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【隈研吾 十和田市市民交流プラザ】

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今週はあしたがまた休日という変則週間。どうもペースがつかめません。
きのうはおかげさまで、クリをお裾分けし終えた。
右親指も順調に回復しております。
本日のブログは建築散歩。
十和田市は、明治以降に本格的に街が開かれた人口的な都市。
札幌にも似た計画都市の様相を見せている。以下、Wikipediaの記述。
もともと十和田市のあたりは三本木原と呼ばれる荒蕪の台地で、
台地周辺に寒村が点在していた。安政2年(1855年)の時に
新渡戸稲造の祖父の新渡戸傳(にとべつとう)を中心に
奥入瀬川から水を引く計画に着手し、安政6年(1859年)
稲生川(いなおいがわ)として引水に成功して開拓の基礎ができた。
明治18年に陸軍が軍馬局出張所を設置したことから、馬産が栄えた。

いま、市中心部にはサクラの並木が整備され、整然とした区画ぶり。
そして中心部でも最近、たくさんの公共的建築が建てられ続けている。
先般お伝えしたように、安藤忠雄さんの設計の図書館とか、西沢立衛の
美術館などのデザイン建築が特異的に建てられ続けている。
どうも聞いていても、目的的なのかどうか判然としないけれど、
注目度を高めるという意味では、やはり面白い動き。
そんななかに、オリンピック・国立競技場設計の隈研吾建築も生まれた。

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わたしはなぜか、隈研吾さんの建築に触れる機会が増えている。
十勝・大樹町の「メムメドウス」からすっかりついている。
で、外装などに使われる傾向が強い木質ルーバーを見ると反応する。
ここで使われているのは青森地元県産材の間伐材なのだそうです。
薄くシャープに見せている屋根の軒先ですが、
経年的にどのようになっていくか、
また、切妻の連続する屋根の雨水の納まりなど、
確認したいことが多い建物のように思われました。
内部では、一番下の写真の子どもたちのためのプレイルームが面白い。
まるで、三笠プロジェクトで見慣れた現代アートの川俣正作品も彷彿とさせる。
たぶん、合板を積層させて人工的な「自然」造形を試みたのでしょうが、
ここで子どもたちがどんなふうに遊んでいるのか、
ちょっと確認してみたくなりました。

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