

わたしは住宅雑誌を、北海道東北で発行しています。
そのことは必然的に、現代という時代の中で、
人々がシアワセを求めた具体的な形に接するということになります。
家というのは、暮らしの生々しいありようを表現している。
東京で住宅を取材する機会は少ないのですが、
たまたま先日の東京出張ではたくさんの住宅を一度に見られた。
北海道のような積雪寒冷という条件下では、
なによりも住まいは、生存を担保する装置という側面が基本であり、
そういう地域の気候的与条件への対応というのが基本。
一方で東京という「文化」先進地域での住まいは、という興味もある。
ほかの生活文化領域では、田舎に対して都の方が先進性を示すのが普通。
「近頃,都に流行るもの」が、日本人の憧れであるのは、
歴史時間を超えて、わたしたちに普遍的な感覚だと思います。
まぁ当たり前ですが、見ていて気候条件以上に
「社会的な過密集住」という条件の方がはるかに優先しているのが現実。
上の2枚の写真は、同じ世田谷区での住宅の形の象徴的変遷。
言うまでもなく、都市集住が進行したのは人口爆発した
戦後以降の社会的要因ですから、それ以前の気候対応型の
古民家は、温暖地域らしい「夏を旨とした」住まいであります。

こんなインテリア写真を撮影してみると
まことに周辺環境の豊かさが伝わってくる。
通風重視の、ほぼ壁のない空間が大きな屋根の下に展開している。
屋根は重厚な茅葺きで、夏のはじめの梅雨期の湿気を溜め込み
蒸暑の夏に気化熱を発生させて、温度差で通風を狙っている。
こんなほっそりとした柱で構造はやや不安ですが、
屋根が作る涼やかさを第一に考えているということが伝わってきます。
冬場でも南面するこの空間にはたっぷりと陽射しが入って、
建具が板戸に変わるくらいで過ごしてきたに違いありません。
冬の寒さ対応は、この写真の右手に板戸の間仕切り、
土間空間と連続する囲炉裏を囲む空間があって、
「籠もる暮らし」の装置でしのいできたのだと思います。
まことに気候対応という素の表情がわかりやすく伝わってくる。
そういう意味では、下の写真の現代長屋風の3階建て住居も
きわめてわかりやすく現代的集住状況を伝えている。
こういう「対応」というのはあり得べきことなのですが、
しかし生活デザイン的に、美的であるかどうかは、
古民家と較べても、工夫開発の余地があるのかも知れませんね。
Posted on 12月 18th, 2015 by 三木 奎吾
Filed under: 住宅取材&ウラ話 | No Comments »

きのうは北海道庁・建設部建築指導課の会議に参加。
「きたすまいる」という新たな地域住宅制度についての検討です。
いうまでもなく北海道は、これまで日本の地域の中で
積雪寒冷という気候条件の厳しさから
「住宅性能」についての地域独自基準をつくり、
官民一体となって、地域住宅技術資産を育んできました。
それが「北方型住宅」という名前で、それなりに
地域の中でも、高位の性能基準として認知も進んできていた。
そして、国の「長期優良住宅」というプロジェクトでは
常に全国をリードするような地域の力として、
この「北方型住宅」基準をベースにした独自規格を提案し、
毎年度採択され続けてきた実績もある。
いま、国は各省庁を挙げて「省エネ」施策・法制定に
突き進んでいるけれど、北海道は実質的にも実体的にも、
そういった流れを常に領導するような地域でした。
そもそも北海道の次世代基準、Q値1.6というものも、
国としてはもっと低位な基準にする流れだったのを
北海道側が頑張って、より高位な基準を定めたというのが経緯。
そしてこの「推進会議」の中核メンバーである北総研副所長・鈴木氏が
そのまま、国の住宅制度設計の主要な立場にも立っている。
こういった流れで、基準としての国の制度整備が進んでいく中で
地域としての北海道は、今後どのような「住宅制度」を持つべきか、
というのが、大きなテーマとして設定されている。
検討課題はおおむね3つ。
ひとつは、総体としての地域の住宅性能を見ると戸建注文住宅では
確かに大いに進んでいるとはいえ、共同・賃貸住宅などは
高性能化は遅々として進んでいない、
こういった現状の底上げはどうすべきなのか、という点。
2つめは、せっかく馴染んできていたこれまでの「北方型住宅」
というブランドとの整合性はどう折り合わせるのかという点。
そして3つめとして、長期間、涵養されてきた地域工務店の
高断熱高気密技術資産の発展をどう担保させていくのか、
という、地域の経済面も含めた独自性に関わるような点。
こうした論点を巡って活発に論議が展開されました。
この手の会議ではけっこう、事務局原案の追認というの形が
一般的には多いだろうと思いますが、
かなりリアルな部分にも迫るような論議だったと思います。
きのうの会議はメディア関係にも情報が告知されていました。
わたし自身も参加者ではありますが、情報拡散に努めたいと思う次第。
叩き台としての原案構築にやや時間がかかり、
成案に至らせるまでの時間は日程的にタイトではありますが、
地域の大きな資産である住宅性能技術がさらに発展するように
その基盤になるような、会議成果をめざしたいと思います。
<写真は、開拓期に建てられた迎賓施設「清華亭」>
Posted on 12月 17th, 2015 by 三木 奎吾
Filed under: 住宅性能・設備 | No Comments »


