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【安藤忠雄展 「住むきびしさ」の芸術止揚】

前回の東京出張時、見学しようとしていたらなんと「火曜日休館」だった(泣)、
東京乃木坂の国立新美術館で開催中の「安藤忠雄展」ようやくチェックイン。
なんですが、乃木坂駅で降りて国立新美術館方面に向かったら、
駅構内に「臨時券売所」ができていた。
どうも当方の認識不足のようで、大勢の「高齢者」(失礼)のみなさんが
みんな吸い寄せられるようにこの展覧会に足を向けているではありませんか。
まぁ平日の午前中という時間帯と言うこともあったのでしょうが、
建築志望の若者や、中国観光客以上に、高齢の方が目立った。
みんなちょっとめかし込んで大人の美術鑑賞、エスプリ感を発している。
おお、都市ゲリラ・安藤忠雄はいまや、国民的人気「芸術家」ということなのか。
こういった薫り高い文化嗜好対象になったのだとご同慶の思いが募ってくる。
どうやら、わたしごとき人間には計りがたい巨大さが安藤さんにはある。

「わたしに住宅の設計を依頼する人には、住みにくいですよとハッキリ言う。
そういう生きることの大変さに意味があると思えるひとと、
いっしょに住宅を作ってきた。寒いツライという人には、頑張れと言ってきた」
と例のダミ声のイヤホン解説が語りかけてくる。
さすがに図表で掲示されていた住宅作品の施主さんに北海道の人はいなかった。
「寒いツライ」を「服をたくさん着込めばいい」と説諭されて、
なお、その大先生と「生きるツラさ」の芸術的境地を共有したいと考える人は、
いないことはないだろう。またそのことを全否定もしない。
しかしそれが人間の暮らし方として高位であるとは言えないし、
そういった無断熱「自然」住宅が「優れている」などとは絶対に言えない。
安藤忠雄さんは、わたし的にはきわめてアンビバレンツな存在であります。
<注:アンビバレンツ=同じ物事に対して、相反する感情を同時に抱くこと。
一人の人物について、好意と嫌悪を同時に持つ、などのような場合が該当する。>
住宅建築についてはその造形感覚について刺激的ではある。
それこそ写真表現者的には、思わず引き込まれるような場の緊張感がある。
しかしどう考えても、ああしたコンクリート打ち放しの身体的環境が、
生身の人間に対してどうであるか、容易に想像が付く。「寒いツライ」。
一方で、いまや世界的に展開している非住宅の建築群について、
「多くの人間が集まる場の創造力」については、同意する部分が多い。
先般、講演会で氏の口から聞いた札幌真駒内霊園の「頭大仏」については、
その発想の面白さ、天才ぶりに大いに共感した。
札幌に住んでいる人間として、安藤さんが「手を加える」前の大仏には
世間一般同様、どうしても承服しがたい印象を持っていた(笑)
しかしその大仏を小山を築いて被覆し、一方で地面レベルからトンネルを
あえてくぐり抜けさせて、あふれる光の中に大仏を再見させるプランニングは、
たぶん茶室的な「出会い」創造コンセプトと、深く驚かされ惹き付けられた。
トマムの「水の教会」でも、このコンセプトは一貫していたと思います。
建築はまずはその場で感受するものだと思うので、
安藤さんの建築は大好きで、あちこちめぐり会うことがやはり楽しみです。

安藤さんはスフィンクスみたいなもので、
たぶん、相対する人間を映し出す鏡のようなものであるのかも知れませんね。
かれが出現したときの時代の建築関連メディアの人たちにとって、
たまらない妖しさが魅力としてあっただろうことは疑えない。
ただひとつ、安藤さんが世に出てきた同時代に、
北海道ではコンクリートブロック外断熱の住宅群が地域の建築家たちによって
創造されていた。わたしなどもその創造運動に関わってきて、
自宅もそのように建てた人間からすると、安藤建築にある無常観は持っている。
はるかな後世になって、安藤さん的コンクリート打ち放し無断熱住宅建築と、
初めから人間環境優先で考え「外断熱」で建てられた北方型ブロック住宅建築の
どちらが歴史的評価を得るのかについては、しかしまだ諦めているワケではない。

