本文へジャンプ

「民主党」はどう総括すべきなのか

1386

さて、選挙の結果でもっとも鮮明なのは、
民主党という政党の存在意義の問題ということになると思います。
国民のいまの心情に即して言えば、
民主党という存在には手ひどく裏切られて、
そこからまったく立ち直れそうにもない、という感じが強い。
日本政治史の中でも特筆すべき失敗例として
ながく記憶されていくことになるのかどうか、
いまはその瀬戸際なのではないでしょうか。
結局いまの民主党には、国民に届いてくるメッセージがない。
政権に駆け上がった時期には、鳩山・小沢・菅という3人の政治個性が
国民側に認識としてあり、それが「期待感」も生んでいた。
「なにか、変化をもたらしてくれるのではないか」というもの。
それがさまざまな現実にさらされていく中で、
なんら、新奇性を持った政治的メッセージを送れなかった。
いまだに憲法への、党としての基本認識の統一もないのがこの政党の現実であって、
ちょっとした現実政治の荒波をも乗り越えることが出来なかった。
政権を奪取するまでの小沢一郎の攻めの見事さはあったけれど、
やはり政治綱領の統一が図れない政党では、
国民の側から見て、じゃぁ、どんなことをしたい政党なんですか?
という素朴な疑問を感じざるを得ない。
東日本大震災と原発事故が勃発したときの総理大臣が、
これまでの政治経歴の中で、国の基本を「保守」する経験を持たなかった人物だったことが、
すべてを表していたのかも知れない。
その後の、政権にしがみつき続けたかれの営為は、
理念なき権力亡者そのものだったように思います。
その政治的偏狭性から、ライバルと目された小沢一郎を抹殺することで
まだしも民主党に残っていた政治的資産も圧殺し、
民主党の最後には、野田という、いまだにどういう政治的理念を持っているのか
多くの国民が腑に落ちないような人物を政権に押し上げてきた。
そのような全体としての政党としての体を成さない様子が、
正確に国民に伝わって、今日のような地獄のような状況に立ち至っている。
参議院選挙では、維新の敵失があったことで、
それを「これでそこそこ議席が取れるのではないか」というような
それこそ理念なき「野合集団」の本質を垣間見せる声すら聞こえてきていた。

やはりこの政党は一度、解党するしかないのではないか。
理念がなく、ただただ、敵失で政権が転がり込んでくるのを期待する
「2大政党」なんて、砂上の楼閣なのではないか。
そんなものなら、まだしも政治目的の方向性は提示し、
なにより経済こそが現代政治の要諦だと見定めてきた自民党だけで十分だと
国民は明確に判断を下したのだと思います。
長い目で見て、日本の政党政治が健全に機能していくためには、
やはり「綱領的統一性」を持った政治目的志向集団を
国民は選択肢として欲しいのだと思います。
最後の党首になっている海江田さんはたいへんだと思うし、
若干、同情せざるを得ない部分も感じる。
やはり、出直しするためには時間がなさ過ぎたのだと思う。
しばらくは選挙はこれでないと思います。
それまでの時間で、野党勢力側がどんな選択肢を用意できるのか、
いま民主党にいる政治家のみなさんの責任は重いと思います。

参議院選挙2013

1383

きのうはひたすらある仕事作業に没頭しておりました。
で、選挙はカミさんもきのう出張だったので、土曜日のウチに不在者投票。
なんとか棄権はまぬがれ、国民としての権利と義務は最低限果たしました。
しかし今回の選挙くらい結果の見えているものはありませんでしたね。
結果は、民主党という存在がまったく国民から見放された現実を
ただただ克明に写し出しただけのような気がします。
自民党は勝ったのですが、なんにせよ、土俵に上がる前から
対戦相手がほぼ戦闘不能、戦意喪失のような状態。
結果として残った現実は、
交代可能なもう一方の政権担当能力のある政党が
日本の政治から消えてしまったということですね。

