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手刻みの大根

最近、「細部にこそ神が宿る」というフレーズが
どういうワケか、頭のなかでリフレインしております。
たぶん、先日、1週間前に見学していた室蘭での住宅事例での
竹の紐組みの様子を見て以来、なんだと思います。
なんでもない、組みなんですが、
それが手でしか、手作りでしか実現しないのだ、
ということを理解してから、
どうしても、このフレーズが頭に宿ってしまった(笑)。

古くからの人間の手業の痕跡は、
明瞭にその時代に生きた人間のことを伝えてくれている。
木を削った痕跡であるとか、
石を砕いた様子であるとか、そういうものが
実はいちばん伝わってくるパワーを持っている。
日曜日にも、刺身のツマに出てきた大根が
おばあちゃんの包丁と手で刻み込まれている、と
看破した方がいまして、建築家の丸谷博男さんですが、
やはりそういうものかなぁと、思い至った次第であります。
建築って言うのは、結局「どう作るのか」ということなのでしょうが、
それには、「計画」的な部分から、
細部の職人さんの手仕事まで、
さまざまな領域があって、まことに複層的な評価基準が存在する。
ただ、正直に作られたモノ、
丹念に作り上げられたモノには、自然と
ある、美しさが伴っていくものなのではないか。
そういうものにおいて、その計画者の考えが、
どのように貫徹しているか、が細部を見ればわかる、ということなのか。
そんなような思いが、頭のなかにわき起こっている。

っていうようなことで、
まず、小さなことにしっかり神経を集中し、
丹念に自らを省みて、事に当たる必要を感じている次第。
そこで、本日朝、大根の手刻みに心を配ってみた次第であります(笑)。
なかなか、難しいですよね。
初めと中程は問題ないけれど、終わる頃には、
どうしても押さえるのが難しくなって大切りにならざるをえない。
神はとても宿りそうにない。
でもまぁ、ちょっと混ぜれば、それほど目立たないか、
っていうように、多少のいいかげんさが顔を覗かせる次第。
毎日毎日は、そうやって過ぎていくしかないのかも・・・必然でしょうね。
しかし、家族の健康を守り、
規則正しい生活リズムを作り出すためにも、
こういったなんでもないことこそが、大事なんでしょうね。
まだまだ、道の遠きを思わざるを得ません。
ってなんのことか、大袈裟すぎましたです(笑)。
いつか最後まで美しく、大根、刻んでみたい。

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