本文へジャンプ

【多島海で生きてきたニッポン的感性とは?】

本日はやや住宅テーマを離れてみたい。
ときどき、住宅ばかりではないことも考えたり想起したくなる。
当たり前でしょうね、人間は「ばっかり」ではいけない。
米ばかり食べていてはバランスが取れない、おかずの多様性が柔軟な健康を生む(笑)。
というこじつけ論であります。

今回の九州ツアーでも、鹿児島県の起伏に富んだ山岳地域を走った後、
九州西部海岸、天草から八代海をクルマで走ったのですが、
予備知識なく、この多島海の景観に遭遇して、
なんともニッポン感に満たされておりました(笑)。
日本は世界第2の「多島海国家社会」だそうです。以下、Wikipedia抜粋。
〜多島海で構成された国としては、インドネシア、日本、フィリピン、ニュージーランド、
イギリスがあげられる。そのうち最大の多島海がインドネシアである。
島嶼部性(海岸線の距離を陸地の面積で割ったもの)観点からは、7000以上の島からなる
フィリピンが島嶼部性1位で、次いで6000以上の島からなる日本が2位である。
日本は6,852の島で構成される島国。日本の領土はすべて島から成っている。〜
そういえば、と気付くのはなぜ松島が日本三景とされるのか、です。
芭蕉さんは松島に来てやや諧謔的表現で日本人の定型心理を表したのでしょうが、
ああいった多島海景観には、きっとこの国土で過ごしてきた民族の
心象世界を支配するなにかの感情が込められているに違いない。
ながく日本人の歴史の中心であった瀬戸内海。
わたし的には、わが家の家系伝承もあって、ふるさとの揺りかごのような、
そういう心理に大きく満たされてしまう部分がある。
ああいった景観が、深く刷り込まれてきているに相違ないと思うのです。
わたしは母親を三十年以前に亡くしていますが、母が死んだときに想起したのは
「海はひろいな、大きいな」という、たぶん、いちばん初めに憶えた旋律。
あるいは浦島太郎のお話は、いかにも多島海での暮らしが身近な人間に
似つかわしい心象世界を垣間見せてくれる。
東南アジア地域の海洋民族の説話にもまったく同様の伝承がある。
まったく整理できないのですが、
こうした心理の根底にあるものは、間違いなく多島海社会でのものでしょう。
こういう多島海の景観にくるまれて暮らすうちに、
人の生き死に、人生の起承転結がその景観に投影される心理構造ができている。
そんな気がしてなりません。みなさんはいかがでしょうか?

【鹿児島ビルダー「シンケン」モデルハウス見学】



全国の住宅業界紙などで、よく紹介される鹿児島のシンケンさん訪問です。
っていっても、あんまり予備知識は持たずに行ってきました。
与次郎浜モデルハウスで、築17年ということでした。
よくあるテレビ局の住宅展示場に入っているけれど、
その後、こういった路線ではモデルハウスは建てていないようです。
現在、モデルハウスは博多の森とここだけ。
テレビ局主催の住宅展示場は、テレビ広告主体の大手ハウスメーカー志向であり、
当然大量の営業スタッフを抱えて大量販売型の戦略になる。
そういうなかで17年間も同じモデルハウスで、むしろ素材の古びを見せている。
他の大手ハウスメーカーモデルハウスが、ほぼ横並びの
「街路に対して機能的」に建てられているのに対して、
このモデルハウスは配置計画で角度を振って、エントランスに庭を持ってきている。
当然敷地の大きさも、この展示場でいちばん大きめと思われました。
プランについて伺うと、敷地に対して建物は30度程度振って建てられている。
そうすることで庭が4面確保されて「建物+庭」という価値感への気付きを
来場者に促すような仕掛けになっている。
聞くと、住宅建設だけではなく庭も含めた「暮らし方」を提案する姿勢。
ということで、当然やや高額物件中心の営業戦略になる。
北海道札幌でも高級物件需要に対し地域ビルダー数社がしのぎを削る。
鹿児島の状況がどうであるのかまでは、ヒアリングはできませんでしたが、
最近、福岡にも進出しているということなので、この路線では
ある一定数までは伸ばして行けても、成長限界も見えるのかも知れません。
しかしこういった高級路線は、注文住宅の核のような需要なので、
根強く底堅い需要層を取り込んでいるともいえます。

