
わたしよく考えるのですが、
日本って、こんなに医療を発展させたのに、
そのメリットについて一体どう考えてきたのでしょうか?
国を挙げて世界に冠たる健康保険制度を作り、社会的生産性も高め、
いわば「生きやすい」国、制度を作ってきたのに、
どうもただひとつだけ、「その目的」について、
きちんとしたコンセンサスを作ってきていない。
長く生きることは、一般的には素晴らしいと思われるけれど、
その永らえた命を「どう使ったらいいのか」については、
あんまり深い社会的論議がなかったんではないか。
そんなことを考えていて、ふと目にしたのがこのデータであります。
内閣府が2013年に調査したものだそうで、
調査対象は全国の60歳以上の高齢者男女で、質問は
「あなたは何才頃まで仕事をしたいですか? 年代で選択してください}
というものであります。
で、一位が「働けるうちはいつまでも」というもので、近接して
「70歳くらいまで」というのが続いている。
まぁ、「働けるうちはいつまでも」というのには、どんな意味があるか、
といった深読みも必要でしょうが、常識的には
きわめて健康的な考え方と思われた次第であります。
そもそも、人間は生まれて成長し、教育を受けて
生きるため、社会のために働きたいと思って仕事・職業を選択する。
なんどか、その選択をチェンジすることもあるけれど、
やがて落ち着いてじっくりと職業的専門領域を選び、生涯の仕事とする。
そういう意味では多かれ少なかれ「生きる意味」なるものを
職業選択というかたちで、明確に「人生の意味」として明確化している。
人間は、だれかのためになることが一番のシアワセ。
そういう「哲学的テーマ」も、ひとは仕事を通して解決していると思う。
そういったひとの生きるシアワセにとって、
医療というのは、マルクスが言うように「労働力商品の再生産工場」。
目的はあくまでも、「働ける」ということに最大目的があるように思う。
このデータ指標を見ていて、いまの社会と人間のズレは、
こういう素朴な声がきちんと反映されていないことにあるのではと、
そんな思いがしておりました。
さて、そんなことを考えていたら、
そろそろプロ野球ではシーズン後の動きも垣間見えてきた。
先日、わが北海道日本ハムファイターズの「育成戦略」に触れましたが、
金満チームはFAに触手を伸ばしている様子。
【札束攻勢の巨人阪神と大違い 日ハム「主力売ります」戦略
〜日刊ゲンダイDIGITAL】という記事。
日ハムは冷徹なコスパ把握で総コスト圧縮を生き残り戦略としていますが、
巨人・阪神はとにかく目先に目を奪われている、という報道。
なにやら、労働の意味・価値感とも似通った部分を感じていました。
企業生き残りと働く環境整備の戦略、なかなか奥が深いものがある・・・。
Posted on 9月 25th, 2016 by 三木 奎吾
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写真は青森県八戸市近郊、福地での朝の田の様子。
前日、夜になってようやく宿泊先にたどりついたので、周辺がどんな景色か
まったく気付かないまま、目覚めた朝、カーテンを開いて
一望に広がった実りの季節直前の稲の光景です。
宿泊した施設は山の裾の里山に位置していて、
平面的な空間はほとんどがこうした稲の海になっている。
ふだんはなにげなく見る景色でしょうが、
印象のあざやかな朝、こんなふうに見せられたら、
おお、と声を上げて魅入ってしまった。
この列島に人間が住み着いて13,000年余りと言われる。
定住が始まったのは石器時代末期にすでに兆候はあったのでしょう。
最近の沖縄での遺跡発掘で、洞窟住居の様子も発見されているけれど、
まぁ常識的には縄文の世が13,000年以前にはじまり、
その後、西日本から次第に米作がこの列島に広まった。
たぶん、2,000年程度の米作文化の積層はあるのでしょう。
個体としての人間個人としては、たぶん、こうした光景は
一生のうちで40〜50回程度体験するくらいだったのでしょうが、
計量すれば、大きくは100世代くらいは経験積層してきている。
民族としては、2000回くらいは体験してきている。
それくらいの積層になると、DNA的な感情レベルでもなにかの呼び声に
変容してこころに訴えかけてくるものがあるのでしょうか?
