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マイルドな住まい

写真は、先日の「身体感覚で学ぶ建築性能」セミナー修了後、
見学して来た小室雅伸さん設計の最近作外観。
札幌圏近郊の立地であり、敷地にゆとりがあって
平屋の計画が採用されていました。
小室さんの住宅は思い切りが良くて好きなのですが、
この家も、プロポーションはシンプルなボックス。
屋根にはまったく傾斜がなく、
屋上緑化で仕上げられている。
車庫スペースが2台分取られていて、
その両サイドに収納が設けられているので、
建物の「低さ」がより強調されている。
色合いも、渋く暗いトーンになっていて、好もしい。
敷地の左右幅をいっぱいに活かすように、
建物はまっすぐ横長に計画され、配置されている。
入り口は「北入り」で、南側からの日射取得を大きくするような計画。

そういう建物に内部に入ると
いきなり下がる階段が5段くらいあって、
室内は天井高がゆったりと高く取られている。
左手正面は、南面していて日中の日射取得がたっぷりと得られる。
ただし、軒の出はしっかり取られていて、
夏は日射が遮蔽気味になり、冬場は低い太陽光を室内に導入している。
きわめてシンプルに、立地環境に即した環境配慮型の「素器」。
室内は均一な温熱環境を得られるように一体空間が広がっている。
ただし、太陽光に対して素直にまっすぐ向いている建物なので、
奥行きは狭めに設定されている。
一方で東西方向にはたいへん細長く配置がなされている。
そういうことで、心理的には間仕切りがなくても
自然に空間の使用途変化が展開している、という印象を受ける。
和室自体が小上がり的になっているので
写真では、来訪者がその高低差の部分に腰を掛けてリラックスしている。
まんなかにあるテーブルを中心にして、
まるで自由な対人関係が計画され、装置されているようだ。
外観の印象とはかなり違う、高低差を活かした室内空間。
たぶん、敷地の高低差をそのまま活かしているのでしょうが、
生活装置として、シンプルでいて変化に富んでいるという印象。
こういう空間が、重厚な建物外皮で守られている。
壁もしっかり厚く、また窓は3重ガラス入りでしかも高い密閉性なので、
室内は静止空気環境が保持されている。
静かで穏やかにマイルド、というデザインと温熱の環境が実現している。
環境性能とデザインのひとつのわかりやすい実現例だと思いました。

仙台空港不発弾処理

きのう、急用が出来て仙台へ。
この前の仙台出張では、10月30日帰りの日に空港に行ったら
「全便欠航」の無情の案内。
そこでようやく「不発弾の発見」のニュースを知るといううかつな展開でした。
で、今回もまったくそんなことは頭の片隅にもなかったのですが、
飛行機のフライトを調べていたら
札幌からの最初の便は予約不可になっている。
「え、なにこれ」という状態。
で、ようやく昼頃の便が選択できたので、そちらに予約。
そんなことで、どうやら不発弾の処理が
きのう行われるのだということを知りました。
わたし、たいへんついております(笑)。
でもなぁ、不発弾についていてもなぁ、っていう次第。
めったにないことの最初と最後にたまたま仙台空港を利用したという
ギネスブックに登録申請しても、まぁ却下でしょうが・・・。
で、「不発弾の処理状況によっては、欠航や遅れも想定されます」という案内。
まぁ泣く子と不発弾には手出しできない。

まぁしかし、案ずるよりも危険回避は易し、か。
爆弾から信管を抜く作業は無事に予定どおり終了したようで
フライトにはなんの影響もありませんでした。
仙台での案件先でも打合せ後はしばし、この不発弾騒ぎのお話し。
あだ名で不発弾男、っていうのもなんか恥ずかしい次第ですが、
遅れてきた爆弾男、というのもどうも勘弁して欲しい。
こういう縁は、どのように活かせるものかと思案しておりますが、
そもそもこういうのは良縁なのか、悪縁なのか、
そんな思念がつい湧いてきてしまう「体験」でありました。