暖房や設備テクニカルの部分では、OMソーラーが基本。
いまはその進化形のソーラーシステム「そよ風2」を採用。
戦後の住宅生産グループとしては、このOMソーラーは先行的なもの。
東京芸大・奥村昭雄先生の提唱になる「太陽の熱であたたまる」という
理念に共感した全国の工務店・設計者が参集した運動体だった。
その後パテントの期限が切れて、いろいろに工法が分化し、
参加工務店はその設計思想から、自然エネルギーや自然派デザインへと
年々レベルが向上していって、いま、全国でそういった工務店は
他の工務店のベンチマークにまでなって来ている企業が相当数ある。
その運動と比肩する、あるいは性能的インパクトとしてはより巨大であった
「高断熱高気密」の方は、より広範な運動としていま定着してきている。
OMソーラーが北国の方ではそれほど普及せず、
一方の高断熱高気密が、いま全国各地に爆発的に普及しつつあるのは
ソーラーでは冬場の暖房設備が事実上ダブルで必要な問題が大。
「太陽の熱であたたまる」理念はまことに素晴らしいけれど、
日の差さない冬場の日ほど、暖房エネルギーが必要なのが現実。
そうすると、ソーラーシステムとは別に「補助」暖房システムが欠かせない。
このモデルハウスでも薪ストーブが設置されているけれど、
北国の場合には、より万全な「スペア」の暖房システムが必要になる。
やはり常識的に言って、それではコスト的に負担可能な施主は限られてくる。
高断熱高気密の提唱者・鎌田紀彦先生も奥村先生に研究協力したけれど、
有為なほどにはシステムの機能向上は果たせなかったといわれる。
そういった経緯もあるようですね。
しかし工務店経営で考えれば、シンケンさんのような成功例も現れる。
理念と暮らし方デザインイチ押しの営業企業戦略は、
より個性的な注文住宅を頼む層にとって現代の有力選択肢といえるのでしょう。
住宅マーケットの未来も見通して今後をウォッチしていきたいと思います。

【安藤忠雄/鹿児島大学・稲盛会館】


さてきのうは熊本を離れて、鹿児島への取材ツアー。
わたしは鹿児島まで足を伸ばすのは今回が初めて。
熊本は3回、宮崎は1回それぞれ来ているのですが、
鹿児島までは縁が遠い状態が続いておりました。
ようやくにして、日本の全県踏破の完成だ、と思っていたら、
ここへ来て大分県がどうも自分でも記憶がないところ。
行っていないかも知れません、麦焼酎・・・う〜む。
でも人間、一気にと欲を起こしてはいけない。ほどほどがいいだろうと(笑)。
で、台風に翻弄されながら、鹿児島県をあちこち行脚しておりました。

まずは敬意を表して、安藤忠雄建築見学であります。
写真は、鹿児島大学稲盛会館という建築で工学部の建物のひとつ。
事前に調べてきのうはイベントもあって、中に潜入できるだろうと思ったのですが、
それが台風のためにキャンセルになったことを玄関に来て
張り紙を見て知った次第(泣)。でもまぁ、ということで謹んで外観撮影。
シャッターを押そうとしたら台風の強風がカラダを揺する。
強風のために周辺には砂埃が舞い上がっている。
鹿児島なのでシラス土壌から白い砂が舞い上がり目を襲ってくる。
そういう瞬間には目を開けていられない。決死の撮影、と言うのは大袈裟か。
この建物の趣旨や設計のポイントなどまったく知識がないのですが、
HPからの情報では以下のようです。
〜会館の概要・利用目的 稲盛会館は、教育及び学術交流の場として、
本学の職員その他関係者の利用に供することにより、本学の教育研究の進展に
資するとともに、学術及び文化の向上に寄与することを目的としています。
会館は本学工学部出身の京セラ(株)名誉会長 稲盛和夫氏から科学技術を
中心とした知的交流を促進するための場として本学に寄贈されたもので、
日本を代表する著名建築家・安藤忠雄氏の設計によるものです。
施設の概要・平成6年10月31日竣工・地下1階~地上3階建
・建物面積810.40平方メートル・延べ面積1,628.85平方メートル〜
ほかからの情報としては以下のよう。
〜卵形のコンクリートが正面から飛び出ているのが特徴的で、内部はホール。
卵の先端から放射状にライトが点く。建物内は、卵の外周に沿ってスロープが設置され、
合わせる形で外壁も弧を描いたガラス張り。1988年の「中之島プロジェクトII」で
提案の卵形が実現し2008年の「東急東横線 渋谷駅」に繋がった。〜という情報。
卵形が内部でどうなっているか、また、卵と窓ガラスの取り合い部分の詳細とか、
見てみたかったのですが、叶いませんでした。残念。
でも、なかなかに心惹かれる造形感覚だと思わせられました。
安藤さんの建築にはほどよく集中したワンテーマが際だっている。
それが今回はまるでゴジラの卵のようなコンクリート塊。
こういう少年っぽい「遊び心」には、共感を覚えさせられる。
いろいろ意見はありますが、わたし基本的には安藤建築は大好きであります(笑)。

