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【安藤忠雄 十和田市民図書館】

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青森県は非常に複雑な歴史経緯をもつ地域。
縄文以来の土器で知られる津軽半島西部地域、
三内丸山などの遺跡が日本史を書き換えたのは周知の事実。
またほぼ同時期と言われる八戸周辺の縄文文化がベースにある。
津軽地域では米作が日本のなかでも非常に早い時期に行われたという。
しかしそれは根付かず、その後中世には安倍氏・清原氏・藤原氏の
岩手県地域の「日本権力」との境界地域の後背地として
北海道や北方アジア世界との交流の基地にもなってきた。
津軽地域にはそういった風土性が根強く残っている。
それに対して、八戸市一帯地域は古くから「馬産」が地域産業として
大きな足跡を残し、今に至るも地名に馬産以来の地域名称「戸」が
多量に残ってきている。
そこに馬産先進地域であった甲州起源の武装勢力が進駐し、
武権を確立したのが、南部藩の祖形にあたる。
その南部藩が津軽地域も含めて広域の支配を確立したけれど、
それに対して津軽は戦国末期になって反乱を起こし、
津軽氏による対南部独立が、
中央権力豊臣氏との外交勝利もあって達成される。
以来、津軽と南部地域との対立の根がこの地に残り続けてきた。
さらに明治維新政府樹立に際しては、両地域間での抗戦もあった。
その上、明治動乱の敗残地域、会津からの下北地域への入植。
・・・というようなきわめて複雑な「地域性」が絡み続けてきている。
北海道の隣で、気候風土的には一番親近な地域だけれど、
まことに地域の抱える歴史性の相違に驚くほどなんですね。
ただやっぱり風土的人間性では、同じ「北国人」としての気質を共有する。
きのうは、青森南部地域をあちこちと行脚していました。

で、たいへんお世話になっている十和田の平野商事さんを訪問。
最近、この安藤忠雄建築やら、西沢立衛さんによる「十和田市現代美術館」
さらには新国立競技場設計コンペで勝利した隈研吾さんの建築など
デザイン系の建築が地域として特異的に集積を見せている。
またそういったデザイン系の設計事務所が開設もしたり、
たいへん面白い展開を見せてきています。
いろいろなみなさんとの情報交換で、さらに今後活発な動きも見られます。
青森県内での建築的な動きにはちょっと目が離せなくなりそう。
ということで、時間の合間を見て安藤さんの作品を見学。
地域ならではの面白い裏話情報にも接することもできました(笑)。
この年末時期には、鎌田紀彦先生と前真之先生のコラボセミナーも
予定されていて、会場としてこれらの「公共施設」が想定されているとか。
こういう「出会い」にも期待が膨らんできますね(笑)。
この安藤建築に特徴的な三角屋根部分は巨大な「採光」部ですが、
同時に夏場には巨大な「集熱部分」にもなり得ますね・・・前先生。
という話題などでも盛り上がって、楽しく建築鑑賞させていただきました。

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