北海道では積雪の関係から
屋根面での太陽光パネル普及が今ひとつの状況があります。
屋根にパネルを載せるとすると、
その架台の設置に当たって板金屋根に穴を開けるケースが多い。
歴史的に屋根からの漏水事故に敏感な経緯があって
この点、かなり慎重にならざるを得ない部分があります。
またなにより、設置工事費が現状では架台にお金がかかりすぎる。
設置の補助金は徐々に削減の方向にあり、また、売電の方も
今後の電力自由化を見据えれば、価格がどのように推移するか不透明。
電力自由化で価格に消費者が敏感になっていくことが
容易に想像できる中で、売電価格が独歩高でいられるでしょうか?
太陽光発電には自分は無関係という消費者サイドで、
買う電力価格に興味が集まるとき、原材料費とおぼしき、
太陽光発電電力の売電価格の高値維持には消費者側の反発もあり得る。
社会的に不当利益という疑問が出てくる可能性もあるかも。
ドイツの趨勢を見てもそのことは明らかと言えるでしょう。
しかし一方で、ゼロエネルギーハウス(ZEH)は国策として
将来的に標準化の趨勢にあるのも事実。
どんなに断熱を強化して無暖房レベルにしても、
給湯や照明・家電などのエネルギーは不可欠なので、
そうしたエネルギーを計算上キャンセルさせるには
現状では太陽光発電設置が欠かせない。
どうするのか、というところで停滞状況がある次第。
そういった状況に対して、
いろいろなチャレンジもあります。
写真の住宅では、そもそも屋根面ではなく壁面に設置している。
札幌市内でもかなり条件のいい敷地に建っている家ですが
水平面・屋根面との比較数字は単純には言えないけれど、
設備機器の性能向上もあり、この貼り方でも
発電効率は十分にペイラインをクリアできるとされていました。
壁面設置の場合には、架台の支持安定性や建物への漏水可能性、
さらに、コスト面の問題もクリアできる可能性が高い。

また別の住宅事例ですが、
太陽光発電ではなく、太陽熱給湯で給湯エネルギーキャンセルを
目指そうという考え方もあり得る。
太陽光発電の場合、稼働率計算根拠としての建物への日射量が
周辺の建物設置状況によって大きく変わってこざるを得ない。
新築当時は十分な太陽光の恩恵を受けていた建物でも
周辺の土地利用がさまざまな要因で変化していったとき、
どうなるかは、未知数と言える。
そうであればコンパクトで、比較的に設置場所を発見しやすい
太陽熱給湯はリフォームとしての対応も十分に可能ではないか。
建物の高断熱化をしっかり果たした後、
さらに暖房に次ぐ、あるいは高断熱住宅ではほぼ同等の
エネルギー負荷である給湯をゼロエネ化するのは、
まことに理に適ってもいると思われます。
北国での太陽エネルギー利用、
まだまだ変化・発展可能性が高いと言えると思います。
Posted on 12月 16th, 2015 by 三木 奎吾
Filed under: 住宅取材&ウラ話 | No Comments »