自民党という政党は、
戦後成立した保守政党ですが、
何回かの政権とりこぼし期間はあっても、ほぼ戦後の大部分を政権担当してきた。
歴史的に見れば、奈良から平安期の藤原氏による支配にほぼ匹敵するのかも知れませんね。
王朝政府時代、何度か「関白」から遠ざかる期間はあっても
一貫して、主流の位置を占めてきていた。
システムには違いはあるとは言え、
しかし、日本を実質的に支配してきた「構造」としては、
似ている部分があるのではないかと感じます。
藤原氏の支配システムは、「律令と鎮護国家体制」という国家基本システムを
中国から輸入して機能させてみたら、
日本という社会では、こういう体制がいちばん安定的でした、という例証だと思います。
戦後の平和憲法に基づく「欧米的民主主義」支配システムが安定的に確立すると
このような「自民党支配システム」というようなものに帰結するのでしょう。
その藤原氏支配システムが決定的に破綻していくのは、
天皇家を中心とした「日本」国家に対して
独立開拓農場主層を主体勢力として取り込んだ「関東」武権国家が、
ほぼ独立的に政権を簒奪したことで、
そういう支配システム自体が地殻変動的に壊れていったからです。
日本の歴史では、「承久の乱」が決定的な革命戦争というか、
権力争奪戦争だったのだと思います。

たぶん、現在の自民党政権の不安定要因は、
外国からの圧力ということになるように思います。
すでに国粋的な憲法改定や排外主義的な傾向に対して
中国や韓国との関係強化を打ち出し、安倍政権とは距離を置いた対応に傾いている
アメリカの動向が、かなり決定的になってくるのではないかと思います。
いたずらに中国を刺激する安倍さんの外交姿勢に
オバマ政権はかなり冷淡な対応を見せてきている。
ウルトラな外交オンチであり国粋主義に傾こうとする
「維新」という存在は、民主党を瓦解させるには効果的だった。
その維新の不定見ぶりを大いに利用してその支持層とムードをうまく取り込んで
安倍さんは勝ったように思いますが、
そうした過程で、民族主義排外エネルギーを利用してしまった。
そのことが、今後の日米・日中・日韓関係にどのようにはね返ってくるのか。
こういうあたりに波乱要因はあるように感じています。

北海道下川町エコハウス

1382

環境省の肝煎りで全国に計画し建設された20箇所の「エコハウス」。
東大の前真之先生から、その実態についての本も出版されましたが、
タイトルは「エコハウスのウソ」。
かなり痛烈に、大開口と吹き抜けといった
「エコハウスと言えば、これだよ」的なデザインへの警告がなされていましたね。
北海道東北の4事例以外は知らないのですが、
断熱への理解がなくそういったデザインを持ち込めば、
夏は灼熱地獄、冬は寒くていられない空間になることは理の当然。
その意味では指摘は至極当然だと思うのですが、
それを寒冷地の人間が指摘しても、無視される。
東大の先生がそれを正しく指摘したから、説得力が違うのだと思います。
まことにその通りなんですが、
前述の通り、北海道東北の事例にはさすがにそういった指摘はあてはまらない。
近くにいるのに、なかなか来られなかった下川町のこの建物を見て、
そのように実感いたしました。

下川町は、北海道の北部に位置します。
旭川からさらに北上した名寄市から東に約20kmほど。
さすがに札幌からも遠いので、建設されてからかなり、3年くらいは経ちますが、
一度も訪ねられませんでした。
というか、わたしは下川町ははじめての訪問であります。
街の活性化について、たいへん熱心に取り組んできていることは聞き及んでいます。
環境省のエコハウス事業にも早くから目標を定めて取り組んで
多くのライバル自治体を制して,北海道の2箇所のひとつを占めました。
北海道のエコハウス事業では、日本建築家協会北海道支部が
プロポーザルのアドバイザー的な役割を果たし、
この下川町のエコハウス選定に当たりました。
という次第なんですが、そういった経緯は事前にいろいろ情報も入っていたのですが、
どうも「環境省によるエコハウス事業」というのが
なぜか、ピンと来なかったのです。
選定して建設するのはいいけれど、そのあと、どういう展開になるのか、
単なる事業費1億円(案件1件あたり)の
バラマキに終わるのではないかという危惧を感じていたのです。
そこに、先述の前真之先生の本が出版されて、
危惧が現実化してしまったように思っていたワケです。

