意識を共有して、解決の道筋をともに考えていきたいと思います。
Posted on 9月 29th, 2015 by 三木 奎吾
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ここのところ、すっかり縄文期にハマっています(笑)。
その社会のありようがほのみえるアイヌ民族の社会研究を
知人渾身の著作でたどらせていただいて、その想像力を広げています。
どうやら遺伝子レベルの解析でも、
日本人の基底は縄文にその基本形があり、
より縄文に近い民としてアイヌや、琉球の人々が列島縁辺に残り、
本州以南、九州以北では弥生以降のアジアからの流入と縄文人との融合で、
この列島の人々の形質が形成されたことが明らかになってきた。
基本は縄文と弥生のハイブリッドというのが、わたしたちの基本形。
そんな風に考えてくると、やはり母体としての縄文が
イメージ世界の中で、未探索の領域として浮かび上がってきますね。
で、最近、いわゆる「旬」という感覚が
やはり縄文由来の感覚だというように思えてきています。
アイヌの人々は、和人による農耕中心の社会とは違った、
狩猟採集に若干の農耕が入ったうえで、基本的には交易の民として
北方アジアと和人社会をつなぐかたちで生き延びてきたとされます。
かれらの暮らしも、このような交易の変遷の中で
和人社会の欲求に対応して、狩猟採集のありようも、大きく変わってきた。
サケ漁や高価なヒグマ、猛禽類鳥類の狩猟への特化があったとされる。
商品経済社会と交易することで、アイヌの生き方も変化した。
そうした変化以前の、いわば豊かな狩猟採集の時代、
それが縄文の社会のように見えてきます。
アイヌ人口は、明治初期の調査時点で北海道で2万数千だったそうですが、
狩猟採集社会では、基本的にその程度の人口密度であり、
日本列島の自然環境からすると、その程度の人口は、
ゆったりと養い、暮らしていけるような環境だったと推定されます。

狩猟採集では、各季節ごとに食材が変化していく。
そういうなかで、いわば自然に「食欲」にもそのことが投影されていく。
冬を越してから春先の根菜類、春の食感を刺激する食材類、
山菜類などが、ひとびとの食欲を誘ったに違いない。
四季変化のそれぞれで、初鰹であるとか、
ゆたかな食感が、かれらの胃袋を刺激したに違いないと思うのです。
弥生以降の、米食だけに偏重した食習慣だけでは
このような「旬」の感覚は形成されなかったに違いない。
地球上でも稀有なほどに四季の変化、移ろいが明瞭な風土のなかで、
わたしたちは、食の繊細な感受性も磨いてきたに違いない、
そんなふうに考え続けております。
Posted on 9月 28th, 2015 by 三木 奎吾
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怒りを内側に溜め込んだ表情のオバマと、
自国メディア向けに、可能な限り背筋を伸ばした習近平。
多くの報道写真では、そんな写真が掲載されていました。
たぶん、会談の中身も、オバマの敗北、習近平の粘り勝ち
そういった内容だっただろうことがうかがえます。
今回の習近平訪米は、同時期にローマ法王の訪米時期をぶつけ、
さらに、中国ビジネスで巨利をあげてきたドイツ企業フォルクスワーゲンを
アメリカ政府が叩くという環境の中で行われた。
たぶん、アメリカの圧倒的な独占状況であるに違いない
「サイバー空間覇権」問題では、これまで国際ルールを作らないことで
実はアメリカ自身がいちばんメリットがあるなかで、
そこをアメリカの弱みと見て、したたかに、いわば「サイバー軍事力」を
中国は高めてきていることが明瞭になっている。
そうした部分で、中国による米国企業へのハッキングが発覚し、
オバマは責め立てたのだろうけれど、
そもそも国際間ルールが存在していないことから、習近平は軽くいなして、
「高官級協議」を約束しただけに終わった。
日本の年金情報問題なども、こうした文脈があることも容易に想定できる。
さらに、南シナ海でのあからさまな人工空軍基地問題も、
前回、首脳会談でオバマが黙認した「新型大国関係」をテコに
習近平は、「自国領土」であり、「軍事利用はしない」という
リップサービスだけで、切り抜けてしまった。
こうした内容が明らかになってきて、しかし、こうなるであろうことを見越し、
これまで親中国的な誌面作りをしてきたと自ら告白したうえで、
きのうのウォールストリートジャーナル誌は社説で、
「ホワイトハウスが取り得る対応のひとつに、米海軍の艦船を
南シナ海にある人工島の12カイリ(約22キロメートル)内に
入り込ませることが挙げられる(そこは公海上である)。
米国が渋れば、中国は自国が主張する領有権が黙認されたとみなす。
米国はまた、データを盗んだ中国企業に制裁を課すべきだ。
より広く言えば、次の大統領は米国の経済成長を復活させて
防衛を建て直すことに注力し、
太平洋の軍備を見直すべきである。」〜以上引用
というように、オバマ政権に注文を出している。
アメリカ世論のうち、どこまでこうした意見が力を持っているかは、
定かではないけれど、かねてから国防省からは
米軍艦艇を中国の人口島周辺に航行させるべきだという主張はあった。
緊張が高まっていた中国による東シナ海での「防空識別圏」設定時には
間髪を入れずに、オバマ政権はB29をこの圏内に飛行させた。
そのような軍事的オプションを、はたしてオバマ政権は取るのか、
あるいは取れるのか。
習近平の表情からは、どうもそういう手は打たない、打てないという
読みに基づいて中国は今回の会談を乗り切ったと理解出来る。
今後の米中関係には目が離せないことになりそうです。
Posted on 9月 27th, 2015 by 三木 奎吾
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