


韓国での食事を中心にした報告ブログであります。
9人での団体食なので、いちばんはじめに各自30,000円を集約。
いちいち各人精算していたら時間がかかるし、
せっかく韓国人スタッフもいて、通訳ガイドも出来るので、
それを大いに活用しようという作戦だった次第。
食事の選択もすべて彼にお任せに致しました。
で、そこから合計6食の昼・晩メシや
お酒代・カラオケ代、公共交通費などに充てた。
いちいち、ここは俺が払うとか,気を使い始めたりすると
団体旅行は大変なことになる可能性があるので、
とにかく誰が何を食べても飲んでも構わないから、
精算については財布を一つにして、全部で割る9、というワリカン。
そのように宣言して、全員の賛成を最初に取り付けました。
公共交通費はほんの1,500円ほどだったので、
ほとんどが6食の食事・酒・カラオケに消えたのですが、
その「出資金」は、各自に約10,000円ほどキャッシュバックされた。
なので、1人あたり食費小遣いは18,000円ほどでした。
4日間でなので、1日あたりは4500円相当。まぁ合理的。
たぶん、食事代はこれの6割程度だったと思います。
最初の晩は敬意を表しての「焼き肉」料理。
先般の安倍首相の訪韓でも、晩飯は焼き肉だったということでした。
まぁこれはあまりにも定型で、特段の感想ナシでしたが、
それなりにおいしくて、韓国をリスペクトさせていただけた。
そこからいろいろ食べたのですが、
なぜか、日本大使館が入ったビル地下にある
ベトナム料理のお店でフォー麺を中心に、チャーハンや五目甘煮。
これがたいへん美味しかった。
日本大使館なので、少しアレンジしているようでもあります。
しかし、どの食事時にも必ず「キムチセット」が定番で並べられる。
で、メインの料理にもたっぷりと辛みが効かされている。
最初は箸がどんどんと運ぶのですが、徐々に勢いが減ってくる。
まぁ、お腹が膨らんでいくので当然でもあるけれど、
毎度辛いのを食べ続けていると、だんだんお尻のあたりが
熱を持ってくるかのようであります(笑)。
どうも韓国気質として情熱的というか、ちょっと激し過ぎのところは、
このキムチ常食化、香辛料摂り過ぎが関係しているのではと、
妄想が膨らんできておりました(笑)。
写真は、「チムタク」料理の分解写真であります。
鶏肉料理で、鶏の甘辛煮という料理。
鶏の他に、いろいろな野菜と決め手はタンミョン(韓国春雨)でしたね。
韓国にいた4日間で、いちばん口に合った韓国民族料理。
辛い韓国料理の中ではいちばん野菜、とくにジャガイモの
甘さが引き立っていて、口に優しい味わいだったと思います。
4日間、いろいろ食べた中では、わたし的にはこれでしたね。
まぁ、どの食事も面白く楽しく、大いに韓国をカラダいっぱい、
満喫させていただきました。コマウォヨ。
Posted on 3月 12th, 2016 by 三木 奎吾
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駆け足で回った韓国ツアー4日間の旅、
きのう釜山から帰還して,無事終了であります。
一行9人、楽しく旅を出来て親睦も深めることが出来ました。
ザハハディドから、河回村まで、
人間のためのものである建築をめぐる駆け足での旅でしたが、
やはりなんといっても、奇跡のように現存していた
東アジア世界の「桃源郷」ともいえる河回村への思いが募ってきます。
隣国人が遺してくれていた、この人間環境の理想郷は、
実に多くの、人間についてのことを教えてくれる存在だと思いました。
人とは、どのような環境に癒やされる存在であるのか、
深く沈殿させられるようなテーマが、ずっしりとした実感を持ちます。
風水の何であるかは、門外漢にはわかりませんが、
その考え方で人間環境を考えたとき、
このような環境にくるまれて生きることが、究極とされたのだと思います。
そしてそれは実に良く理解出来たのです。
はじめて訪れているのに、DNA的に抗うことの出来ない癒やしを感じる。
時間感覚も、まったく自然リズムそのまま。
住宅建築で使われた素材としても、その寸法の感覚でも、
それらが渾然一体となった空気感としても、
なにひとつ過不足なく、いわば心理と現実の空間に違和感が感じられない。