<写真は、広瀬川上流の渓谷美>

熟していく秋

毎年のときの経過の早さにはもう驚きもなくなってきましたが、
それにしても季節の輪廻転生のスピードはすごい。
日本人が「花鳥風月」という民族的美意識を持ち続けてきたことのなかに
こうした季節感の無常性があったことだけは間違いがありませんね。
司馬遼太郎さんは、日本人はいさぎよいとかの美意識が
思想的な重さに優先する、というように喝破されていましたが、
生き方のなかにまで、そのように刷り込まれているように思います。
これほどに四季変化が明瞭な気候風土の国土も珍しいのでしょう。
幾度も幾度もくりかえされる季節の輪廻が
日本人の生き方に決定的ななにかを植え付けていくのは深く理解できる。
だから、短い命をあざやかに散らせるサクラが
つねに日本人の感性を揺さぶり続けるのでしょう。

ことしの北海道での紅葉、さっぱり赤が見えないまま、
山ではすっかり色が消え去ってしまいましたが、
里に残っている木々では、ようやくに赤が鮮やかさを増しています。
黄葉が早くやってきて、紅葉は遅くきたので、
紅葉にならないうちに早い場所では落葉してしまったのか。
でも考えようによっては、黄葉のあとに紅葉を別々に愉しんでいるともいえる。
そう考えれば、前向きにもとらえられるかも。
札幌の住宅街は、市の南から西に掛けて山地がガードしていて
それら地域が土地利用制限されている場所が多いせいで
山の植生が里にも展開してくれている。
住宅街のすぐそばで自然の息づかいが感じられる。
まったくの市街地では全国どこの街にもあるように
自然が感じられない場所も多いのですが、
ちょっと探せば、こんなさりげない自然と共生するような土地にも行き当たる。
ナナカマド、しばらくゆっくり見たことがなかったけれど、
先日、住宅取材の裏山で、しばし、見とれていました。
なぜこの実は食用にならないのに、こんなにも美しいのか。
鳥たちも、ほかにまったく食べるものがなくなるまで、
この実には見向きもしない。
でも、北海道の秋の花鳥風月の欠かせないプレーヤーですね。

長雨続きの・・・

ここんところ、北海道ではずっと雨模様の日が続いております。
晴天が長続きしない。
9月10月はたぶん、記録的に晴天率が低かったのではないかと思います。
11月に入っても、その傾向には変わりはない。
異常気象ということが言われてから久しいけれど、
こういった傾向はどんどん加速していくのでしょうか?

きのうは小沢一郎への高裁判決が下された。
結果は控訴棄却。
この結果、裁判の判決では3度目の小沢勝訴になった。
マスメディアは、「東京地検特捜部」のリークのままに
疑いの段階から起訴の段階、裁判中の段階では
きわめてセンセーショナルに1面トップで取り上げ続けてきたけれど、
3度目の小沢勝訴になったきのうのニュース扱いは
朝日で、政界の動向を紹介して
「政治的には有罪だ」というような自民党側の談話を掲載している。
まぁ、ここまで徹底するのだなと言うのが、
背筋の冷たくなるような日本の現実なのだと思わざるを得ない。
マスコミ報道というものが、どのようなものであるのか、
ここにきわまったように感じてしまう。
やはり大きな力が圧倒的に働いているのだということでしょう。
いじめの問題が学校のこととして論じられているけれど、
マスメディアによる根拠のきわめて薄弱な集団的暴力は放置され、
野放しにされ続けている。
しばらくの間、朝日新聞ではいじめ問題へのキャンペーンのようなことが
掲載されていたけれど、
こんな野放図に一方で自分たち自身が加担していて、
よくそういったキャンペーンを行えると、疑問に思う。
現代というのは、こういう時代なのかと思わざるを得ない。
これから選挙の季節を迎えそうです。
TPPを推進しようということを選挙テーマにしようと
いまの政権は邁進するそうだけれど、
いったい、審判はどのように下るのか、凝視するしかない。

