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企業再生〜2

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きのうの続きです。
写真は再稼働を開始したラインの様子。
大阪が基盤の会社、創建さんという会社は、
「外断熱」(正しくは外張り)がウリで
本州地域で戸建て住宅を年間500〜600棟程度販売しているそうです。
木の城というイメージ通り、ふんだんに地元産材を構造として使い、
断熱手法としては外側断熱を採用するのは、
確かに、相性がいいかも知れない取り合わせ。
北海道の標準的な高断熱手法には背を向けてきたのが
かつての「たいせつ」さんであり、
その意味では、デザイン云々よりもそういう断熱手法の変更の方が、
大きい部分になるかも知れないと考えます。
セレモニーでは、
かつて訪問したという北海道知事さんから
「斬新なデザインに変更してください」と言われたことを
新しいデザインパネルを寄贈して、お返ししておりました(笑)。
高橋知事さん、本音で言ってしまったのかどうか、
あんまりストレートな意見の見えにくい知事さんにしては、似合わない発言があったと
変に感心させられた次第(笑)。
いろいろな意見はあると思いますが、
あのスタイルで、しかし19000棟もの実績が上がっていたのですから、
簡単に、そう決めつけられないのではないかとも思います。
デザインだけ、中身の作り方と関係なく変更することが
それほどいいことか、どうか、
好みの問題は別にして、やや疑問とも思っています。
ユーザーは案外、総体としてのイメージで企業姿勢をとらえるものであり、
単純に外観デザインを、その中身と切り離して考えるのは、
企業イメージを希薄化させることになるのではないかと
ちょっと、疑問を感じた次第です。
まぁ、そうはいってもこれまでのデザインからチェンジしたいというのは
ごく自然な方向ではあると思います。
いずれにせよ、そうことは簡単にはいかないだろうと思います。
新築マーケットも「回復」というような状況になるかどうか、
むしろ現状程度で固定化して、
まったく別のマーケットに住宅建築自体が向かうような予感もあります。
一方で、地域の願いというのも痛いほどに感じることができました。
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北海道・東北の住宅雑誌[Replan(リプラン)]|家づくり・住まいの相談・会社選び

企業再生〜1

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なぜかこういうのにめったに呼ばれることはないのですが、
きのうは、北海道地元の大手住宅企業だった、
「木の城たいせつ」の破綻から、その企業再生をめざす、
「きのしろ」「たいせつ」両社の再稼働式典に呼ばれて行って参りました。
「木の城たいせつ」は、北海道の住宅の歴史の中で、
きわめて大きな存在であったことは事実だろうと思います。
残された住宅の数でも、なんと19000棟に上るという。
いわゆる「無落雪屋根」の登場時期に「耐雪〜たいせつ〜ハウス」という
企業名そのものがキャッチフレーズであるというわかりやすさで
北海道の住宅と雪の問題に明確な解決法をアピールしていった存在です。
まぁ、無落雪屋根のひとつの工法、M形屋根について「特許」云々ということもありました。
その後、M形屋根から、フラットルーフに無落雪屋根の主流は移っていくわけですが
それでも、大きな足跡であったことは間違いがないと思います。
このふたつの違いは屋根に乗せた雪を
建物内部に「樋」を設けて水にして落とすというM形に対して、
小屋裏の断熱を強化して、屋根の上に雪を載せたままにするフラットルーフ
というような違いなわけです。
M形が屋根面からの熱漏れを半ば前提にした工法であるのに対して
フラットルーフの方が、合理的な解決法であるとは言えるでしょう。
しかし、こういう提案が敷地サイズを大きく取らねばならなかった北海道の住宅から
都市圏の狭小敷地利用を可能にしたという意味では、
経済的な側面で、大きなメリットがあったと考えられるでしょう。
いろいろに論議はあったとしても、なにより、
19000棟の建築実績を残したという意味では
多くの北海道民に支持されたことは間違いがない。
もうひとつ、この企業が大きなインパクトを持っていたのは、
北海道の木を大量に原木から仕入れて、
乾燥工程から、集成技術まで行う大きな「工場」を、いわば
「地産地消」の先駆けのような存在として取り組んできたことがある。
最盛期には、雇用者数が1300人を超えていたというように、
この工場生産を地元経済振興として取り組んできた側面は大きい。
きのう、わたしも初めてこの工場を見たのですが、
まぁ大変な広大さで、ちょっとびっくりしてしまいました。
企業経営で考えると、
こういう基本的生産コストが大きい、という形態は
なかなか変化の大きい時代には対応が難しいと思います。
そういうことから、建築基準法の運用厳格化による
「混構造建築」の建築確認ベタ遅れに直撃を受け、
高コスト生産システムが、資金ショートを招いた側面が大きい。
まぁ、そのほかにもいろいろな経営的硬直化はあったものと思います。
後継企業は、大阪を地盤とする「創建」という会社がバックアップします。
写真真ん中は、新会社の社長、吉村氏です。
左右には、地元栗山の町長さんや、北海道の空知支庁さんなど、
地元経済の大きな担い手としての期待が掛けられています。
〜長くなりそうなので、続きは明日以降に。
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気晴らし靴磨き