たまたま、韓国の瓦職人さんたちの一団が改修工事をやっていた。
同じ人間集団の中の住宅サイズの建築の作り手同士として、
ごく自然な語らいが生まれ、やりとりが生まれた。
コトバは全的には通じはしないのだけれど、
片言の会話の中からでも、強いシンパシーを感じる。
素材感といい、空間性といい、いかにも人間くさい環境の作り手として
すぐに打ち解けるような共通認識がそこにあるのだと思う。
いや、むしろ言葉が通じないことで、それ以外の五感を研ぎ澄ませて
人間としての情報を感受しあおうとするのだと思う。
いかにも「伝わってくる」なにものかがある気がする。
環境をあらわす河回というコトバそのままの立地環境は
1枚目の写真でわかりやすかった。
そして村の中心高台には樹齢600年というケヤキの巨木が
ランドマークであり続けたのだという。
さらに、目にも鮮やかな「境界」を感じさせる「芙蓉台」。

これらの大きな「環境」に抱かれ続けてこの村は
数百年の時を刻み、人々の安寧を守り続けてきた。
そういえば韓国語のアンニョンというコトバには
「安寧」という内意が強いのだとも聞かされた。
人間のやすらかさへの優先度が高い社会をこの民族はつくってきたのかも。
食料生産のための集落組織形態としての「集村」という暮らし方にも
こういった自然的環境要因が無上のリズム感を与え、強く働いていると思われる。
多くの国家的な有為の人材を生み出し続けたという事実にも
こういった土地の「気」が与っているに相違ない。
こういう土地での暮らしが、人間にいろいろな影響を及ぼすだろうことは、
やはりわかりやすく伝わってくる。
そんな余韻が、カラダのなかに住み込み始めていると実感しています。
Posted on 3月 11th, 2016 by 三木 奎吾
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きのうは今回の旅のメインイベント、
世界遺産に登録された安東市豊川面河回洞、河回村視察であります。
若干の説明をWikipediaより。
〜この村は、16世紀に豊山柳氏の一族によってつくられ、
その後同族集落として存続してきた。現在も、約180戸ある村の住人の7割は
豊山柳氏である。豊山柳氏からは朝鮮王朝中期の儒学者・政治家である
柳雲龍・柳成龍兄弟を輩出している。豊山柳氏宗家(柳雲龍の末裔)の屋敷である
養真堂や、柳成龍の住居であった忠孝堂など、両班の暮らしを窺うことのできる
瓦葺きの古い建築や、藁葺きの家々が数多く保存されている。
河回村は2010年7月31日、慶州市の良洞村とともに
ユネスコの世界遺産に登録されている〜ということです。
わたしのようなエトランゼから見る視点では
こういった黄土と木造軸組工法を組み合わせた住宅デザインは
いかにも東アジア世界での普遍性を感じさせてくれる。
農村のありようとしての「集村」形式でしかも名の通り
河によって大きく丸く縁取られて農業用水水利も確保され、
一定の高台も集落内にあるという立地は、人間環境として合理性を持っているし、
インターナショナルにもわかりやすい、風水的理想環境。
この地から多くの有力者を輩出したそうだし、
まことに東アジア人としての文化的共通性を深く感じさせてくれる。
1番上の写真はいまも居住されている有力者の家で、門塀のみごとさは、
まことに蠱惑的ですらある。

塀には周辺から出てきた石が黄土によって塗り固められ
徐々に上部に向かって木組みの美しさに移行していく。
頂部に瓦が被覆された、統一感の取れたデザイン構成に圧倒される。
こういった美しさだけでも、やはり日本の古民家などのデザインとも
大いに対話させてみたくなる佇まいを見せてくれている。
世界遺産登録以降、注目度が一気に高まり、
韓国国内からも観光客が引きも切らないとされているようです。
こういった伝統的な住宅の美観が、温故知新として、
現代の人々に大いに再発見されていって欲しいと念願します。
日本の例で言えば、こうした古民家建築の端正なDNA的な美観が
ある共通認識に至っている部分があると思われます。
しかし韓国では、一方でコンクリート建築が住宅を席巻している現状がある。