わたしは北海道ネイティブの人間です。
個体としての視覚経験知、もしくは体験値としてはこういう稲田への
格別の刷り込みはないはずなのですが、
でも3歳まではこういった田園環境の中に生きていた。
そういう部分が反応を見せるのか、やはり強く郷愁に似た気分に落ちる。
1石という単位は、1年間にひとりの人間が必要とする量だという。
この社会ではすべての価値の源泉として、
貨幣としてすら機能してきた。
それにしてもこの美しさには圧倒される。
米を食べ続けてきたこの列島の人間にとって、
この光景は、いのちそのものにも通じる切迫感をともなってくる。
ふと、そんなあれこれに思いが至っていた光景でした。
Posted on 9月 24th, 2016 by 三木 奎吾
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全国のプロ野球ファンのみなさん、
わが北海道日本ハムファイターズ、パリーグ天王山2連戦に連勝しました。
まことに感激であります。
2日間、熱戦の模様を堪能させてもらいましたが、
非常にレベルの高い野球で、まことにしびれておりました。
最後は、追うものと追われるものの心理的違いが
勝敗を分けたのではないかと思いました。
福岡ソフトバンクホークスの強さ、怖さもまた目に焼き付いた。
今シーズンは、開幕早々から快調に白星を積み重ねるソフトバンクに対して
他球団はほぼ全面降伏の状態が続いておりました。
一時は10ゲーム以上の大差をつけられていて、
今シーズンもソフトバンクの独走で終わると、誰もが思っていた。
わたしどもも、半ば以上は諦めていたのですが、
しかし、日ハム指揮官の栗山監督、そして連日悪戦苦闘を重ねてきた
選手のみなさんは、まったく諦めなかった。
ペナントレース最終盤での2連戦まで、まったく互角の併走。
そして相まみえた2連戦。
こちらも大谷君を立てて必勝をめざした第1戦。
大谷君が8回まで1失点に抑える力投の上、打者でも活躍。
その意気に応えるようなレアード選手の乾坤のツーラン本塁打。
そしてさらにドラマは9回裏の守備に潜んでいた。
絶体絶命の走者2人を置いてのSB江川選手の中堅後方への大飛球。
打った瞬間にソフトバンク側は逆転サヨナラを確信したことでしょう。
万事休すと思われた矢先「一回、目を切った」と証言したセンター・陽選手が
前進守備位置から快走して、再度打球を視線に捉えてスーパーキャッチ。
こっちにしてみると、まさに地獄から天国への生還の一瞬でありました。
勝負はここまで非情に勝敗を分けるものなのですね。
野球は全員が戦って行われるスポーツ。
投げるだけ、打つだけではなく、守り切るということも巨大ファクター。
陽選手の「攻撃的守備」は、そのことを再度あざやかに魅せてくれた。
まことに現代プロ野球でも特筆もののビッグプレー。
あの場面、外野手の基本である「打球から目を離さない」を
イチかバチかで、一回かなぐり捨てたのでしょう。
それではフェンス直前までの時間距離計算から間に合わないと判断した。
しかし一方で、一目でそこまで判断した上でなお、
動物的カンで落下位置を想定し、そこまでの最短距離を走ったとも言える。
パリーグ野球がセリーグに優越するかのような状況ですが、
そのひとつの要因として、球場の広さの違いが良く指摘される。
この陽選手の守備のビッグプレーは、そういう優勢を端的に見せた。
このプレーの余韻の残るきのうの第2戦でも、
ソフトバンク側に「ツキがない」という負の心理が働いていたように思う。
そして双方とも4番打者の不振が目立ったけれど、
もっとも効果的な場面で中田選手の1発が炸裂して試合が決した。
本当に高いレベルの野球を見せてくれたソフトバンクにも深く感謝したい。
つねに目標となるプレーを戦ってきてくれたかれらは素晴らしい。
天王山を制したとはいえ、しかしこれからも劇的なたたかいは続く。
たぶん、最後の最後まで歴史に残るようなペナントの戦いは続くでしょう。
大いに期待しながら、応援していきます。
ありがとう、福岡ソフトバンクホークス。
がんばれ、北海道日本ハムファイターズ!