【温度差がない設計の自由 鎌田紀彦-堀部安嗣対論】


昨日はジャパンホームショーの行われている東京国際展示場にて
鎌田紀彦-堀部安嗣対論のイベントがあり、取材してきました。
最近になって温暖地でも2020年断熱義務化を控えて、
高断熱高気密への対応が作り手の側で盛り上がってきたようで、
こうしたイベントでも、よく鎌田先生が登場するようになって来た。
とくに今年は、いろいろな催事に鎌田先生が引っ張りだこのようです。

この対論の模様については、詳細に内容をチェックして
ほかのテーマともあわせてまとめたいと思っています。
本日はそういう意味で速報的な報告を。
断熱気密化というテーマについては、いまの「普及」主戦場は温暖地だと思います。
一方で寒冷地・北海道東北は「深化」の段階という違いがあるのでしょう。
鎌田紀彦先生の発言はこれまでの流れのままであり何も変化はない。
ただ、今回の対論相手、堀部安嗣さんのような温暖地の建築家やビルダーさんが
ようやくふつうに高断熱高気密化に取り組みはじめたということ。
対論の中で堀部安嗣さんが正直に答えていたように、
要するに思い込み、高断熱高気密にすると自由な設計デザインが
制約を受けるのではないか、ということへの
「なんとなく」の拒否反応レベルだったとの告白。
そういった段階を乗り越え、堀部安嗣さんは、いごこちとか、
目には見えないけれど決定的な「環境」要素も設計できるようになって
より高レベルの住環境をユーザーに提案していけると実感しているという。
とくに、これまでの設計ではたとえば建物北側の温度低下を無意識に
設計要素としてアタマに入れ与条件と考えていたけれど、
高断熱高気密化することで、家中の温度差がなくなるという「自由度」を
大きく認識するようになった、と発言されていた。
そういう「制約」が設計において排除されるようになったということ。
そうか、と同意できた部分でした。
このような気付きのことについていえば、
北海道でも、高断熱高気密化が進んで「吹き抜け」などの空間設計に
ほぼ躊躇がなくなった時期が数十年前にあった。
それと同質のコトバが、いま温暖地の設計者の認識として
発せられるようになって来たのだと理解出来た。
温暖地と寒冷地の「普及段階と深化段階」という相違が実感できた瞬間。
考えてみれば当たり前のことですが、
ようやく共通の地点に立って論議がはじめられると思わされました。
そうした気付きを持った温暖地の住宅の作り手たちからは、
寒冷地側も大いに「学び」を得られるようになるのではと期待が高まります。
堀部安嗣さんからは住宅建築の古層の知見、技術などへのリスペクトも
発言がありましたが、そういった部分は寒冷地住宅も
大いに学んでいきたいと思った次第です。
結局は日本の住宅が総体として「進化」プロセスにあるのだと思いました。

【江戸期絵図面に見るナマナマしい地方「政経」構造】



写真はわが家の先祖伝承を探訪してきて
先般見学して来た姫路市林田の「三木家住宅」復元主屋の様子です。
この林田という地域は江戸期には1万石といういちばん小規模の「大名領地」。
1万石というのは、米の生産高が1万人の1年分に相当するという意味。
この計算式はなかなか秀逸なようで、江戸期末期の全国の石高は3.000万石と言われ、
また人口も3,000万人と相似していたとされる。
で、大名さんは「建部」さんということだそうですが、
この下の絵図面では「武部」という名前で記載されています。
「武部内匠頭」1万石というように記載がある。
絵図制作に当たっての「校正」が十分ではなかった(笑)のか、
そもそも漢字の表記にはおおらかであったのか、その両方でしょうか。
で、わが家の家系に連なるこちらの「三木」さんは、
絵図上では「構」と表記され「三木三郎左衛門」の屋敷が図右上にある。
ちなみにこの三木家住宅は復元され、配置図平面図は以下の通り。

塀がまわされた中庭空間の様子は、絵図の三木家図でもわかる。
さらに「御下高一万石百姓也」と記載されていて「大庄屋」の機能がわかる。
図には「御成門」も描かれている。
ということで、政治というか、軍事警察機構当主である建部(武部)さんと
経済を司っている「三木家」さん両方で「一万石」という表記・記載が重なっている。
江戸時代のニッポンの1/3000のミニチュア模型のような
典型的な地域支配の構造がピンナップされているのですね。
まことにわかりやすい。
まぁ実際に1万人程度がこの領国地域に居住存在していたかどうかは
そこまではわかりませんが、江戸時代このような構造によって
社会は営まれてきたことが明瞭に伝わってきます。
大体、絵図にこうした経済支配の差配人の家屋敷が明示されるのですから、
支配構造のどうであるかは、明らかではありますね。

