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土地や地域が生み出す精神性

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小さいときに、繰り返して見ていた夢があります。
それは、ちょうど小学校時代でして、
そのクラスメートたちと開拓に従事して、その開拓地での暮らしを豊かにするように
なにくれとなく、工夫を巡らすというようなもの。
それは食料生産であったり、仕事をするということであったり、
北海道にはまだないものを生み出す、というようなことだったりした。
繰り返し、繰り返し、執拗にそういった夢を見続けていた。
後年、どうしてそんな夢を見続けていたのか、
考えてみても、自分自身には思い当たる節はない。
まだまだ「開拓期」の余韻が色濃い札幌の街の雰囲気が
そんな妄想を少年のこころに投影した、としか考えられない。
考えてみると、それは北海道開拓という民族的な大事業の気風が
独特の精神性を醸しだし、その空気感・雰囲気のようなものが
さまざまな事象の中に投影されていて
そのようなメッセージを感受性の強い少年の心に
ピンナップされ続けていたのだ、というように推論することが可能だと思い至る。

司馬遼太郎の「太閤記」だったか、
「国盗り物語」だったか、忘れてしまったけれど、
その冒頭で、愛知県・尾張地方の土地の特徴と、それが人情に投影する
その必然性を書いた文章に出会ったとき、
そのことが、親近感を持って感覚することが出来たのは
こういった体験を持っていたことに由来している。
いま、仕事の機会で全国あちこちに出掛ける機会があるけれど、
そのような「土地柄」というようなものに探求の目が向かう。
で、やはり、司馬さんも「北海道からどんな人間が生まれてくるか、
その土地柄というようなものは、どんな形になるのか、興味が深い」
というような文章を書いていた。
いま、住宅の仕事をしていて、
北海道が全国のどの地域とも違う、一番大きなポイントは
住宅の作られようだということを目的的に取材し続けている。
そんな視点から、なにかの見方が出てくることを、日々念願している。
それがきっと、北海道を生み出してくれた日本文化への
大きな「フィードバック」なのだと思っています。
さて、どうなんでしょうか?

<写真は、江戸期の仙台藩領地図>

ヒノキ風呂ふた購入

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きのうは、ブログにも書いた「ヒノキの風呂ふた」を求めて
って、ついでにたまっていた買い物リストに基づいてカミさんと買い物サンデー。
まずは、ありそうだなぁと思われたナンバーワンの、大型郊外型DIYショップへ。
「風呂コーナー」には、たくさんのプラスチック製製品がありましたが、
木製品は全くなし。
念のために店員さんにも確認しましたが、
このショップでの取り扱いはないのだそうです。
で、店を出る前に、「除雪機コーナー」でつい足が止まってしまった。
だんだん加齢していって、このまま、トータル60坪相当の「雪かき」を
体力勝負で継続していけるかどうか、
そういう不安心理に、たくさんの展示実機が襲いかかってくる。
いろいろあるのですが、
価格的には自走式の油を燃料とするエンジンタイプだと、30〜50万円前後。
ただしこれは、雪質や小石の巻き込みなど、
事故想定もたくさんあって、踏み切りにくい。
電動のタイプもあるのですが、この場合、作業中コードが邪魔になって
巻き込んだりするケースもあって、使いにくい。
融雪タイプは、融けるスピードに問題があって・・・、という悩ましいところ。
カミさんと話し合って、今年は除排雪の業者さんと契約しようかという結論に。
続いては、なにかと論議のある「低反発マット」の購入。
先日、使っていたヤツをわたしの方に持ってきてくれて「いいよ」と言っていた
カミさんですが、やはり自分も再度使いたい、ということで購入。
ニトリの売り場だったのですが、
低反発マット、市場的には微妙なところだと見受けられましたね。
で、店を出て、再度別のDIYショップが向かいにあったので、
入って「ヒノキ風呂ふた」を探したのですがなくて、
札幌中の「ホーマック」さんでの在庫状況を調べてくれたのですが、
やはり、扱われていないのだそうであります。
で、やむなく、ヒノキの板を探しても見たのですが、
こちらも、そういう需要はなさそうで、
一般的なツーバイフォー材やパイン材以外はない。