せっかく九州・鹿児島まで来た機会、この他地域の有名ビルダー2社、
シンケンと松下孝建設のモデルなどの見学・状況視察が大きな目的でした。
ところが、ご存知の超ゆっくり台風5号が鹿児島県島嶼部に停滞し、
いつなんどき、一気に上陸するかも分からない緊迫の状況。
東北フォーラム・氏家事務局長からもオススメいただいた松下孝建設さんは
きのうはスタッフが手分けして顧客住宅の台風への備え・メンテナンスのために
全員外出でモデルハウス見学はできませんとのこと(泣)。
ですが一方のシンケンさんの方は無事にモデルハウスを見学できました。
こっちはむしろ台風で来場者が少なかったので、
たっぷりスタッフの方からシンケンの家づくりのポリシーその他、
十分にヒアリングできました。別に記事としてまとめましたのでよろしく。

【熊本城甚大被害。現代ニッポンは復元できるか?】


今回の視察は、熊本地震による被害状況、それも住宅関係でのものが
中心の視察でしたが、さすがに前・日本建築学会会長、吉野先生の視察ということで、
特別に研究的立場からの熊本城の被害状況視察もご案内いただきました。
取りはからっていただいた熊本市、熊本県のみなさんに感謝いたします。

九州にはなんどか訪れていましたが、この熊本城は一度も訪れたことがなかった。
戦国期に城郭建築の手腕を秀吉から見込まれていたという
加藤清正の縄張りによる天下無双の城郭という常識くらいしかありませんでした。
被災状況視察が、はじめての城郭見学も兼ねた次第。
この城はいろいろな思惑を持って設計・建築されたことは明白。
〜加藤清正は、1591年から千葉城・隈本城のあった茶臼山丘陵一帯に
城郭を築きはじめ関ヶ原の1600年頃には天守が完成、関ヶ原の行賞で
清正は肥後一国52万石の領主に。1606年には城の完成をみた。〜
ちょうど豊臣家存亡が政局の中心的テーマだった時期。
清正としては、豊臣秀頼をこの城郭に招いて保護していこうという
そういった政治目的を持っていたとされている。
近年の研究では本丸に加藤家の城主の居室のさらに奥に
貴賓が常居するような「御殿」が備えられていたという。
徳川家による全国統一は認めつつも、相対的に独立した権威として
旧主・豊臣家の存続を企図した清正の意図がその建築に反映されている。
江戸城や大阪城とも比肩されるような天下の軍をもクギづける大城郭建築。
創建時のこの企図の上、この城は同時に地震や戦争など大変動を刻んできた。
なんども繰り返し城の石垣、建築群が被災し再建されている。
そういった経緯の上にさらに2016年の熊本地震が襲ってきた。
城郭地域全体で20cm以上、地盤面が今回沈下したとされている。
そういった状況の中で、それをどのように「復元」すべきなのか、
直接、復元計画に携わっている濱田副所長、西川建築整備班担当のおふたりの
お話しを聞いていて、気の遠くなる作業の連続と忖度させられました。
地盤面がそこまで沈下を見せれば、復元といっても、
完全な形はありえない。そもそも「完全」という概念も歴史的にいつを指すか、
比較対照とすべき測量データもないということなので、
かろうじて残っている「写真資料」と現状を対比させ、
復元工事の設計を立てていくしかない。
また石垣は国の指定を受けた文化財であるので、崩落して堀に落ちたそれを
もとの位置に「還す」というためには「番付」をして保存していく必要がある。
けれど、その番付にしても写真資料との対比くらいしか方法がない。
さらにそういう文化財を判断する資格を持った人材には当然限りがある。
大きな石垣面で数個の石がかろうじて位置を特定しうるに過ぎない。
そういったことから石垣復元の専用のAIによる画像解析ソフトまで開発されている。
復元のためにその手段から開発せざるを得ない。
その上、それで復元方針ができたとしても、今度はこうした石垣の
修復技術者それ自体もまったく不足している。
ことは城郭石垣専門の職人の育成から手を掛けなければならない。
またたとえそれができたとしても、そういった職人さんたちに長期的な仕事が
はたして確保できるのかどうか、
ことは城郭の復元にとどまらず、現代ニッポン社会がこうした歴史遺産を
はたして再生存続させていけるのかどうかが、試されている。
いやはや、再生ははるかな道程と思えます。
<写真、図は市のパンフレットより抜粋>

