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【福岡で「地域を知る」石器時代からの歴史入門】


本日から東北フォーラムの研修会で熊本地震その他の状況視察です。
仮設住宅から復興へと、東北がたどっている道と
熊本もまた同様の過程を経ていこうとしている。
今回のツアーでは、そういった認識から相互の情報共有が主眼。

ということですが、北海道から福岡には直行便は午前着の便がない。
仙台からは7:30で間に合うのだそうですが、札幌はハンディがあるのです。
そういうことで、1日前に福岡に移動しておりました。
ときどき家族旅行などで来ていたのですが、きちんとその地を理解するには
その地域の風土・歴史を情報として把握する必要がある。
そういうことなので、わたしはよくその地の博物館に行くことにしています。
写真は、博物館で許可された写真撮影を行ったもの。
まぁ、今回視察の広義の「取材」のベースにあたると言えますね。
九州は有力な活火山がありますが、そういった火山活動痕跡では、
阿蘇の噴火火砕流が福岡平野にまで流れ込んできた痕跡もあるそうです。
地質年代を通じてカルデラ噴火がこの地では繰り返してきたとされる。
この地に人間の生活痕跡が確認されるのは石器時代の26,000年以上前。
寒冷な気候で海面は現在よりもずっと低く、それが15,000年前頃には
温暖化が進んで現在の海岸線に近づいてきたとされる。
一番上の図を見ると、札幌は1,200-1,300kmくらいの距離。
福岡から見れば、北京とさして変わらない距離にある。
大阪がソウルと同距離で、東京と上海がほぼ同距離。
2番目の図を見れば、釜山、半島南部地域とはごく近しい近縁関係。
石器時代からごく自然に交流はあったということなのでしょうね。
白村江の戦役などの歴史事実を見れば、半島・大陸との交流が
いかに日本社会にとって必要不可欠なものであったのか、
容易に知れるところです。
わたし個人的には、古代朝廷の成立過程での半島への強い思い入れに
よくその心理的動因が飲み込めなかった部分があったのですが、
半島が連続しているようなこの九州北部の歴史地理をおさらいすると、
蓋然性がリアリティを持って入ってくるように思えます。
「倭の奴の国王」という漢から下賜された「金印」、また「印綬」という意味も
ほぼ定説が理解されるところです。
駆け足勉強でしたが、巨視的には把握の筋道がわかりました。

ただ、この福岡市博物館、なんとなく市中心部にあるものと思っていましたが、
中心部からは高速道路を走ってたどりつく場所。
再開発された地域にあるのですね。
そんなことで、道に迷ったりして時間があんまり取れなかった。
閉館を知らせに追い出されるように去らねばならなかったのが残念。
今度、時間を作ってもうちょっとお勉強したいと思います。
ただ、個人的にもっとも知りたかった、玄界灘が広大な陸地であったと
想定される石器時代あたりの考証はまだまだプロセスのようですね。
展示内容では非明示的になんとなくは示されているけれど、図録では
そういったあたりについての記述はまったく見られなかった。
26,000年前ころの「海岸線」や、そこからの海岸線の後退の歴年把握など
大陸・半島との交流と分離、列島社会の形成過程にも関わる部分なので、
より詳細な検証を望みたいと思いました。

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