ちょっとした都市では写真のような高層集合住宅が密集している。
大陸的な地盤で地震の少ない事情も反映して、
土地利用が高度に集約的な住宅建設に一様に向かっている。
たしかに住宅としての合理性・合目的性から考えれば
こういった集合住宅への集中は理解は出来るのだけれど、
人間居住環境として、どうであるかという意味では、
ある意味、疑問も感じざるを得ない。
韓国の一般のみなさんはどのように感じられているのか、
もうちょっと知りたいとも思ったポイントであります。
Posted on 3月 10th, 2016 by 三木 奎吾
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韓国ツアー2日目であります。
たまたま建築視察の方で、ヘイリ芸術村という北朝鮮に近い場所に
見学に訪れましたので、その機会にこの国の現実を正面から
受け止めたいと、一般向けの現状伝達拠点施設に向かいました。
韓国人スタッフの張君に電話してもらったら、
すぐに訪問の許可が下りた次第であります。
こういった施設は、軍によって管理されているようで、
他国人は韓国の人に連れられていく必要があるようです。
高台にある「監視施設」からは、分断線である「イムジン河」の
広大な川幅の流れが悠然と流れるパノラマビューが広がり、
対岸の様子が、手に取るように視界いっぱいに見られる。
3階の説明映像画面では、
日本人向けの日本語映像も流してくれました。
上の写真は、望遠鏡から対岸側の北朝鮮の様子を
iPhoneで撮影したものですが、
説明によると、北朝鮮側ではエネルギー事情からなのか、
暖房のために木を伐採していて、殺伐とした赤土が
素裸にむき出していました。
一説では、住民監視のために木を伐採することで、
見晴らしを確保して、監視を強めているともされていました。
どちらにしても、非人間的な環境であろうことは肌に伝わってくる。
写っている建築は、どうやら軍事関係者のために建てられた
住居建築のようだけれど、そのひとつは、予算がなかったのか、
長く屋根が掛けられないままに放置されていたと言うこと。
またこうした建物は対韓国へのプロパガンダであり、
ムリをしてでも困窮していないように見せるために
活発に住宅建設を行っているというように説明されていました。
同行した方のiPhone望遠画像画面には、
小学校とおぼしき施設の屋外グランドでは子どもとおぼしき人影が
サッカーをしている様子が見えていたと言うことです。
折から米韓合同軍事演習が行われており、
それに対して北朝鮮側から、「攻勢」宣言も出されていた中ということで、
やや緊張しながらの視察見学でありました。
ちょうど、そうした動きの中で北朝鮮との緊張を伝える
韓国報道メディアのレポーター画像の撮影も行われていました。

あと2日間の視察見学日程ですが、
わたしたちとしても、緊張感は持っていなければと思います。
冷戦崩壊以降も、朝鮮半島では
このような南北分断が固定化されてきた。
若い年代では、すでにこうした分断が生まれる前からの現実。
統一されることのリスクの方が、こうした世代には強く受け止められている、
というような状況だそうです。
しかしエトランゼのわれわれから見ると、
ドイツのような成功例もあるのではないかと思われるワケで、
半島社会がもっと幸せな環境になることを祈念したいと思います。
Posted on 3月 9th, 2016 by 三木 奎吾
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既報の通り、昨日札幌千歳空港を出発して
韓国建築事情視察の旅に出ております。
一行は北海道の高断熱高気密住宅を建て続けているみなさん。
現代と歴史年代の韓国建築、住宅文化をさぐり、
DNA的なものを感受しながら、日本の住宅にもインスピレーションを得たい、
というコンセプトでの企画であります。
韓国という国は、あまりにも近い国で、
また人間のDNAとしても、文化伝統としても、
ほとんど違いを感じない国。
実際に大韓航空便で大勢の韓国の人や中国の人と同行しても
どうも「違う国に行く」という実感を得られない。
千歳空港からのフライトも、3時間弱なので、
