さて本日は人類普遍のテーマ、女性の美への探究心であります。
アダムとイブという例えはキリスト教世界的だけれど、
アマテラスが女性神である日本列島でも、普遍的に男女の恋愛史はあり、
さまざまな神話説話の基本になっていることは自明。
で、具体的に衣装として記録が残っていくのは日本でも
歴史年代以降になる。しかし、女性の美への欲求はそれ以前も当たり前。
歴博での展示でこのテーマコーナーがあった。
堅苦しい歴史館展示の枠を超えて、非常にわかりやすくて好感。
縄文女性は岩手県蝦島貝塚出土の成人女性の頭骨を復顔。シカの革を
黒く燻した生地に、ウルシとタカラガイによる装飾をつけた上着を羽織り、
ヒスイ製の玉で作ったネックレスを付け皮の靴を履く。シャーマンの表現。
<縄文・弥生とも衣装復元はスタイリストで古代衣服研究者の大橋まり氏>
頭骨から肌を復元してFRP素材で製作し、まゆ毛と髪をのせて完成。
髪には縦櫛、耳には飾り物。ネックレスは糸魚川産のヒスイ製。
一方、弥生女性は、山口県土井ヶ浜遺跡出土の成人女性の頭骨を復顔。
アカネ染めの絹の上着を羽織り、ヒスイ製の勾玉とガラス製の管玉製のネックレス。
貝の分泌液で紫に染めた鉢巻。帯はクチナシの黄色で染めた。
靴は木製。魏志倭人伝中の大人層の未婚女性を想定再現。
・・・たいへんわかりやすい(笑)。
っていうか、現代でもこういう衣装であれば着てもらいたい(笑)。
こころなしか縄文女性の方がやや小柄でまるっとした印象であるのに対して
弥生女性はスラッとした印象を与えられる。
このあたりは考古発見での統計が基礎になっているのでしょう。
どの素材にも「着色」という志向性が重要な要素なのでしょう。
やはり視覚的に目を驚かすというのが基本動機。
自然と触れ合いこうした衣装への利用ということを考えながら
染色材料を注意深く探究したのでしょう。
アカネとは、アカネ科アカネ属のつる性多年生植物。根は茜色をしており、
草木染めの原料になるとされるけれど、
そういう植物への知恵というのは、やはり美への欲求が誘った。
貝類を利用するとか、ヒスイを探し出すとか、
あらゆる資源開発・発展においてこうした欲求が背景動因であったのでしょう。
食糧として口に入れながら、同時に「キラキラ」したるものに
目を輝かせていたという光景が彷彿としてくる。
食糧の確保手段が文化の基本だけれど、同時にこういう欲求も
人間社会を大きく動かしてきたこともあきらかでしょうね。
美への探究心というものが相当大きな人類進化の要因だったことは間違いない。
歴史の見方で、こういう角度も探究してくれて興味がさらに深まります。
English version⬇
The Jomon and Yayoi Women: The 37,000-Year History of the Japanese Archipelago – 32
Although food security is the basic motivation, the pursuit of beauty has also been a major factor in human development. The Jomon period
Today’s topic is the universal theme of humanity: the quest for female beauty.
The analogy of Adam and Eve is very Christian.
But even in the Japanese archipelago, where Amaterasu is a female deity, there is a universal history of love between men and women, and it is the basis of various mythological tales.
It is obvious that it is the basis of various myths and legends.
But it was not until the historical period in Japan that specific costumes were recorded.
historical period or later in Japan. However, women’s desire for beauty was common even before that time.
There was a section on this theme in the exhibition at Rekihaku.
I liked it because it was very easy to understand and beyond the confines of a rigid history museum exhibit.
The Jomon woman is a facial reconstruction of an adult female skull excavated from the Ezushima shell mound in Iwate Prefecture. Deerskin.
She wears a jacket made of black smoked deerskin and decorated with poison ivy and takaragai, and a necklace made of jade beads.
She wears a necklace made of jade jade and leather shoes. This is an expression of a shaman.
