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【九州北部と大陸交流史にリスペクト】


「漢ノ委ノ奴ノ国王(かんのわのなのこくおう)」という読み方だとされている。
江戸時代に福岡県・志賀島でたまたま発見された「金印」であります。
これはまごうことなき「国宝」とされております。
福岡市博物館の一番最初の展示室に実物が展示され、そのために1室がある。
以下、博物館のHPより要旨抜粋。
〜印面に刻まれた文字は、“漢”の文字で始まります。異民族であっても
直轄領内の内臣には「てん王之印」のように王朝名は付きません。
漢で始まるのは倭が外臣として服属しているが、直轄領となっていなかったため。
次の“委奴”は『後漢書』の記述と一致することから
「倭奴」の略字と理解できますが、その解釈は分かれています。
外臣に下賜する印には王朝名の次に民族名、そして部族名がくるので、
「倭(わ)(族)」の「奴(な)(部族)」と考え、「漢委奴国王」を
「漢ノ委ノ奴ノ国王(かんのわのなのこくおう)」とするのが今日の代表的解釈。〜

ハンコなので、印肉があって朱印で押印されるのだと思ったのですが、
そうではなくて、荷物、たぶん漢帝室への貢物などを封印するために、
その閉じ口を粘土などで閉じたあとに、この金印で粘土に刻印したのだと
そういう解説がされていました。
持ち手部分にはヘビの造形が施されている。
実物は、一辺2.3センチ、重さ108グラムの金塊。
なので、こんなに小さいものなんだと、改めてマジマジと凝視させられる。
こういう造作を工芸品として製造する社会システムが大陸にはある。
そういった「政治」の存在、古代国家社会の明瞭な象徴として
列島社会にもたらされたことは、大きな驚きだったでしょう。
今から2000年程度は前の段階でのこと。
書物での確認と実物との両方が残っている列島社会史の嚆矢。
たぶん、当時の列島社会はいまのインドネシアとか、フィリピンと類似した
在地有力者が割拠しているような海洋民族社会。
彼の地とは違って、四季変化が明瞭で、比較的に平野部が多く、
人口が増える蓋然性が高かった社会だったのでしょう。
こういう漢帝室との交流が発生することで、古代社会としての「文明化」が
人々に相当に意識されるようになり、のちの大和朝廷に連なる人々を刺激した。
列島社会側での「政治」の出現はそんな過程だったのでは。
大陸や半島への古代史を通した強烈な志向性とは、
このような初期体験が刷り込まれた結果であるように思います。
で、下の写真は太宰府天満宮ですが、大陸との交流が
「遠のみかど」太宰府で主要に展開されてきたのでしょう。
具体的想像力を豊かに感受することができますね。

歴史好きとはいっても、北海道に在住している人間としては、
こういった北部九州のことはなかなか想像力を持ちにくい。
むしろ、アイヌを通しての北方交流の方がリアリティもあるのですが、
やはり列島社会史としては、率直に北部九州の方がはるかに、
モノと歴史事実の積層感がハンパないのだと、改めて思い知らされます。
今回訪問で、深く認識を持つことができました。

【隈研吾・太宰府天満宮スタバの木組みデザイン】


「自然素材による伝統と現代の融合をコンセプトに、入り口から店内にかけて
伝統的な木組み構造を使った。木組みは、1.3~1.4mの杉材4本で組まれ、
使用した杉材2000本。木組みが壁、天井に張り付き建物の構造を支え、
木組みそのものがデザインとしてのインパクトを持つ」
というのが、隈研吾氏の解題<商業施設新聞より>であります。