歴史理解って、ある定点的な了解点から広がっていくのだと思います。
こういう「座標軸」が明確になり、そして復元された三木家住宅がある。
それらを大きな手掛かりにして、いろいろな人間活動が「取材」で明らかになる。
わたしの場合、たまたま遠い縁戚のような気分も感じられて、
この播州姫路の地が一気に超身近なものに感じられるようになってきました。
この「歴史のモノサシ」を使って、もっと生々しく学んでいきたいと思っている。
まことに老後の研究テーマには事欠かない次第であります(笑)。
ただしそのような境遇にまで至れるのかどうか、
日々地道に経済活動に精を出して、将来は坂の上の雲を追っていきたいです。

【空間コミュニケーション 人間と平面図】

わたしは建築を勉強した人間ではありません。
ビジネス的興味、人間的興味から住宅ということに関わるようになった。
それでも住宅の表現手段としての「図面」は、すぐ直感的に空間把握できた。
一般的に賃貸住宅を借りるというようなときでも、
平面図がほぼ誰でもが共通のコミュニケーションツールになり得る。
これはたぶん人間同士が地面に棒状の石や木片で線画を描いて相談したような
そういった古層人類的経験知の結果なのでしょう。
はじめてこういう「視点」を人類が獲得したのは、いったいどういう経緯か、
ふかく思いを致させられるものがあります。
たぶん想像をたくましくすれば、狩猟採集の時代に落とし穴とかをつくって
獲物を集団で獲得するとき、その方法として作戦会議が行われたでしょう。
コミュニケーションツールとしてこういった「図面」が頻用された。
線画という抽象性には空間を単純化して理解させる把握力がある。
集団的狩猟行為はさまざまな人間の営為を生んだに違いないけれど、
その基礎にこういった「上方からの視点」というものが役立ったのではないか。
人類学の本を読むと言語もまた、こういった必要性が大きかったとされる。
合図とか、動物の自然心理のウラをかくことが言語の発達を促したとか。
狩猟行為がどんどん複雑化し高度化して行く過程で、
より複雑な「作戦会議」を共有していくのに、線画図面は大きく関わっただろう。
コトバと同時くらいにこうした「図面」は原初的な気がする。

この平面図というものは、現実にはあり得ない「上から見下ろす」建築的視点。
そして同時に、作り上げていくときに非常に便利な情報伝達を兼ね備えている。
建築もまた多くの人間の共同作業であり、言語発生と同時とも思える
このコミュニケーションツールを大いに活用する営為。
最近、またいろいろな図面などを引っ張り出しては
それを土台にして語り合うことが多いので、このわかりやすさを再認識する思い。
しかし図面でもう数十年前のものをみると「青焼き」図面が出てくる。
手書きの風合い感も垣間見えていて、風情があるのだけれど、
それを見せると現代の建築関係の人たち、みんな困ったような顔をする。
いまはすべてコンピュータソフトで情報処理するようになって、
昔のように大型青焼き機が存在しなくなっている。図も大型でコピーも取りにくい。
通常の印刷もA3までのものに変換されるようになって来ている。
「写真に撮って、画像にして取り込むか」
「PDFにしてもらえませんかね」
などといった声が交差している。ほんの数十年の人類変化のすさまじさを実感する(笑)。
そういえば、人類のある発展段階で普遍的だっただろう、集団狩猟行為は
いまやすでにほとんど記憶継承もされていないでしょうね。

上に掲載したのは、江戸東京たてもの園のなかの「三井八郎右衞門邸」。
本日は珍しくやや寝不足で、更新が遅れました。
日々の雑感ブログ篇でした。

【株価上昇が示しているサインとは?】

株というのは、経済の先行指標であるとよく言われる。
ここのところ、日本株の上昇が顕著に見られるようになってきた。
経済アナリストの言説はあんまり地に足が付いているとは思わないけれど、
経営をしている人間としては、やはり目は通しておくようにしています。