<Costumes for both the Jomon and Yayoi periods were restored by stylist and ancient clothing researcher Mari Ohashi.
The skin is reconstructed from the skull and made of FRP material, and completed with eyebrows and hair.
A vertical comb was used for the hair and ornaments for the ears. The necklace is made of jade from Itoigawa.
The Yayoi female figure is a reconstruction of an adult female skull excavated at the Doigahama site in Yamaguchi Prefecture.
She wears an akane-dyed silk jacket and a necklace made of jade and glass tubular beads.
A potted headdress dyed purple with the secretion of the twice. The obi was dyed gardenia yellow.
Shoes are wooden. The figure is a reproduction of an unmarried woman in the adult age group in Wei Wei’s biography.
It is very easy to understand (laugh).
I would like them to wear this kind of costume even in the modern age (laugh).
The Jomon women are slightly smaller and more rounded, while the Yayoi women look slender and slender.
Yayoi women give the impression of being slender.
This is probably based on statistics from archaeological discoveries.
The orientation of “coloring” is probably an important element in any material.
After all, the basic motive is to visually astonish the eye.
We have carefully explored dyeing materials while considering their use in costumes that are in contact with nature.
The artist must have carefully explored dyeing materials with the idea of being in contact with nature and using them in these costumes.
Akane is a perennial vine belonging to the family Acanthaceae. Its roots are akane red in color and are used as a raw material for herb dyeing.
It is said to be used as a raw material for herb-dyeing.
The wisdom of using such plants is, of course, driven by the desire for beauty.
The use of shellfish, the search for jade, and so on.
This desire must have been the driving force behind the development and exploitation of all kinds of resources.
The sight of the sparkling things that we put in our mouths as food, while at the same time
The scene is reminiscent of the way people put food in their mouths while at the same time gazing at something “sparkling”.
The means to secure food is the basis of culture, but this kind of desire has also been a major driving force in human society.
It is also clear that this kind of desire has been a major driving force in human society.
There is no doubt that the quest for beauty has been a major factor in human evolution.
