
土曜日、マッサンブームに沸く北海道余市町を訪問。
「オチガミ ワイナリー」でのランチがメインで行ってきたのであります。
とっても美味しかったです(笑)。よかった。
でも、土曜日のお昼時間にしては席もゆったりしていて、
札幌から1時間はかかる場所だから、どうなんだろうかなぁと・・・。
このレストラン、北海道でいまブームになりつつある
ワイナリーの嚆矢のような存在。
気候風土的に、ワインは北海道によく似合うようなのであります。
農とその加工産業、北海道には似合う存在だと思います。
ぜひ、大いに盛り上がって欲しいですね。
お天気がよくて、雪に反射する照り返しがまぶしく、
大きな開口に面した気持ちの良いテーブルでしたが、
薄目でしか、外を見ることができませんでした(笑)。
やや早いのですが、これから「光の春」が北海道にはやってきます。
この季節がわたし的にはなかなか好きであります。
関東の冬の陽射したっぷりの季節感もいいと思いますが、
真っ白な雪原の照り返しの光の春は、またいいものがあります。
この光の春が、だんだんと勢力を増していって、
北国の春になるのですが、この季節感のグラデーションも格別。
そんな気分もいっしょに愉しめた次第であります。
その帰り道、
久しぶりに余市のニッカさんに行ってきました。
折からの「マッサンブーム」であります。
たくさんの人が集まってきてくれていて
まことににぎやかでご同慶の至りであります。
郷愁を誘ってくれる洋風建築群がなつかしく迎えてくれます。
写真は、リタの家、と書かれていましたが、
スコットランドからやってきた竹鶴さんの奥さんの郷愁を慰める建築。
風景にこうした建築が似合う北海道で
彼女、どんな思いで暮らしていてくれたものでしょうか?
ドラマのエリーさんにイメージをダブらせながら、
楽しい空想に浸らせていただきました。
さて、本日は青森に来ております。東奔西走。
きょう、市内での打合せを済ませたら、トンボ帰りですが、
雪祭りの影響で列車が満員で、きのうは朝早くの移動でした。
仕事も春に向かって、まっしぐらで多数同時進行。
がんばらねば、というところであります。
Posted on 2月 9th, 2015 by 三木 奎吾
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日本のメディアとはいったいなんなのだろう?
一部メディアと一般人との受け止め方の乖離ぶりに愕然とさせられる。
殺害以降、メディアでは後藤氏は崇高なことに殉じたのだといわんばかりの
そういった報道の垂れ流しを繰り返していた。
死者への鎮魂や配慮、美化一般を否定はしないけれど、
どうして後藤氏のことを、いまそこまで賛美する必要があるのか?
イスラム世界のこどもたちの状況を伝えたいという気持ち自体は
かれは確かに持っていたのだろう。
しかし、それだけでかれが行動していたのではないことは明白だ。
渡航には費用もかかるだろうし、現地で案内人も雇うだろう。
そのお金は、どこかのメディアがカネを出して、
その情報を買ってくれる、そういうシビアなビジネスとして
かれは、このような危険を掛けても、こうした地域に入っていったのだ。
疑う余地なく、基本的に「下請け」報道ビジネスなのだ。
すでに週刊文春で「10分300万円」という具体的報道もあった。
どうしてその主要な動機を希薄化させて、戦場と子どもたちの実態報道
というきれい事ばかりをメディアは言い立てるのか。
推測を交えることを許されるならば、やはりメディアはこれまで
後藤氏から「買った」映像を繰り返し使ってきた経緯があって
それを自ら免罪する目的で、
「戦場でのこども」報道という人道目的とアピールしているのではと、
あらぬ懐疑まで、抱かざるを得ない。
欧米メディアからは、そのような危険を冒しての映像を今後購入しないと
宣言するメディアも出てきている。
そういった動きと比較したとき、テレビ朝日をはじめとする
日本の一部メディアの人道目的賛美に隠された真意について、
違和感と懐疑は、強くなってくる。
「I am KENJI」というメッセージとアナロジーさせて
「I am not ABE」と、
いまこの時点でアナウンス拡散するに至ってはやや言葉を失う。
テロで自国民が殺された結果を受け、自国指導者を非難するのが先とは・・・。
国際的に見ても、相当の違和感を禁じ得ない。
今朝の読売新聞で、直近の世論調査結果が発表されている。
〜危険地域のテロ被害「責任は本人にある」 83%
海外の危険な地域に行って、テロや事件に巻き込まれた場合、
「最終的な責任は 本人にある」とする意見についてどう思うかを聞いたところ、
「その通りだ」が83%に上り、
「そうは思わない」の11%を大きく上回った。
安倍内閣の支持率は58%で、
前回調査(1月9〜11日)の53%から5ポイント上昇した。
不支持率は34%(前回38%)だった。〜<要旨抜粋>
もちろん、少数の意見も大切だとは思うけれど、
このあたりが、やはり中庸な日本人の
多数派の意見の所在だと、確認できるのではないだろうか?
