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重厚な建具文化

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写真は増毛に保存されている重要文化財・本間家の
商家部分の区切りの建具。
こういう商家の建具って、実に多彩な工夫が凝らされていて
目を見張るほどなんですね。
なによりも手仕事での造作なんですが、
その造形のみごとさに圧倒される。
この建具では、かんぬきが仕込まれていて、
閉めると自動的にロックがされる仕掛けまで施されている。
たぶん、それを開放する鍵の仕掛けもあるのでしょう。
構造材は重量感のある広葉樹種の脂身のある材が使用されています。
一目見ただけで、相当の熟練の工務であり、
工芸品に近い出来映えであります。
いつも思うのですが、こういう実用の建具って、
その手仕事のレベルで言えば、工芸品を上回っていて、
しかも日常使いの実用の用を完全に満たしている。
日本の手仕事、職人のレベルの高さをみごとに証明していると感じます。
ただし、工芸品のように移動可能ではないので
仕事への価値、売買価格というような部分では評価されない。
なんとも不思議なものだなぁと思っています。
一度など、秋田での取材だったですが、
ものすごい重量の立派な建具が家の中で使われていて、
聞いたら、建て主さんがインターネットで購入したのだと聞きました。
ところが、100kgは軽く超しそうな超重量物で
しかも材料は、もう入手困難と思われる本物素材でありながら、
値段を聞いてびっくり。
なんと、輸送費も10000円程度の宅配便扱いで、
本体価格も20000〜30000円だったものでした。
宅配便価格は寸法に対してしか値段規格がなくて
ものすごい重量物にもかかわらず、タダ同然だったと聞きました。
いかに日本では、こういう建具の価値について評価がないか、
よく表しているお話しだなぁと思った次第。
しかし、以前に見た余市の漁家の蔵の扉のみごとさなど、
ちょっと筆舌に尽くしがたかった。
こういう建具文化に対する価値観の低さって、
そのうちに必ず見直されると思います。
いいものを永く使って、エコロジカルに、というのが
本物の流れであれば、やがて必ず見直されると思うのです。
ただ、現状では、住宅建築の側では、
施工の簡易性や、合理性にばかり目を奪われていて
こういう手仕事の価値観について正当な評価がない。
こういうみごとな昔の手仕事を収集しておくと、
そのうち、「お宝鑑定団」で超高額な資産になるかも知れません(笑)。
いまから、買い占めに入ろうかなぁ(笑)。
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連休中の当番病院

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おとといから息子が軽く発熱。
それが昨日の朝には、けっこうな高熱に。
一晩、様子を見て、と考えていたのですが、
一向に熱が下がる気配がない。
39度を超えて40度近い高熱状態。
バスケットの練習とかで、濡れたTシャツのままで歩いていたりしていたので、
どうも、疲れもあって、ダウンしたようなんですね。
で、朝9時になるのを待って、当番病院に。
「内科」でと考え、インターネットで事前に調べて
家の近くのそこそこの大型病院に行きました。
9時からなんですが、やはり連休中なので
来ている人は多い。
10分前に到着して、受付開始を待っていました。
で、ようやく名前を呼ばれて受付の方が来られました。
ところがどうも、年齢的に中学生13歳では、
こちらの病院では内科診療は出来ない、ということ。
聞いてみると、内科でも小児診療を受けられる病院と、
受けられない病院があって、こちらは受けられない病院なんだとか。
とはいっても、現に40度近い高熱が出て
具合が悪そうなので、看てもらえないでしょうかと頼んだのですが、
鮮明でないコピーを見せてくれて
「小児科」の当番病院に行ってくれ、ということのようなんです。
で、よく見えないコピーで何軒かの小児科を探したのですが、
ようやく判別した住所はどこも遠距離のところばかり。
まぁ、やむを得ず7kmほど離れた病院を目指したのですが、
途中、お花見の車列の大渋滞に遭遇。
一歩も先へ進めない状態。
カミさんが、もう一軒の事前に調べていた近くの「内科」の病院にケータイから連絡。
そうすると、中学生でもそこでは大丈夫ですよ、とのこと。
