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大型木造建築のいごこちのよさ

エゴグラムという自己分析手法を
住宅建築にも応用して、ストレス解析し、
より居心地のいい空間を作ろうという考え方を進めている方がいました。
お話を聞くと、新築したばかりなのに
すぐにリフォームをする人が多い、という経験則から、
これはどういうことなんだろうか、
っていうように考えはじめて、
家族間のストレスと建築の関係を問い直してみたのだそうです。
大変、面白い着眼点であり、
いいヒントになったと思うのですが、
やはり建築の空間には、そういったいごこちの考え方、
そういう部分を分析していく必要があると思います。
みんな気付いてはいるけれど、
なかなかそういう分析手法が確立していない。
とくに、住宅建築物と、そこに住む人の暮らしぶりにミスマッチがあると、
家族関係が極端に悪化するとか、
場合によっては離婚とかまで発展する場合もあるという。
ただ、じゃぁ、どうすれば解決できるのか、といえば、
解決法と、処方箋は万能ではないはずなので、
即断は出来ない。

そんなことなんですが、
きのうも触れた花田家番屋の内部であります。
多くの出稼ぎの人たち、ヤン衆と呼ばれた人たちに提供された空間です。
巨大な空間なので、一度には紹介しきれないのですが、
写真は、4つある囲炉裏のひとつから、
台所方向を見た様子です。
天井には、縦横に組み上げられた梁と柱に支えられた大空間が広がり、
まことに豪快な空間です。
ここは食事を取ったり、暖を取ったりという空間ですね。
決定的に不足しているのは、個室的な間仕切り。
個人的な閉鎖性は担保することはできない。
しかし、なんといっても、大型木造建築の持つおおらかさは
なんとも言えない開放感に似た、いごこちのよさを提供してくれる。
江戸期の長屋のここちよさを持った空間性ではないかと思います。
長屋は、けっこう老若男女の集住形態であり
それなりの個人的閉鎖性も確保されていながら、
社会性があって、八つぁん、クマさん的な人間関係も成立していた。
その暮らし方を、北方に持ってきたら、
まず大きな架構で大きくくるんで、
内部に、集住の要素をたっぷりと詰め込んだ、という感覚。
人間が暮らすということのなかに
こういう種類のいごこちというのも
あり、なんではないかというように思われてくる。
まぁ、これにしっかりした個室空間が確保されるという必要はあるだろうけれど。
そしてその個室に
カギを掛けなくてもすむような社会的生活モラルが機能すれば、
こういった集住形態というのも面白いかも知れない。
ただし、構造はやはり、木造でなければならないと思う。
建築は、RCによって、無味乾燥な空間ばかりになってしまった。
すくなくとも人間のこころがやすらぐ空間では、
木の質感がもっともふさわしいというのは自明だと感じます。

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