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熟していく秋

毎年のときの経過の早さにはもう驚きもなくなってきましたが、
それにしても季節の輪廻転生のスピードはすごい。
日本人が「花鳥風月」という民族的美意識を持ち続けてきたことのなかに
こうした季節感の無常性があったことだけは間違いがありませんね。
司馬遼太郎さんは、日本人はいさぎよいとかの美意識が
思想的な重さに優先する、というように喝破されていましたが、
生き方のなかにまで、そのように刷り込まれているように思います。
これほどに四季変化が明瞭な気候風土の国土も珍しいのでしょう。
幾度も幾度もくりかえされる季節の輪廻が
日本人の生き方に決定的ななにかを植え付けていくのは深く理解できる。
だから、短い命をあざやかに散らせるサクラが
つねに日本人の感性を揺さぶり続けるのでしょう。

ことしの北海道での紅葉、さっぱり赤が見えないまま、
山ではすっかり色が消え去ってしまいましたが、
里に残っている木々では、ようやくに赤が鮮やかさを増しています。
黄葉が早くやってきて、紅葉は遅くきたので、
紅葉にならないうちに早い場所では落葉してしまったのか。
でも考えようによっては、黄葉のあとに紅葉を別々に愉しんでいるともいえる。
そう考えれば、前向きにもとらえられるかも。
札幌の住宅街は、市の南から西に掛けて山地がガードしていて
それら地域が土地利用制限されている場所が多いせいで
山の植生が里にも展開してくれている。
住宅街のすぐそばで自然の息づかいが感じられる。
まったくの市街地では全国どこの街にもあるように
自然が感じられない場所も多いのですが、
ちょっと探せば、こんなさりげない自然と共生するような土地にも行き当たる。
ナナカマド、しばらくゆっくり見たことがなかったけれど、
先日、住宅取材の裏山で、しばし、見とれていました。
なぜこの実は食用にならないのに、こんなにも美しいのか。
鳥たちも、ほかにまったく食べるものがなくなるまで、
この実には見向きもしない。
でも、北海道の秋の花鳥風月の欠かせないプレーヤーですね。

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