さてすっかり、東京世田谷建築散歩シリーズで
世間の動きとは離れた楽しい世界にどっぷりと浸かっておりましたが、
あれこれ、要件も迫って参ります(笑)。
きのうもある住宅団体の見学・セミナーに1日どっぷり。
そのほんの合間を縫って、風邪の初期症状の喉の痛みに
病院に寄って看ていただいたあと、事務所に戻ってみたら、
表題の本がわたしの机上に乗っかっていた。
小なりとはいえ、わたしも出版社なので
日経さんから、こういう本を恵送いただけるような心当たりはない。
どうも前真之先生から「著者送呈」という枠で
お送りいただけたようであります。
増補前の前作は、いま「完売」なのだそうで、
きっと出版社からは矢の催促が降り注いでいたに違いありません。
で、その後、セミナー会場に戻って
いろいろ興味深い取材も出来、発表者のみなさんとも
大いに歓談もできたあと、ようやく戻りました。
この本の読書は、いまのところ「チラ見」段階であります(笑)。
でも前作以上に見やすく直感的な構成になっていて
小気味いい切り口と論旨展開であります。
「バッサバッサ」切っていく、みたいな日経さんの紹介文ですが
いやそんなことはない、まっとうな本質論だと思います。
もし「切られている」と感じたら、自分でよく考えてみるべきだと。
・・・って言っていますが、実はわたしもよく前先生の講演スライドでは
素顔を紹介いただいているようです(笑)。
蓄熱暖房選択について「切られて」いる次第ですが、
まぁすべて事実に則っているので、仕方ない。
指摘されていることは、その通りのことだと思っています。
15年ほど前の暖房設備選択で、どうしようかとは思っていますが、
お金もかかり、おいそれとも変更はしにくいというところ。
いまのところ、前先生のおかげで悪名とは言え,
顔と名前が売れるメリットを享受している次第(泣&笑)。
前真之先生にはわたしどものReplan誌面でも連載をお願いしていて、
多忙を極めている中であるにも関わらず、
地方零細出版社のオファーに誠実にお応えいただき感謝の至り。
他社さんの出版物ですが、この本はオススメの1冊だと思います。
住宅の質の向上は、多くのみなさんの活動が大きなうねりを作るもの。
地域としての北海道の、この面での経験値から見て
いまの日本全体の動きは、そうしたダイナミズムが働き始めている。
前真之先生のこの1冊は、そうした動きをさらに加速する、
そんな期待を抱いているところであります。
Posted on 12月 15th, 2015 by 三木 奎吾
Filed under: 住宅性能・設備 | No Comments »


前川國男さんと言っても、わたしにはリアリティがない。
建築をやっている人には、まるで神さまのような存在として
語られている様子を側聞します。
住宅雑誌はやっているけれど、建築を学んではいないわたしには、
ちょっと近寄りがたい存在という感じでしょうか。
今回、その前川さんの建築が「世田谷区役所庁舎」として
現在も使われ続けていることを知った次第であります。
一番上写真の折板構造の「オーディトリアム」とされる建築に
目が向かっておりました。
コンクリートの壁を、折り紙のように作ることで
構造として持たせるという手法だそうであります。
素人の考えでは、きっと音響効果のことを考えた壁面だったように
思われますが、1959年という時代に
こうした意志的なフォルムを持つ建築を作られていたのですね。
内部に赤絨毯の床面というのも公的施設として
珍しい空間装備だそう。
いまは、この手前で立ち入りが制限されていました。
きっと存続の如何が論議されているに違いありません。


ただ、前川さんの江戸東京たてもの園に保存されている自邸は
はるか以前、10年前に見学した体験があります。
すでにして「古建築」の世界にある存在のように感じられる次第。
今回その記事を再度見てみましたが、2005年12月8日に書いている。
現代的なキッチンやセントラルヒーティング暖房が導入され、
しかも南面の大開口には冷輻射防止のために
窓下に放熱器が配置されているのに驚いていました。
こういう住宅が戦時中から戦後すぐの時期に関東で建てられていた。
そういった事実に驚いた次第。
その当時はようやく北海道で、寒冷地住宅技術への挑戦が
始まったばかりで暖房装置はひたすら部屋中心の石炭ストーブ。
窓面での冷輻射対策というような考え方はなかった。
その後の関東圏以南建築家の冬対策の考え方の喪失状況と対比して
骨太な建築家という印象を持った次第です。
また、吉村順三さんの軽井沢の家には
壁の中に乾燥砂を「充填」させていると読んだ記憶もあり、
先人たちの先進性に畏敬の念も感じさせられた次第。