というような先入観念があったのですが、
この下川町のエコハウスは、建築自体も堅牢な高断熱高気密ぶりでいいのですが、
それよりも、隣接して町の温泉施設が建設されていて
そちらは鉱泉ながら、バイオマス燃料による加温、
そして珍しい炭酸成分が含まれているということで話題にもなっている施設なのです。
そういうことなので、維持管理もうまく組み合わされていて
町からもかなり離れているにもかかわらず、
通年で、けっこうな利用者がいるようなのです。
わたしが行ってきた先週も、大人数の宿泊があったようで、
管理の方にお願いしたところ、
「宿泊の後片付けは、まだ出来ていませんよ・・・」ということでした。
利用されているのは、まことに喜ばしい。
年末12月はじめには、わたしもあるご一行に同行して宿泊するかも知れません。
建物自体は、まことにステキで、なかなかいい。
前真之先生の書かれたように、大開口と吹き抜けではありますが、
高断熱高気密の建物では、むしろ好ましいと思いました。
やはり北の森の様子が室内に飛び込んでくるここちよさは格別でした。

Replan東北vol.41 発売!

vol41

さて本日は、Replan東北最新号のご案内です。
本誌は東北の地元の家づくりの現在を伝える地域住宅雑誌ですが、
高いデザイン性、質の高い空間性を訴求し、ユーザーと作り手のみなさんの
「もっといい家を」という願いが実現した実例にあふれています。
おかげさまで、こうした本作りのポリシーが浸透してきて
多くの反響が寄せられてきています。
「いい性能、いいデザイン」
東北の住まいのいまとこれからを探求する住宅雑誌、Replan東北。
きっとあなたのステキな家づくりの夢が膨らみ,実現していきます。
ぜひご愛読ください。

【特集】小さい土地、小さい家
「小さな」土地に建つ家と、延床面積が「小さな」家。
小さいからこそ、さまざまな工夫が施されていたり、それが暮らしの豊かさにつながっていたり。空間を巧みに生かした建築家住宅をご紹介します。

小さい土地/豊田設計事務所、a.m.a design建築設計事務所、エム・アンド・オー
小さい家/サルワタリ・アトリエ、SPAZIO建築設計事務所、北海道建築工房

Contents
●特集/小さい土地、小さい家
●省エネ住宅特集 宮城編
●くらしの演出家たち 1
●住まいの燃費を考えるー「太陽光発電」と「見える化」のこれからー
●リプラン主婦隊が行く!
●リフォーム特集
●モデルハウス探訪
●NPO住宅110番とReplan北海道が被災地の子どもたちに贈る100のメッセージ
 Replan北海道100人スマイルプロジェクト
  贈呈式レポート
●NPO 住宅 110番
●TOHOKU ARCHITECT
 秋田県「アトリエ付きの小住宅」花田 順 花田 直子
 宮城県「MEGURIYA~廻家~」 徃見 寿喜

イギリスでの住宅性能へのアプローチ

1380

一昨日のイギリスロンドン在住の女性建築家・末武さんの講演スナップ。
国による違いが伝わってくる部分と
どんな国でも同じようなひとびとの反応があって面白い部分と
両方が感じられてたいへん勉強になりました。
イギリスというと、ほとんど木造はなく
ひたすら石造りの家のイメージがありましたが、
やはり木の家への思いというのが広がっているそうです。
イギリスでは、伝統的な石造りの家というのは、
ちょうど日本での土塗り壁の家に相当しているようです。
同じようなことはドイツでも起きていると聞いていますから、
ヨーロッパでは、炭酸ガスを封じ込める木の家への
憧憬が、エコロジー思想と共に盛んになって来ているように感じます。
ドイツの環境建築志向の方たちが日本から
「環境先進国ドイツ」というように紹介されることにとまどって、
「いや、わたしたちは、日本の大型木造建築のサスティナビリティへの
尊敬の気持ちからスタートしているのです」と
発言されるそうですが、
木造への思いという意味では、日本は世界からそのように見られていることを
把握しておく必要があるのだと思います。