木造の外殻デザイン

写真は、北海道上ノ国町に残っている古建築エントランス。
江戸期に旺盛だったニシン漁などの網元の家です。
その後の明治期にはニシン漁はもっと巨大ビジネス化するので
こうした「番屋」建築はもっと巨大化するのですが、
その建築としてのありようは、ほぼ同様のもの。
前浜に隣接して建てられていて、
旦那の居住領域と出稼ぎ人たちの共同生活領域に
土間空間を境にして大きく分離した大型建築です。
こうした「資本家」たちは、松前藩との交渉によって利権を獲得し、
漁業の運営権を得る。
そのプロセスでは、相当の裏金が動いていたことは
想像に難くない。
初期に建てられた建築が徐々に巨大化していくのは、
そのような「初期投資」をやや力尽くで早急に回収したい
というような意志をそこに感じます。

で、建築としては、材料の基本は現地で調達して、
建築工事は、旦那が3〜4年という長期間、棟梁の人材を確保して
材料の調達から、大工職人の調達まで一貫して請け負わせていた。
明治期になると、そもそも資本それ自体の初期投資が大きくなって
材料まで日本海側地域から北前船で持ってきていたりする。
この上ノ国の家は、そこまでのものではなく、
比較的こぢんまりとした規模でのものです。
しかし、その外観での木造らしい繊細さを持ったデザインには息をのむ。
屋根はつつましく石置き屋根が採用されている。
日本海側の西風の強さは半端ではないので、
そうした条件に打ち勝つように質実剛健な造作としたのでしょう。
玄関前からこうしてみると、玄関前の庇部分など、
表側に跳ね出しとして露出した梁の先端が
まるで、組み手のようにデザイン加工されている。
寺社建築とは違って、こういう様式については江戸時代には
厳格な「格式差別」が存在したようですが、
その範囲内で最上の表現が施されているように思われます。
玄関横には出窓が配置され、タテ桟の木格子で仕上げられている。
外壁の下見板押縁加工などとあいまって、
木組みのデザイン処理が、美しい。
この写真は別にモノクロで撮影したものではないのですが、
表面劣化した木造の素材色彩はこのように還元されてくる。
日本的陰影感を強調したデザイン、そうした意図が伝わってくる。
まぁ、あきのこない
わたしたちの感受性に深く刷り込まれた空間美を感じます。

廊下を磨く

写真は水戸偕楽園・好文亭のひとこま。
日本建築の美は、日常のメンテナンスの積み重なりも大きい。
西洋のように石造りの場合には、そこまで違いがないだろうけれど、
木造建築の場合には、日常の手入れがかなりの違いを生む。
日本の建築は重厚な屋根の建築であって
萱であったり、瓦であったりするけれど、
どちらも庇や軒がしっかりと室内をガードするようにデザインされる。
とくに日射取得をかなり制御してきた伝統建築では
かえって、数少ない日射をどうやって室内に取り込むか
相当の知恵が費やされたのではないかと推測できる。
そういう知恵の大きな部分が「廊下のメンテナンス」だと思う。
一度導入された光は、室内の木の床からバウンドして
再度、室内の天井をほのかに照らし出す工夫が為されていた。
いい家では、かならず米糠も使って廊下を磨き上げてきたのだ。
わたしは1952年の生まれなので、
戦後の高度経済成長時代が始まって、
このような木造建築へのメンテナンス努力の継承よりも
どんどん建て替えて、新しい建築に代替させることのほうが
合理的だというような刷り込みの中にいたと思う。
そういった風潮の中で、日本人が失った
多くのライフスタイルや習慣があった。
このような廊下のメンテナンスなどはその最たるものだった。

しかし、これから時代は大きく転換せざるを得ない。
住宅はこれからも建てられ続けては行くだろうけれど、
これまでのようには、量産はされない時代になる。
そういう時代になって、はたして「家のメンテナンス」というように
日本人の習慣が甦ってくるのかどうか。
一度失われると、なかなか再生できていかないのが
技術と言われるけれど、
こういったライフスタイル、習慣はいったいどうなのか?
それに、そもそもいまの家は愛着を持った住宅になっているのかどうか?
興味深いと同時に、やはり不安の念を感じざるを得ない。