やっぱりツアーで歩くと、いろいろな建築を見たい。
先般九州を歩くとなって、いくつかの建築を挙げていたのですが、
最後の日、福岡空港までの時間を太宰府天満宮に向かって行く道すがら
やはり有名なこのショップに足を向けておりました。
北海道大樹町にLIXILが入手した元牧場施設「メムメドウズ」があります。
そこで隈研吾が監修し世界の建築の学生たちに習作デザインを競わせている、
LIXIL国際大学建築コンペ。その先生によるモデルとして、隈研吾設計の
「メムメドウズ」がありすでに数回見学。アイヌチセにインスピレーションを得て、
北方民族の原初的住宅を現代素材で作ったもの。
このブログ、バックナンバーでも書いています。
http://kochihen.replan.ne.jp/blog2/?p=6910
この施設が契機になって隈研吾作品に興味を持って見ています。
どうも隈さんは相当たくさん作品を作っているようで、
日本全国、ここにもあそこにもと、見て回る機会が多いです。
いまは国立競技場が建設中で、工事は突貫のようですが、
出来上がるのが楽しみといったところ。
そのコンセプト案でも、木組みがどうやらポイントになっているようで、
北海道のカラマツ材が相当使われるというように聞いていますが、どうなるか。
で、このスタバ太宰府店であります。
商業店舗としては相当成功しているような賑わいぶりで、ご同慶の至り。
太宰府天満宮の表参道目抜き通りの中程に位置していて、
だいたいの観光客は足を止めて、スマホをかざしていく。
メッチャ混んでいて、人並みに押されるウチに中にまで入ってしまった。
ということで、内観まで撮らせていただいた次第。
ただ、店舗のカウンターにも長蛇の列で飲み物の注文は諦めた(笑)。
で、木組みであります。

わたし自宅でも、写真のように26年前に格子天井をやっていまして、
好きなんですが、一方この施工の大変さはよくわかっている(笑)。
わが家の場合、コンクリートスラブの天井から鉄筋を下ろしてきて
それに格子の木組みを緊結させる方法を取った。
大きな木組みを面材にして、くっつけたのですね。
この隈研吾さんの場合には、どんな手法だったのか。
「1.3~1.4mの杉材4本」というワングリッドを多数連結させているようですが、
その木組み方程式というか、順列組み合わせをどのような「指示書」でやったか。
この木組みでは、けっこうランダム風にも見えるのだけれど、
それでは現場が混乱するだろうし、隈さんが立ち会って
「あ、そこはこうやって、こっちはこうさ・・・」みたいに現場で感覚的に仕上げたのか。
出来上がった空間はなんとも、胎内的感覚があって惹き付けられる。
それこそ中国人観光客や欧米系もニッポン人も、みんな一様に吸い寄せられる(笑)。
太宰府天満宮という観光スポットにあるのですが、
本体よりも、勝るとも劣らない「集客力」を見せつけておりました。
う〜〜む。やっぱ、いいねこれ。

【休日につきMacの改造メンテナンス】


記憶媒体というヤツ、CDとか、DVDとかブルーレイだとか
いろいろに「進化」してきたとか言われていますが、
しかし、データのやり取りもインターネット経由でできるようになって、
こういう記憶メディアの必要性は薄れてきた。
パソコンではめったにそういう必要性には遭遇しなくなった。
わたしは、内蔵DVDのある2011LateというMacBookProがメインなのですが、
半年に1回くらいしか、DVDは使用しなかった。
一方で、仕事上たくさんのデータを扱うので記憶領域容量は大きく必要。
内蔵のHDDについては、何回も更新してきていて、
いまは、SSD2TBのものに換装して使っています。
しかし、使用領域は400GB程度で余力を持たせるようにしている。
Macのメンテナンス的にそうした方が安全なのと、
いつなんどき本体を最新機種MacBookProに置き換えなければならないかも、
と言う事態への備え。最新機種に変えざるを得なくなったら、
即座に本体だけでは記憶容量不足が懸念されるのです。
最新機種のMacではSSDに変わっているけれど、この容量がまだ小さい(泣)。
Appleの店頭スタッフも大容量データは外付けドライブにしている人が多いと証言する。
そこで仕事上の20年近い蓄積データは別に外付けHDDに入れて使っていた。
そのなかのデータのエイリアスをデスクトップに置いて使っている。
でもこうだと、いつも外付けハードディスクを携行しなければならない。
面倒だしということで、上記の使っていないDVDドライブ⇒HDD換装にチャレンジ。
ちょうどお盆休暇はそういう機会にぴったり。
ただ、実際に最新機種に更新しなければならなくなったら、また外付けドライブ持参生活。
そのあたりは、やっぱ理不尽かなぁと。