【進化する「木造仮設住宅」熊本ではRC基礎実現】



きのう、東北フォーラム研修メンバーが熊本で集合。
被災から1年4カ月ほどの震災復興状況を見学・視察しました。
熊本駅にはZEH推進協議会代表もされていて、先週にもお目にかかった
小山貴史氏に出迎えていただきました。
小山氏から今回の熊本震災での住宅被災や復興の概要を聞き、
その後、田邊肇・熊本県建築住宅センター専務理事のご案内で
被災状況や応急仮設住宅の状況を現地視察しながら、ご説明いただきました。

震災の状況については、各種報道などがされていますので、
ここでは、震災の度ごとに建設され続けてきた「応急仮設」についてご紹介。
東日本大震災ではわたしも東北で住宅雑誌を出版するものとして、
その状況を知らせる活動をしてきたのですが、
応急仮設住宅について、福島県ではじめて本格的に地域の作り手による
「木造仮設住宅」が多様に実現しました。
それまでのプレハブ住宅協議会だけでの建設ではなく、
自らも被災者である地域の工務店・大工がネットワークを組んで
被災者のくらしに温もりとやすらぎを得られる木造住宅建設に取り組んだ。
応急仮設は期限も区切られた災害支援活動として取り組まれる施策であり、
その後は撤去されることが法で定められている。
しかし建築として十分に長期に耐えられる建築を作ることはまったく可能。
事実、日本で使われたプレハブの応急仮設住宅が
いったん「廃棄」されたあと、海外に持っていって再活用されたりしている。
むしろその耐久性の高さが大きく評価されたりもしているという。
法の厳密な施行による不合理がある意味まかり通って
国費がムダに浪費されている現実がある。
そうした浪費を前提としたプレハブ仮設に対して、木造仮設は、
その住みごこちや肌合いなどで、より長期的な利用にも耐えうるし、
便法として「払い下げ」という手法も活用すれば、
総体として税の無駄遣いを抑制することも可能な側面がある。
そういった「前進」が東日本大震災では見られたのです。
現実にいまでも仮設住宅に住み続けている被災者は多いし、
木造仮設については、事実上「災害公営住宅」として機能している。
ただし法の壁で、基礎は依然として木杭による「仮設」的建築とされてきた。
しかし今回の熊本震災では、初期段階から発注者である県の側でも、
こうしたムダ排除の認識を持って、政府に対してより長期的存続に耐えうる
RC基礎を要望し、また政府側でもそれを積極的に許容した。
要望にあたって、今次熊本震災が長期にわたって連続的地震が継続したことが
不幸中の幸いとして機能し、それに対しての常識的対応として
RC基礎の頑丈性が被災者の命を守る名分として立ったことが大きかったという。
今回は仮設総数4,303戸中で、このように建てられた木造応急仮設が、
実に683戸を占めるに至ったということ。約15.8%。