Posted on 2月 8th, 2015 by 三木 奎吾
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先日の北陸出張時、見学した金沢城であります。
前回行ったときには、いわゆる観光地にはあんまり足を向けなかった。
しかし金沢城は、再建に当たって建築当時の「技術の再現」を
大きなテーマにして取り組んだということなので、
木造技術のお勉強と言うことで行ってみた次第。
外観写真は、菱やぐらという場所でして、
まぁ美しいシルエットを見せてくれているのですが、
軍事的なこの城の要衝で、北方・能登からの既存地元勢力に対しての
備えが、最大目的だった建物だそうです。
実は、この建物、構造材がすべて「菱形」のものを使っているのだそうです。
そんなヘンなかたちの材料を、組み合わせていくのに、
まことに精緻・絶妙な「木組み」で造作されている。

展示の中では、この木組みの様子をビデオ映像で
イメージ解説しているのですが、
金物1本使わず、木組みだけで仕上げている。
超複雑なレゴ構造になっているのですが、
こんなのどうやって考えたのか、ほとんどマジックショーであります(笑)。
ボランティア解説の方の説明では
構造的な強度を増すのだとか、あるいは軍事建築技術として
前田家オリジナルな木組み技術を凝らした、とも言われている。
でも、目的自体はどうもあいまいな闇の中、ということのようです。
加賀100万石ということで、
江戸期を通じて幕府からの監視が厳しかったことから
保守すべき軍事技術として、このような複雑精巧な技術を
ながく伝えていくために、
あえてこうした複雑な木組みにしたのかも知れません。
今回の復元工事でも、
こうした前田家の伝統が生きていたのか、
石川県の木組み技術の再生延命のために、地元の大工さんたちが
精巧に昔の木組み技術の伝承を大きな目的として
取り組まれたのだそうです。
ややアンビバレンツで複雑な気分にはなりますが、
まことに、戦争というのはさまざまな産業技術にとって
不可欠な発展要因であるのでしょうね。
不断にこういう技術伝承をしていたから、前田藩の平和な藩風もまた
涵養されたものかも知れません。
アヒルの水かきではありませんが、目に見えない部分の
軍事的緊張感が、平和な社会実現には
むしろ絶対に欠かせないのだと思います。
そういう先人の教訓は、きちんと見なければならない。
Posted on 2月 7th, 2015 by 三木 奎吾
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日経の「ケンプラッツ」に掲載された記事です。
”「生きる」と「働く」を重ね合わせる” という記事でした。
〜本当は建築が好きで勉強を始めたのに、気がついたら
たいして楽しめなくなっている。
仕事も同じで、自分にとって関心の強い対象であるほど、
既存に用意されている枠に従ってしまうと、
そういう矛盾が生じやすいんじゃないか〜
っていうような部分、好感を持って読んでいました。
どうしても、最近で言えば「リクナビ」的な範囲でしか、
仕事を選ぶという選択をしなくなっているのが多くの趨勢だろうけれど、
でももっと「生き方」に向き合えるような仕事への姿勢もあると思う。
もうちょっと自由な、カタログ選択的ではない「選択可能」な生き方だってある。
こういうふうな若い人がいるって
やっぱり捨てたものではないのかも知れない。
自分自身の内側からの声に耳を澄ますような生き方で
チャレンジしていくのも、けっして悪くないと思います。