で、換装用のDVD⇒HDDのワクを購入してきて、
いつものように内部アクセスしてDVDを外そうとしたのですが、
こういうマニュアルや、解説はなかなかインターネットに出ていない。
いくつかあったのですが、固定しているビスの位置とか
サッパリ正確ではなかった。こういうトライ、あんまりみんなしないのかなぁ?
探し始めて数日、ようやく手順を確認できたのが2枚目の写真です。
固定しているネジとかは6箇所もと、あったけれど、
実際やってみたら、そのうちの2箇所はそもそもネジが固定されていなかった(?)。
なぜか、ネジがなかったのですね。大丈夫かApple(笑)。
ややあっけに取られましたが、自己責任での改造だし旧機種なので不問に。
で、それ以外の箇所を外して、換装用のHDDワクをセット。
1枚目の写真のように、2つめの記憶媒体が「内蔵」表示のアイコンで
認識されています。その下の外部記憶媒体とは違う表示ですね。
ということで、当面は外部記憶メディアを持ち歩く必要がなくなった。
休暇明け以降、軽快に出張できる体制が整いました。
ふ〜。やれやれです。

【ニッポン人の住意識の基本「家+庭」】


やはりこういった「たたずまい」が日本人の家の原点になるのだろうか。
高温多湿の気候条件の中で、日本人とその自然環境の中で適合した植物群とは
共生感をもって生き延びてきた。
自然との関係性である「農」の暮らしが基本であるとすれば、
日々の微妙な気候感受に最適化された住居形態が求められる。
こういう写真のようなたたずまいが、そうした暮らしにはフィットする。
季節感のランドマークとして、草花が植栽されて、
その季節変化によって、いま農作業でなにをなすべきかが即座に伝わってくる。
その上、基本的には開放された外部空気との一体感が重視された。
それによって微妙な季節の温湿度への感覚を鋭敏に養わせてきたものか。
基本はこうした開放的な暮らし方であって、
必要な自然や気候条件などへの「対応」は、障子や建具類によってなされた。
農の住宅や都市の邸宅住宅に於いては、基本的ライフスタイルはこうだったのだろう。
どちらも基本は家・建物と自然感受装置としての庭が一体化されていた。
家+庭というワンセットが日本人には似つかわしい。
街並みとしても、緑の環境の中に点在するという程度が
日本人の住宅の原風景としてふさわしいのだろうと思う。
木を利用して家を建てていくことから、水平と垂直の「木組み」がデザインの
基本要素になっていくことは自明だった。

こういった日本住宅の基本に対して、今日建てられている住宅は
基本的には「町家」のスタイルに戸建て住宅の文化が融合された形式だろうと思う。
自然との対話というよりも、都市性との調和ということの方が重要視される。
農の暮らしが自然の変化を感受することを重視するとすれば、
現代住宅は職場・学校との近縁性、「便利さ」の方に重要度を求める。
自然との対話は、都市では週末にレジャーで楽しむモノであり、
普段の暮らしはなによりも利便性の方向に判断基準は向かっていく。
ただし、いま金融の過剰によって生み出されつつある格差社会では
この利便性の上にさらに「上質」であることが希求されつつあるのかも知れない。
その質的な希求要素は、どういった基準になっていくのか、
さまざまな試行が提起されていくだろうけれど、
伝統回帰というようなことも有力な選択肢にはなっていくのではないか。
一方で庶民の暮らしようはどのように変化して行くのか、
よりきめ細やかな「階級格差」的なものになっていくのか、
よりシンプルな、プロトタイプ的なものに向かっていくのか。

要は、庭との関係がどうなっていくのかが、
結構、決定的なのかも知れないと思っています。
日本人の庭へのこだわりは、たとえば盆栽文化というような昇華したものも生んだ。
利便性の方は、方円に従うように選択されていくだろうけれど、
うるおい文化の方は、より多様な発展可能性に満ちていると思われます。
写真のような空間にたたずんで、ふと気付くようなことが、
ニッポン人の多くがいま求めているものであるように思っています。