「日本株は過去21年の常識を覆す大相場に発展か」 2017/11/08
経済アナリスト 田嶋智太郎氏
という、日経さんのWEB上の記事などを拝見した。
〜ついに日経平均株価が1996年6月26日につけた平成バブル崩壊後の
戻り高値=2万2666円を上抜け、一気に2万3000円に迫る水準まで上昇してきた。
(中略)言うまでもなくこのところの株価急上昇の立役者は海外投資家である。
彼らは、日本人が思う以上に先の衆議院選挙で与党が大勝したことによって
政権が安定していることを評価し(中略)期待を強めている。そして、彼らは再び
日本の大型優良株や値がさハイテク株などに触手を伸ばし始めておりそうした
個別銘柄の寄与度が高い日経平均株価の伸びをより高いものにしている。(中略)
大きな流れは”過去21年の常識”を覆すほどの”大相場”へと向かう展開に
なってきているものと思われる。〜
っていうような「イケイケドンドン」風の威勢のいい記事。
東京はこうした傾向がモロに感じられるのでしょうが、
地方ではこうした動向とは無縁の無風状態が続いているようだけれど、
しかし身の回りでも、一時期のような停滞感は底を打った雰囲気はある。
知人が、中央区の地下鉄駅から5分ほどの親から相続して持っていた住宅を
つい先年、RC外断熱賃貸MSに改造したけれど、
そのプロセスで、札幌市中心部での地価高騰状況を側聞した。
銀行の話でもそういった状況変化が裏付けられていると。
そういえば、積水ハウスが東京都心の土地購入話で詐欺にあったニュース。
たぶんそれだけの「バブル」状況が東京などでは出来している証拠。
世界的な金融の動きが、日本に注目してきている流れはあるのでは。

たしかにこれまでの日本では短期間に政権が交代して不安定で
世界の金融から取り残される現実があったのかも知れません。
ドイツでは選挙の結果でメルケル政権が不安定化しているそうで、
EU圏内の不安定化が進んでいるともいわれる。
先進国の常識的政権交代はアメリカでは4年2期で8年が一般的だし、
メルケルさんに至っては、2005年から首相なので12年もやっている。
とくに金融余剰の現代世界では、投資対象としての先進国の政権安定は
経済成長性評価の面では大きなプラス判断になってきているのだろう。
グローバルな環境変化が、そうした動きに敏感なマネーに影響する。
あくまでも「民主的」である大前提で、政治の安定は好材料なのでしょう。
少なくともマネーは正直に日本の現状をそう語っているように思われる。
このような流れが、さて足下の住宅建築にどのような動きとなって現れてくるか、
よりリアルに現実を見ていく必要があるでしょうね。
経済的環境要因が大きく動き始めている可能性が高いのではないか。

【雨読マーケティング研究 in 氷雨さっぽろ2017】

週末を狙って悪天候のさっぽろ地方であります。
こういう日には打合せとか、いろいろなデスクワークに精を出すことに。
昼過ぎからは、ある建築計画のはじめての会合。
設計者・施工者に来ていただいて、論議を集約していくことができました。
やっぱり建物を計画していくのは本当に面白いものだと再認識。
建築にあたっては、やはり計画がいちばんのキモだと思いますね。

ということで、イラスト画は日本の経済市場規模マップ。
市場規模に応じてボックスの大きさが違っているのですが、
それぞれの規模が直感的に理解出来るので、ときどき参照しています。
日本経済最大の市場は、自動車・付属製品製造業で、62兆5,000億円規模。
以下、そのボックスの大きさに沿って逓減していく。
建設は第2位ですが、関連しての「不動産」を合算すると90兆円超。
あとわたしが関連するマーケットで言えば、広告が6,2兆円。
出版1.5兆円、住宅リフォーム6.5兆円などとなっています。
リンク先でご自分の関係するマーケットを参照されると興味深いのでは。
自分の会社の売上規模などと、こうした巨視的データを比べていると、
位置関係、日本のなかでの自分の立場などと妄想するのに
いろいろな気付きを得られると思います。
大きく衣食住というようにいいますが、
この建設関連90兆円というのは、日本の国家予算とほぼ同額規模。
考えてみれば、人間は生きている時間の9割前後は「建物」のなかで過ごす。
そのイレモノを考える仕事というのは、非常に普遍的。
ちょとやそっとでは市場要因が極度に減衰することも考えにくい。
先日、奈良で「石舞台」を見学して来ましたが、
そこで考えたのは、石器時代から建築的営為はあったに違いないという想念。
ピラミッド建築のように石を組み合わせて構造をつくっていくのは、
相当の技術歴史があったに違いないと思った。
建築の中こそが、人間の本然的な「環境領域」であることは疑いない。
よく「自然と繋がる」環境建築、というように言い放つ言説があるけれど、
やはり人間の普遍的追求テーマはそういう方向性ではなく、
外界の多様な気候環境、自然条件の中で、普遍的生存要件を構築するかが
まずは基本テーマでなければならないだろうと思う。
その置かれた自然環境の中でもっともパッシブな解決法で
普遍的な生存環境を創造するのが、いちばんの建築の任務であろうと。