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先日、そこそこ気に入っていた靴にガタが来まして
それを機会に靴箱を整理したら、
同じように「これはちょっとなぁ・・・」という状態のがもう一足。
でも、なんとなくゴミに出すのが忍びなくて・・・、
というヤツを再発見。
まぁ、しょがない、とゴミに両方出す決心をつけました(大袈裟)。
でも、気に入っていたヤツは途中で一回修理したりもしていたので、
やはり愛着はあったのです。
ちょっと堅めの履き心地で、それはそれで好きだったのですね。
でも、2回目の破綻と言うことで、しょうがない。
っていう次第なので、整理して夏冬とも
履ける現役の靴は3足。
長く使っていくためには、ということで、
「きちんと手入れをしなければ」と思い至りました。
どうしても手抜き靴磨きで、簡単にすませていた。
ちゃんとクリームを付けて手入れってしていなかったのですね、しばらく。
仕事の途中で靴屋さんに寄って、靴クリームを購入して
帰ってみてみたら、案の定、靴クリームはちゃんとありまして、
使っていなかっただけ。
日頃のずぼらさを再確認させられますね(笑)。
何となく似ているので、見てみたらeccoというヤツなんですね。
気に入っていた記憶はあるけれど、
こればっかり残ったというのにはちょっと驚き。
まぁ、履きやすいので、いいのかなぁ。
面倒くさがりなので、手抜き一気磨きということですが、
とりあえず、クリームを付けて磨いてみた次第です。
やってみると、そこそこ作業は楽しい。
これは嵌りそうかなぁ、と日課にしたらそこそこ楽しいかも。
そういえば、靴磨き屋さんって、最近あんまり見かけません。
そういうビジネス街に足を運ばないということが大きいけれど、
どうなんでしょうか、
東京のビジネス街でも、靴磨き屋さんあんまりいない。
知っているのは羽田空港のコーナーくらい。
やはり、景気後退とか、影響しているのでしょうか。
自分で靴磨き、当たり前ですが、
久しぶりにきちんとした手入れをしたら、
気持ちの方もスッキリしてきます。
ストレス発散には悪くないかも知れません。
なにより、無心に作業できるのがいい。
先日の長期優良住宅先導的モデル事業の審査委員長、巽和夫京大名誉教授のお話を
聞いたときの「いいものを作って、きちんと手入れして、長く使っていく」
という精神、思い起こされました。
ずぼらな性格ながら、小さなことからはじめていかなければなりませんね。
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家と税金