【薩摩武家集落に自然な自衛意識伝統をみる】



写真は鹿児島県出水に残る薩摩藩の出水麓の中心的武家住宅でのもの。
「麓」と呼ばれるのは、緊急時に薩摩防衛の防衛拠点になる「外城」周辺に
配置されていた武家住宅群の名称とされている。
そういうことなので、地域として武道の修練が盛んで
写真のように少年たちも凛々しい姿・表情を見せて美しい。
明治初期の地域での武道修練の様子を撮影した記念写真ということ。
土地・地域を守り、人々を守ろうとする自然な倫理意識が表情を引き締めている。
また、自顕流という薩摩独特の武道精神は隼人の血も感じさせる。
幕末期から明治期の薩摩隼人、おとこたちの息づかいが伝わってくる。

薩摩藩は関ヶ原以来、江戸期日本でもっとも独立性の高い地方武権であり、
幕府の密偵を見つけ次第、容赦なく殺害したとされる雄藩。
江戸期を通じて常在戦場の気風を残し続けた。
徳川政権に対してみごとな外交を展開し、経済的にも琉球を支配下に収め
貿易の利益を得続けてきた。さらに鹿児島には天守などの城郭を築かず、
ひたすら藩経済の充実に努めてきたとされている。
まさに明治期ニッポンの国策になる「富国強兵」路線を江戸期に実践し続けた。
その武の気風が、次の薩長政権ニッポンを生み出した原動力。
幕末日本では対ロシアの国防論議が世論を沸騰させていた。
そのとき、常に問題となったのは蝦夷地だった。
もし蝦夷地がロシア領になったら、という危機意識が明治維新の起爆力となった。
明治ニッポンの国家としての飛躍は、この国防問題と切り離して考えられない。
維新の成就とほぼ同時に、事実上の北海道の開拓使長官に
薩摩中核の黒田清隆が任命され、北海道はまさに薩摩の政治軍事方針通り、
殖産興業と国土防衛の最前線であり続けた。
日本側のそうした国防と一体化した北海道開拓の努力がロシアの方針を転換させ、
北海道への南下活動を停止させ、その矛先を中国北東部から
朝鮮半島へと向かわせたことが、日露戦争への歴史の転換点になった。
平和は絶え間ない防衛努力こそが基本であるのは、歴史であきらかなこと。
北海道を内国化させたことは、薩摩の戦略がその基底にあり、
その結果、北海道はこの時期救われたのだと、
はるか後に北海道に生を受けたものとして、感謝を込めて思っている。

戦後ニッポンは長くアメリカの軍事圏にあって、安全保障を得て
その国力を基本的には経済発展に振り向けてきた。
日米同盟は、第2次世界大戦の多大な国民の犠牲の上にある国家平和戦略。
いま、北東アジアにおいて否応なく緊張が高まってきている。
現代世界における危機とは、このように発現するのかという思いがします。
まさに一昨年の安保法制整備が、こうした事態対応の基本の支えになっている。
冷静にこの事態に対処し、状況を平和的に転換させる必要がある。
しかしそのためには、絶え間ない防衛努力が基本であることはいうまでもない。
明治期ニッポンがロシアに北海道侵略を諦めさせた歴史の事実に学べば、
軍事を含めたパワーを見せない「交渉」などありえない。
けさの毎日新聞の、日本の対ミサイル防衛対応それ自体を「疑問」だとする報道。
「<PAC3配備>「どう対応すれば」地元から不安や疑問の声」と題した記事。
「PAC3を配備すれば、逆に北朝鮮から狙われるのではないか」とまで記載がある。
まさかこういうスタンスを日本のメディアとして取るのか、と驚愕した。
日本の危機とは、むしろこうした「報道」のあり方それ自体にあるのではないか。
明治ニッポンとの落差に暗澹とする思い。