日本は対米「自立」を選択できるのか

最近になって、孫崎亮さんという
外務省国際状局長だった人が
日米関係、というよりも超覇権国家・アメリカの国家戦略を通しての
戦後国内や世界の動向の見方を
いろいろな書籍で発表されるようになって来た。
これまでもわたしが感じ続けてきたような見方を
具体的な対米交渉を肌で感じ続けてきたひとが発表されると言うことで、
その具体的な様子がわかってきている。
ある意味で、占領国家アメリカが日本社会に対して
どのような「制度的仕掛け」を施してきたのか
ということについては、アンタッチャブルな世界だったと思う。
東京地検特捜部の成り立ちから、その組織的骨格について
明確にアメリカの対日戦略実行部隊であると指摘までしている。
もっとも基軸的な日本社会の規定要素であるのに
それを正面から論ずることは、危険視され続けてきた。
まずマスコミは、アメリカの戦略の走狗の役割を果たしている、
という明解な指摘をされています。
氏が書かれている本は、小学館などの大手から出版されている。
小学館からは「アメリカに潰された政治家たち」という
刺激的そのもののタイトルの本まで出版されている。
興味を持たれるみなさんは読まれるといいと思います。
現場的な書かれ方の説得力によって、
これまでのアメリカ迎合的な論客たちのいいかげんな論説に
いかに惑わされ続けてきたのかが明らかになります。

それとはちょっと別なことなのですが、
では、どうしていままで外務省関係者から出てこなかった見方が
なぜいま、この時点から大きく露出するようになって来たか、
という問題です。
氏の出版活動自体は2009年まで外務省、あるいは
防衛大学校教授を退隠されて以降の執筆ですから
たぶん、それ以降に活発化してきているのだと思います。
なので、そのこと自体は自然であると思うのですが、
このような見方が日本の社会の中で一定の
市民権を得てきているという意味も含めてきわめて興味深い。
氏がテレビのようなメディアに露出してくるようになるのかどうか、
日本の国家民族的利害を貫徹しようと考える自立派に対して、
いまの日本社会を規定しているアメリカ追従派が
どこまでその主張開示を許してくるのかが、まだ見えない。
たぶん、いまもっともホットな論点はここになるのではないかと思われます。
日本自立派、という概念は対立するふたり、石原慎太郎や小沢一郎が
これまでも断片的には言い続けてきた。
政治スケジュール的には小沢一郎への執拗な東京地検特捜部の追求が
この11月12日にも最終的に結審する。
そしてそれ以降、いわば「日本自立派」という勢力が結集できるのか、
そういうことを「半」占領国家アメリカは、
日本に対して許すのかどうか、
戦後から続いてきた大きな底流としての日本の政治の流れが
局面転換していくのかどうか、
この間の状況を見ているとそんな思いがしてきています。

都市中心部の木造建築

都市中心部の崩れていく寸前のような
木造建築のたたずまいが、嫌いではありません。

建築というのは、使われてなんぼのものですが、
こういう都市中心部の建物は、建てられた当時の用途や
その建て主までどんどん変化が加わっていく。
時代の移り変わりを体現しながら、街のそのときの表層の気分を表現する。
そういう建物を情報から見下ろすと、
その素性がいろいろに窺われて、興味が尽きない。
木造だから、大体が傾斜屋根で覆われているけれど、
いわゆる「看板建築」のように高く「パラペット」が回されて
一見するとコンクリート建築のように見せている場合が多い。
しかし、上方から見ると、
その種明かしがすべて丸見えになってしまう。
で、苦労を重ねて屋根が複雑な形状で掛けられている。
さらに雪の問題も係わるから、雪国ではそういう配慮も必要になる。
増築やリフォームはそれこそ毎年のように繰り返される。
建物と建物がくっついたり離れたりを繰り返す。
雨や雪による建物劣化は、容赦なく襲ってくる・・・。
そういったいわば「履歴書」を見るような思いで見る次第。
交易、というものの交換機能って、人間に本然的な部分であり、
その集中的な場としての都市というものが成立する。
そこで建築は、そういう空間を作り続けていくことになる。
必然的に、都市の雰囲気というものが生み出されていく。

写真は青森市中心部の様子なのですが、
コンクリート建築よりも木造が優勢な街では、
このような光景が一般的でしょう。
なにをどう感じるかは、人それぞれでしょうが、
わたしの場合、こういった光景、きらいではなく、
ついつい、見入ってしまうことの方が多い。
コンクリート建築よりも、ひとに懐かしい雰囲気やたたずまいを
そこに感じてしまうのですが、みなさんはどう感じますか?