沖縄那覇に行くよりもはるかに近い。
ただし入国手続きは1時間近くかかってしまい、外国と実感するけれど(笑)。
しかし、東アジア圏は韓国や台湾、中国の経済発展のおかげで
広域的な人の交流が大変活発化していることを知らされますね。
やっぱりヨーロッパのように、イギリス・フランス・ドイツという
主要3カ国とほぼ似たような関係を念頭に置きながら、
考えていくべきなのだと思います。
ドメスティック産業である住宅建築の世界でも、
日本だけのサイズではなく、拡張したエリア感を持って
これからの時代は進んでいかなければならない。
さてきのうは、入国に時間がかかったものの、
そこから、ホテルチェックイン後、第1目的建築、
ザハ・ハディド DDP ソウル東大門を訪れることが出来ました。
2014年3月21日にソウルにオープンした
大型展示・商業施設「東大門デザインプラザ(DDP)」です。
この施設建築は、李氏朝鮮の王宮建築のひとつである
「東大門」地域に建てられている。以下Wikipedia抜粋。
東大門は興仁之門とも言われる国宝建築。
1396年(太祖5年)に初めて建てられ、1453年(端宗 元年)と
1869年(高宗6年)に修繕されている。王宮の出入り口である四大門の名前は
儒学の徳目である“仁義礼智信”から取ったが、
これにより東西南北の四大門は興仁之門、敦義門、崇礼門、粛靖門
(智の代わりに靖を使った)となった。なお、他の四大門の名前が
3字であるのに対し、興仁之門だけが4字となったが、
これは風水地理によると、ソウルの東の地気が弱いため、
その気を高めるため4字にしたとされる。
・・・という場所に建てられているのですが、
どっからどうみても、不時着した宇宙船という景観。
ここを見るにはやはり夜だろうと思った通り、
ときどき呼吸するかのように照明が点滅してくれて、異次元的美しさ。
日本の国立競技場建築がそうであったように、
「アンビルド」建築家らしく、当初の87億円の工費が
最終的には468億円まで膨らんでしまって、ごうごうたる非難だったとか。
傍目で見ても、アルミパネル4万5133枚の形状は、
相当に1枚1枚に違いがあるように見えました。
その施工に当たっては、気が遠くなるような厳密性が必要になるかも知れません。
エトランゼとしてのわれわれとしては、気楽に楽しめるわけですが、
周辺閑居や歴史性との調和とか、
今後、「愛されていく」のかどうかは、韓国のみなさんのテーマでしょうね。
遙かな後年、ザハ・ハディド建築を建てなかった日本と
なんとか建てた韓国で、どんな違いがあるのかないのか、
ちょっと興味深いテーマかも知れません。
Posted on 3月 8th, 2016 by 三木 奎吾
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きのうの投稿にはたくさんの貴重なご意見が寄せられました。
そのなかでもキワだったご意見がありました。
わたしのようなユーザー目線的には、「住環境」として、
住宅と植栽は一体性の高いものとして理解しています。
日本の住宅文化伝統からして、庭あるいは、外部の緑を景観として
住生活にうるおい、あるいは不可欠な美観要素として取り込むのは、
きわめて自然な営為だと思われるのですが、
現在の行政体制では、住宅建築と公的植栽管理はまったく別の部署であり、
いわゆる「縦割り」行政の結果、
住宅復興には予算が付くけれど、植栽には一切付かないのですね。
どうもこういった部分、都市や人間環境にとって植栽が果たしている役割理解、
有用性認識では、江戸幕府までの政権の方がまともだったかも。
江戸幕府創設時、家康は政権掌握後すぐに
江戸ー上方間の情報伝達円滑化のためもあって、
東海道にマツを植栽せよと政令を発したとされているし、
さらに江戸の都市造りに於いて、各大名屋敷に庭園造営させた。
それが時代が下って、庶民にも鑑賞が許されるようになって
独自の江戸文化が花開いたとされている。
そういった権力の植栽への態度・姿勢は、いまの日本社会の基底に存在し
ある大きな魅力を創り出していると思います。
今回の東日本大震災のような全的被災後の「復興」で、
失われた「文化」が、全的には復興されないという現実は、悲しい。