誰の人生でもなく、自分の人生なんだから、自己責任でいいと思う。
わたしは20代の終わりで独立したのですが、
最初、とにかくいろんなことを「決める」ということに戸惑った記憶があります。
決めれば必ず結果が、もれなく付いてくるので
すべては誰にも言い訳できない「自己判断・責任」にならざるをえない。
本当にこれは過酷なまでで、ボールペン1本の購入にしても
よいものを選べばムダを押さえられるし、そうでないものを選べば
あとで必ず結果から、自分自身が問いただされる。
それまでは、親であったり、会社であったり、
自分の行動について、ある管理がそこに働いて、
自分で判断する以前に、あるルートがそこにあるという感じだった。
それは楽なようでいて、そのなかにいると、いろんなことに気付かなくなる。
本来人間は、自分ですべてを判断するのが自然な存在なのだ、と、
そういうことを確認させられたような体験だった。
自分で、なにごとかの責任者になるという
自己責任ということについて、否応なく問い続けられる生き方を選択してきた。
そんな思いをいまに至るも持っているのですが、
最近の若い人の中にも、そんな思いを持っているタイプの人がいることを知って、
なんか、うれしくなった。
Posted on 2月 6th, 2015 by 三木 奎吾
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わたしは北海道に住んでいるので
この写真のような「町家」は普段まったく見ることがなく、
本州地区でしかお目にかかれませんが、実はたいへん憧れを持っております。
北海道のような「外地」から見て
こういったエリアで人とふれあう機会があると、
日本的な集住のもたらした感受性の洗練を感じさせられるのです。
人間が住み暮らしていくのに必要な社会性のよき部分が
こういった「町家」暮らしの共有ルールが基盤としてあるように感じられる。
「向こう3軒両隣」というような身近なコミュニティ意識が
現実的な息づかいでいまも明瞭に生きている。
NHKドラマ「マッサン」で昨年中まで舞台になっていた
大阪の町家暮らしの様子のようなものが、見えてくる。
「人情」という言葉の実質は、どうもこのような生活様式が
日本人の多数派になっていたからこそ、生成してきた情念世界ではないのか。
そんな思いを、はるかな、北の地で生まれ育った人間として、
日本的情念世界の繭のように仰ぎ見ていたのだと、自分で思っています。
町家にはそういった都市生活文化があるのだと思っています。
もちろんそこには目に見えない、個人主義的な部分での
「生きづらさ」も存在しているだろうとは想像しますが、
しかしメリットと引き比べて、それは昇華可能なものだったのではないかと。
わたしが育った北海道の戸建て住宅感覚では、
「同じ厳しい寒さを共有している博愛感」として、心理的な垣根はないと表現する
「なんもさ」という言葉のような同胞感覚は持っていると思うのですが、
「人情」的な、ややウェットな心情には距離感があるのですね。
もうちょっと距離が近く、ストーブを囲む距離感での「あたたかさ」に近い。
そんな町家暮らしへの憧憬があります。
で、日本がこれから生き延びていくのに、スマートシュリンク、
賢くコンパクトに生きていく、という大テーマで暮らしようを考えていくと
この「町家」文化の再活用がいちばん現実性が高いと思っているのです。
すでに日本人の生活信条に確実な根拠を持っている
こうした生活文化を再生させ、しかし、個別の生活領域では
現代の最先端住宅建築技術である、高断熱化が図れないか?