This angle is explored in the historical perspective, which deepens my interest even more.
Posted on 12月 2nd, 2022 by 三木 奎吾
Filed under: 日本社会・文化研究, 歴史探訪
[…] 江戸末期にヨーロッパとの交易が開始されたとき、輸出された陶器などの「緩衝材」として浮世絵の印刷失敗品が使われ、それを受け取った西洋人が緩衝材・浮世絵のカラー印刷のレベルの高さに驚かされたことをきのう書いた。それくらい当時のニッポン社会では日常的な「大衆芸術」であったことそのものに西洋は驚愕したのだという。 では当時の社会ではどれくらいで浮世絵は流通していたのかと探るとなんと「そば1杯」の値段とほぼ同価格帯だったという。現代のそばの値段、おおむね4-500円から高くても1,000円はしない。わたしは東京博物館で浮世絵展があったときに手刷りの限定100枚っていうのを1枚30,000円くらいで購入した記憶がある。(1枚目の写真)あれは「暴利」だったのかと唖然とした(笑)。まぁ冗談。江戸期のように大衆が支持して大量販売の事業構造が確立した時代とは違って、専門職としての「摺り師」さんの存在を支える市場構造が現代にはない。そういう時代に当時と遜色のない仕上げ技術で丹念に仕上げる職人技に惚れ惚れとしたものだ。 しかしそば1杯の値段でこういうカラー印刷の芸術を楽しめていたというのは、まことに素晴らしい。国の豊かさというのはいろいろな測り方があると思うけれど、キビシイ大衆の選別眼というふるいに掛けられた上で愛されてきた価値感には深く頷かされる。日本は「民主的」な社会の素地が根強いとわたしには思えるのですが、世界のなかでもここまで大衆芸術がリスペクトされる社会というのはすごい。西洋人が驚いたことの実質にこういう要素が強かったのではないか。「ひょっとするとこの国の民は民主主義ということを深く理解しているのはないか?」と。 さてそういう浮世絵の題材として、全国旅行ブームを支えた「名所図会」と同時に「美人画」というジャンルが大きかったとされる。とくに江戸は常に適齢期男性が過剰な町であり、見返り美人とかたくさんの日本女性の美が追究された。で、判で押したように「うりざね顔」の美人画が好まれたようだ。現代に残っている美人画では圧倒的に多数派。以前ブログで縄文の美人、弥生の美人というような分析を試みたけれど、そこではそれほど「うりざね」への固執は見られなかった。京美人という王朝美学でもそう感じられず、むしろ「ふっくら」系への支持が強いと感じられる。そういう変遷を経て江戸期の日本的な美感としてこの「うりざね顔」はDNA的に響いてくる。江戸期の大衆芸術では民のコアを探らなければ「売れない」というキビシイ選別眼にさらされ、その結果選び取られた美感なのだろうか。さらにファッションの要素でも浮世絵には「当世ぶり」表現が競われたに違いない。現代の芸能ビジネスが行っているような切磋琢磨、熾烈な競争原理がそこに反映もしていると思う。 […]
[…] 江戸末期にヨーロッパとの交易が開始されたとき、輸出された陶器などの「緩衝材」として浮世絵の印刷失敗品が使われ、それを受け取った西洋人が緩衝材・浮世絵のカラー印刷のレベルの高さに驚かされたことをきのう書いた。それくらい当時のニッポン社会では日常的な「大衆芸術」であったことそのものに西洋は驚愕したのだという。 では当時の社会ではどれくらいで浮世絵は流通していたのかと探るとなんと「そば1杯」の値段とほぼ同価格帯だったという。現代のそばの値段、おおむね4-500円から高くても1,000円はしない。わたしは東京博物館で浮世絵展があったときに手刷りの限定100枚っていうのを1枚30,000円くらいで購入した記憶がある。(1枚目の写真)あれは「暴利」だったのかと唖然とした(笑)。まぁ冗談。江戸期のように大衆が支持して大量販売の事業構造が確立した時代とは違って、専門職としての「摺り師」さんの存在を支える市場構造が現代にはない。そういう時代に当時と遜色のない仕上げ技術で丹念に仕上げる職人技に惚れ惚れとしたものだ。 しかしそば1杯の値段でこういうカラー印刷の芸術を楽しめていたというのは、まことに素晴らしい。国の豊かさというのはいろいろな測り方があると思うけれど、キビシイ大衆の選別眼というふるいに掛けられた上で愛されてきた価値感には深く頷かされる。日本は「民主的」な社会の素地が根強いとわたしには思えるのですが、世界のなかでもここまで大衆芸術がリスペクトされる社会というのはすごい。西洋人が驚いたことの実質にこういう要素が強かったのではないか。「ひょっとするとこの国の民は民主主義ということを深く理解しているのはないか?」と。 さてそういう浮世絵の題材として、全国旅行ブームを支えた「名所図会」と同時に「美人画」というジャンルが大きかったとされる。とくに江戸は常に適齢期男性が過剰な町であり、見返り美人とかたくさんの日本女性の美が追究された。で、判で押したように「うりざね顔」の美人画が好まれたようだ。現代に残っている美人画では圧倒的に多数派。以前ブログで縄文の美人、弥生の美人というような分析を試みたけれど、そこではそれほど「うりざね」への固執は見られなかった。京美人という王朝美学でもそう感じられず、むしろ「ふっくら」系への支持が強いと感じられる。そういう変遷を経て江戸期の日本的な美感としてこの「うりざね顔」はDNA的に響いてくる。江戸期の大衆芸術では民のコアを探らなければ「売れない」というキビシイ選別眼にさらされ、その結果選び取られた美感なのだろうか。さらにファッションの要素でも浮世絵には「当世ぶり」表現が競われたに違いない。現代の芸能ビジネスが行っているような切磋琢磨、熾烈な競争原理がそこに反映もしていると思う。 […]