Posted on 9月 23rd, 2016 by 三木 奎吾
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Replan北海道 VOL.114
2016年9月28日発売・2016年秋冬号・A4版
本体価格463円(税込:500円)
〜編集長・わたしのあいさつ文より〜
<緑化率>
本州地域のある工務店経営者から、自社の完成住宅はかならず
WEBでアップする、必ず写真を取って掲載すると聞いた。
で、その写真撮影でもっとも心がけるのは「緑化率」だという。
一般的に緑化率とは都市の面積に占める公園・緑地などの
比率を指している。しかしどうもコトバのニュアンスが違う。
「要するに暮らしの舞台背景として、どれだけ豊かに緑が存在するか」
によってその家の印象が大きく変わり、そのことで
会社のポリシーがユーザーに「伝わる」のだという。
そこから逆算して、家の設計プランが起こされているのだと。
マーケティング論的なアプローチと感じられるかもしれないけれど、
聞いていて、それは「暮らしをデザインする」ことだと感じました。
毎日暮らし始めてみれば、その土地・場所の空気感や時の移ろいを
感受させるのは、自然がさまざまに発信してくるリズム。
緑にはそういう暮らしの背景としての大きな力がある。そう感じ取った次第。
もちろん北海道では同時に緑のない半年の時間がある。
北国の爽やかな緑、自然のリズム感を暮らしに大いに活かしながら
その調和をどう考えるのか。Replanとしてみなさんといっしょに
考えてみたいと企画しました。
〜という「巻頭企画」アプローチ意図であります。
戸建て住宅がマンションなどの集合住宅と違う一番のポイントにも
この視点は重なっていると思います。
【特集】都市で緑と暮らす。
Case.01「コニワノイエ」 中庭✕変形敷地
Case.02「森の家」 自然林✕中古住宅
Case.03「共存する家」 窓景✕緑地造成
Case.04「ミズ・ノイエ」 室内緑化✕狭小敷地
●その他のContents
・十勝で建てるなら、ココ! 2016
・連載 いごこちの科学 NEXTハウス7 <東京大学准教授・前 真之>
・連載 Q1.0住宅デザイン論〈新住協 代表理事・鎌田 紀彦〉
・暮らし豊かに。Re・home
・大好評/新築ルポ〜住まいのカタチ〜
・北の建築家 「呼人の家」堀尾浩 「美瑛の家」川原道崇
WEBからのReplan北海道のお買い求めは こちら からどうぞ。
「いい住宅」という中身が、
読み進めるうちに「つたわってくる」雑誌です。
Posted on 9月 22nd, 2016 by 三木 奎吾
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今週はあしたがまた休日という変則週間。どうもペースがつかめません。
きのうはおかげさまで、クリをお裾分けし終えた。
右親指も順調に回復しております。
本日のブログは建築散歩。
十和田市は、明治以降に本格的に街が開かれた人口的な都市。
札幌にも似た計画都市の様相を見せている。以下、Wikipediaの記述。
もともと十和田市のあたりは三本木原と呼ばれる荒蕪の台地で、
台地周辺に寒村が点在していた。安政2年(1855年)の時に
新渡戸稲造の祖父の新渡戸傳(にとべつとう)を中心に
奥入瀬川から水を引く計画に着手し、安政6年(1859年)
稲生川(いなおいがわ)として引水に成功して開拓の基礎ができた。
明治18年に陸軍が軍馬局出張所を設置したことから、馬産が栄えた。
いま、市中心部にはサクラの並木が整備され、整然とした区画ぶり。
そして中心部でも最近、たくさんの公共的建築が建てられ続けている。
先般お伝えしたように、安藤忠雄さんの設計の図書館とか、西沢立衛の
美術館などのデザイン建築が特異的に建てられ続けている。
どうも聞いていても、目的的なのかどうか判然としないけれど、
注目度を高めるという意味では、やはり面白い動き。
そんななかに、オリンピック・国立競技場設計の隈研吾建築も生まれた。

わたしはなぜか、隈研吾さんの建築に触れる機会が増えている。
十勝・大樹町の「メムメドウス」からすっかりついている。
で、外装などに使われる傾向が強い木質ルーバーを見ると反応する。
ここで使われているのは青森地元県産材の間伐材なのだそうです。
薄くシャープに見せている屋根の軒先ですが、
経年的にどのようになっていくか、
また、切妻の連続する屋根の雨水の納まりなど、
確認したいことが多い建物のように思われました。
内部では、一番下の写真の子どもたちのためのプレイルームが面白い。