おお、また、別のテーマに想念が移ろっていく(笑)。
それはそれでまた深めていきたいと思っております。
本日は、巨視的な経済構造の視覚的把握という話題提供でした。

【健康への国費投入、医療費偏重から住宅断熱へも】

きのうはすっかり忘れていた腸内検診。
1年ちょっと前に大腸検診を受けガンの疑いはなく、数個のポリープ切除を行い、
その「1年点検」みたいなことで、医師から言われて受診した次第。
まぁまったく自覚症状があるわけではなかったのですが、
たまたま整腸薬が欲しくて行ったら、ちょうどいいからと1年点検になった(笑)。
食事制限から下剤服用でお腹をからっぽにする必要がある。
そういう準備をして内視鏡を下から入れられて検査する。
おかげさまで腸内には不審な様子は見られなかったということで、無事終了。
診療費は5,000円以上の患者個人負担でした。

日本人男性、わたしの年齢では平均的生存年は82才くらいだそうで、
わたしの場合、それを考えた人生設計を立てています。
逆算して、それまでにどのようなことをやっておくべきか、
そういう計画性をもった生き方をしたいと思っている。
それに対しての「投資」として肉体・健康のコントロール・管理をしている。
日本の医療制度というのは、国民長寿命化システムを構築してきたと思います。
このこと自体は、まことにすばらしい。
死が訪れる直前までの「ピンピン」状態をしっかり考え、
そこから先は「余命」として、いつ「コロリ」が来ても安寧な心境で迎えられる。
ただ、こういった医療システム総体として日本全体で年間42兆円超、お金が掛かる。
国家予算に占めるこういった費用は、ほぼ固定化されている。
建築の側から、住宅の性能向上でこの日本の医療費削減のひとつの方策とする
そういう社会運動も提起されているけれど、
厚労省は「エビデンス(証拠)が不十分である」としてなかなか取り合わない。
建築の側では日本人の「よりよい生き方」を考えて
住宅を高断熱高気密化して住宅性能を高めると有為な健康上の結果が得られると
エビデンス努力をして、一部の医療関係者からも協力が得られているけれど、
たしかに医薬品許認可のような厳密性のある証明にまでは
道のりは相当にあるのも事実だろうと思われる。
しかし一方で、高齢者延命長寿化だけが社会の求めるべき「幸福」かどうか、
国家一般会計予算が90兆円、特別会計を入れても200兆円前後のなかで、
医療システムだけがほぼ聖域化され
40兆円を超える財政規模で、なお膨張し続けている現状ははたしてどうなのか?
誰が見ても、その現状には財政的危機感を感じるのではないか。
どう考えてもこの金額規模になってくると岩盤的に固定化した構造、
あえていえば「権力構造」がそこに構築されるだろうと容易に疑いを持つ。
こういった視座でしっかりと議論できるような政治論はあり得ないのだろうか?
そもそも住宅の高性能化効果には、新規医薬品許諾のような
厳密性は不必要で、国民「常識」的判断こそが基準であるべきではないか。
自分自身の身をもって体感しながら、いつもこのテーマを考えさせられます。

【Facebook Marketingスタッフとのデジタル対話】

わたしは自分のブログをFacebookで拡散しています。
もう1年半くらいやっているわけですが、自分なりに成果を得られている。
わたしはテレビの黎明期をほぼ同時代で過ごしたメディア人間であり
コミュニケーションを仕事としてきた人間ですので、
現代でもどんどん変貌を遂げるメディア、SNSなどに強く興味を持っています。
そんなわたしにFacebookから連絡があって、
「より情報拡散を拡大するご提案」というような恐ろしげな(笑)申し入れが。
もちろん好奇心が強いタイプなので、OKして昨日交信致しました。