そのような集住の現代化、快適化への試みのようなものが
起こってこないものかと、密かに待ち望んでおります。
たぶん、こうした町家集住地は地価と権利関係などでの
障害が多く存在するに違いないのですが、
どうにかしてそれらを克服して、あらたな現代的集住文化を生み出せないか、
そういった願望を抱いている次第です。
Posted on 2月 5th, 2015 by 三木 奎吾
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本日は歴史ネタでの妄想であります(笑)。
仕事のことであれこれと煮詰まっている時って、
すっ飛ばして、妄想するとスッキリする部分があります(笑)。
先日、近江国、関ヶ原周辺、伊吹山周辺を走り回っていて
どうしても、表題のような着想から逃れられなくなったのです。
まず、日本歴史できわめて重要な変化である「壬申の乱」。
のちの秀吉による朝鮮出兵「壬辰の乱」と混乱しやすいけれど、
古代における関ヶ原合戦ともいえる政変戦争です。
この伊吹山・関ヶ原周辺も主要な戦場になった
この政変で、天武帝が勝利して天智帝からの王統交代が行われたこと。
そして、その軍事的勝利が伊勢神宮を出発点にして成功したことで
現皇室の伊勢信仰のスタートと見なしうること。
この壬申の乱の結果、「日本」国号と「天皇」名称が定まって
新たな古代律令制・中央集権国家の国造りが始まったこと。
その後、国歌として「君が代」が定まり、
そのなかに「さざれ石」が、象徴的に詠み込まれたこと。
その「さざれ石」は、伊吹山で主要に産出されることで知られること。
さざれ石とは、小石がたくさん集積して火山性の凝結作用で
巌のようになって「成長」していく岩石であって、いまに至るも多くの神社に
その印象的な位置に鎮座していること。
そしてこのさざれ石の様相は、古代の日本列島での「クニ」同士の
連合的ありようをアナロジーしていると考えられること。
国譲り前の、出雲での連合的国家形態を想起させる象徴性を
この「さざれ石」は容易にイメージできる。
八百万の神々が、出雲に集って会議していたという故事を想起させる。
というような、その土地に行って見ての着想が強く起こってきたのです。
現代、この近江の地域をクルマで走っていて、
高速道路上からも、伊吹山はきわめてランドマーク的に明瞭に見え、
そのふもとの東海道と東山道の合流地点に関ヶ原があって、
やはりこの列島社会では、この地域は大会戦が起こるとすれば、
まことにふさわしい地の理があると認識できます。
壬申の乱でもここで天武が勝利して
ここから「日本国」が生まれていった証として、
この山が主要産地である小石の集積岩石・さざれ石を
国家統合の象徴にしたのではないか、大いに蓋然性があったと思われる。
まだ整理のつかない直感ですが、きっと多くの方も同様に思うに違いない。
どうも確からしく思われるのであります。
どうだろう、おかしいかなぁ・・・・。
Posted on 2月 4th, 2015 by 三木 奎吾
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わたしも大好きであります、信長さん。
日本って、聖徳太子の「17条憲法」以来、
「和をもって貴しと為す」社会であって、
あんまり「英雄」を生み出さない風土のような気がするのですが
そういう歴史風土の中で、一陣の爽風を送り込み、
これからその「負の側面」が全面的に出てくるに違いないと思われた
その瞬間に地上から、みごとに消え去ってしまった、
中世を徹底的に破壊するその段階までの役割を果たして
「是非もなし」という端的なことばを遺して
まことにあっという間に、本能寺の炎とともに消え去った。
その散り際の鮮やかさでも、日本人の心象に大きく刻印されているのでしょう。
で、かれを偲ぶモニュメントはほとんど残っていない。
秀吉が、家康が、これでもかとばかりにいろいろなモニュメントを遺しているのに
まったく対照的に、信長を偲ぶよすがはほとんどない。
そんななかで、伝説の「安土城」が発掘調査され、
徐々にその全貌が明らかになってきた、というニュースに