現在の憲法その他の法体系、社会システムとしての行政組織の
基本的欠陥を見る思いがします。
さて、そういった縦割り行政のなかでの「復興」建築ですが、
現場ごとに、いろいろな取り組みを行って良き事例を実現させているのも事実。
この写真の七ヶ浜の災害公営住宅建築(設計:松本純一郎)では
画一的なコンクリートマンションとは一目で違う建築が出来た。
敷地の高低差に対して、すなおに建物を寄り添わせるような配置計画。
結果として、各駐車場からそれぞれフロアレベルに
階段やエレベーターを利用せずにアクセス出来る環境が実現していた。
さらに、各住戸は微妙に角度が付けられていて配置されていて、
お互いの視線が正対にならないように結果として出来ていた。
視線がややズレていくように仕掛けられていて、
その印象がまことにやわらかい人間環境と理解出来た。
すこしズレているけれど、お互いの存在への気付きはあるという配置計画。
きのうご紹介した災害公営住宅とは、出来映えがまったく違っていて、
きわめて好印象を抱かせられました。
さまざまな桎梏・困難はあるけれど、そこを突破する手法を
つねに現場的に知恵を絞り,工夫を働かせることで、
人間のために、より人間的な環境に近づけるような営為、
建築の良き面を見せてくれたように思いました。
さて本日から既報のように、韓国ツアーであります。
総勢9人でのツアーですが、現代建築・王宮建築・都市建築
伝統的住居、村落建築群などなど、
近くて遠い国を、真っ新な目でウォッチしてきたいと思います。
基本的にインターネット環境は整っていると聞いていますので
毎日更新は問題なく続けられると思います。
あすからも拙ブログに、訪問くださいますようにお願いします。
Posted on 3月 7th, 2016 by 三木 奎吾
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被災地での住宅復興建築では、多くの場合、
「地域のコミュニケーションを重視した設計」が要望される。
それまでの地域コミュニティを喪失したくない、という希望であって
まったくよくわかるテーマだと思います。
しかし、そこから先、実際にさまざまな制限制約の中で、
まったく違う立地環境、また、ひとりひとりの希望要件を
聞く術もない中で、「どう作るのか」は困難が伴ってくると思います。
そういった難しいテーマに建築者は立ち向かって行かなければならない。
そういうなかで、この災害公営住宅では
1 リビングアクセスの採用
2 2面開口のLDK
3 水回りの集約配置
4 個室(和室)を、LDKと縁側バルコニーに隣接配置。
5 プライバシーや日射をコントロールする工夫
6 (将来的に)LDKの一部が区切られるように工夫
というような設計手法を取り入れながら、
住人たちのコミュニケーションを促進する装置として、
各住戸が対面する中庭空間をバッファーゾーンとして採用し、
それをコミュニケーションの媒体にしようという考えでつくられていた。
そのために各住戸からお互いの生活ぶりが対面的に
「伝わってくる」ような正対配置になっている。
いやおうなく、コミュニケーションが交わされるような装置であると。
そして中庭にはその役割を担わされたベンチが各所に据えられている。
中庭には、芝生が植え込まれているけれど、
そこに木陰をつくってくれる植栽も、そのかけらもなかった。
・・・う〜ん、と唸らざるを得ない。
はたしてそうなんだろうか。
住民ヒアリングというような機会があったのか、
そこで過去の生活の中でどのような生活コミュニケーションが存在し、
どのような対話が成立していたのか、という住み手と設計者の
相互理解が存在したのかどうか、知るすべもない。
なので軽々には言えないけれど、一律に多くの住戸で画一的に
住戸を配置させた集合住宅の様子からは、そう伝わっては来ない。
どうも正対した相互関係性って、なかなか難しいのではないか。
わたしたちの普通の生活でも、普段の話って
まっすぐ正対して見つめ合いながらしているだろうか?
一般的には、やや並行的であったり、45度から60度くらいに
やや安心できる「角度」をもって相対しているのではないだろうか?