公共施設ながら、日本庭園風の庭も装置されていた。
緑の中に女郎蜘蛛が巣を張ってもいました。
遙かな時間を経過して、こうした心遣いのあるしつらいに
ものをつくっていく意志のようなものが伝わってくる気がしました。
Posted on 12月 14th, 2015 by 三木 奎吾
Filed under: 住宅取材&ウラ話 | No Comments »


さて、東京世田谷建築散歩シリーズ第4回です。
最近、隈研吾さんの建築にツイておりまして、
どうもこのところ、重なっているきらいはあるのですが、ご容赦を。
隈研吾さんって、建築という側からものを言っている感じが強い。
人間であるハズだけれど、建築というモノを背負っている。
そんな印象を強く持っています。
とくに国際学生コンペでの受賞作選定を見ていて
建築が社会とどう向き合って行くのかという立場を感じました。
いわば建築の自由な発想を守ろうというスタンス。
で、この「博物館」建築を見ていて
その前に見た「根津美術館」との同質性を感じていた次第。
根津美術館では立派な日本庭園という外縁装置を活かし、
竹のエントランスを象徴的に配置していていましたが、
この「食と農」博物館では、隣接した緑地との関係性を
この立地環境の主要な類縁性としてコントラストを際だたせている。
ここでは鉄骨造の構造フレームが外部に露出し、
それを石材で被覆させて外皮としてまとわせていました。
大樹町の「メーム」ではアイヌチセに着想して
その外皮に現代の石油化学素材をまとわせていましたが、
「食と農」という生物的なテーマに対して、
その反対概念的な素材を持ってきて、コントラストを際だたせている。
この数週間の間に、立て続けに見た隈研吾作品への印象であります。

しかし、住宅を主要な興味分野としている者としては
そもそもこのような博物館・美術館などのカテゴリーの建築って
建築の文化伝統的に、あるいは機能性分析において、
どんな判断基準、軸があるのだろうかと、そもそも論的疑問も持ちます。
美術品などは、近代現代社会成立以前は、権力者などに
独占的に所有鑑賞されてきたものであることはあきらか。
市民社会が成立して以降、こういった「集団的鑑賞」行為の
入れ物、舞台としてこういった建築は成立してきた。
その建築物をつくる、構想するときに、
さて「建築」は、そもそもどう考えることにしたのか、
そういったあたり、疑問というか、知的好奇心も沸き立ってきます。
たぶん、それ以前には大衆が集まる装置としては宗教施設だけが
存在していたのではないか、みたいに想念が広がります・・・。
Posted on 12月 13th, 2015 by 三木 奎吾
Filed under: 日本社会・文化研究 | No Comments »


きのう紹介した吉田五十八・成城五丁目の家、続きであります。
このような「数寄屋」、管理は大変だと思います。
この家も個人が建てて,その後相続されたそうですが、
やはり管理が難しく、世田谷区に寄贈されて存続してきたとのこと。
たくさんの見学客が来ていたので、
なかなかシャッターを切るチャンスがないけれど、
施工の数寄屋建築で著名な水沢工務店が
きちんと常時メンテナンスを行っているし、
管理自体は世田谷区の責任でしっかりされているので、
500坪と言われる敷地全域で、見どころは満載の住宅であります。
で、やはり日本的な生活感受性というものを
ずっと考えさせられ、そういうものが沈殿してくる。
建築はいちばんわかりやすく、こうした感受性を伝えてくれる。


こういった空間美から
わたしたちは日本的なるものの実質を受け止めている。
なぜこうした空間に表徴されるようなものに
わたしたち日本人は強く惹かれてきたのかはわからなくても、
圧倒的に迫ってくる、ある「いごこち」感がある。
やっぱりそれは「静寂感」とでもいえるようなものでしょうか。
基本的な部分に沈黙が潜んでいるように思う。
北海道の住宅建築がモダンそのもののアメリカ文化を受容し、
合理主義的な日本人のあらたな暮らしようを生きるしかなかった一方、
京都に凝縮した暮らしの感受性は、東京に移植され
日本人の精神の基盤を維持してきたのだと思います。
北海道は日本人のフロンティアではあって、
脱亜入欧精神がもっとも発揮された新開地だったのだ。
そこで140年を超える時間は経過してきたけれど、
こういう空間美には、「戻ってきた」と思える部分を強く感じる。