まるで、三笠プロジェクトで見慣れた現代アートの川俣正作品も彷彿とさせる。
たぶん、合板を積層させて人工的な「自然」造形を試みたのでしょうが、
ここで子どもたちがどんなふうに遊んでいるのか、
ちょっと確認してみたくなりました。
Posted on 9月 21st, 2016 by 三木 奎吾
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八戸にはクルマで行くことが多いので、
つい足を伸ばしたくなるのが「八食センター」です。
水産食品を中心にした市場と、食堂など店舗が市場を形成している。
観光客も来るけれど、主体は地元のみなさんのようです。
一番上の写真のように、元気の良い近海のサメまでもが歓迎してくれている(笑)。
「さわっても良いよ」とまで書かれていました。
どうにもこういった雰囲気が大好きであります。
下の写真は広告ポスターですが、
ちょっとアナーキーな雰囲気も醸し出していて、
いかにも食品市場らしい自由さが強く感じられますね。
こういう「祭り」感覚は、無条件にひとの心理的開放感を呼ぶ。
こういった「人を呼ぶ雰囲気」というのが、「市」成立の原点なのだと知れる。
古民家とか歴史行脚とかしていて、
最近、こういった「市」というものの原初的な成立とかといったことに
興味が深まってきています。
きのうのブログでは、木を利用する根源的な手段の成立を
考えていたのですが、そのようにして生産された有用物が、
どのように「交易」されたのか、ということにも自ずと興味が強まります。
さまざまな有用性への人間の努力が積層して、
小さなコミュニティ範囲を超えるような「需要と供給」の事態が発生し、
それを小さな社会同士で「交易」させるということは、
相当古層からの人類の普遍的活動であったということですね。
おおむね人類生存は、河川交通や海上交通の利便を考えた船利用可能地が優勢。
コミュニティ同士の「境界」もまた、そういった地域に生起した。
そこに「市」が開かれて社会相互のモノの交換、交易が成立した。
いわゆる海の幸、山の幸というものの交換。
たぶん、建築も初源的な環境共生型の定住住居の段階から、
交易という段階に至って、複層化していったのでしょうね。
自然との協調が基本の「生産活動拠点」から、市的な「交易活動」重視へ。
さらには、交易活動の安寧を保証する安全保障の必要性へ。
たぶん建築は、交易の「人を驚かす」要素や安全保障のために
「服させる」装置的威圧へと発展していったのでしょうね。
おっと、また夢想方向に向かってしまう。
実はこの八食センターでとんでもない買い物をして困っている(笑)。
この時期なので栗が安く販売されていて、
それをパカッと割って食べるイメージが膨らんでしまって、買い込んでしまった。
買ってから、あれは天津甘栗であって日本の栗はパカッとならない。
そういった基礎的な知識もなかったのであります。
「クックパッド」を見れば「簡単な栗のむき方」があるだろうと、安易に考えてしまった。
どのページを見まくっても、鬼皮と渋皮を剥くのがいかに大変か、
きのう1日、この栗との格闘に明け暮れていました(泣)。
さてどうしたものかなぁ・・・。
Posted on 9月 20th, 2016 by 三木 奎吾
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八戸にある「是川縄文館」を再見。
人類も経験を積み重ね文明を創造してきて、
その進化記憶を遺すものとして、文字を作り記録を残す段階から
より体験的で直接的な映像記録、復元などが豊富に表現されてきている。
わたしが生きている時代時間だけを考えてみても、
単に文字記録・図示だけだったものから、より具体的な写真や復元として
強いメッセージ力で迫ってくるようになった変化のプロセスを体験している。
きっと現代は、そうした人類知が急速に普遍化してきた時代なのでしょう。
公共的博物的展示施設の増大のなかで、
人類知展示そのものについての進化発展も図られてきているのでしょう。
木を切って、それを加工して有用な利用をする、
という営為を人類はいつから、どのように始めたのか、
建築の材料としては、ヨーロッパ世界や中国では石造の方が
より普遍性進化方向だったかもというなかで、この列島社会では、
三内丸山とかの縄文の世から木造技術に大きく興味が集中していった。
写真はそういう原初についての基礎知識を教えてくれているもの。
下の写真のような特殊な形状を見せていた自然木に着目し、
その端部に、鋭利な石器を嵌め込んで「斧」を作り出していた。
こうした人類知は、狩猟生活の中で食料としての動物種を獲得するための
基本的道具の知見が技術基盤を提供したのだろう。