わたしのページについてのマネージメントページをMacで開いて
決まった時間にケータイ電話に電話を掛けてくるという形式での接触でした。
一応、仕事にも直接的に活かせることなので、
当社の業務関係スタッフも同席してもらって、応答しておりました。
スマホ電話をスピーカーモードにして、たくさんのスタッフに聞いてもらった。
さらにわたしのMacの画面をプロジェクターで映写して
画面の操作やアクションなども情報共有できるようにセットアップしました。
たしか3日前に時間を約束設定して、メールも受け取り、
さらにこの1時間前には重ねて確認のメールも受け取っておりました。
電話はわたしのスマホにシンガポールから掛けてきます、という事前案内。
なにそれ、ひょっとすると怪しげな日本語相手に話させられるのかと身構えていたら、
そうではなく、電話してきたのは日本人名の方で普通の日本語。
所属は「Facebook Marketing Expert」というセクションだということ。
営業拠点は東京ではなく、アジア拠点として存在するのはシンガポールのようです。
Facebookの方でターゲティングしたわたしに情報拡散をもっと拡大させる狙いだと。
最初にわたしのfacebook活用の基本目標を聞いてくる。
そういうストレートさは簡明であり、好感も持てますね。
当方としては、シチュエーション的に会話に円滑さが欠けるかもと考え、
時折積極的にジョークを仕掛けて、なるべく有為な情報をゲットしようと努めました。
「デジタル大好きスーパー65才です(笑)」ととぼけた自己紹介で場を柔らかくする。
パソコンやプロジェクターでのビジュアルを見ながら、
会話はスピーカーモードのスマホという「遠距離会議」の様相であります(笑)。
当社スタッフのフォローもあって、情報交換の中身はまことに充実したもの。
たくさんのビジネスチャンスへの気付きが得られ、
会話時間は30-40分ほどにも及びました。
やはりFacebookはさすがに最先端知見・テクノロジーを駆使する情報企業。
なかなか得がたい情報接触ができて面白かったです。
どうしても情報の中心は東京などになって、地方ではナマで接触できないことが多い。
しかしそういった格差を感じさせないコミュニケーションもまた可能ですね。
当社のような地方企業ですら、YahooとかFacebookとかとの
デジタルメディア接触の方が身近。一方でアナログ全国メディアとの接触はあまりない。
ビジネスで経験をある程度積んだ上で、面白い時代に参加できていること、
たいへんありがたいことだと思いを新たにしておりました。

【北大工学部で学生さんに「講義」しました】


既報の通り、昨日北大工学部で3年生相手に「講義」であります。
これは北海道大学・森太郎准教授との交友からひょうたんから駒の企画。
先生は、社会での住宅の動きを学生たちに感じて欲しいということだったのでしょう。
わたしとしては、若い世代のみなさんと気分を共有できるのはウレシイ。
ちょうどわが家の息子と同じ年代の人たちなので、
そのあたりのかれらの気分の勘所はわきまえているつもり。
講義のテーマは「メディアと建築」といったものでしたが、
いま、住宅と向き合いながらメディアを創っている立場で、
むしろその臨場感とか、なまなましい現場感覚をお伝えするべきと考えました。

わたしとしては、住宅メディアを作り続けて30年近いので
取材をし続けてきて、だんだんと経験知が積み上がっていき、
本質的な人間居住というようなことに興味が向かっていく。
古民家などにもふつうに取材したりすると、
いわば、時間と空間を超えたような人間活動の「取材・ヒアリング」が
いろいろな機縁を通して感じるようになってくる。
そうしたときにモノサシとしての歴史、「人類史」視点のような、
巨視的なスタンスでも見ていくようになる。
「そもそも、どうして人類は寒冷気候から身を守ることを考えたのか」
「住宅デザインの本然はどこにあるのか」
とくに、わたしは建築を学んだ学生ではなく、文系の人間として、
この住宅というものと向き合ってきて、そんな本質的立場であろうと思っている。
いわば普遍的人間としての「住」の意味合いの対象化でしょうか。
そんな「スタンス」について、お話しさせていただきました。
まぁ予想通り、総数250枚くらい用意したプレゼンデータは、
約半分くらいを猛スピードで見せて、話したところで
予定時間を遙かにオーバーしてしまいました(笑)。
しかしそもそもの趣旨が、メディアと建築なので、
その現在進行形を「伝える」意味では、狙い通りだったのではと思っています。