急いでUターンさせて、そちらに向かいました。
そちらでは、電話で概略話していたこともあってか、さっそく診察。
すぐにインフルエンザB型と判明。
治療を施していただけて、薬もいただくことが出来ました。
まさか、豚インフルエンザ?っていう心配は杞憂でした。
早めに対応していただけたお陰で、
帰ってから投薬して、安静に寝付かせたところ、
体温は半日程度で急速に下がってきておりまして、
夜も、ゆっくりと就寝できております。
カミさんもわたしも、マスクを掛けて家でゆっくり看病。
でも食欲もある程度戻ってきて、夕食には
「鍋を食べたい」という希望もでて、
いつもの半分くらいは食べておりました。
中学生というのは、難しい年齢ですね。
決まりでは、小児科診療というのが原則、というのはうっかり知りませんでした。
ただし、体力的にはおとなと変わらない。
息子は、身長が165cm、体重が48kgということなので、
カミさんよりも大きい。
ただし、発育的には個人差もあるでしょうから、
通常の投薬などでは難しい側面があるのでしょう。
インフルエンザでの投薬でも、タミフルなどは処方せず、
最近は違う薬があるのだそうですね。
しかし、中学生が小児科であるというのはこちらもよくは知らなかったのですが、
同じ内科でも、小児に対応する病院と、そうでない病院がある、
っていうまでのことは、ちょっと事前にはわかりにくい。
ましてや、連休中の急病対応での当番病院を選ぶときに、
患者側でそこまでの対応は難しいのではないでしょうか?
今回はクルマで移動していたので、こちらも対応できましたが、
これが、歩いてきていて、他に回ってくれと言われ、
しかも一番近い病院まで7km離れていて、こどもが高熱をいま、発している
っていう状況に遭遇したら、ちょっと困りますね。
救急当番病院の情報をインターネットでもう一度見てみても
小児を見られるかどうかの、内科の違いについては情報で触れられていない。
ちょっと考えさせられた次第です。
<写真は北海道・雄冬岬付近の滝です>
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紙越しの採光

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ゴールデンウィーク、好天が続きますね。
きのうは足を伸ばして、増毛方面へ。
坊主はバスケットと言うことで、カミさんと母親、3人での行楽。
増毛は、古くからの酒蔵が観光の中心になっていて、
その本宅としての旧家も重要文化財に指定されて
ミニ小樽的な観光条件が整ってきていますね。
札幌からは海岸線をずっと北上するコースなので眺望が良く、
途中には豪快な滝があったり、
岩尾温泉という泉質の良い温泉施設で日帰り入浴も楽しめます。
きのうも街の中は大変混雑を見せていまして、
なかなかの人出でした。
ということで、カミさんの母親に観光案内しながら。
写真は、旧本間家商家の見学です。
酒を造ったり、海運業を行ったり、
明治以降は銀行を開設したりと、地域最高の有力者の邸宅です。
さすがに結構を尽くしておりまして、
書の類、ふすま絵など、豪華な調度が飾られています。
こういう旧家でいちばん感じるのは、
障子越しのやわらかな採光がもたらす心地よくコントロールされた明るさと暗さ。
紙で内と外の結界を造り、
採光の要素ももたらせているという空間って、
アジア的な独特なものなのでしょうか。
幾何学的な格子組と紙による繊細な採光。
それが室内に入ってくる光を統御している。
床に写り込む格子模様やらが、この写真のような広縁の鏡面に反射して
日本人が永く愛してきたような空間性を形作る。
ここは寒風吹きすさぶ日本海北端に近い寒冷地ですが、
いっとき、春から夏にかけて半年程度は
日本的な風情を堪能する「高級住宅」要件を実現していた。
というよりは、建築技術の問題として、
こういう雰囲気以外に、日本には「よき住宅」という概念がなかった。
左側の庭に対しては一面のガラス建具が障子の外にあるので、
それがかろうじて、室内の空気を外界から区切り、保持する装置。
こういう富豪の住宅でも、
建築技術者は、本州地域から「出稼ぎ」で来ていたのでしょうから、
この地に似合った高級住宅を創造する、という情熱は持てなかった。
半年は破綻する生活だけれど、
まぁいいや、という形で思考を放棄したものでしょうね。
今日でも、北海道の気候風土を考えたとは言い切れない建築が
「出稼ぎ的な建築技術者」が東京からやってきて、