写真は不鮮明なのですが、
(やっぱりiPhone写真では限界がありますね、反省)
1980年と2010年でのイギリス住宅の熱損失部位特性を表したもの。
部位毎に熱損失の割合を表現しています。
なるほど、このようなアプローチで
住宅性能をユーザーに啓蒙しているのかと理解出来ました。
こうした手法は、新住協での鎌田紀彦先生の講演でも目にする機会があり、
どこでも同じようなアプローチで、ユーザー説得にあたるのだなと
ほほえましく感じられました。
講演後、末武さんにポスト&ビーム工法は日本の在来工法と似ているから
日本の木造の高断熱高気密手法が有効なのではないかと
お話ししましたが、そもそも大工さん自体、
木造そのものになれていない中で、高断熱高気密住宅工法を伝える困難があるようです。
案の定、そういったプロ向けの「講習会」なども開かれていて
建築技術開発そのものも、同時並行的に取り組まなければならない。
まことに、北海道の経験知そのものが、
かなり遅れたプロセスで展開している様子がわかりました。
しかし、関東以南地域では、
こういった外国の状況と大同小異なワケで、
情報刺激としてはたいへん有効かも知れないと思いました。
また、同時に日本の高断熱高気密住宅技術は
海外でもニーズはありそうだという気がします。
「あたたかく伝統的な日本の木の家」というイメージは
かなりインターナショナルな訴求力を持っている可能性がある。
そんな妄想も抱きながら、講演を聴いていました。

国際パッシブハウスセミナー

1379

「外断熱推進会議」という東京で活動するNPO団体があります。
もともとはマンションの外断熱化を推進する活動を中心に
北海道発祥の技術の波及に勤めてきた団体です。
幾人かの知人から、今回も案内を受けて取材に伺いました。
「国際」と名付けられているように、
イギリス・アメリカ・ドイツという3カ国で活動されている
女性の建築家、研究者を中心にセミナーを開催。
とくにイギリス・アメリカで、住宅建築に携わっている女性建築家2人のお話しは
たいへんわかりやすく、興味深いものでした。
ドイツのパッシブハウスがひとつの基準になって、
それぞれに国の事情がからんでの様子のお話しなんですが、万国共通の部分があって
エピソードは、微笑ましい部分も多い。
イギリスロンドン在住の建築家・末武さんの発表では、
盛んに「木造軸組」という言葉が出されていて、ちょっとびっくり。
で、発表後お話を伺うと、ポスト&ビーム工法のことで、
日本の軸組構造に大変似ているのですが、
北海道の木造住宅の「気密化」が困難だったと同様に、
さまざまな困難に直面しているようです。
彼の地では、一般的には古い石造りの住宅が多く、
断熱材が施されていないけれど、
若い年代の人たちを含めて、このような「イギリス在来工法」への愛着が強く
高断熱高気密化への説得が難しい、という状況説明がありました。
ドイツのパッシブハウス基準への対応はやや屈折した心理状況にあると
推察されました。
一方、アメリカボストン在住の岡田さんからは、
日本の気候区分以上に多様なアメリカの南北間の違いが明瞭に語られました。
北の方では、ドイツ基準でまったく問題ないけれど、
南の方では、蒸暑の気候、やはり湿度コントロールが不可欠な状況が
大変わかりやすく伝わってきました。
そんな状況から、Wufi-Passiveという独自基準が出てきて
大きな流れが出てきているようです。
しかしアメリカ在来の住宅性能の状況は、イギリスと大同小異のようで、
なにやら、日本の住宅性能の状況とよく似ているとも言えましょう。
さらに京都工芸繊維大学の芝池先生から、
埼玉での「蒸暑期」研究の内容の発表もありました。
発表内容が詳細にまとめられているので、
しっかり資料を読み込まないと、軽々しくは論じられない内容でした。
壁体内の水分コントロールについて、非常に興味を持たれていました。

蒸暑気候については、
いろいろな立場の方々がアプローチを開始されているので、
ちょうど北海道の高断熱高気密の初期の状況と近似していると思います。
さまざまなアプローチがどのように進化していくのか、
ウォッチして行かなければならないと思います。

日本建築学会・吉野博会長

1378

きのうは仙台に移動。
ある案件が急に進行していて、その作業に追われておりました。
なんですが、夕刻からは表題のように、
今年5月に選挙の結果選ばれた日本建築学会・吉野博会長の就任を祝う会に参加。
吉野先生は、住まいと環境・東北フォーラム理事長として
これまでもさまざまにお世話になっておりましたが、
その先生が今回、日本最大の建築の組織である日本建築学会のトップになったのです。
日本建築学会というのは、総数35400名という規模の日本有数の組織。
そのトップに、東北から選出されるというのは、まさに画期的。
そして先生は「建築環境」が専門分野であり、
そういった意味でも、たいへん有意義な就任と言えると思います。
きのうの会は、住まいと環境・東北フォーラムが
ごく内輪で、先生の就任を祝うという会合を設定した次第。
わたしも北海道と東北の掛け持ちで仕事をしていて
東北での出版活動では、住まいと環境・東北フォーラムの活動と
連動しながら行ってきている部分があって、
まさに「身内」的な慶事であります。