いま出来上がった木造応急仮設住宅は、
なおさらに「バリアフリー仕様」までも実現されている。
車椅子での利用などでの面積的ゆとりも実現されていると同時に
温度のバリアフリーとして、従来とは様変わりした断熱気密化も実現されている。
災害が起こることは自然災害大国ニッポンではやむを得ない現実。
それに対しての「備え」として、こと住宅については
社会は確実に前進を見せているのだなと喜ばしい思いを持ちました。
不幸に対してより前向きに対応していくことは可能だと思います。

【福岡で「地域を知る」石器時代からの歴史入門】


本日から東北フォーラムの研修会で熊本地震その他の状況視察です。
仮設住宅から復興へと、東北がたどっている道と
熊本もまた同様の過程を経ていこうとしている。
今回のツアーでは、そういった認識から相互の情報共有が主眼。

ということですが、北海道から福岡には直行便は午前着の便がない。
仙台からは7:30で間に合うのだそうですが、札幌はハンディがあるのです。
そういうことで、1日前に福岡に移動しておりました。
ときどき家族旅行などで来ていたのですが、きちんとその地を理解するには
その地域の風土・歴史を情報として把握する必要がある。
そういうことなので、わたしはよくその地の博物館に行くことにしています。
写真は、博物館で許可された写真撮影を行ったもの。
まぁ、今回視察の広義の「取材」のベースにあたると言えますね。
九州は有力な活火山がありますが、そういった火山活動痕跡では、
阿蘇の噴火火砕流が福岡平野にまで流れ込んできた痕跡もあるそうです。
地質年代を通じてカルデラ噴火がこの地では繰り返してきたとされる。
この地に人間の生活痕跡が確認されるのは石器時代の26,000年以上前。
寒冷な気候で海面は現在よりもずっと低く、それが15,000年前頃には
温暖化が進んで現在の海岸線に近づいてきたとされる。
一番上の図を見ると、札幌は1,200-1,300kmくらいの距離。
福岡から見れば、北京とさして変わらない距離にある。
大阪がソウルと同距離で、東京と上海がほぼ同距離。
2番目の図を見れば、釜山、半島南部地域とはごく近しい近縁関係。
石器時代からごく自然に交流はあったということなのでしょうね。
白村江の戦役などの歴史事実を見れば、半島・大陸との交流が
いかに日本社会にとって必要不可欠なものであったのか、
容易に知れるところです。
わたし個人的には、古代朝廷の成立過程での半島への強い思い入れに
よくその心理的動因が飲み込めなかった部分があったのですが、
半島が連続しているようなこの九州北部の歴史地理をおさらいすると、
蓋然性がリアリティを持って入ってくるように思えます。
「倭の奴の国王」という漢から下賜された「金印」、また「印綬」という意味も
ほぼ定説が理解されるところです。
駆け足勉強でしたが、巨視的には把握の筋道がわかりました。

ただ、この福岡市博物館、なんとなく市中心部にあるものと思っていましたが、
中心部からは高速道路を走ってたどりつく場所。
再開発された地域にあるのですね。
そんなことで、道に迷ったりして時間があんまり取れなかった。
閉館を知らせに追い出されるように去らねばならなかったのが残念。
今度、時間を作ってもうちょっとお勉強したいと思います。
ただ、個人的にもっとも知りたかった、玄界灘が広大な陸地であったと
想定される石器時代あたりの考証はまだまだプロセスのようですね。
展示内容では非明示的になんとなくは示されているけれど、図録では
そういったあたりについての記述はまったく見られなかった。
26,000年前ころの「海岸線」や、そこからの海岸線の後退の歴年把握など
大陸・半島との交流と分離、列島社会の形成過程にも関わる部分なので、
より詳細な検証を望みたいと思いました。