さらに、こういったコミュニケーションの仕掛けとして日本住宅では、
各戸の応接の簡易拡張であり、庭仕事の作業空間でもあった
「縁側」の方が、むしろ伝統的には相当なのではないか。
縁側は、外部とも内部ともいえない中間領域であり
そこでは、茶による軽い接待が日常的に交わされる生活文化習慣を
わたしたちは持っている。
陽射しを遮る仕掛けもなく、中庭にさみしげであったベンチを眺めながら、
ややモヤモヤ感をぬぐいきれなかった次第です。
こんなわたしのモヤモヤ感が、豊かな隣人間コミュニケーションの成立で
きれいに一掃されることを期待し、念じて止みません。
Posted on 3月 6th, 2016 by 三木 奎吾
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日本人で家に求めるもので常に上位に来る欲求に
「あかるい家」というイメージがあります。
そのコトバを聞く度にわたしなどは、いつも違和感を持っています。
「それって、明度としての明るさのことなのでしょうか?」
っていうように確認したくなる。
このことと、日本の「照明」が基本的に均質な照度・明度である
「蛍光灯全照明」であることと、連関しているのでしょうか?
たぶん、わたしたちの潜在意識判断が、
この上の写真のような「古民家」の生活記憶から出自しているので、
伝統的に大屋根の建築であることから来る開口部の少なさが
まるで民族的な刷り込みのようになって、
こんな強い欲求になっているだろうことは容易にわかる。
そうした無意識的な欲求の表出が、言霊ともなって、
どんどんと開口部の拡大に跛行的に意識集中してきたのではないか。
さらにそこに家族関係もふくめた「明るさ」という言霊も加わり、
で、いまはミニマリズムの拡大もあって、
思いも寄らないほどに白っぽい空間に向かってしまっているのではないか。
最近のハウスメーカーの大量生産される住空間は、
新建材のもたらす「ツルッとした」質感と、白っぽさが特徴的でもある。
たぶん、大手メーカーは「売りやすい」空間として
無意識的なユーザー迎合を繰り返した結果、
こういう空間性にたどりついているのだろうと推測します。
ただ、そうした白い空間でも、微妙な陰影感の世界への
無意識的な耽美傾向も徐々に出てきているように思います。
写真を対比的に掲載してみました。
上は白川郷の古民家で、下は札幌の五十嵐淳さんのMSリノベ。
わたしには、この両方に通底するような「陰影感」への興味が湧きます。
結局、明るさを求めていっても、
それが一般化してしまうと、その平板さにへきえきしてくる。
脳みそのシワが伸びきってしまうような、そういう無味乾燥感がたまらなくなる。
そこで、あかるい空間での微妙な陰影を楽しみたくなる心理が育つ。
そういう心理の揺れ動きに敏感な設計者が、
この微妙な心理をえぐり出して、表現として高めようともする。
どうも、そんな風に思われてならない。
で、そういう心理こそが、日本人的なるもののある面を
明瞭に表しているように思えてきております。
いかがでしょうか?
Posted on 3月 5th, 2016 by 三木 奎吾
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わたしの日常業務の中で、結構な分量・領域であることに
仕事のためのマシンを管理するというワークがあります。
出版の仕事では必然的にDTPというパソコン上での仕事のワークフローが
一般化しているからであります。
もうかれこれ20年にもなりますが、
ずっと毎日のように、Mac管理の仕事がついてまわる。
スタッフが使っているMacについて、管理業務が不可欠なのです。
で、きのうはあるマシンがブラックアウト状態に。
「電気のコードを接続しないで起動ボタンを押したらジャーン
・・・プチ・・・真っ暗」という状態に。
わたしもチェックして見て、当初は「こりゃ、むむむ」という次第でありました。
しかしまぁ、考えてみると、
各企業みなさんとも、どちらでもこういったトラブル対応、
さまざまに成されていると思いますが、
こういう「技術」の承継というようなこともこれから考えなければならない。
中小零細企業にとっては、なかなかにハードルは高い。
これまでの社会で言えば、工場生産ライン管理とも似通った部分。
さまざまな部品とか、パーツについて的確に管理して
万一のことが起こりにくいメンテナンスを心がけなければならないのですね。