【地盤が変容する天変地異と耐震努力の臨界点】



今回の熊本地震は絶え間ない地震動と、大地震が2回という
現代ニッポンが経験しなかったような被災でした。
地震から1年数ヶ月経過したいま行ってみても、
山塊崩壊の様子であるとか、いまでもちょっとした地震が来れば
すぐにでも地盤面が崩落していく状況を目の当たりにした。
3枚目の写真など、現場は立ち入り禁止になっている地域ですが、
建築的調査ということで特別に見学できた地域では、
次回の崩落面が地割れとなって現出していて、
谷側に向かって地面が割れていく様子を、体感することもできました。

日本は火山列島であり、繰り返された火山噴火、地震が地形に作用して、
絶えず国土の風景が変わってきたことが体感できた。
カルデラ級の大火山噴火の痕跡すらも、ここ九州やわたしの住む北海道でも
容易に目にすることができる。阿蘇は9万年前のカルデラ噴火で
その火砕流が福岡県の平野部にまで到達していたという。
今回の視察では、人間ができることとそれをはるかに超えた大地の変容ぶりとの間で
どのあたりをメドとして努力すべきなのか、
ひたすら力尽くで自然の猛威に対して対応することと、
いわゆる「いなす」知恵との間で、人間社会はどう対応すべきなのか、
その臨界点について考えさせられました。
できる努力として、耐震性能を上げることには大きな意味がある。
それによって、たぶん、9割方以上は命と財産を守ることはできる。
しかし、それでもなお及ばない範囲というものは存在する。
通常、住宅を新築するときには地盤調査が当然のように実施される。
しかし、地震が起こった後、その地盤がどのように変異したかについて、
調査を行うということは、大きな被害がない限りはあまり行われない。
今回熊本地震では、とくに写真のような阿蘇地域とか、
熊本城地域での状況を見るに付け、
地盤面自体が大きく変容している様子が目の当たりにできた。
城郭建築は軍事的防御の目的で石垣であるとかの「堅牢性」を高めるけれど、
今回の地震では、その地盤面自体が全体として20cm超のレベルで地盤沈下した。
その地盤内でどのような変異が起こっているか、
あえてコストも掛けて調査するケースはないだろうと思います。
新築時に安定した地盤とされた敷地が、こういう天変地異で変動することもある。
現代の住宅建築があまり想定していなかったことが現実に起こる。
そのような土木建築でのコストパフォーマンスの見えにくい局面で
社会としてどのような対応が、より賢い選択であるのか、
そういったレベルでの知恵が求められてきているように思われました。
どう「いなす」べきなのか、知恵が必要だと。

【発泡断熱材製のドームハウス体験宿泊】

熊本取材の宿泊地は阿蘇。
さすがに建築関係の団体行動ということで、宿泊も表題のような施設。
以下は若干宣伝臭いけど、概要をHPから抜粋。
〜抜群の断熱性能 ローコスト、短納期も魅力
防火基準や耐久性能もクリア。 ドームハウスの内部は直径7m、天井高約3mで、
広さは約36.3平方メートルになる。構造材である発泡ポリスチレンは、
通常の発泡スチロールの発泡倍率を約1/3に抑えることで、建築構造材として
適応できるように強度を高め、さらに、難燃加工、紫外線からの劣化を防ぐ
UVカット加工を施した。壁の厚さは20cmにもなるため、断熱性に優れ、
冷暖房時の電気代は1/10以下で済むという。
基礎の上に10個程度の部品を組み立てるだけなので、3~4 人で約7日間という
短期間での施工が可能。標準タイプで一棟480万円からという手ごろな価格。〜

ということで、宿泊体験したのですが、
夏場と言うことで、夜間でもずっと冷房を運転していたので、
断熱がどうであるか、というようなことまでは繊細には感受できなかった。
阿蘇という高原地帯とはいえ、夜間の気温低下も北海道ほどではないなかで
熟睡爆睡していたので、断熱の効果はある程度はあるだろうな、という感じ。
ただとくに気がついたのは、音響の特殊な感じ方。
2人で宿泊したのですが、相手の音声がこっちの位置によって若干変わる。
なにか、周波数が変調するというような感覚を受けた。
わたしの体調によるものかもと思ったけれど、
日常生活でそういった変調を感覚したことはこれまではない。
このことはデメリットであるのか、あるいは逆に空間特性として
メリットとも考えられるのかも知れません。
音のデザインは、音楽会場の設計ではいろいろな手法が駆使されるのですが、
こういったドーム型で密閉性の高い空間で、
音がどのように感受されるのか、そういう人間工学的な探究が必要でしょうね。
均一的素材で密閉性の高いドーム空間で、音波の動き方がどうであるか。
この素材のドームハウスというのも、この施設が実験的段階のものですから、
どうせなら、音響メーカーと協同して研究開発するのも面白いのでは。
この外観には子どもたちが手を触れたくなる面白い雰囲気があるし、
SF映画の宇宙ステーション基地的な遊び心を刺激してくれる。