これからも、なんどか訪れてみたい、
そんな思いを強くもった住宅でした。
たいへんありがとうございましたと、誰に言うでもなく
つぶやいておりました。
Posted on 12月 12th, 2015 by 三木 奎吾
Filed under: 住宅取材&ウラ話 | No Comments »

北海道にいると、正調の和風住宅というのはまずめぐりあえない。
日本住宅のデザインとして数寄屋とか、茶室とかは
積雪7m近い北海道札幌では、その華奢な構造がもたない。
また雁行して庭の見え方をより複雑に楽しむかのような
そういった美的鑑賞態度は、北海道人的な気質の中に入り込めなかった。
生活合理性がまずは大前提であり、そこにアメリカの建築デザインが
道庁赤煉瓦庁舎であるとか、時計台などを代表として
一気に入り込み、むしろそういう建築スタイルがクラシックを形成している。
見よう見まねの「擬洋風建築」こそが札幌の住宅建築のベースデザイン。
さらに北海道東部・十勝地方に至っては
木造住宅ではツーバイフォーが6割以上の多数派。
いまや、一般的な住宅からは畳敷きの部屋まで消失してきている。
こういった現実を悲しいものと見るか、
地域の気候風土にマッチさせた叡智ととるかは、見方が分かれる。
わたし自身も、茶室のような日本文化にははるかにリスペクトするけれど、
さりとて、寒いのをガマンして日本の文化性がどうこうと
言い立てられるのは、やや閉口させられる。
しかし、やはりこういう数寄屋は、すばらしい。
この建物は、ご自身も茶人であったという実業家の方が
建築界からの文化勲章受章者・吉田五十八さんに依頼した住宅。
現在は世田谷区が管理して、一般にも開放されているそうです。
以下、Wikipediaからの要旨抜粋。
吉田 五十八(よしだ いそや)
1894年(明治27年)12月19日〜1974年(昭和49年)3月24日)は
昭和期に活躍し、和風の意匠である数寄屋建築を独自に近代化した建築家。
東京生まれ。東京美術学校(東京芸術大学)卒業。
母校で教壇に立ち、多くの後進を育てる。(中略)
1925年、学生時代から心惹かれていたドイツ、オランダの
モダニズム建築を見るため、ヨーロッパ、アメリカを廻った。
この旅行で吉田はモダニズム建築よりも、ヨーロッパ各地に残る
ルネサンス・ゴシック建築といった古典建築の方に強い感銘を受けた。
これが吉田の建築観を大きく変えることになる。
吉田はヨーロッパの古典建築について、その伝統や民族性が
前提にあるからこそ出来得たものであり、日本人である自らには
到底出来得るものではないと考えた。そのことから、日本人である
自らにしか作り得ない建築とは何かを考えるうち、
当時は過去の建築様式でしかなかった数寄屋造の近代化に注目した。
ということだそうです。
確かに大壁が取り入れられたり、暖房などの設備もしつらえられたり
近代的な「快適性」にも配慮がされた建物になっています。
しかしやはり、白眉は2つある茶室でしょう。
とくに本宅にしつらえられた茶室の様子が写真ですが、
<写真は2枚の写真合成ですので、ややいびつさがあります。ご容赦を>
わびた簡素な素材で外部からの光をコントロールする審美感覚は
まさに「日本的」なるものを感じさせます。
しばし、陶然とまどろむ瞬間であります。
う〜〜む、どうやったら高断熱高気密で
こんなニッポンそのもののような空間デザインが可能なのか?
それは見果てぬ夢なんでしょうか。
Posted on 12月 11th, 2015 by 三木 奎吾
Filed under: 住宅取材&ウラ話 | No Comments »