そんな買い物の途中で、勉強のために休みだけれど学校に行っていた息子から
自転車トラブルのヘルプミーコール。
荷台がはずれたということで、それを持ちながら自転車をこいでいた息子を救助。
それを自転車店に送り出しました。
その後、ふたたび、買い物サンデーに戻りました。
以前から購入したかった、魚焼き専用ロースターを買った後、
ふたたび、懸案のヒノキ風呂ふたにカムバック。
考えられる先はおおむねあたったけれど、
やはり、ヒノキ風呂ふたは、どこからも発見できず。
最後にはプラスチックでもやむを得ないか、と
物色してみましたが、わが家の風呂はちょっとオリジナルサイズに近いので
ぴったりのサイズがなかなかない。
ということで、仕切り直しで家に戻って、インターネット検索。
そうしたら、Amazonで、写真のようなタイプを発見。
ここまでで疲労困憊で、さすがにヒノキの板から仕入れてまでの根気は失せ、
即決で購入することに決めた次第です。
ヨドバシカメラには、「インターネット通販よりも高かったら、申し出てください」
というようなPOPも見受けられましたが、
実店舗とインターネット通販の戦い、店舗側はなかなか難しいですね。
しかし、だいぶ疲れました。やれやれ。

ヒノキの風呂ふた

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わが家のお風呂は、ユニットバスではなく、
左官仕上げで造作した上で、浴槽を据え置いたもの。
1991年新築ですから、22年経っていますが、
その当時流行っていたジャグジー噴射タイプのものです。
なんですが、実は工事の時にいろいろトラブルもあって、
仕上がってみたら、なんとジャグジー装置がメンテナンスできない場所に入ってしまっていた。
それが、コンクリートブロック造の部分で、修正するには
ブロック構造の一部を解体しなければならない、ということに。
「で、どうしますか?」と問われて、
「わかった、しょがないから、ジャグジー装置が壊れたら、諦める」
と、即決した覚えがあります。
まぁ、そのほかにも施工店のいくつかの失策があって、
一回、やり直してもいたのです。
なので、その上やり直しさせるのに忍びなかった、ということだったのです。
そういうことだったのですが、
このジャグジー、ヘタにさわれない設置だったことが幸いしたのか、
22年間、なんとか働いてくれております(笑)。
まぁ、ときどきはへそを曲げてウンともすんとも言わなくなるのですが、
2〜3日すると機嫌を直してくれる。
しかし、さすがに最近は、暴走運転したりもしているので、寿命かもしれません。
でもまぁ、機械としては、長寿だったといえるのでしょう。

そんなお風呂でありますが、
むしろもっと単純な方がイカレてしまった。
プラスチック製の板と縁にゴムを回していた風呂ふたの
外周のゴム部分がはずれてきて、どうやら寿命であります。
まぁ、22年間ですから、人間の体もいくつかガタきているし、
やむを得ないでしょうね。
ということで、土日を利用して、風呂ふたをなんとかしようと思案。
で、思い起こしたのが、写真の風呂ふた。
福島県いわき市の、木造応急仮設住宅取材の時に見かけたヤツ。
これは、ヒノキ製でして、
被災者のみなさんが少しでも気持ちのいい生活を営めるようにと
北陸の方の木材生産者のみなさんがプレゼントしたもの。
取材時に、そのいい香りがなんともいえず癒されたことを
そのエピソードと共に、思い起こしたのです。
「あぁ、あんなヤツがいい」という方針に即座に決定しました。
ということなんですが、誰でも考えることは似ているようで
最近はDIYショップでも売っているという情報を得ましたので、
手作りで、という方針から、より簡便な方針にしたがって、
あちこち、買い物に行ってきたいと思います。
首尾よくゲットできるかどうか、うまくいったら、あすご報告致します。
ダメだったら、・・・さて。