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日本の都市住宅である「町家」は
為政者が庶民に税金を掛けるのに、その富裕の状況を把握する方法として
建物の間口の広さを単純に計量していたことへの
庶民側の対応として生み出されたのだそうです。
間口が問題にされるのなら、奥行きを長くしますよ、という知恵ですね。
現代のように「会社」社会になり、個人の所得が
すべてに近く、国家に把握されているような社会というのは、
ごく最近になって出現した社会形態のようです。
町家という形態は、そういう規格的な背景があって、
目立たないように配慮しようという
庶民の生活防衛の結果の建築的表現と言うこと。
こういう知識はあったのですが、
さらにもっと変わったというか、乱暴な税金の決め方として
「窓税」という概念が、ヨーロッパにも、日本にもあったのだそうです。
ヨーロッパでは個人のプライバシー空間として
建物内部に権力とはいえ、簡単には入り込めず、
税の徴収の基準として、外側から判断できるように、
至極単純な方法として、窓の多さを基準にしたのだそうです。
で、そういう知恵は古今共通らしく、
日本でも戦国期から江戸期に掛けて、実行されていたのだそうです。
まことに権力という存在は無理矢理、考えるものですね。
戦国大名など、領地争いの戦争ばかりして税金を使い続けて
こういうところで税を巻き上げていたのですから、まぁすごい。
で、写真のような江戸期の農家住宅、
一般的に「古民家」と呼ばれるような建物は
どこでも、極端に「採光」が犠牲にされている構造になっている。
今日まで残ってきていて、改修するという場合、
第1にリクエストされるのが、採光条件の改善なのですね。
単純に窓を開けることが極端に少ないのです。
窓を開けるというのが、それほどに大変なことなのかなぁと
技術的な問題なのかと思っていましたが、
実は、そういう技術発展を阻害する要因は別にあったということなのですね。
今日では、所得把握、資産把握が
どんどん進化してきていて、
固定資産税というような概念まであり、
国家が土地の資産価値を値踏みして、本来、換金しなければ支払えないものにまで
税金を掛けている。
事業資産として、それで商売をしているのならまだしも、
ただ暮らしている生活の場に税金を掛けています。
自然状態で人間が家に住んでいると、それだけで税金がかかる。
世界的な宇宙物理学者ホーキンスさんが、税金の仕組みだけは
あまりにも不合理で理解できないという話を聞いたことがありますが(笑)・・・。
近年では、とくに地方都市などで
地価というような概念自体がどうなのか、と疑問が出るような状況です。
売買が成立したときの価格に一定の掛け率を掛けて
固定資産税を評価するわけですが
いまや住宅用の土地で売買が成立するかどうかは不明。
また、どんどんと地価が下落してきているのに、
そういう意味では、「取りすぎていた税金」を還付する
という考え方は、絶対に権力機構の側からは発信されてこない。
現状の経済状態に、権力構造が合わなくなってきているのではないでしょうか。
先日、政治家たちの討論を聴いていて
なんのために税を取って、権力を運営するのか、
そのあたりのことすらも、どうも再検討すべきなのではないかと
いろいろ思い至る部分を感じた次第です。
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塗り壁つくり

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写真は伝統的な塗り壁仕上げの下地と仕上がった状態のものです。
現在では、防火構造認定を受けるために
プラスターボードといわれる不燃建材で大壁に仕上げて
その上から塗装する、というのが一般的で、
それのほうが作業肯定的にも合理的で、認定も受けられるということで、
まぁ、当然の流れですね。
それに本格的な下地を組んで塗ると言うことになれば、
当然、壁内部に断熱材を充填することは難しいので、
土の断熱性能は別にすれば、別に断熱は考えなければならない。
そんなことから、写真のような工法はごく一部でしか行われないでしょう。
なんですが、
きのう紹介した室町期の住宅でも塗り壁仕上げで
北上という冬の厳しい地域での暮らしを過ごしていたのがわたしたちの祖先。
昔のことで考えれば、やはり重厚な土による断熱は
もっとも安定的な室内環境をもたらせる工夫だったことでしょう。
ただ、ものすごく手間がかかったでしょうね。
木や竹などで格子状に下地を組み合わせ、
それをていねいに紐で結びあわせています。
伝統工法に強いこだわりを持った方たちの例では、
こういう細かい作業をこどもたちに体験させるというような
そういった取り組みを行っている場合もあります。
家中、こういう壁仕上げをするとしたら、さてどれくらいの工程になるか、
プラスターボード仕上げの10倍程度では済まないでしょう。
しかし、そのような手順というものが
愛着であったり、家を大切に思うこころを育てる部分もあるかも知れません。
それと、技術って、
一度失われると、再度獲得するのに大変時間がかかる。
実際にそういう仕事が存続して、生きた学習機会が保証されれば、
技術は延命し、また進歩も促される。
現代では、住宅内部に蓄熱装置を考えた方がいいという意見も強い。
そうならば、芯材にコンクリート壁を作った上から、
こういった土の壁を表面に造作するというのはどうでしょうか。
そしてそれを家のオーナーに作業してもらう、という仕掛け。
コンクリートだけであればその無表情さが問題だけれど、
このようなざらついた質感の土の壁であれば、
デザイン的にも心理的にも暖かい仕上げになっていくのではないでしょうか。
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室町期の民家内部