講義のあと、2問だけ学生さんたちとの「応答」もできました。
「環境建築」というコトバについて中国からの女子留学生さんの指摘は、
納得できるもので、ある視座を与えられもしました。
また、講義後、数人の学生さんからも質問があって、
廊下で応答させていただいたりもしました。
若々しい感受性と触れあえるのは無上の楽しい経験ですね。
さらに、数人の方からはFacebook友だち申請もいただきました。
若い年代の人たちはFacebookよりもInstagramとか、ツイッター、LINEの方が
より身近なんだろうと思いますが、
年寄りに合わせてきてくれて、まことにありがたいところです。
今後、大いに学生さん年代とも「交流」していきたいと願っています。

【日本建築学会・川島範久氏から「環境住宅」論議の案内】

昨年、新建築住宅特集6月号で掲載された「環境住宅特集」について
わたしが違和感を自分のブログで書き込んだことから、
Facebook上でのやり取りが活発に展開しました。
その誌面に掲載された川嶋範久・東京工業大学准教授の「巻頭論文」に
疑問を呈した次第だったのです。川島さんの巻頭論文には
「自然と一体化し、自然のリズムが実感できる環境は、その変化によって時折、
環境工学的に「不快」になり得る。しかしその変化を楽しめる度量を持てた時、
それは歓び(Delight)にもなり得る。」という記載。
高断熱高気密化が国策として推進され省エネが世界的に焦眉の課題の時代に、
一部とはいえ建築のサイドから、こういった記述がされることに疑問を感じた。
世界の寒冷地域あるいは北海道の人間として素朴な感覚として、
戦国期に織田軍に滅ぼされた武田サイドの禅寺の和尚さんが、
「心頭を滅却すれば火もまた涼し」といって自死したという故事を書き、
精神論で気候条件を乗り越えろという意味合いでしょうかと、疑問を呈した。
また、「環境住宅特集」と銘打たれているけれど、
記事の中では「環境技術と環境政策の系譜【年表】」も掲載されていて
そのなかで北海道の地域を挙げた寒冷地気候対応としての
高断熱高気密化の努力についての記述が確認できなかった。
「環境住宅論議」に高断熱高気密化の要素を無視していいのだろうかと。
わたしの意見に対し多くのみなさんからの反響があり、活発な論議が起こった。
その様子が伝わったのか、その「環境住宅特集」関連のシンポジウムが
日本建築学会「地球の声」デザイン小委員会主催で開かれ、
わたしの書いた問題提起が取り上げられたりしたこともあった。
さらにそこから、筆者である川島さんが北海道住宅の視察に来られて、
北海道の建築研究者、建築家、ビルダーなどを交えた討論も行われました。
語り合うことで、大いに相互理解が深まった面があったと思います。

そんな経緯があったのですが、
昨日、それ以来懇意にさせていただいている川島さんからのお知らせ。
以下引用は、氏のFacebookページの案内文からです。
〜【告知・拡散希望】〜
2017年11月24日(金)18:00より建築会館3階会議室にて公開シンポジウム
(日本建築学会「地球の声」デザイン小委員会・拡大委員会)を開催します。
テーマは、『環境住宅』を「地域性」と「倫理」から再考する。
ゲストスピーカーとして、堀部安嗣氏(堀部安嗣建築設計事務所)、
竹内昌義氏(みかんぐみ)、藤野高志氏(生物建築舎)、末光弘和氏(SUEP.)。
様々な地域(気候風土・文化歴史)において、様々な考え(倫理観)のもと、
「環境」に対する具体的な「実践」をご紹介いただき、それらを議論する中で、
『環境』住宅の多様な可能性を改めて認識するとともに、これからの建築が
向かうべき方向性を炙り出せればと思っております。多くの方々と共有したい議論。
ぜひお誘い合わせの上、ご参加いただければと思います。よろしくお願いします。
日時:2017年11月24日(金)18:00~20:30
場所: 建築会館3階・308 会議室
司会・連絡先:川島範久(東京工業大学/「地球の声」デザイン小委員会・幹事)
〜一部要旨引用。

というような展開になりました。
ただ、当日はわたしは京都で住宅取材の予定が入っているので日程調整に困惑。
またわたしは寒冷地の住宅をウォッチしている立場とはいえ、メディアの人間。
なので、JIA北海道支部など建築側にこの情報をお伝えし参加を促している次第。
本日、北海道大学で建築の学生さんたちに「講義」するのですが、
こういったメディアと建築もテーマの予定です。論議が活発になるのは
社会全体としてたいへん意義があることだと思っています。