【科学される居心地〜ブロック外断熱住宅の夏】


わたしの一昨日のブログに対して、さまざまな反響、投稿が続いております。
【ZEH論議〜電気暖房が“家電”に含まれている?】
発表データでは日本は暖房エネルギーが少ないけれど“家電”エネルギー消費に
実は電気暖房が含まれる? という指摘に深く驚かされた。ホント?・・・
というように提起したテーマについて、たくさんの方から意見をいただいている。
それも有数の大学の温熱環境研究者(レベル)のみなさんからのコメントです。
あ、話題提供者のわたしを除いて、ではありますが(笑)。
ぜひみなさん、コメント欄をご一読ください。
https://www.facebook.com/keigo.miki.7
7月31日投稿分でのやり取りであります。現在投稿が23件ありまして、
まだまだこの「討論会」は継続する可能性があります。
インターネット、SNSのリアルタイム性は本当にすごいものがあると思いますね。

さて、盛夏のまっ最中ですが、みなさんいかがお過ごしでしょうか。
写真はわが家の室内の様子ですが、いごこちよく過ごしております。
室蘭工大名誉教授の鎌田紀彦先生も、室蘭赴任中はブロック外断熱の住宅に
住まわれていたのですが、北海道の誇る住宅資産はこの外断熱ブロック住宅。
冬のあたたかさは勿論なのですが、夏の快適さは
なんとも表現のしようがないくらいここちよい。
エアコンをまったく使用しなくても、日射が制御されている環境では
外から帰ってきたときに迎えてくれる室内環境がまったくの「別世界」。
ひんやりと涼しく、肌の汗があっという間に乾いていくのですね。
写真の温湿度計は日曜日日中のものですが、札幌では外気温30度を超えていた。
単純に数字だけのことではなく、カラダ全体の感覚、
壁・天井・床面との輻射応答感がなんともカラダにさわやかなのであります。
安藤忠雄さんが大阪の酷暑環境の地域でコンクリート1重打ち放しの
「住吉の長屋」を建て、施主さんが傘を差してトイレに向かう生活を送っていた当時、
北海道では、多くの作り手たちがブロック外断熱の住宅を建て続けていた。
どちらも同様に素材の質感そのままの仕上げ空間だったけれど、
「生きることは過酷なんだ」ということを受け入れることを強制していたような
そういう住宅デザインがビジュアル性でもてはやされた同時期、北海道では
住む人のいごこちをデザインして、そこにいる快適感を創造してきていた。
わが家は1991年建築ですが、こういった性能については新築時以来変わっていない。

ともすれば、熱く激論風に展開しがちのFacebookでのやり取りでも
きわめて冷静に対応できる、平明になれる思考環境が実現しております。
あ、これは発言内容をも担保するという意味ではありません(笑)。
あくまで人間にとっての環境が非常に「快適域」にコントロールできている、
という意味合いです。誤解のないように。
こういった環境性能は、たぶん、子どもたちも肌で感じて、
この家は長期に維持されてくれるのではないかと、期待している次第。
さて本日からは九州への取材の旅であります。
彼の地では、ちょっと変わった建築断熱環境も体験できるということなので、
そういったご報告もしたいと考えています、乞うご期待。

【山種美術館「川端龍子展」&恵比寿周辺散策】

さてきのうはZEH推進協議会セミナーでのわたしの疑問点、
国の温暖地の「暖房」エネルギーの認識把握で、電気ヒーター暖房が
カウントが不明瞭である可能性に論及されていた部分について書き込んだところ、
たいへん多くのみなさんから反響が寄せられました。
そしてついには、セミナー主催者である小山ZEH推進協議会代表理事から
前向きに対応したいというコメントまでいただきました。
コメントをいただいたみなさんに深く感謝するとともに、
この件については、小山さんからのお知らせを待ちたいと思います。
たいへん誠意ある対応をいただいて、ありがたく思っています。
で、わたしは明日から九州訪問で、東北フォーラムの熊本地震状況視察見学会に
参加予定で、当の小山さんから説明を受ける予定になっています。
あ、こちらは熊本地震被災状況についてですが・・・。
ということで、いったん、きのうの話題は継続中ということにいたします。