なんですが、リゾートの宿泊施設としてはまぁ許容できるのでしょうが、
一般的宿泊施設としては、中心施設との距離がどんどん離れざるを得ないし、
なによりみんなドーム形状なので、間違えやすい(笑)。
なんどか中心施設との間を往復したけれど、誰かがすぐに迷子になる(笑)。
それもあってか、出発時に忘れ物をしてしまって、引き返しての道が
えらく面倒には感じられた(笑)。ふ〜やれやれ、といったところ。
建築の建物自体としては面白いと思うけれど、
配置計画であるとか動線計画であるとかの「建築」的側面からは
やや否定的にならざるを得ない部分はあるだろうと率直に思いました。
人間の空間認識はやはり直線に基づくグリッド的把握が
より自然に近いのではないかと。
これを住宅として考えたら現状では面積が1つじゃ足りない。
メーカーはこのサイズでの型枠を設備したとされるので、
このサイズを基本とすると2つあれば21坪面積で最小限住宅として考えられる。
ただし敷地は通常四角く、円を四角に入れるのは敷地にムダが多すぎる。
隣家との必要外壁後退も考えると土地利用効率は高くはない。
現状では帯に短しタスキに長し感は否めないものがある。
う〜〜ん、残念かなぁというところ。
でも改善の余地、ツッコミは大いにあり得るアイデアだなぁと思って紹介しました。
誰か一般化に挑戦して欲しいと思っています。

【薩摩藩武家住宅「入来麓」増田家住宅の雨樋】



わたしは古民家が大好きであります。
その地方地方で、訪問すると必ず伝統的な住宅のありようを見学する。
博物館などでその地方の概要をアタマに入れて、
一方でこうした古民家を見ることで、立体的な地域の把握ができると思うのです。
あとは、その地方の代表的で伝統的な料理を食べ、地酒を飲む(笑)。
なんとなく、そんなふうに地方性を摂取していく習慣になっている。

今回、それほどは予備知識なく鹿児島県を訪問したのですが、
そういった古民家群として旧薩摩藩の「外城」群中の「入来」と「出水」を見学。
薩摩島津家は、鹿児島市内に「城山」という聖地を持っていましたが、
ほかの藩のようにそこに城を構えることはしなかったとされる。
歴史的にはあったようだけれど、近世大名のように権力を誇示するかのような
威嚇的な城郭建築に興味を持たなかった。
鎌倉幕府初期から、守護地頭であったという自信からのことなのか。
ちょっと不思議な光景だと思っています。
しかし、ほかの近世大名とは違って、多数の「外城」をもっていて、
領国支配のいわば役所機能も持たせつつ、軍事防衛拠点ともしてきた。
そういう外城のいくつかが往時を偲ばせるように保存されている。
薩摩藩独特の「外城」軍事集落という感じですね。
鹿児島から徐々に八代海にむけて北上しつつ、この2つの武家住宅群を見学。
で、この「入来麓」です。入来というのが地名で麓というのは、薩摩藩の独特の言い方。
いざという時にはやや高台になっている外城に集結するけれど、
普段は、その麓で半農的な暮らしをするという意味合いだとか。
写真の増田家住宅は、古格を残した代表的な武家住宅。
いろいろ面白いポイントがあったのですが、
なかでも最大ポイントが見たこともない連棟スタイルを繋ぐ「雨樋」部分。
向かって右側が「おもて」といわれるハレの空間で左側が「なかえ」という常居空間。
そのふたつが、沖縄の家に見られるように南島的な分棟形式ながら
それらが繋げられ、その屋根の「谷」の部分にモウソウ竹を半割しての雨樋。
それがまぁ実に豪快な組み上げ方になっている。
この雨樋が雨水を処理する様子は、大きな技術的見せ場でしょうね。
まぁ写真の通りですが、こうした「伝統建築技術」は万全には再現できなくなっていて、
カタチはなんとか再現したけれど、雨仕舞いがなんとも問題発生して
結局は上面を板金で被覆させている様子がわかります。

