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サロマ湖畔にて

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念願の「オホーツク人」たちの痕跡遺跡ツアーです。
昨年年末にも一度計画したのですが、
温暖な冬が一転して大雪になってしまって
昨年内の訪問は断念せざるを得ませんでした。
「ところ遺跡の森」という場所なのですが、
北海道の歴史を知る上で大変重要な遺跡だと思っています。
オホーツク海側のこの地域、網走や紋別、知床にいたる一帯は
食品痕跡である貝塚から、温暖海域のはまうりなどの貝殻も出てくるのですね。
ということは、歴史年代的にこの地域は大変温暖な気候に恵まれていた。
以前見た書物では、椰子の木も痕跡が確認されていたということ。
現在でもそうですが、なんといっても豊富な魚介類が
漁労採集生活にとっては豊かな暮らし方を可能にしてくれる地域だったのですね。
で、人間の生活痕跡である「竪穴住居」跡が無数に存在している。
それも北海道の歴史年代で、
縄文から続縄文、さつ文、アイヌ期、クロスしてオホーツク文化人まで
実にさまざまなスタイルの「竪穴住居」痕跡がある。
とくにオホーツク文化人の竪穴は大変特徴的で、
入り口が天井部にあって、丸太はしごで出入りする構造。
しかも大型のものが出土しているという。
明らかに、北海道地ばえのほかの文化形式とは違いが見られる。
やはり北東アジアの文化が、食の対象の移動にともなって
北海道のこの地域に南下してきたに相違ない文化。
「北東アジアのバイキング」とも言われているほどに
海獣採集を基本的な生業とした民族のようなんですね。
っていうことなんですが、
遺跡のある常呂の栄浦というのは、行ってみてわかったのですが、
オホーツク海とサロマ湖の境界域に存在している。
汽水域で、まさに豊かな海の幸が豊富に存在する地域。
写真は、周辺にあった「海の幸」市場でバーベキューさせてもらった
ホタテですが、ツブやホッキなどじつに多彩で豊富な貝類が採集されておりました。
そのまま、炭火にあぶっていると、自然に貝殻が開いて、
適度な塩味のうまみが口中に満ちあふれます。
「これは、うまい」と
思わず、うなってしまうほど。
人間、どんな時代でも、うまいものへの執着は尽きないでしょうから、
北海道に人が暮らし続けてきた年代中、
この地域が永く住み継がれてきたことには、明確な理由があるのですね(笑)。
大変わかりやすい現地取材(笑)ができて、
わたしのライフワークも、方向性が明確になってきた気がいたします。
で、やっぱり、トドメはカニなんですけどね・・・(笑)。
ではでは、みなさん、楽しい連休を。
北のくらしデザインセンター
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