ときどき東京に行くと、よく鑑賞してくるのが山種美術館。
恵比寿の駅からバスに乗って2停留所目にある美術館ですが、
琳派、日本画の展示ですばらしい展示をやってくれるので大ファンなのです。
洋画というのは苦手で、日本画の方に傾いていまして、
歴史的な琳派誕生の経緯とか、その作品群に深く惹かれてきているのです。
わたしは高校生の頃には反権力の考えを持っていた少年期だったのですが、
その後はどうも一貫して日本的なるものに深く惹かれてきている。
琳派の追究してきた美には、圧倒的な親近感を持つものです。
逆にモネの睡蓮などはこのインスピレーションが伝播したものではと思っています。
今回は川端龍子さんという、名前だけは知っている画家さんの展覧会。
琳派という仕分けではないのでしょうが、感覚が民衆的で肌合いに親しさを感じた。
以下、Wikipediaよりの要旨抜粋。
〜川端龍子(かわばた りゅうし、1885- 1966年)は戦前の日本画家、俳人。
当初は洋画を描いた。1913年渡米し西洋画を学んだ。が、待っていたのは厳しい現実。
日本人が描いた西洋画など誰も見向きもしない。失意の中、立ち寄ったボストン美術館で
鎌倉期の絵巻の名作「平治物語絵巻」を見て感動したことがきっかけとなり、
帰国後日本画に転向。当時の日本画壇では個人が小さな空間で絵を鑑賞する
「床の間芸術」が主流で繊細で優美な作品が持てはやされていた。
龍子の激しい色使いと筆致は粗暴で鑑賞に耐えないといわれた。
それを逆に利用して反逆し、「床の間芸術」と一線を画した
「会場芸術」としての日本画を主張し「青龍社」を旗揚げ独自の道を歩んだ。
昭和の動乱期、画壇を飛び出し独自の芸術を切り開いた日本画家である。〜
なんとなく、民衆的というのはこのあたりのことだろうか。
あるいは、結婚して食べていくためにメディアの挿絵を描き続けたことが、
そういった作風に、いわばユーザー志向に舵を切らせていったのかと思われました。


で、山種美術館はわたしの母校・國學院にほど近く、
散策しながら、「國學院大學博物館」での展示も見学。
写真は縄文土器のようなのですが、まるで縄文時代のウォシュレット(笑)。
こんな造形感覚もあったのかと、民族的伝統の感覚に打たれておりました。
立地は都心であるのに、静かな環境が維持される中にあり、
最近校舎がどんどんとモダンに建て替えられてすばらしい学習環境。
すっかりこの周辺での閑静な住宅地域散策がお気に入りになってきてます。

【ZEH論議〜電気暖房が“家電”に含まれている?】

一昨日のわたしのブログについて小山ZEH協議会代表理事とも意見交換。
氏の誠実で熱意あふれるこうした対応には深く共感するものです。
で、わたしはセミナーで一般質疑がなかったことをも書いたのですが、
実はキックオフセミナーではいくつか、知りたい情報がスルーされていたのです。
そのなかで、わたし的に一番興味深かったのは、早稲田大学・田辺教授から
「発表されているデータでは日本は暖房エネルギーが少ないことになっているが、
どうも“家電”エネルギー消費のなかに電気暖房が含まれているのではないか」
というきわめて重大な指摘がされていたのであります。