折に触れて接する度、ぜひにも見に行きたい、と思い続けていた。
しかし、なぜか、機会はほとんど訪れることはなかったのであります。
この1月にそんな念願がようやくにして叶いました。
写真が再現しつつある安土城址であります。

琵琶湖湖南、安土山の山頂に築かれた天守に向かって
この石段を登っていったのだと言われています。
途中に、伝秀吉邸などの家臣団屋敷も展開していたそうです。
琵琶湖湖南の地は、東海道・東山道・北国街道などが合流して
京都に向かう、その道を扼するように建てられている。
かれの時代には、琵琶湖自体にも接岸していたのではないかと推定される。
陸上交通・水上交通でのまさに要衝の地。
かれの段階の「統一国家」にとって、象徴的な位置だったのだと思います。
まぁ、英雄を想起させるようななにも残ってはいないけれど、
なにごとかの途上に倒れたかれらしさの、ほんのいくばくか、
空気を感じさせていただいただけでも、
歴史好き、信長好きのある部分を満足させられた気が致しました。
Posted on 2月 3rd, 2015 by 三木 奎吾
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土曜日には北海道伊達市で、NEDOの補助金を使っての
太陽熱利用実証実験住宅の報告セミナーが開かれました。
伊達市は「北海道の湘南」と呼ばれ、道内では温暖と言われる地域ですが
道内では積雪が少なく、比較的に日射に恵まれた地域。
NEDOへの応募主体になった小松建設さんは、
OMの基本思想に共鳴して、
ながくOMソーラーの家づくりにチャレンジしてきた。
OMの基本理念、太陽熱で家を暖めたいという発想自体は
だれからも受け入れられるものであり、
これまでも多くの研究者が助力を惜しまなかった経緯があります。
今回は、自動車のMATSUDAのクリーンディーゼルエンジン開発や
家庭用ヒートポンプの「小型化」などに役立てられた
NEDOによる支援で、より高次な住宅エネルギーの開発として
取り組まれた実験住宅。
その研究開発・調査活動に、東大・前真之准教授があたっています。
OMソーラーによる実験住宅自体は、この北海道・伊達のほかに
仙台、浜松、鹿児島、沖縄と全国5箇所で建設されます。
たぶん、条件的に一番厳しい北海道のモデルが
フラッグシップ的な位置づけにされていくのだろうと思います。
東大・前真之准教授の講演では、北海道の高断熱高気密との関わり
そしてOMシステムにどのような工夫を加えていくのか
そういった内容の提示がありました。
わたしどもでも誌面で連載していただいている前先生の講演は、
いろいろな研究開発の進展具合が見える内容で、
毎回、まったくあらたな知見も得られて、きわめて興味深い内容。
高断熱高気密技術のさらなる発展にとっても、
先生の積極的な北海道との関わりは、重要になってきたようです。
また、その後の各発表者のみなさんのお話も
それぞれ、意義深い内容で、時間はまったくの不足でした。
といった概要ですが、この取材内容については、
追ってReplan誌面などで発表することになろうかと思います。
セミナー終盤になって司会役の元北総研・大柳さんから
「時間があったら、なにか、意見を発表して・・・」という耳打ち、
まことに無茶振りもあったのですが、幸いにして(笑)、
時間オーバーで難を逃れることも出来ました。
取材者モードのアタマに急になにかしゃべれは、あまりにも無理筋。
ということで、ホッとひと息ついた次第でした。
しかしそれにしても、
関係者のご努力はあったにせよ、
こうした技術内容についての講演会セミナーであるにもかかわらず、
会場には定員一杯の160名が参集されたと言うこと。
北海道でのエネルギー問題への関心の強さを
あらためて実感させられた次第です。
Posted on 2月 2nd, 2015 by 三木 奎吾
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きのうは北海道伊達市で、
NEDOの補助金を活用したOMソーラーの寒冷地モデル住宅見学と
