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【座礁にめげず静かにルーツを思い続ける】

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歴史が面白いと思う人間とそうでない人間と2種類あるようですね。
歴史好き側からすると、へぇそうなんだとビックリする。
わたしは6人兄弟ですが、2番目の兄は歴史好きというか、
自分のルーツ探しに興味を強く持っているけれど、
他の兄姉たちは、まぁ話に付き合っているという感じ。
こういうのは人間の気質の問題であるのかも知れませんね。

先日の大阪の図書館からの調査結果のお知らせを受けて
やや頓挫の感のあるルーツ探索ですが、
きのうも司馬遼太郎さんの「街道をゆく」神戸編を読んでいて
ふと「紀州人がやることといえば、木材で身を立てることを考えるくらい」
というような内容の記述に目が点になるほどに反応していた(笑)。
そういえば、わが家は紀州から流れていった先は広島県東広島市河内町入野。
いまでは高速道路・山陽道「河内」ICにほど近いのですが、
行ってみたら、山地が迫っている谷川の流域といった地域。
入植後間もなくして、この地域での「庄屋」になったり、
兄弟から医師になった人物も出たりしている。
江戸期の経済は大きくは、都市の町衆・商人と地域の経綸家・庄屋たちが
経済にはあまり強い興味を持たない武家官僚機構と対話しながら
「運営」されてきた時代だと思います。そういうなかでわが家系の動きは
単なる関ヶ原前後の「落ち武者」一族的な動静とは言えない。
一定の経済的な基盤が存在していたことをうかがわせる事実がある。
山間の土地に入植したのは、材木・造材など森林業を
目当てと考え、それである程度の成功を収めたのかも知れない。
司馬さんの神戸についての記述の中に、
紀州藩士脱藩組で神戸の基盤的な道路開削に関わった人物の記述があって
混乱期には建設関連投資が活発化すると見定めて成功した様子が記されている。
場所も時代も、もちろん規模も違うけれど同じように
破壊と建設が同時に進行した戦国・江戸初期の時代に
目をこらせば、そういった木材産業に目をつけたというのはあり得る。
なにか、動機の部分での「生き方」視点的に一歩前進感がある。
・・・というような、ちょっとしたことにも敏感に反応して
まだまだルーツ探しの情熱、ますます元気に萌えてきています(笑)。

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