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きのうの続きです。
左側写真は室内の全景で、右側は壁の様子。
切妻の三角屋根で、正面には玄関前に前室があります。
ここは、徳川初期の伊達藩と南部藩との境界地域である相去という地域。
歴史年代を通して、そのような境界的な場所だったようで、
活発な人間活動痕跡が集積しています。
土器を生産していた様子も痕跡があって、
登り窯跡があって、復元されています。
王朝国家側がその技術を独占していた「須恵器」が生産されていたと推定されています。
人間というのは、結局、同じような場所で、
同じようなことを繰り返す存在なのかも知れません。
というか、その土地が持っている「地政的な位置」というものが決定的なのかも知れません。
で、建物であります。
そういう工業生産を基本とした集落での住宅だったものか。
竪穴で、地面を掘り込んでいます。
囲炉裏は地面に切られていて、ほぼ家屋中央にあります。
暖房であり、煮炊きの装置でもあり、
家というものには、火の場所というのは基本中の基本。
それを囲むように、むしろとおぼしき敷物を敷いた場所があり、
気をつけてみると、やや床高になっていますね。
床組みして、地面から少し上げているのでしょう。
面白いなと思ったのは、壁の仕上げです。
細い木の枝で下地を組み上げて土を塗り込んでいます。
江戸期の建物を見ても、結構、土壁は多い。
萱などで作る方が遙かに簡便だと思うけれど、
そういう簡便さよりも、断熱とか、暖かさを追求して
手の込んだ壁を造作したのでしょう。
それくらいの生活文化の庶民レベルでの向上があったものか。
格子状に下地を組んで、そこに土を塗り込むというのは、
手間暇もかかります。
腰までの壁には地面を掘り込んだ関係から土留めの必要があり、
丸太を一定の高さに揃えて連続的にびっしり立てています。
やはり掘っ立てなので、構造の柱下部には湿気上昇の痕跡がありますね。
このような木材構造の腐れ要因が、次の時代の
礎石基礎上の建物への進化を促した要因だと思います。
縄文までの狩猟採集生活では高台に住んでいたので、
このような湿気対策は考慮しなくても良かったのではないでしょうか。
いろいろな建築的時代考証を考えて復元する作業、
大変興味深いと思いました。
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室町のころの民家?

