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【空間コミュニケーション 人間と平面図】

わたしは建築を勉強した人間ではありません。
ビジネス的興味、人間的興味から住宅ということに関わるようになった。
それでも住宅の表現手段としての「図面」は、すぐ直感的に空間把握できた。
一般的に賃貸住宅を借りるというようなときでも、
平面図がほぼ誰でもが共通のコミュニケーションツールになり得る。
これはたぶん人間同士が地面に棒状の石や木片で線画を描いて相談したような
そういった古層人類的経験知の結果なのでしょう。
はじめてこういう「視点」を人類が獲得したのは、いったいどういう経緯か、
ふかく思いを致させられるものがあります。
たぶん想像をたくましくすれば、狩猟採集の時代に落とし穴とかをつくって
獲物を集団で獲得するとき、その方法として作戦会議が行われたでしょう。
コミュニケーションツールとしてこういった「図面」が頻用された。
線画という抽象性には空間を単純化して理解させる把握力がある。
集団的狩猟行為はさまざまな人間の営為を生んだに違いないけれど、
その基礎にこういった「上方からの視点」というものが役立ったのではないか。
人類学の本を読むと言語もまた、こういった必要性が大きかったとされる。
合図とか、動物の自然心理のウラをかくことが言語の発達を促したとか。
狩猟行為がどんどん複雑化し高度化して行く過程で、
より複雑な「作戦会議」を共有していくのに、線画図面は大きく関わっただろう。
コトバと同時くらいにこうした「図面」は原初的な気がする。

この平面図というものは、現実にはあり得ない「上から見下ろす」建築的視点。
そして同時に、作り上げていくときに非常に便利な情報伝達を兼ね備えている。
建築もまた多くの人間の共同作業であり、言語発生と同時とも思える
このコミュニケーションツールを大いに活用する営為。
最近、またいろいろな図面などを引っ張り出しては
それを土台にして語り合うことが多いので、このわかりやすさを再認識する思い。
しかし図面でもう数十年前のものをみると「青焼き」図面が出てくる。
手書きの風合い感も垣間見えていて、風情があるのだけれど、
それを見せると現代の建築関係の人たち、みんな困ったような顔をする。
いまはすべてコンピュータソフトで情報処理するようになって、
昔のように大型青焼き機が存在しなくなっている。図も大型でコピーも取りにくい。
通常の印刷もA3までのものに変換されるようになって来ている。
「写真に撮って、画像にして取り込むか」
「PDFにしてもらえませんかね」
などといった声が交差している。ほんの数十年の人類変化のすさまじさを実感する(笑)。
そういえば、人類のある発展段階で普遍的だっただろう、集団狩猟行為は
いまやすでにほとんど記憶継承もされていないでしょうね。

上に掲載したのは、江戸東京たてもの園のなかの「三井八郎右衞門邸」。
本日は珍しくやや寝不足で、更新が遅れました。
日々の雑感ブログ篇でした。

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