たくさん建てられているのが現実。
それが「建築文化」だと言われれば、まぁしょうがないとも言えるけれど、
寒々しい家で耐えていかなければならないのはやや滑稽ではあります。
要は、こういう雰囲気の良さを
寒冷地的に活かして実現すればいいわけで、
それには、理解と知識、技術がどうしても必要なのですね。
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平安期・北海道での交易実態

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写真は、縄文からアイヌ期まで8000年間の住居跡がある
サロマ湖畔・栄浦から北方を見た様子です。
住居跡は全部で2706軒分が確認されているそうで、
それらが積層しながら継続していたとはいえ、
未発見分も含めて考えれば、ここは狩猟採集生活文化にとって
まるでパラダイスのような地域だったと思われます。
オホーツク人は、漁網のようなものも工夫していたと考えられ、
海産物の採集能力はきわめて旺盛だった。
そういうなかには、「水豹〜アザラシ」なども存在したに違いありません。
日本の歴史で言えば、オホーツク人の存在した時期は
ちょうど平安期に相当するので、
平泉藤原氏が、京都の政権に対して貢納した「北方産品」のなかの
貴重種の毛皮としての物産が想定される。
ここのオホーツク人が採集したアザラシの毛皮が、
平泉藤原氏の手に渡り、そこからさらに京都に収められていたに違いない。
鷹のハネなども貴重な交易品とされているけれど、
それらもこの地域のオホーツク人からもたらされたと考える方が自然。
当時の北海道には、
このオホーツク人のほかに在来の民族として、
「さつ文時代人」が併存していた。
かれらは、道央から道東一帯に主要な遺跡が確認されている。
また、この地域でも痕跡が確認されている。
そうであれば、かれらのネットワークから、オホーツク人との交易品が
きっと平泉地域との交易に使われたのでしょう。
鷹のハネは貴族にとって、なくてはならないファッション素材であり、
アザラシの毛皮は、高貴な女性の衣類として使用されたとか。
ちょうどこの時期は寒冷期であり、
女性の「十二単」などの重ね着ファッションがもてはやされた結果、
こういう素材の貴重性が高まったとも言えるのでしょう。
このような交易品物流ネットワークはどのように出来ていたか、
北海道内の各文化間の交流実態はどのようなものであったか、
このあたりは、まだまだ、わからないことだらけですが、
そもそも交易というのは、狩猟採集社会にとっては基本的な存在意義を持っていたそうで、
ひとの営みの開始から、交易活動はセットで考えるべきもの。
海の幸と山の幸の交換は、人間活動の基本だと思われます。
われわれが考えるよりもずっと自然なかたちで交易は進められていたと思います。
ただし、このオホーツク人地域から、
さつ文文化人たちの主要な居住地域である道央地域間は
どのような交易の道があったのか、探ってみなければならない。
多分、陸路だろうけれど、途中からは豊富な水路も利用できそうです。
明治期からの「開拓の歴史」のほかに
北海道地域には、われわれがまだ、つまびらかに出来ていない
豊かに積層した歴史が存在していると感じられますね。
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サロマ湖畔にて

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念願の「オホーツク人」たちの痕跡遺跡ツアーです。
昨年年末にも一度計画したのですが、
温暖な冬が一転して大雪になってしまって
昨年内の訪問は断念せざるを得ませんでした。
「ところ遺跡の森」という場所なのですが、
北海道の歴史を知る上で大変重要な遺跡だと思っています。
オホーツク海側のこの地域、網走や紋別、知床にいたる一帯は
食品痕跡である貝塚から、温暖海域のはまうりなどの貝殻も出てくるのですね。
ということは、歴史年代的にこの地域は大変温暖な気候に恵まれていた。
以前見た書物では、椰子の木も痕跡が確認されていたということ。
現在でもそうですが、なんといっても豊富な魚介類が
漁労採集生活にとっては豊かな暮らし方を可能にしてくれる地域だったのですね。
で、人間の生活痕跡である「竪穴住居」跡が無数に存在している。
それも北海道の歴史年代で、
縄文から続縄文、さつ文、アイヌ期、クロスしてオホーツク文化人まで