このことについては、上のようなデータがよく示され続けてきていた。
国交省などでの住宅省エネ論議のベースになっていたデータで、
日本はドイツなどと比べて「暖房」エネルギー消費が圧倒的に少ない、
人口規模で8割近い「温暖地域」において(図の一番下の棒グラフ)見れば、
ほとんど「暖房エネルギー」消費はそもそも極小であり、
そういう意味ではすでに省エネ先進国なのだ、という論拠になってきた。
「だから」暖房エネルギー削減の「断熱重視」だけではダメで
総体としての「エネルギー削減」には設備導入、
創エネ・太陽光発電によるトータルな省エネが不可欠だと説明されてきた。
で、われわれ寒冷地域の人間は、そうか、そんなに違うのかと
国全体論議としての前提条件としてこれを受け入れてきていた。
しかし田辺教授からは「家電」とは「コンセント電力利用」ということであり、
その内容の「用途分析」は実は行われていないという指摘があったのです。
たしかに技術的にコンセント電力を仕分けするのは、
難しいだろうことは理解出来るのですが、
まさか国レベルの「省エネ」論議の土台としてそうした検証が
まさか、行われていませんでしたということはにわかには信じられなかった。
考えてみれば温暖地域の住宅では確かに暖房という概念自体がない。
北国では当たり前の設備的工夫、インテリアの条件としての暖房設備がない。
寒冷地では利用エネルギーもほかの家電などとはまったく別系統のものとして
一般ユーザーレベルで、仕分けがなされている。
そうかと、彼我の距離感をそのように受け止めてきていたのですが、
そういう温暖地での部分間歇暖房の最重要熱源が電気ヒーターだろうことは
誰にでもカンタンに推測がつくものと思われる。
しかし温暖地住宅研究者でありかつ国レベルのこうした調査データにも
関与する立場である早稲田大学の田辺教授からのそうした指摘。
「これは質問したい、ホント?」と率直に思った次第なのです。
それじゃぁそもそも前提条件が違うじゃないですか、という気分だった。
部分間歇暖房地域に於いて、電気ヒーター電力が「家電」に仕分けされるのでは、
そもそも論議の基本自体が成り立たないではないか、
そのように大きな疑問が生まれていたのです。
こういうエネルギー削減には設備の導入こそが効果的だとされてきていた。
暖房エネルギーへの錯視があるのでは、正確な論議ができない。
ちょっと看過できないと思っていました。みなさんどうお考えでしょうか?

<図は早稲田大学田辺教授のプレゼン画面ショット>

【間口2間「狭小変形」マンション in 東京曙橋】


写真は、今回の東京出張でのある会議のあった「曙橋」周辺の景観。
向かい側には防衛省施設もある立地ですが、
歩いていて、その形状の想定外ぶりに深く驚かされた建物。
2枚目の写真はこの建物の2階の窓をクローズアップしたもの。
窓が規格的な1間間口約1.8mで開けられている。
そのほかの「壁」部分の総和は、見たところ、窓の左右幅とほぼ相応している。
ということは、この建物の「間口」は2間と推定できる。

で、建物は細長く、道路側に長大な壁面を見せているのですが、
そこにはいくつかの窓が開口されていました。
このフラットな道路側にはエントランスを思わせる「入り口」はなく、
どうやら奥の方からこの細長い建物には入っていくように思われた。
たぶん、間口が2間3.6mで奥行きが10間くらいある、細長い間取りのよう。
こんな建物に思わず視線が向かったのは、
ちょうど竹橋の東京近代美術館で開催中の展覧会、
「日本の家 1945年以降の建築と暮らし」展で、
いわゆるアバンギャルド風住宅建築をみる機会があったのと、
ちょうど新住協札幌支部が中心になって、2.5間間口のプロトタイプも
検討しているというような流れがあった。
そのイマジネーションとして、このマンションが象徴的に視界に飛び込んできた次第。
新住協プロトタイプ研究でも、いわば与条件としての「敷地」の検討があるのですが、
日本の住宅を考えるときに、この条件はきわめて大きい。
敷地条件で間口何間で、奥行き何間ということの想定を決める必要があるけれど、
ハナから東京などの密集地域は除外せざるを得ない現実がある。

で、これが「日本の家 1945年以降の建築と暮らし」の展示会パンフ。
こういった日本の特殊な住宅建築を芸術鑑賞の美術館で展示するという
世界巡回展の「里帰り」展覧会だと言うことでした。
で、はじめの方ではいわゆる戦後「プロトタイプ」住宅への興味も展開されていましたが、
以降は、ひたすら「芸術」視点での住宅「作品」集的な展示構成。
「欧米の多くの国では建築家の仕事の中心は公共建築なのですが日本の場合は、
一人の建築家が、公共建築も個人住宅も手がけることが相当数あります。
建築界で最も栄誉ある賞といわれるプリツカー賞の日本人受賞者が多数の
住宅建築を手がけているというのは、実は結構驚くべきポイント」
という解題でしたが、日本の場合、この写真のような住宅敷地の混乱ぶりが
こういった特殊解の爛熟を支えてきた「与条件」だったと、
まざまざと思い知らされるような気がしておりました。
面白いというか、なんと言えばいいか。