先生のようなスタンスの方が、
このような立場になるのは、日本の建築がどこに向かうべきなのかを
端的に表してもいると思います。
もちろん、東日本大震災からの復興という日本社会の
緊喫の課題に対して、建築が立ち向かってかなければならない、という
民族的な目的意識もそこには働いていると思います。
しかしそれを超えて、やはり環境の建築という志向性なのだろうと思います。
日本の建築が、断熱と真正面から向き合って
ひとびとの幸せというものに回答を示していかなければならない時代。
そんな時代意識を感じさせてくれると思います。

先生のお役に立つように、
なにがしか、できることでお応えしていかなければならないと
そんな思いで、参加させていただいておりました。
で、先生から住まいと環境・東北フォーラムの次回以降の会で
なにか、お話をしなさい、というさっそくのご指示であります。
付け足しで、「あ、講演料・交通費の類はボランティアで(笑)」ということ。
まぁ、とりあえず、頑張りたいと思います。

北海道の街は消えることがある

1377

連休初日に行ってきた東大雪の「三俣地区」の写真です。
森林資源の大量収奪によって、戦後の一時期まで人口1500人ほどが住んでいた
集落の様子ということです。
北海道は、明治の開拓期以来、資源収奪型の植民地的な産業構造でした。
この地域でも、木材資源を採取するために
そこそこの「人件費」を使って大量の「人夫」が集められ、
まるで「金鉱開発」のような状況が現出した。
この人口規模で「女郎屋」まで出店していた、ということですから、
いかにも「出稼ぎ」的な、一時的な産業構造・社会構造だったのですね。
そういった構造は、簡単にその基盤の資源状況によって崩壊する。
ニシンの群来に湧いた西海岸地域、
石炭炭坑の盛況で夢のような大都市が出現した夕張などの
地域の栄枯盛衰が、繰り返されてきた。
こういう社会状況の中で、地域の風土性が育まれつつある。
製造業主導型の地域社会構造整備が、幾世代にもわたって積層している
本州以南地域とは、こういう点で大きな違いがあると思います。
しかし、北海道開拓も140年近い時間が経過してきている。
わたしたちのような「土着」に近い、3代目や4代目、それ以上という
年代も出現してきている。
わたしは、東京で仕事を覚えてきて
その後、北海道でその種の仕事を開業してこれまでやってきました。
本州地域、主に東京から「帰ってくる」ことには、
不安よりも魅力を感じていましたが、
わたしたちの息子たちの年代にも、やはりそういう心情もあるようです。
それが「郷土愛」であるのか、
東京という地域への絶望であるのか、
そこらへんはまだ、わからないけれど、
いくたびかの、「街が消えてしまう」経験を繰り返してきた北海道が、
それでもここに帰って来たい、という地域性を生み出しつつあるのか。
その一方で、北海道各地で本州から移住のひとびとの活力を感じる。
かれらは新鮮に北海道の素晴らしさを実体験して、
その本来的な魅力を大きく発掘している。
東京からの移住組のスタッフから
北海道の野菜のおいしさについて教えられました。
これまでは、収奪型の食品のおいしさが北海道の魅力だったように思うのですが、
野菜という、人によって「手作り」されるしかない「製造業」が
それが「魅力」になってきているのか、と
ものすごくうれしく感じさせられました。

カムイミンタラ

1376

きのうは久しぶりに層雲峡の温泉に宿泊。
連休真っ盛りなわけですが、折から夫婦でダイエット中ということで、
近くのスーパーに買い出しに行って、
なるべく低カロリーな食事を心がけておりました(笑)。
ということなので、夕食抜きという、
連休の客にしては、たぶん一番低い客単価だっただろうと思います。
ホテルさん、ごめんなさいね。
でもやはり、温泉ホテルの夕食って,異常なボリュームですよね。
あんなの、毎日食べていたらやばいです。