こちらが室内の様子。
この渡り廊下のような部分上部にモウソウ竹の組み上げ雨樋がある。
それを荒縄だけで柱・梁に「縛り上げている」状態です。
この「縛り方」が大きなポイントなのでしょうが、その技術が消失している。
本来は水勾配は左右均等に流れさせられていた、とされるのですが、
現代の木造職人さんたちには、そういう復元はできなかったのです。
たぶん、真ん中あたりの縛り方が強く引き絞られていて
他の部分よりも高くなっていたのではないかと推測されますが、再現できない。
ひょっとすると、縄の縛り方にも相当独自の仕掛けがあったのではないか。
現代の復元では雨水が滞留し雨漏りが発生して、床面が腐食してきた。
結局は水勾配を片側だけに流すようにして、その上、上部を板金被覆した。
こういった繊細なディテールでの技術伝承の難しさを深く知らされました。
関係のみなさんの労を多としますが、
先日触れた熊本城修復での「石工」技術の継承問題など、
経済性と伝統的技術存続の両立の困難が、浮き彫りになっていると思いました。

<お盆休暇になるので、気が変わらなければあすからも古民家シリーズの予定。>

【鹿児島市電の路面緑化、いいね】

本日2度目の投稿です(笑)。
ちょっと投稿の仕様を試す必要がありまして・・・。
先日の「内地最南端・鹿児島県」訪問時、なにげにクルマを走らせていて
ふと気付いた。電車路面が緑化されている・・・。
これはどう考えても意図的なものとしか考えられませんが、
コロンブスの卵のようでもあって、なにか可笑しい。

この緑化事業の案内HPを見てみると以下のような記述。
〜平成18年度から実施している本市ならではの取組です。
鹿児島中央駅から生まれた約35,000平方メートルの緑のじゅうたんは、
ヒートアイランド現象の緩和や延線騒音の低減をはじめ、都市景観の向上、
うるおいと安らぎの空間の創出に大きく寄与しています。
こうした本市の軌道敷緑化は、市民をはじめ観光客の方々から高い評価をいただき、
本市を象徴する新しい街の風景となっています。また、その取組は、
他都市からも注目されており、都市の緑化において先導的な役割を果たしています。〜
と、自慢げに書かれています(笑)。
いや、わたしも批判げではなく、まことにすばらしいなぁと思います。

いいなぁと思うのですが、北国札幌市電では真似したくてもできないでしょうね。
雪が降ってくると「ラッセル車」という雪かきが出動して路面から雪を排除する。
どうしても路面に対して物理的なダメージを与える。
先日、地元住宅ビルダーの「シンケン」さんのことを書きましたが、
「庭と一体化した暮らし」を提案している。
すばらしいのですが、北国住宅では庭はなかなかに悩ましい。
手を加えて丹精するのはいいけれど、それが鑑賞可能なのは約半年。
積雪条件のなかでは、植物の越冬のためにさまざまな工夫が迫られる。
樹種をよく考えなければならないし、庭の設計自由度は低い。
保守も考えて、芝生庭とシンボルツリーというのがパターンでしょう。
北海道の積雪寒冷条件では、冬場のことを考えての緑の保守管理になるので
その困難は高まらざるを得ない。
北海道の住宅に緑のうるおいが計画しにくいのは、こういう問題もあるのですね。
ただ、そういう条件とは別に、住宅地の「視線の抜け」という意味では
与条件としての自然環境自体は比較的豊かに存在する。
そういうことで、それなりのバランスがとれているともいえる。
こういった条件を踏まえて、住宅の「うるおい」をどう計画していくか、
北国では想像力の一層の発展が必要になってくるのですね。