その報告セミナーが開かれ、取材してきましたが、
それはあしたのブログで概要をご報告します。
本日は休日なので、ゆったりと歴史ネタでもと思っていたら、
例の「イスラム国」を名乗るテロ組織ISISによって、
日本人人質の2人目として後藤氏が殺害されてしまった。
なんとも暗澹たる気分にならざるを得ないのですが、
こうしたテロ組織に対しては、毅然とした対応で臨むべきであり、
各国と連帯していく姿勢を鮮明にして行く必要があるのでしょう。
テロとの戦いの前には、国内の対立はありえない。
そのとき、国民の負託を受けている政権が毅然として対応する、
その選択に対して、基本的には信頼を寄せて対応を見守るべきだと思う。
自制的で、しかし、毅然とした対応が必要。
かれらの狙いは、標的の国家に対する攪乱が大きな狙いでもあるだろうから
言論の自由には十分に配慮しつつも、テロ組織を利するような
そのような姿勢を、間違っても見せてはいけないのだと思います。
まことに残念で悲痛ではあるけれど、
日本社会は、大きな試練を迎えていると思います。
このような非道がやはり世界では行われている現実があり、
わたしたち自身が、どのようにふるまったとしても、
その標的にされることがあり得るのだということを
この事件は端的に物語っている。
こうした無道に対して、武力行使をなしえない国家として
どのように「対決」していくべきか、
道は細いけれど、国際社会の中で、正義を訴えていく対応を
日本と日本人は示していかなければならないと思います。
犠牲になられた後藤さんの無念を思い、
そしてそのご家族に深くお悔やみ申し上げます。
Posted on 2月 1st, 2015 by 三木 奎吾
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休日に付き、本日は趣味生活ネタであります。
わたし、曹洞宗の本山、2つは見学しております。
というか、横浜鶴見の総持寺にはなぜか、
東京出張の時、ほかに理由がなければ鶴見に宿を取って
総持寺での毎朝の「勤行」を見学させてもらうのを密かな楽しみにしています。
ああいう宗教的イベントを毎日やっているというのは
それを伝統的なるもの、宗教文化として考えると
享受できる、たいへん得がたい機会なのではないかと思っている次第。
しかも無料なので、お賽銭を若干心付けすればいい。
曹洞宗に興味を持ったのは、福井県の永平寺を見学して
興味を覚えたことがきっかけではあります。
食べることにもそれを修行の大きな機会と考えるという教義は
日本人に、まことに大きな精神的影響を与えたのだと思われます。
で、曹洞宗にはもうひとつ大きな寺院があって、
それがこの能登の総持寺祖院であります。
なんども火災で焼け、また人口減少地域と言うことで
横浜鶴見に移転したけれど、
「祖院」という名称を付けて、古寺も存続させているのですね。
昨年、はじめて能登にいったときに訪問出来ず、
やや残念な思いをしたので、先日の出張時、足を伸ばして見ました。
横浜の本山ではそうは感じなかったのですが、
こちらでは、とにかく細かな彫刻の手業のみごとさに感心させられました。

金沢で取材していると、
こういった手業の細やかな職人文化というのが強く感じられます。
金沢城の城郭の木組みの様子の再現映像などを見ると
こういった精緻さは、この地域の伝統のように思われます。
その技術ルーツが、この能登の古寺を見ていて
まことにクッキリと印象に残されました。
柱と梁の接合点に飾り彫刻として狛犬が配されているというデザインは
初めて見た次第ですが、その上、
「これ、どうやって造形したのか」と疑われるような複雑な彫刻作品。
これを1本の木から造形したとすれば、その構想力の精緻さに
まったく驚嘆するしかないし、
そうではなく、組み合わせであったとしても、
これもまた、奥深い技術が強く感じられます。
北陸地方の奥行きの深い文化レベルに脱帽させられました。
Posted on 1月 31st, 2015 by 三木 奎吾
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