駆け足でやってくる寒さ

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きのうの最高気温が、東京では30℃以上になった、
というようなニュースが流れている昨今ではありますが、
当地、札幌の朝は厳しい寒さに震えております。
発表された今朝の最低気温は、9℃ということですが、
札幌の気象庁観測点は、あまり札幌の実感気温を反映していないことで有名。
たぶん、5〜6℃というのが実際だったのではないでしょうか?
わたしは、今朝5時半ころに中央区宮の森の北海道神宮境内をいつものように
散歩しておりましたが、体感的には東京の厳寒期並みの寒さ。
家を出るときにも、ズボンの下にもう1枚下着を着るかどうか
迷いに迷った末に穿かずに出掛けたのですが、案の定なかなかでありました。
散策中、お見かけするみなさんも、晩秋から初冬の装い。
気の早い方は、ダウンジャケットを着込んだりしている。
一方で、半ズボン姿の方もいるという混乱ぶりであります。

気温が下がってくると、
空気から伝わってくる「緊張感」のようなものも見えてきます。
やがて肌が硬質な感覚を察知するようになるのですが、
その予感のようなものが、全身を包んできます。
それでも徐々に太陽日射が木々の間から差し込んでくると
一気に冷気が消し飛んでいく。
太陽というのは、生命のすべての源と言うことを、思い知らされます。
で、ここんところ、広葉樹の近くを通りかかると
「ボトボト」っていう音や、舗装路面からの「カランカラン」という音が聞こえてくる。
かれら樹木が、世代交代の願いを込めて、
次世代のタネを地上に,雨のように降らせているのですね。
自然界で起こっていることには、
どんな小さなことでも、必死な種族存続のためのトライなのだと思わされる。
ドングリやなにやらの木のタネは、
一生に一度の輪廻の機会を、こんな小さな落下に賭けている。
運悪く、舗装路面に落ちたヤツは、無惨に人間の靴に割られて、
その運命のチャレンジを終えざるをえない。
運良く、柔らかな地面に着陸したヤツも、微妙な傾斜角度の違いでダメになる。
奇跡的な確率で、なんとか命を繋げられるような着陸を出来たヤツも
こんなふうに目立っていると、リスが食料としてゲットしてしまう。
なお残ったヤツも、やがて公園清掃のおじさんたちの手で片付けられてしまう。
まことに輪廻転生のドラマの壮大さを、感じさせてくれます。
こんなふうに、今年の季節も回っていくのでしょうね。

北総研フォーラム「震災・住まい・建築」

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きのうは、会社の会議と掛け持ちで
表題のフォーラム取材、あと取材をしておりました。
ということなので、会議に出て、このフォーラムに行って、
フォーラムが終わってからは、会議に一度戻って、その後、
会議の打ち上げの会食に顔を出してから、
ふたたびフォーラムメンバーのみなさんと「あと取材」的な飲み会。
ということで、「あまちゃん」並みの2元同時進行ぶり(笑)。
考えてみるとあまちゃんの浸透ぶりには、
この「ぎっしり詰まった」感が大きかったように思います。
なので、1日に何回も見るというようなフリークを大量生産した。
その口コミパワー、また、その口コミでの素材をふんだんに提供していた。
いま、ふたたびモノトーンのドラマに戻されてみると
そのリズム感が、からだに浸透していたのだなと思わざるを得ませんね。

おっと、全くの脱線でした(笑)。
こういった2元進行、そのどちらにも関わるというのは、
切り替えも難しく、なかなか頭が付いていかない部分がある。
残念ながら、TBSサンデーモーニングに出演されている造園家・ランドスケープアーキテクトの
涌井史郎さんの講演は聞き逃してしまいましたが、
国総研・小林英之さん、宮城県石巻の建築家・佐々木文彦さん、北総研・鈴木大隆さんの
パネルディスカッションは、拝聴させていただけました。
それぞれが、インドネシア、宮城県、岩手県の震災復興に直接関わっていて
その貴重な体験談が飛び交うので、
たいへん臨場感もあり、おもしろいお話に展開していきました。
震災以降、自治体や公共団体などのみなさんと関わることが増えましたが、
やはりそうした立場のみなさんの「志」の部分が
残っていく仕事に、如実に反映されているのだと思います。
今回の震災は、被災地域が広大であり、
そのポイントごとに、さまざまな動きを見せているものがあります。
公共の側にいるみなさんとの連携で、あらたな動きを胎動させたい、
そんな思いを強く感じさせていただきました。