で、年寄りなので早く起きてお風呂に入って、
身支度をして6時から、ロープウェイからリフトを乗り継いで大雪山7合目まで。
ということで、写真のような景色を堪能してきました。
ただ、早朝から来るみなさんは、8割方はそこから時間半くらいかけて
頂上まで登ってくるのだそうです。
ホテルもたいへん涼しかった、というか寒いほどでしたので、
ジャンパーを着込んでいきましたが、好天のため、
7合目でもけっこうな日射で、汗ばむほどでした。
カムイミンタラというのは、この写真のような光景を表した言葉だそうで、
神々がお互いに遊び転げているような光景をいうのだそうです。
神々しくもユーモラスな表現で、面白いですね。
アイヌのみなさんの、自然崇拝の心情がうかがえます。
この列島のひとびとの基底的な心情として、
このような自然崇拝は抜けがたくあって、
その後、「日本」という小中華志向国家が成立してからも、
基底には、このような自然崇拝型の心情が残っているのではないかと思います。
アイヌの人たちの文化には、そういう列島に暮らした人間社会の
こころの奥底にあった心情が色濃く残っているのでしょう。
まぁ、言ってみれば縄文と弥生の相克が込められているように思う次第。
北海道に暮らすという経験を3代以上にわたって継続しはじめた
わたしたちの年代の「日本人」が、この列島社会の歴史に対して
なにがしかの経験知をもたらせられるとすれば、
きっと、このような視点から日本文化への内省をもたらせることなのかも知れない。
江戸期までの押しつけられた「儒教的価値観」、
明治期以降の「近代西欧的価値観」のどちらもが、
こうした列島社会固有の自然崇拝型の価値観とは大きく違う。
現代は、「近代西欧的価値観」が全地球を覆っているけれど、
それに対してアイヌの人々の価値観は、異質なエスニシティを持っている。

「カムイミンタラ」
いい言葉だなぁと、繰り返し反芻していました。

東大雪の森の中へ

1375

きのうは朝から遠出であります。
連休を利用して、東大雪の森の中でミユビゲラという絶滅危惧種の鳥を
豊かな自然の中で復活させたいプロジェクト、に取り組んでいる方の取材に。
ミユビゲラというのは、キツツキさんの仲間で、
ほかの種が4本指なのに、この種だけが3本指だという
絶滅危惧種なのですね。
でも絶滅したと言われたのに、先年の十勝岳の噴火で、ふもとのこの地域でふたたび
確認されたのです。まだ生き残っていたのですね。
そのミユビゲラをずっと観察し続けている方がいるのです。
詳しくは、Replan北海道の次号102号の掲載しますので、ご覧ください。
あ、とはいっても、エピソード的な1コマ程度の扱いですので
見過ごされてしまうかも知れません。
そういうネタにも、手抜きなく、しっかり取材をしております(笑)。

北海道も広いとはいえ、60年以上生きてきたので大体は知っている気がしていましたが、
しかしさすがに東大雪地域というのは、わたしも未踏の地でした。
見方によっては、知床などよりも秘境かも知れません。
札幌からは道東道を通って、音更帯広のインターで下車後、
北上していってたどり着きましたが、
森の中をクルマを走らせていると、ときおり鋭い野鳥の鳴き声が響き渡ってくる。
その鳴き声の強烈な印象が胸を強く打ちます。
で、いっとき森の中でクルマを止めて、
自然の音だけのなかに身を置いてみる。
実にさまざまな森の呼び声、生き物と自然の音楽が全身に迫ってくる。
取材後、そこから層雲峡方面に抜けていく途中、
三国峠で見返してみると、眼下に大樹海が広がっております。
やはりこの列島、まだまだすばらしい自然が残っていると実感します。

この高原地帯の中で、
地域で豊富に産出される木材資源採取のために集落が形成された時期があり、
その集落が「三俣」と言われる地域だったのです。
一時期1500人を超えた人口だったそうで、
木材資源の搬出のために鉄道も帯広から敷設されていた。
その鉄路建設に際して、いくつかのアーチ状の「鉄橋」痕跡が残っていて
一部は「北海道遺産」として登録されている。
そのアーチ跡を湖越しに遠望できるポイントがあると聞いて
深い森の中に分け入っていきましたが、
そこで見たのが写真のような看板。
まぁ、東大雪地域、かれらの方が、人間より数が多そうです(笑)。
本来はかれらの天地であって、
わたしたちは、遠慮しながら行動させてもらう、ということなのでしょう。
持参したiPhoneからiTunesの楽曲を奏でて
かれらに「ご挨拶」しつつ、見学してきた次第。
連休初日、豊かな森の中で過ごさせていただきました。