まぁいちばんいいのは、各人に自覚的にマシンのメンテナンスを
心がけてもらって、スタッフ相互で共助し合うというのが理想型。
そのためには日々、情報をこまめに交換する必要がある。
まぁ、工場ラインで油を欠かさずにしておくというのと同じかも。
で、件のMacについて、ここで長年の経験から、あることを思い出した。
それは、同型のMacBookでの、バッテリー不具合。
その悪夢のような記憶が甦ってくれた(笑)。
なにをやっても、ウンともスンともいわなくなる症状が、
どうも、そのときの症状と近似しているのであります。
で、さっそくバッテリーを取り外して、電源だけにして立ち上げたところ、
元気よく、ジャーンからの一連の動作が復活してきた。
このマシンは、外に持ち出すこともないデスクトップ使用なので
バッテリーがなくなっても、とくに問題なし。
そういえば、「電気のコードを接続しないで」という状況は
そういった疑いを持たせる伏線ともいえるワケですね。
おお、と我ながらの神対応に、ややうっとり(笑)。
ってまぁ、たまたま、思い出しただけなんですが、
こういうのが、「経験のカン」って言うことになるのでしょう。
得がたい「痛い目」の教訓が生きた次第であります。
まぁ、とりあえず、一件落着、めでたしめでたし。
Posted on 3月 4th, 2016 by 三木 奎吾
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先日の「復興建築ツアー」の途中で、お昼を石巻でとなったので、
その自由時間に、今回の震災ではじめてその存在を知った
石ノ森マンガ館、いや、石ノ森萬画館に見学に行ってきました。
石巻を代表するスポットとして著名だったそうですが、
その昔のマンガ少年でありながら、こういった施設があることを知らなかった。
で、震災後、その被災の状況と復活に向けての歩みが
ある種、シンボリックに語られるようになって、
遅まきながら、一度は訪問してみたいと思っていた次第。
そういった震災の被災状況、復活状況は場内でもパネル展示で
開示されていましたので、多くのみなさんの興味が集まっていたようです。
周辺の石巻中心街区は、いまだ復興の明確な方向性は見えていないように
見学者としては、感じられました。
これは多くの被災地域がそうであったように、
そもそも震災前からシャッター街化が進行していたので
「再生」させる方向性の探究は、きわめて難しいテーマだと思われます。
実際、中心商店街のアーケードも津波被害の状況のままに放置されていて、
「今後、どうするか」というテーマが見出しにくかった。
で、それとは別に、
その昔の少年の頃、石ノ森章太郎さんは、
手塚マンガに続こうとした第1世代のマンガ少年たちの中心的存在だった。
赤塚不二夫や、藤子不二雄といった、地方からの上京少年たちが
トキワ荘という木造アパートに集結して、
盛んにマンガ文化の成長発展期を形成していた。
そういった様子に、そこからさらに後続していたわたしたちの年代が
はるかに地方から、そうした様子をまぶしく見ていた。
友人たちの中には、そのマンガ文化に身を投ずるものも出たりしていた。
そんなわけで、石森章太郎さんは、わたしにはごく身近な存在であるのです。

当時、「ガロ」と並んでマンガ少年たちの憧れであった、
「COM」というマンガ雑誌に掲載された、石森さんの
「龍神沼」の原画が、回遊動線の通路に展示されていた。
その白紙にインクで彩られた世界から、十代の少年期そのものが
赤々と、フットライトに浮かび上がってくるように感じられた。
なんとも、気恥ずかしいような思いに打たれる。
お昼時に来たので、時間もあんまりない。
それにこういう生々しい少年期の記憶をえぐられるような時間は
ちょっと重たすぎることもあって、早々にランチを摂ることにした。
そうしたら石森さんがトキワ荘で食べていたランチ、というメニューがあった。

やっぱりかよと、そのほろ苦さにまたやられる(笑)。
チキンラーメンとライスという定番メニューであります。
そのあまりの偏った栄養バランス食にへきえきしながら、
さらに麺のあまりの固さにも辛さを味わわせて貰いながら、
苦い少年期の追想に、どっぷりとハマらせていただきました(笑)。
今度また来るよ、あばよ、であります。
Posted on 3月 3rd, 2016 by 三木 奎吾
Filed under: 住宅取材&ウラ話 | No Comments »