岩手県岩泉町・龍泉洞

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いやぁ、たまげたものがこの世にはあるものとびっくり。
先日の東北三陸宮古周辺取材の折に、ひと足伸ばしてみた地底湖を持つ洞窟です。
日本三大鍾乳洞なんだとか。
以下、Wikipedia記載から抜粋。

龍泉洞(りゅうせんどう)は、日本の岩手県岩泉町にある鍾乳洞。岩泉湧窟(いわいずみわっくつ)とも言う。総延長約1,200m(日本の洞窟中第62位[注 1])。高低差約249mは日本の洞窟中第5位[注 2]。
秋芳洞(山口県美祢市)・龍河洞(高知県香美市)と共に「日本三大鍾乳洞」の一つに数えられる。
また、地底湖は龍泉洞地底湖の水として1985年(昭和60年)名水百選のひとつに選定された。

実際の全長は2.5km以上とも5km以上とも言われている(平成24年11月現在で3631mまで確認されている)が、1962年(昭和37年)に洞窟探検家が潜水事故を起こして以来、調査されていないので、あくまでも予測数値である。水深98mの第3地底湖、120m以上ある第4地底湖(未公開)等、全部で7つの地底湖を持っていることで知られている。
観光整備工事中の1967年(昭和42年)に龍泉洞入洞口の向かい側に新たに洞窟が発見され、龍泉新洞(りゅうせんしんどう)と命名された[3]。また、その洞内から土器・石器などが多数発見された[3]。トレーサー調査によれば、龍泉新洞は龍泉洞の下流部分にあたるとされるが、実際に水中部を潜り調査したことはない。龍泉洞の水が再度地下に潜り込み、本洞前の清水川の下を「第二の川」のように流れ、龍泉新洞の「泉」で湧いていることが分かっている。龍泉洞の潜流地点から龍泉新洞の「泉」まで、おおよそ5分ほどで到達していると言われる。
洞窟内には、キクガシラコウモリ、コキクガシラコウモリ、モモジロコウモリ、ウサギコウモリ、および、テングコウモリという、ココウモリ類(小翼手類)5種の生息が確認されており、これらのコウモリ類は、1938年(昭和13年)12月14日[4]、洞窟と共に「岩泉湧窟及びコウモリ」名義で国の天然記念物に指定された。
龍泉洞の水は世界でも有数の透明度を誇っていることで有名であるが、これは、地下深くに潜り込んだ沢の水が、地底湖で湧出するためである。良質の腐植土によって濾過され、また、地中の石灰質を多く溶かし込んでいるので、味がしっかりとしたものとなっている。

という概要です。
実際に足を踏み入れてみると
周囲からは気温自体、マイナス10度くらいあって、
カメラは、洞穴内外で結露しまくり。
やはり、「地底湖」の神秘さはまことに格別。
やはり人知を越えた自然の造形にまさに圧倒させられます。
新たに発見された「龍泉新洞」の方では、人間の居住痕跡も発見されたそうですね。
ヤマト朝廷と蝦夷の戦い、このような地の利も得て、
蝦夷が、神出鬼没に戦ったのではないかと、
そういった妄想もたくましく沸いてきておりました。
ただし、入り口付近で観光客向けにやっている「そば屋」さんには、
ちょっと、空いた口がふさがりませんでした(笑)。むむむ。