斧の形状のような木は、枝木の形などを丹念に正視し続けて、
その形状を応用するという知恵が湧いてきたのだろう。
もちろん、斧にふさわしい固い樹種を選択する知恵も同時に深まった。
現代では樹種認識仕分けは前時代までに比べてむしろ退行していて、
数種類にしか分類されていないそうですが、
木質資源の多様性・有用性への知見が深かった前時代までは、
こうした樹種への感受性は比較しようもなく高いレベルだったといわれる。
特定樹種の特定部位が、特定作業道具としてもっとも有用性が高いという
まことに知的な認識体系は、現代人には及ぶべきも無いのだと。
その斧状の木に鋭利な石を付加して、それをつる性植物繊維加工物・ひもで
くるくると巻き絞って有用性の高い道具に加工してある。
ここまでに知恵が至るのに、どれくらいの人類の世代積層があったのか、
その深遠さに思いを致すとき、先人の叡智に深く感動させられる。
木と石は、人類が自然から発見した最適な普遍的な素材だったのでしょう。
縄文の時代には、基本的生存・食料獲得のための消費時間は4時間とされ、
残余の時間に、こういった人間的生産活動も行われてきた。
やがて社会の規模が拡大して分業が明確になっていくのだけれど、
縄文の世ではそこまで分業的にはなっていなかったとされる。
しかしそういう時代でも、こういった人類知は明瞭にかたちを成していた。
いま、木造建築・住宅の情報伝達の仕事に関わっていて、
静かにリスペクトの気持ちがわき上がってきていた次第です。
Posted on 9月 19th, 2016 by 三木 奎吾
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歴史が面白いと思う人間とそうでない人間と2種類あるようですね。
歴史好き側からすると、へぇそうなんだとビックリする。
わたしは6人兄弟ですが、2番目の兄は歴史好きというか、
自分のルーツ探しに興味を強く持っているけれど、
他の兄姉たちは、まぁ話に付き合っているという感じ。
こういうのは人間の気質の問題であるのかも知れませんね。
先日の大阪の図書館からの調査結果のお知らせを受けて
やや頓挫の感のあるルーツ探索ですが、
きのうも司馬遼太郎さんの「街道をゆく」神戸編を読んでいて
ふと「紀州人がやることといえば、木材で身を立てることを考えるくらい」
というような内容の記述に目が点になるほどに反応していた(笑)。
そういえば、わが家は紀州から流れていった先は広島県東広島市河内町入野。
いまでは高速道路・山陽道「河内」ICにほど近いのですが、
行ってみたら、山地が迫っている谷川の流域といった地域。
入植後間もなくして、この地域での「庄屋」になったり、
兄弟から医師になった人物も出たりしている。
江戸期の経済は大きくは、都市の町衆・商人と地域の経綸家・庄屋たちが
経済にはあまり強い興味を持たない武家官僚機構と対話しながら
「運営」されてきた時代だと思います。そういうなかでわが家系の動きは
単なる関ヶ原前後の「落ち武者」一族的な動静とは言えない。
一定の経済的な基盤が存在していたことをうかがわせる事実がある。
山間の土地に入植したのは、材木・造材など森林業を
目当てと考え、それである程度の成功を収めたのかも知れない。
司馬さんの神戸についての記述の中に、
紀州藩士脱藩組で神戸の基盤的な道路開削に関わった人物の記述があって
混乱期には建設関連投資が活発化すると見定めて成功した様子が記されている。
場所も時代も、もちろん規模も違うけれど同じように
破壊と建設が同時に進行した戦国・江戸初期の時代に
目をこらせば、そういった木材産業に目をつけたというのはあり得る。
なにか、動機の部分での「生き方」視点的に一歩前進感がある。
・・・というような、ちょっとしたことにも敏感に反応して
まだまだルーツ探しの情熱、ますます元気に萌えてきています(笑)。
Posted on 9月 18th, 2016 by 三木 奎吾
Filed under: 日本社会・文化研究, 歴史探訪 | No Comments »


きのう朝、前から一度は行ってみたかった、
輻射熱暖房器メーカー・ピーエスさんの岩手県の工場オフィスを訪問。
ピーエスさんのこと、その歴史などを詳しくは知らなかったのですが、
なんとなく単なる暖房器メーカーというよりも、
その企業のめざすものの静かな開示という姿勢が、その生みだした建築に
明瞭に浮き出ているという点で、あるリスペクトを持って受け止めていました。
北海道北広島の工場、ゲストハウス見学でもその思いを強くしていました。
東北岩手、盛岡近郊の松尾八幡平ICを下りてすぐにこの建物は立地している。