実にさまざまなスタイルの「竪穴住居」痕跡がある。
とくにオホーツク文化人の竪穴は大変特徴的で、
入り口が天井部にあって、丸太はしごで出入りする構造。
しかも大型のものが出土しているという。
明らかに、北海道地ばえのほかの文化形式とは違いが見られる。
やはり北東アジアの文化が、食の対象の移動にともなって
北海道のこの地域に南下してきたに相違ない文化。
「北東アジアのバイキング」とも言われているほどに
海獣採集を基本的な生業とした民族のようなんですね。
っていうことなんですが、
遺跡のある常呂の栄浦というのは、行ってみてわかったのですが、
オホーツク海とサロマ湖の境界域に存在している。
汽水域で、まさに豊かな海の幸が豊富に存在する地域。
写真は、周辺にあった「海の幸」市場でバーベキューさせてもらった
ホタテですが、ツブやホッキなどじつに多彩で豊富な貝類が採集されておりました。
そのまま、炭火にあぶっていると、自然に貝殻が開いて、
適度な塩味のうまみが口中に満ちあふれます。
「これは、うまい」と
思わず、うなってしまうほど。
人間、どんな時代でも、うまいものへの執着は尽きないでしょうから、
北海道に人が暮らし続けてきた年代中、
この地域が永く住み継がれてきたことには、明確な理由があるのですね(笑)。
大変わかりやすい現地取材(笑)ができて、
わたしのライフワークも、方向性が明確になってきた気がいたします。
で、やっぱり、トドメはカニなんですけどね・・・(笑)。
ではでは、みなさん、楽しい連休を。
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春爛漫のGW

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ことしは札幌、さくらの開花がやはり早いと思います。
わが家周辺のさくら並木も一斉に開花。
ゴールデンウィークに合わせて花開いた感じで、
景気は悪いけれど、天気だけはよいようですね(笑)。
わが家は坊主がバスケットクラブに入りまして、
たぶん、練習日程がきつくて、いっしょに出かけてくれないと
思っていたら、そうでもなく、本日からちょっと一泊旅行に。
お父さんの密かな願いであった、オホーツク周辺の遺跡探訪なんですが、
ほかで釣って(笑)、めでたく同行できることになった次第であります。
目的地は、「ところ遺跡の森」っていうところでして、
復元された、縄文からオホーツク文化人の竪穴住居が建設されているのですね。
これを写真撮影したい、というのが基本的な目的。
っていうことは、まぁ、半分は仕事にも関係する「取材」でもあります(笑)。
文字表現されていない時代のことを考える
いわば、考古から人間生活や、人物の思いなどを
類推するような、そんな思惑を持っているわけです。
ただ、オホーツク周辺までとなると、
大体往復で800kmくらいにはなる。
やはり高速道路の半額サービス期間を狙うことになる(笑)。
しかもいちばん燃費のいいクルマで、という次第。
まぁ、疲れたらカミさんに運転、代わってもらって、と考えています。
で、きのうは早くに就寝して、けさは2時過ぎに起きました(笑)。
これから、4時くらいに長距離ドライブ、出発です。
こどもがまだ、付き合ってくれるギリギリの年齢でしょうか?
こういうゴールデンウィークの家族一緒って。
安全運転で楽しんできたいと思います。ではでは。
<写真は、ある日の仙台空港。面白い建築です>
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間取りのオープン化と階段

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階段っていうと、どんなイメージを持たれるでしょうか?
一般的にはひたすら機能性であって
「階段室」という区切られた壁の中を直線的に、あるいは回り込みながら
上下階をつなぐ、という役割を果たす存在。
日本の古い家屋では、けっこうな旧家でも
まるで「はしご」に近いようなものも散見される部位です。
一方では、欧米文化世界では
入り口を入ってすぐに優美な曲線を見せる「アップステアーズ」っていう雰囲気の
「見せる階段・装飾的な階段」っていうようなものもあります。
日本では構造強度的に2階建てというのはごく近年まで発展せず、
一方、欧米では木造がツーバイフォーで構造が安定して、
安心して2階建てを建てる建築文化が発展したので、
こういう「見せる階段」文化が生まれたものでしょうか?