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以前にも一度、行ったことがある北上市展勝地近くの
「みちのく民俗村」を見て参りました。
再訪すると、やはり発見できることがある。
というのは写真の建物なんですが、
室町のころのこの地域に多く見られる民家復元建物なのです。
いわゆる「竪穴住居」という形式は、
古今東西を問わず、人間生活には切っても切り離せないくらいの
「居住経験」をわたしたちは歴史時間的に持っている。
一方で、いわゆる江戸期を中心にした農家住宅が
多く残されていて、これまた民族的ノスタルジーをかき立てる。
ところが、その中間を繋ぐような形式の住居の痕跡発見が乏しいのです。
いわゆる古民家といわれる農家住宅は
礎石の上に柱が立てられ、地盤面よりも構造が上に構成されていますが、
いわゆる竪穴住居では、地面を掘って床面を地面から下げている。
この違いはかなり大きいハズなんだけれど、
あきらかに多くの民家は竪穴形式であったことは間違いがないのに、
いきなり礎石基礎と、技術的に繋ぐ形式遺跡に乏しい。
そんななかで、この写真の民家は、
竪穴基礎という床面造作にいわゆる木造的な構造が加えられている。
言ってみれば、基礎だけがない木造軸組建築。
柱は掘っ立てで立てられていますが、梁などもきちんと渡されている。
屋根も木の皮で葺かれていて、茅葺きよりも近世的。
こういう形式の民家は全国的にも発掘例が少なく、
この地域での発掘がきわめて珍しいと言うことです。
まぁ、想像してみるに、竪穴住居の時代は狩猟採集型の生活だったのに対して
田畑の農業生産に大きく依存する生活スタイルに変化して、
居住地域が変化したことが大きいのかも知れません。
ほぼ台地上に建てられたのが多かった竪穴に対して、
農耕型社会の民家は田畑、それも田んぼを基本に考えれば
より湿潤な低地に建てられるようになっていき、
礎石基礎で地面から上げて建てる必要が生じたのかも知れません。
水利を扱うのが日本農業の基本であり、
その意味で、度重なる洪水との戦いが日常的なものだったのではないか。
そうやって推定してみると、
この復元住居でも入り口の下部に、横架材が渡されていて、
水の室内侵入を防いでいるかのようです。
しかし、竪穴住居では囲炉裏で火を焚くと
その熱が地面に蓄熱されて、土壌蓄熱が利用できるのに、
より、通風重視の建築になっていったものかも知れませんね。
そのように日本の木造建築は推移していったのではないでしょうか。
このあたり、気候の変動などもあずかっていたかも。
いずれにせよ、きわめて興味深い発見ができました。
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奇妙な政治日程

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だれも奇妙に思わないのだろうか。
選挙で大きな政治変動が起こったのに、
この国の首相にはまだ、自民党が居座っている。
どうしてこうも長い政治空白を設けなければならないのか、
どうも、麻生政権というのは、
ピントがずれている。
解散から選挙までの期間も異常に長かったけれど、
敗北してからの処理も、えらい時間がかかる。
よく「政治空白を云々」という言葉が自民党サイドから
言われていたことがあったけれど、
どうもいまの状況はわかりにくい。
潔さに欠けているのではないか、
もしくは政権のスケジュール管理機能が破綻している。
政治日程では、16日に鳩山さんの首班指名があって、ようやく
民主党政権成立なのだそうだ。
自民党の復活のためにも、最後の締めくくりには
きちんとした潔よい対応が必要だと思われるのだけれど、
どうも、麻生政権というのは、
成立から破綻まで、グズグズ政権だったという評価になりそうだと思う。
麻生政権メルマガって、
先日配信されていたけれど、
総選挙の結果について、「申し訳ない」という言葉が綴られていた。
どう見ても、国民向けに配信したという文章形式ではない。
どうも、自民党支持者、それも自分への応援者にだけ配信している感覚。
これが「公費」を使って配信されているのに、
ちょっと疑問を感じる。
選挙の結果は「民意」なのであり、
国民の多くは「あなたではダメだから」交代させたのだと思う。
その意味では、ダメといわれた本人にそういう発言をされる筋合いはない。
どうも、この政治家は、言葉で多くのつまずきを負った
という意味で、最後まで、言語を駆使すべき政治家として
その本質的意味合いで、ふさわしくない、なかった、と結論するべきだろう。
奇妙な、ほとんど意味のない政治空白を
おかしいと感じている次第です。
少しでもこういう時間に意味があるとすれば、
今後ありうる、「政権交代のルール作り」に費やすべきだけれど、
そういう政治センスをまったくこの人物からは感じない。
「この国」にとって、まことに残念だと思う。
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北上川と安倍氏の痕跡