失われた水郷地域交易路

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街の表情って、そこにある建物からの視覚体験は強烈で、
それがある日、失われた現実に遭遇すると
「あれ、ここは前、どうなっていたっけ?」と
その記憶の喪失感に圧倒されることがあると思います。
街という風景はまことに移ろいやすいものだと思いますね。
ところが、歴史に於いても、
地形とか、風景というのは容易に大変換するものだそうで、
たとえば、江戸という土地は、
家康が城を築いて、武家政権の首府としてから、
大々的に公共事業が進められていって、土地の埋め立てなどが盛んに行われ、
本来の地形が跡形もないまでに変えられた土地なのだと思います。
また、大阪も仁徳天皇陵の昔から、その景観が大変化していったという記録があります。
そのような歴史的な地形変化っていうのは、
なぜか、あんまり調査研究の対象になっていなくて、
専門の研究者というのは、勉強不足もありますが、聞いたことがありません。
考えてみればおかしなことで、現在ある地形からの思考範囲の呪縛について
無自覚な歴史研究というのは、かなりバイアスが懸かると思われます。
写真は、中世、平安期などの時代に蝦夷地といわれていた北海道ですが、
いまの苫小牧とか、千歳・恵庭の地域と石狩地方の交易が
盛んに行われていた痕跡がうかがえるのだそうです。
そういう地域に「点線」が刻印されているけれど、
いまの時代の常識からすると、「なにこれ」となってしまう。
当然,そのような時代ですから、船の交通がその手段であり、
いまは、平野部になっているこの地域、
いつも札幌と千歳空港の間を高速道路で走っているこのあたりは、
たぶん、広大な「水郷地帯」だったに違いないのです。
その水郷地帯に島のように高台があったりして、
そのような場所に交易の拠点集落などが、点在していたのだろうと推測されるのですね。
たぶん、日本の景観から失われていった最大のものはこうした水郷地帯に違いないと
いつも、思わされております。
こうしたことは、網野善彦先生の著述に詳しいのですが、
まことに、失われた景観への想像力というのは、
維持し,持続させていくことが難しいと思います。
古記録などから、出来る範囲からCG映像などで「残していく」努力が
必要なのではないかと、思う次第です。
かなりマニアックな意見かなぁ・・・(笑)。

1車線の「幹線道路」

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仙台は当社の東北オフィスもあって、
札幌以外では、東京以上に身近な存在の街になっています。
もうかれこれ、10年以上、行ったり来たりの生活を続けているのですが、
その暮らしの中で、いちばん面白がっているのが、
この「トンネル」であります。
仙台市は、伝統的に西口側がメイン市街地で、
「東口側」は、最近になってようやく開発がすすんだエリア。
で、JRの鉄道を挟んで、東西の行き来があまり考えられていない。
こういった事例、
JR駅を挟んでその反対側が、極端に発展具合に違いが見られるというのは、
どういうことなのか、一度、専門の研究家の方に聞いてみたいです。
秋田、盛岡、青森、山形などどうも東北にはそういう街が多いように思う。
その傾向は、札幌も同様で、
発展期を迎える前の札幌では、「北口側」が極端に開発が遅れていた。
そもそもJRの線路、前進である国鉄が線路敷設を計画するときに
「地盤がいいギリギリの端っこ」を用地にしたのだ、という
「都市伝説」があったりするのですが、
検証する情報を持っていません。

で、本題ですが、
仙台駅では、この東西の連絡道路が貧弱です。
基本的には、そういう連絡を想定していない都市計画だったようで、
とにかく東西貫通道路が少ない。
そういった流れの中で、苦肉の策のような形で
JR線路の下にトンネルを開けて通している道が、駅南側にある。
2車線分あるけれど、
真ん中には柱もあるので、片側は歩行者や自転車専用道路になっていて
もう片側だけが、西側から東側への1方通行路として使われている。
ギリギリの1車線道路なので、
普通車でもハンドル捌きが慎重にならざるをえない。
何回も走ってくると、その緊張感もおもしろいと思うようになるのですが、
車高が高いクルマだとアウトだと思います。
通りの名前で言うと「北目町通り」が、愛宕上杉通りと交差する場所から、
駅東側に抜けていくのですね。
西口側から、東口側に抜ける道としては、けっこうな「幹線道路」。
毎回、ちょっとしたスリル感を味わいつつ、走っております。
クルマの「けもの道」みたいな、格別な心理を
毎回、楽しませていただいております。
ってどうも、ブログの大テーマとは、かなりずれていて、
申し訳ありません(笑)。