で、最近、こういう流れとは違って、
間取りがオープン化してきて、
ある必然性を持って、階段が重要なファクターに変化してきていると感じます。
というのは居間の拡大傾向。
大型テレビの影響で居間が面積拡大し、
その分、他の部位を取り込みつつあって、
その流れから、「階段室」というような面積的ゆとり部分が
真っ先に目を付けられて、居間に取り込むという形が増えていると感じます。
で、そういうふうに変化してくると、
階段のデザインっていうのが、かなり問題になってくる。
写真は、十勝地方の高性能住宅の階段。
熱損失が究極的に少なくなってくると、
家中の仕切り壁というのも必要性がなくなってくるというか、
大きな一体空間の方が熱環境的に合理的なので、
勢い、階段が面白い位置を占めるようになります。
この家では、階段の半ば、踊り場がちょうど手前側・食堂に
面して配置されています。
「ごはんができたよ〜」
「は〜い、あ、きょうはカレーだ」
「そうよ、早く階段で止まっていないで、降りてきなさい(笑)」
みたいな、家族の会話にワンポイントが加わってくると思います。
食べるという行為が、より家族関係を円滑にする仕掛けになる。
階段の位置で、こんなライフデザイン変化が生まれてくる可能性がある。
動線と、ゾーン配置の変化が微妙な面白さを作り出すのではないでしょうか。
どうなっていくか、楽しみな部分だと思っています。
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さくらの季節に・・・

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きのう、札幌市内では、あちこちで
さくらが開花しておりました。
まだ4月中というこの時期に開花するというのは珍しい。
北海道に咲くさくらは多くが「エゾ山桜」。
本州のソメイヨシノとは量感が違って、霞のような
軽やかさが特徴でしょうか。
でもやはり日本人であることを、いちばん意識させられる花の季節。
なぜ、日本人はこんなにもさくらに敏感になったのか。
見頃といっても、半月も持たないこういう花に
無常観を見る国民性なのでしょうか。
<写真は知人が大阪で見た「ウコン」の桜写真です>
華やかに、一気に周囲を彩ってやまないけれど、
散るとなれば、これもあっという間に消えていってしまう。
花であれば、こういう生き方もまた潔し、と思えるけれど・・・。
きのうは仕事関係の知人の葬儀。
ちょっと胸が締め付けられるような経緯でした。
まだ若い50代半ば。
娘さんの結婚式に無理をおして遠路出席し、
その地で、病に倒れて逝った、ということ。
いやはや、なんとも申し上げようのない辛い葬儀です。
まぁ、ひとの死の辛さに高低などあるものではありませんが、
聞くに付け、人柄の明るさと家族への愛情、
そんな思いが伝わってきて、これもひとの死の形か、と
ただただ、無常観に襲われざるを得ませんでした。
合掌。
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播磨灘

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きのうの続きです。
わが家の家系で、日本の歴史に登場してくるのは
室町期の播州の守護、赤松氏の経済官僚としてのようなんですね。
だいたい確かといわれているのですが、
学者さんではないので、まぁ、家系伝説という域は出ないのですが・・・。
で、紆余曲折があって、播州の「英賀浦」という中世の港湾都市を
支配していたということが伝えられているのです。
赤松氏は、途中で直系子孫が途絶えたので、
その家を引き継いだかたちになったともいわれています。
家系っていうのは、けっこう途絶えるものなので、
まぁ、ありうることでしょうね。
わが家系にしても、江戸期には夫婦ごと外部から後継者を移植したりしています。
法人的な家を存続することに意味があって、
必ずしも、血がつながっていくことにそれほどのこだわりがない、
っていうようなことのように思います。
戦国期には、播州は織田勢力圏と、毛利勢力圏の角逐が見られた地域ですね。
司馬遼太郎さんの「播磨灘物語」に、黒田官兵衛の戦争の相手方で
この「英賀」の勢力のことが触れられています。
毛利からの援軍と協力して黒田官兵衛と戦うのだけれど
かれの巧緻な作戦に、まんまとしてやられて敗戦しております。
その結果、なのか、その後、家系は広島県福山市近郊に移っていっています。
毛利のために戦ったので、その勢力圏に避難というか、
移転せざるを得なかったものと思われます。