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北上という街は、東北を歩いているとなぜか
よく中継点になる街。
南北関係で言えば、ほぼ白河から青森の中間点なのか。
また、東西関係でも秋田への東北道分岐があり、
ちょうど、中間ポイントのような位置にある。
そんなことから、東北でも稀有な人口増加が見られる街。
わたし自身も、よく宿泊することになる街です。
先日も、青森で仕事を終え、
翌日は仙台で仕事と言うことで東北道を南下しましたが、
ちょうど北上あたりで、疲労もピーク状態になったので
北上で一泊することにしまして、
北上川河畔のホテルに投宿。
で、朝、散歩していたら、すぐ近くに「安倍館公園」というのがありまして
見て参りました。
この地理的な位置は、1000年以上前でも同様に重要だったらしく、
大河、北上川に支流として注いでいた河川の合流点でもあり、黒沢尻という
ユニークな地名も残っています。
前九年合戦で滅ぼされた安倍氏の主要拠点があった地域のようで
地元では「安倍館」という地名が残されています。
この公園は、その遺跡の上に作られたもののようです。
まさに北上川に面しており、
奥六郡地域の農業生産物や、土器などに詰められた酒やらが
往来したに違いありません。
国境地域である平泉周辺地域と並んで交易活動が
ここで展開されていたのではないかと推定されます。
東北地域では、やはりこの安倍氏や、藤原氏の痕跡が多い。
それらは、基本的に敗者の側の事物なので
なかなか正確な文献資料などに残されることがない。
安倍氏の支配体制や、その経済的背景などは
資料に乏しいのですね。
とくに金の生産が大きな部分を占めていたので
秘密の保守にも慎重だった部分があるのかも知れませんね。
早朝散歩しながらも、
こんな埋もれた、さりげなさで安倍氏の事物に出会うんだ、と
ちょっとびっくりいたしました。
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和室のデザイン

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和室というのは、定義ってどうなるのでしょうね。
和の室なんですから、日本的な部屋ということでしょうが、
畳の部屋がそうなのか、
という点から言えば、歴史的に見て庶民が畳敷きの空間に暮らせるようになったのは
そんなに「伝統」とまでいえるような長い歴史時間ではない。
江戸期でも板張りの部屋と敷物というのが一般的。
総畳敷きの空間というのは、豪華さの表現だったと思います。
古民家をよく見ていると、畳の部屋って、そうは多くない。
ごく、ハレの間がそうであって、
通常の居間は、板敷というのが多い。
だとすれば、畳の部屋を「和室」と呼ぶのは疑問。
ただ、この写真の部屋のように、「座った位置での目線を基本にしている」
というような定義で言えば、わかりやすいのかも知れない。
日本の住宅では、とくに一般的な居間では
掃き出しの窓が多いけれど、
あれって、座った目線まで外の風景を見ることができる、という意味合いが強い。
一般的に日本人は室内で「座った」状態で寛ぐ。
それに対して、障子などの視線遮蔽装置を取り外すと、
そとの景色が眼前に広がる、というのが視覚的感受性の原点。
ひるがえってこの写真は
ツーバイフォーの住宅の中の和室です。
こういう建て方の家では柱がないので、
本来は和室ではないだろうと思われるのですが、
まぁ、たいして疑問もなく平面図にも「和室」と書かれている(笑)。
確認申請を受ける機関でも文句なく認可される(笑)。
ようするに概念規定ってほぼないのでしょうね。
したがって、現状では畳を敷く部屋が和室、ということでおかしくはない。
でも、窓の開け方は大変日本的伝統のスタイルを踏襲して
目線の高さに収められています。
そのうえ、外部には植え込みを板張りの囲いを背景にして配置。
畳も、意外性を狙ってか、カラー畳ですが、
こういう背景装置がしっかりしていると、
和室の雰囲気としては、まぁ、これでいいと思えてきます。
和室の定義、みなさんどう思いますか?
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