【大地震発災直後、地域工務店が直面すること】



熊本での「震災対応」視察で、大きく気付かされたこと。
それは地域の大手ビルダー・エコワークス小山社長から発せられたコトバ。
「神戸でも東日本大震災でも、地震のときどんなニーズが発生し
地域工務店がどう対応すべきか、がまとめられていなかった」
という深刻な、住宅業界としての問題点でした。
震災被害は不幸なことではあるけれど自然災害であり、避けることはできない。
そうであれば、どう対応するかが問われなければならない。
地震になれば、基本的な人間生存条件としての住宅が危機に瀕する。
その住宅供給を使命とし、同時に地域に密着し、住民に身近な対応事業者である、
地域工務店の立場になって、どう対応すべきかの「マニュアル・方針」がなかった。

確かに、東日本大震災では被災地域が広範すぎて、
それぞれの工務店・地場住宅企業が情報的にも断絶してしまっていた。
とりあえずの応急的対応にだけ振り回されざるを得ず、
一段落して気がついたら、緊急メンテナンスは頼まれたけれど本来の住宅再建では
手際のいい「営業対応マニュアル」を持っている大手ハウスメーカーが仕事を
根こそぎ持って行ったという事例も多かった。
かれらは、営業マニュアルも整備していて震災の近隣地域、全国から
「営業部隊」が該当地域に集中投下されて、住宅再建の仕事にフォーカスした営業を行う。
まことに、「ムダなく」実利に集中した対応を行っていく。
地域工務店という組織は、こうした「情報対応力」に問題があるとされた。
今回の熊本地震では、こういった地域の立場に立ってどう対応すべきかについて
経験知を踏まえた「対応作戦」が、ようやくまとめられたのです。
エコワークス小山社長は本来IT系の勉学をされていた方で、こうした対応力がある。
氏としては、この対応マニュアルを全国の工務店に情報力として
より広範に拡散したいという希望を持っている。
自社サイトからもダウンロード可能なようにもされていますが、
全国で営業対応しているメーカー・LIXILの協力が得られて、
この対応マニュアルに基づいてさらにわかりやすくまとめられた資料が作られたという。
氏のプレゼンで、実際に工務店にどんなニーズが殺到するものか、
具体的なリアリティを持って理解することができました。

図で表現させていただいたのは、氏のまとめたプレゼン資料の一部抜粋。
とくに印象に残った部分を3つ、引用させていただきました。
熊本地震で5兆円、東日本大震災で16兆円の「被害総額」だったものが、
発生が確実とされている首都直下地震や、南海トラフ地震では、
それぞれ被害総額が200兆円、150兆円と推計されている。
過去の歴史的震災と比較しても現代は人口・経済規模に級数的に違い、
この計算には十分な蓋然性を感じさせられます。
日本の国家予算は一般会計と特別会計総額で200兆円前後の現状です。
これと比較してみても対応は国難レベルになることは可能性が高い。
2枚目の図ではどんな状況が地域の事業者に寄せられるかの具体的な規模。
地震直後には電話なども寸断されているけれど、それが回復したらすぐに
既存ユーザーから大量の「ヘルプ」が殺到してくる。
エコワークスとそのグループでは、実に既存顧客の6割から緊急出動要請が来た。
電話総数が3,000件だったということ。
こういったニーズに対応する中で、必要不可欠な対応マニュアルを作っていった。
まことに具体的で生々しい現実を教えていただきました。
最後にこれらに企業としての対応をするに際に企業内での情報共有手段を
緊急対応として絶対整備しておく必要があるとされた。当然ですね。
エコワークスの企業グループでは、震災前から社内情報システムとして
Facebookをインフラとして情報ツールに採用していたとのこと。
さすがにITに強い小山さん、震災時でもこうした情報手段は「パケット通信」で、
携帯電話通話が途絶したとしても、通信可能なツールであるとして採用していた。
まさに実践的で現実的な必要情報だと強く感じさせられました。
小山氏からの希望もあって、このように情報拡散させていただきました。