ただ、それも一族のうちの一部、ということのようで、
敗残軍は、散り散りになったということなのでしょう。
そんなことなので、わが家の伯父とか、
よくこれらの地方を行脚していたということです。
北海道に移転してくる、というのは
いろいろな意味でやむを得ざる決断だったのでしょうから、
郷里との関係も、疎遠にせざるを得ない事情があったことでしょう。
そういう「失われた消息」を求めたくなる、子孫の思いの発露ですね。
いろいろな家系伝説の類の調査活動を近親者が行ってくれて、
いま、書いたようなことが、どうも信じられそうな経緯のようです。
歴史といっても、別に戦争に勝った人が「偉かった」というような
山岡壮八さんのような史観はあり得ないと思うのです。
結局は、経済的な基盤的な部分での激烈な競争があり、
その軍事的表現が、歴史上の「戦争」の意味合いであったのだと思います。
一時的な勝利を得ても、家系という意味では存続しなかった
豊臣家というのは、勝利者なのか、敗者なのか、
見方はなかなか難しいと思います。
歴史の中の局面局面で、先人たちがどんな考えを持ち、
どんな行動をしてきたか、それを考え、
その中から学んでいくことが、意味があることなのだと思います。
いまとなっては、まったく縁遠い世界になっている
こういうジオラマの播磨灘。
いまは、阪神と戦う北海道日本ハムファイターズの応援の方が
似合っているわけで
まことに転変多い歴史だなぁと、思わされますね(笑)。
なんか、いかにもブログ的な、個人的なテーマで
大変恐縮です。
つかの間のゴールデンウィークということでお許しください。
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ご先祖の生きた世界

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写真は、瀬戸内海地域のジオラマです。
瀬戸内海地域は、古くから日本が海外と交通する主要幹線海路として
もっとも主要に栄えてきた地域。
畿内地域までアジアや西南日本地域からの外洋船が入っていくのに、
かならずこの地域を通ることになり、
必然的に水や食料などの補給のための港湾が必要だった。
その結果、早くから活発な港湾都市が形成されてきた。
現在、広島県にある草戸千軒遺跡は、実に商業ビジネスが活発だった遺跡として
中世都市の実像をかいま見せてくれているそうです。
絶対見に行きたいと思っているのですが、
まだ果たせていません。
なんでも、手形などの交易痕跡も発見されているという話を聞いたことがあります。
平安期に中国では宋が栄えていましたが、
この国は、商業国家として大変な発展を遂げた国だったそうで、
手形に似たような経済決済が行われていたそうです。
宋との貿易で巨大な経済力を得た平氏が
日本の権力を奪取するわけですが、
かれらが、その権力基盤の神聖聖地として厳島を造営したのは
この地域の経済力を誇らしく表現したものでもあったのでしょうね。
わたしは、今でこそ北海道フロンティアを志していますが、
実はご先祖は、まごうかたなくこういう地域でDNAを育んできた(笑)。
夏とか、海とか、色白なのに胸騒ぎが大きくなるのは、
こんな地域でのご先祖様の体験が、自分の既知体験のように
なにか、遠くから感じられてならないものなのかも知れない、って
なんの根拠もなく夢想することしきりなのであります。
まぁ、間違いなく単なる錯覚ですね(笑)。
ではあるのですが、
わが家は、北海道に移住してきた多くのみなさんと同じように
その家系に対しての探求心が旺盛であります。
幼いころに北海道に移民してきた父や、兄たちが
いろいろに調査活動(笑)を積み重ねてきておりまして、
そんな縁から、一族の歴史研究者の方などとも交流があります。
なので、かなり詳細にわが家の先祖を調べてきております。
先祖の中には、一遍上人もいるのだそうです。
讃岐地方に、律令国家の形成期ころ直接の氏族が見いだせるということ。
そのころから、江戸幕末まで、一貫して
この地図のあたりを、あちこち、転々としてきているのですね。
なにかこう、立ち上ってくるような
おかしさがこみ上げてくる思いがいたします。
さてさて、いったいどんな人生を積み重ねてきていたものか、
でもまぁ、時代によって形は変わっても、
同じ人間、そうは違った感じ方、考え方をするわけがない。
そう思うと、時代の変遷の中で、
どんなように生き延びてきたのか、興味は尽きないのであります(笑)。
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