さて、東京世田谷建築散歩、第1回は表題建築。
重力に逆らって、建築という人間の生きていくための装置を作る
その営為は、ずっと継続し続けてきたモノでしょう。
建築はなまなましいものであり、誰にでも感受性を開いているもの。
美術品のように、意志を持って見るものではなく、
それを超えて存在しているもの。
あるとき、ある時代で、まるでピンナップされるように
特徴的な建築が建てられて、
それが一種の時代観や、そのときの空気感が残るものがある。
そしてその地域に生きる人間が、なんとなく
地域らしさを形成しているその建築に対してある思いを持つ。
やがてそんな「蓄積」の総量が「街の魅力」を創り出していく。
この東京聖十字協会についての丸谷さんの説明文。
「1924年に現在地に設立されました。
前年の関東大震災で都心の多くが
被災した中で、郊外に移り住んだ人々に、
精神的な柱をと願って,いち早く会堂ができました。
親しみやすい地域の中で形式張らない教会、というのが特色。
もうひとつの特色は礼拝堂のユニークさ。
こちらは1951年に建てられたものです。アメリカ人、
アントニン・レーモンドの設計による
「柱状合板」使用の「合掌造り」風のものとしては、
日本最初の建築で専門雑誌によく紹介されています。
礼拝堂内部には、清楚な壁面「十字架の道行き」が掲げられ、
黙想と祈りの巡礼が行われます。
この建物は集成材を用いて合掌造り風に手掛けた
最初期の例なのだそうで、尖塔型アーチ型シェイプは
「カマボコ兵舎」と呼ばれて親しまれた。」
というように紹介されていました。
わたしたちには「ラワン合板」というと、
どっちかというと、むしろ簡素な素材というイメージがありますが、
創建当時は、むしろ木の王様といわれるチーク材に似た
南洋由来の高級材というイメージだったと言うことです。
こうした素材が、地域の中でその外観形状のかわいらしや
ごくさりげない下町的な住宅街のなかという立地もあって、
人々の心に「温もり」を与えたであろうことは
容易に伝わってくるモノがあります。

窓がほとんどない建築で、夏の気候の中では、
内部は相当の熱さであったに違いない。
空気抜きのようなハイサイド窓にはガラリが付けられていたり、
それでも足りずに1窓ごとに電気換気扇も付けられていた。
きっとラワン合板の木の匂いがむせ返るような
そんな空間だったに違いありません。
ヒューマンな印象の建築でした。
Posted on 12月 10th, 2015 by 三木 奎吾
Filed under: 住宅取材&ウラ話 | No Comments »


さてきのうは、前日の「エコハウス研究会」全国大会を受けた
都内住宅建築鑑賞のオプションツアーであります。
昨年の第1回では、スケジュールの関係で参加できなかったのですが、
建築家・丸谷博男監修による「目利き」と「マッピング」
によるセレクト物件を、都合7時間近く巡り歩くもの。
北海道では住宅建築を見学鑑賞して歩くには
バスなどの手段であちこち移動しながら
集団で見学、研修するという企画が多く行われています。
わたしどもでもそのガイドを拝命するという機会が多いのですが
東京ではなかなかそういった機会に恵まれない。
まずは道路幅が狭いのでバスなどの集団移動手段に
多くの制約が加わってきて、移動の自由が確保しにくい。
公共交通機関や、タクシー、徒歩というような手段になる。
そうするとコンダクターのアセンブル能力が高いレベルで不可欠。
そういった制約があって、そうしたツアーは、なかなかない。
そういうなかで、コンダクターに丸谷博男さんというのは
まことに贅沢な、いわばハマり役(失礼)を得た企画。
ということで、暖冬の中、都内、といっても
70万㎡キロ、人工80万人という「世田谷区」地域を
集中的にあちこち行脚致しました。
独身の頃、都内での生活体験があるとはいえ、
こんなふうにディープに住宅街である世田谷区を歩くのは
まったくの初体験であります。
巡ってきた住宅・建築は20物件以上に上りました。
そのそれぞれがブログテーマ1件以上に相当する(笑)。
まことに困ってしまうほどの一挙大量情報取得であります。
ということですので、
これからシリーズで、断続的にその模様を記載していきたいと。
今回の写真は、上が隈研吾の「東京農大・食と農の博物館」、
下が前川国男「世田谷区役所・区民ホール」。
で、総歩行距離はいっしょに参加された方の推定で12~13キロ。
わたしはそこからさらに東急・用賀駅にたどりついて
渋谷〜浜松町〜羽田空港〜新千歳空港〜札幌自宅と、
まさに疲労困憊のチョー長距離移動になっておりました(笑)。
移動開始は午前8時から真夜中23:00までです。
しかし建築の魅力というのは、疲れを忘れさせてくれますね。
ここちよい疲労感をたっぷりと味わえた次第であります。
丸谷博男さんに深く感謝致します。
ではでは、明日以降の断続的ブログシリーズに乞うご期待!
Posted on 12月 9th, 2015 by 三木 奎吾
Filed under: 住宅取材&ウラ話 | No Comments »