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黒と白 陰影がもたらす日本人的情念

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日本人で家に求めるもので常に上位に来る欲求に
「あかるい家」というイメージがあります。
そのコトバを聞く度にわたしなどは、いつも違和感を持っています。
「それって、明度としての明るさのことなのでしょうか?」
っていうように確認したくなる。
このことと、日本の「照明」が基本的に均質な照度・明度である
「蛍光灯全照明」であることと、連関しているのでしょうか?

たぶん、わたしたちの潜在意識判断が、
この上の写真のような「古民家」の生活記憶から出自しているので、
伝統的に大屋根の建築であることから来る開口部の少なさが
まるで民族的な刷り込みのようになって、
こんな強い欲求になっているだろうことは容易にわかる。
そうした無意識的な欲求の表出が、言霊ともなって、
どんどんと開口部の拡大に跛行的に意識集中してきたのではないか。
さらにそこに家族関係もふくめた「明るさ」という言霊も加わり、
で、いまはミニマリズムの拡大もあって、
思いも寄らないほどに白っぽい空間に向かってしまっているのではないか。
最近のハウスメーカーの大量生産される住空間は、
新建材のもたらす「ツルッとした」質感と、白っぽさが特徴的でもある。
たぶん、大手メーカーは「売りやすい」空間として
無意識的なユーザー迎合を繰り返した結果、
こういう空間性にたどりついているのだろうと推測します。
ただ、そうした白い空間でも、微妙な陰影感の世界への
無意識的な耽美傾向も徐々に出てきているように思います。
写真を対比的に掲載してみました。
上は白川郷の古民家で、下は札幌の五十嵐淳さんのMSリノベ。
わたしには、この両方に通底するような「陰影感」への興味が湧きます。
結局、明るさを求めていっても、
それが一般化してしまうと、その平板さにへきえきしてくる。
脳みそのシワが伸びきってしまうような、そういう無味乾燥感がたまらなくなる。
そこで、あかるい空間での微妙な陰影を楽しみたくなる心理が育つ。
そういう心理の揺れ動きに敏感な設計者が、
この微妙な心理をえぐり出して、表現として高めようともする。
どうも、そんな風に思われてならない。
で、そういう心理こそが、日本人的なるもののある面を
明瞭に表しているように思えてきております。
いかがでしょうか?

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