「PS」という企業ロゴだけの入り口サインを抜けていった森の中に
めざす建築はたたずんでいました。
先日、新建築住宅特集さんが特集された「環境住宅特集」に
やや違和感を感じ、ちょっと申し訳なかったけれど異議申し立てしたが、
やはり環境建築というもののありようとしては、
その佇まいにおいて、ある静寂性、静かな主張性というような要因が
欠かせない属性・感性なのではないかと思い続けていた次第。
声高に主張すると言うよりも、できるだけ主張しない
シンプルな構成要素、選び抜かれた簡潔さこそが好ましく思える。
その選択においては、それこそコンセプトに忠実で正直であること、
そのようなものとして「環境」という建築はあるべきなのでは。
喧噪の中で、これ見よがしに騒ぎ立てるようなものとしてではなく、
静粛な主張性こそがふさわしいのではないかという思い。
ピーエスさんの企業のありよう自体に感じてきたことが、
そういった思いのベースのような気がして、訪ねてみたくなったのかも。
聞いたら、ピーエスさんの輻射暖房は、
1972年札幌冬季オリンピックの時に、主に北欧からの選手たちの
暖房器に対しての感受性の申し立てがあって、普及が進んだとのこと。
それまでの暴力的な暖房、空気暖房のけたたましさに対する違和感。
より静寂で、人間を「暖める」思想への志向性ということでしょう。
北国人としては、この部分には深く共感を持つものです。
簡素な素材たちで構成された空間、建築に、
共感とともに、深く癒されるなつかしさを感じた次第であります。
Posted on 9月 17th, 2016 by 三木 奎吾
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青森県は非常に複雑な歴史経緯をもつ地域。
縄文以来の土器で知られる津軽半島西部地域、
三内丸山などの遺跡が日本史を書き換えたのは周知の事実。
またほぼ同時期と言われる八戸周辺の縄文文化がベースにある。
津軽地域では米作が日本のなかでも非常に早い時期に行われたという。
しかしそれは根付かず、その後中世には安倍氏・清原氏・藤原氏の
岩手県地域の「日本権力」との境界地域の後背地として
北海道や北方アジア世界との交流の基地にもなってきた。
津軽地域にはそういった風土性が根強く残っている。
それに対して、八戸市一帯地域は古くから「馬産」が地域産業として
大きな足跡を残し、今に至るも地名に馬産以来の地域名称「戸」が
多量に残ってきている。
そこに馬産先進地域であった甲州起源の武装勢力が進駐し、
武権を確立したのが、南部藩の祖形にあたる。
その南部藩が津軽地域も含めて広域の支配を確立したけれど、
それに対して津軽は戦国末期になって反乱を起こし、
津軽氏による対南部独立が、
中央権力豊臣氏との外交勝利もあって達成される。
以来、津軽と南部地域との対立の根がこの地に残り続けてきた。
さらに明治維新政府樹立に際しては、両地域間での抗戦もあった。
その上、明治動乱の敗残地域、会津からの下北地域への入植。
・・・というようなきわめて複雑な「地域性」が絡み続けてきている。
北海道の隣で、気候風土的には一番親近な地域だけれど、
まことに地域の抱える歴史性の相違に驚くほどなんですね。
ただやっぱり風土的人間性では、同じ「北国人」としての気質を共有する。
きのうは、青森南部地域をあちこちと行脚していました。
で、たいへんお世話になっている十和田の平野商事さんを訪問。
最近、この安藤忠雄建築やら、西沢立衛さんによる「十和田市現代美術館」
さらには新国立競技場設計コンペで勝利した隈研吾さんの建築など
デザイン系の建築が地域として特異的に集積を見せている。
またそういったデザイン系の設計事務所が開設もしたり、
たいへん面白い展開を見せてきています。
いろいろなみなさんとの情報交換で、さらに今後活発な動きも見られます。
青森県内での建築的な動きにはちょっと目が離せなくなりそう。
ということで、時間の合間を見て安藤さんの作品を見学。
地域ならではの面白い裏話情報にも接することもできました(笑)。
この年末時期には、鎌田紀彦先生と前真之先生のコラボセミナーも
予定されていて、会場としてこれらの「公共施設」が想定されているとか。
こういう「出会い」にも期待が膨らんできますね(笑)。
この安藤建築に特徴的な三角屋根部分は巨大な「採光」部ですが、
同時に夏場には巨大な「集熱部分」にもなり得ますね・・・前先生。
という話題などでも盛り上がって、楽しく建築鑑賞させていただきました。
Posted on 9月 16th, 2016 by 三木 奎吾
Filed under: 住宅取材&ウラ話 | No Comments »