来年は巳年ですね

写真は、10月はじめの気仙地域訪問時の古民家でのひとこま。
ヘビって、こういう彫り物としては造形化しにくい素材。
そういうなかでは、この彫り物、バランスは悪くない。
ただ、造形的にどうしても真ん中あたりに重量感を持って来たくなるので
そうすると結び目ができてしまう。
本当のヘビって、こんなふうにはなるわけがないのではないか(笑)。
これじぁ、コンブ巻きのようなヘビになって
外敵から格好の餌食にされてしまうのは必定。
このあたり、難しさがあるように思いますが、
案外、ヘビってこのような体躯の巻き込み方をするのでしょうか?
あんまり好きな動物ではないので
注意して見つめ続けるようなことはしたことがありませんので、
定かではない。
とぐろを巻いて、いまにも飛びつきそうな体勢をとっているヤツでは
床の間に飾るのには、すこしおどろおどろしすぎる。
そういったことで、多少ユーモラスに動けなさそうな体勢にしたのか。
あるいは、制作の都合で、素材になった木の素性が
このような体勢を選択させたものか。
それと、へびを造形化するときに次のテーマになるのが色合いでしょうね。
白いヘビというのは、民話や伝承などで
なかなか好意的に描かれることが多い。
それ以外では大蛇というように、どちらかといえば悪役が多い。
そのなかでは、白蛇は瑞夢の象徴とされるので
このような置物にしても、見るひとに悦ばしく思われやすい。
いまにも噛みつきそうな毒蛇では、置物にしても気味が悪い(笑)。

ことしは辰年で、もう11月。
いかにも早い展開で、あわただしさだけが感じられるようになってきました。
若い時って、もっともっと時間がゆっくりと過ぎていった気がする。
味わいがもう少し感じられたのではないか。
ことしは暑い日が続きましたが、いまでも札幌、初雪がみられない。
昨年は15日に初雪で観測史上3番目に遅かったと言うことですが、
どうもことしは、寒さの実感が迫ってこない。
いまの様子では東京での11月のような季節感だなぁと感じています。
さて、仕事の追い込み、なんとか間に合うかどうか。ふ〜〜〜。

旭川・扇松園の食事

体調が優れなかったので
きのうから2日間の日程で開かれている会合は
キャンセル。
無理をして体調が回復させられなかった場合、いろいろに影響が出る。
なので、予防的な意味から遠慮させてもらった次第。
なんですが、会場に充てられていた 旭川・扇松園さんは
この夏の還暦修学旅行でもお世話になった旅館。
写真のようなお弁当をいただいたのですが、
この他になんと、そばを無心するヤツもおりまして、
ほどなくもりそばまで振る舞っていただいたのです。
そばも手打ちらしく、実に味わい深くおいしい。
この食事の楽しみは格別でして、
ついつい残念だなぁと、写真を引っ張り出して眺めている次第。
食いしん坊だなぁと、あきれますね(笑)。

さて、本日はアメリカの大統領選挙投開票。
日本の政治選択はどうも霞の中のような状況で
アメリカの選択待ち、といったところなのでしょうか?
解散は「近いうちにやります」と約束して増税案件だけは通した首相が
その後、素知らぬ顔で長期に居座ろうとしているのか、
いまの政権にはあまり政治的正統性はなくなっているように
国民誰もが思っていると思われます。
アメリカの選挙の結果と、中国の指導層の交代を受けて
そういった情勢の変化を受動的に感じながら
日本も政権が変わっていくのだろうと思うのですが、
今は、本当に出口が見えない闇の中のような政治状況。
こういう状況では、威勢だけはよさげなネオ保守のような政治家が
表側に出てきやすいのでしょう。
ただ、国民がどういった選択を今回の選挙で見せるのか、
これまでの選挙とはだいぶイメージが違うように思います。
来年に向けて、追い込みの時期ですが、
なかなか方向性が明確になってこない状況が続きますね。