衣替えのポケットの中

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6月はじめから続けてきていた早朝散歩。
長く雨が続いたり、出張がちになったりした以外は
なにも考えずに朝、歩き出せたのですが、
ここ1週間ほどは、なにかと理由をつけてキャンセルしておりました。
なんですが、今朝はようやく心理と折り合いをつけて、お出かけ。
ということで、朝の気温はここ1週間くらいで大きく下がって来ているので
長袖のトレーナー風シャツの上から
さらに合い物のジャンパーを羽織ってみました。
で、なにげにポケットに手を入れて・・・
というあたりで、ワクワク感が蘇ってくる。
そうですね、みなさんも感じられると思うんですが、
この季節が変わる時期の、衣替えした衣類のポケットの中から
なにが出てくるか、っていう楽しみ。
ときどき、忘れていた大きめの札が出てきたこともあったっけ、
などという期待感が一気に頭のなかにドーパミンとなって広がる快感・・・。
とくにジャンパーは、そういう「季節の忘れ物」の宝庫。
タイムカプセルを開けてみるような不思議な感覚ですね。
ゆく夏を惜しむ気分に、一区切りつける季語的な行為だと思う次第。

まぁ、今回はそれほどタイムスリップ感は味わえませんで、
夏の初め頃に、なお寒い大雪山ロープウェイに上ったときのチケットが出てきました。
やや残念感はありましたが、
それでもそこそこのタイムトラベル感は味わえた。
日本には明確な四季があり、
こんな風な「衣替え」にまつわる気分のスウィッチ感を味わえますが、
北海道の人間はいちばん早く味わえるのと、
一番遅くまで味わえないのと,両方を体験できます。
そんなことが、なにかのインスピレーションにならないだろうか、
っていうような考えもあって、ブログに書いておこうと思った次第です。
さて、きょうの休日は、どう過ごそうかな・・・。

あまちゃんと「中央と地方」

1451

きのうの続きであります。
ちょうどいま、あまちゃんの最終回が終わりました。
このドラマは、いろんなテーマが描かれていましたが、
大きなタテ糸のひとつが、東京と地方、一極集中と過疎の問題だった。
東京で、地味で暗くて・・・、という性格だった少女アキと
過疎に悩む北三陸に住み、東京に憧れる少女ユイという
ふたりの典型的なキャラは、まさに現代日本の巨大テーマを象徴していた。
一極集中した東京も、一皮剥いた基底では、
大きな疎外を生む砂漠のような地域であり、
一方で、過疎の地方は、繁栄からの疎外そのものだった・・・。

日本の歴史では、常に中央が特異な位置を占めてきた。
ほかの国のように、歴史的にいくつもの「国家支配」を経験した「地域」は、存在しない。
たとえば中国や朝鮮、あるいは欧州、その他の世界各地など、どこの地域でも
いろいろな国家による支配を受けてきたということの方が一般的で、
そういう流れの中で、「地方」というものが独特に存在し続けてきたと言えると思う。
強圧的な権力に対して、柔軟に構造的なレジスタンスを構成して生き延びてきたような。
それに対して、日本の「地方」は、ほぼ一貫して「日本」以外に属したことがない。
歴史的には、北海道と沖縄、鎌倉以前の東北などは
日本でなかった時間が長いとはいえ、
おおむね、そのような国家共同幻想の歴史経験をわたしたちは共有している。
そのような社会では、どんなことが特異的に起こりうるのか、
というような「社会学的分析」視点をわたしたちは経験していない。
常に、均一な方向に向かおうとする、
政治的にも文化的にも、中央への拝跪がより特徴的な社会でわたしたちは生きている。
都と鄙、というような言葉、テーマは歴史的にも存在するけれど
地方そのものに、その生き延び方に現代までの過酷さはなかったと思う。
結局、いちばん基本になるコメの生産を抑えているという
社会の基盤としての重要性に、歴史的に巨大な位置感が存在したのでしょう。
現代では、しかし、その位置は大きく揺らいでいる。
歴史的に地方が占めてきた位置は、通貨価値変動の中で
世界の「地方」に奪われて行かざるをえない。

あまちゃんは、そうした少女たちが
ふたたび地方に戻り、あるいは目覚め、
架空の地方の、明るい未来という幻想を見せて終わったけれど、
夢から目覚めれば、現実はやはり重く,残り続けていると言わざるをえない。
しかし、ドラマに多くの共感が集まったことは、
なにかの変化をひとの心の中に残しているかも知れない。